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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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352 身の毛がよだつほどの戦慄

 ハイデルベルクはアリスを逃すつもりなんてなかった。血を担保に借り入れられた金にとんでもない利子を設定し、最初から完済させずに眷属として取り込むつもりだったのだ。


十一といちどころの話じゃなかったわけだ」と俺はハイデルベルクに言った。「金貨三千枚が、二日で一万二千枚……。こんなの受け入れられるわけないだろ」


 うんざりしたような表情になり、ハイデルベルクはいかにも面倒そうに口を開いた。


「部外者が受け入れる必要はない……。契約は我々のあいだで結ばれたもの。我は条件を包み隠さず提示し、園城寺アリスは望んで債務者となった。そして、我が右の眼に名が刻まれたのだ……」


 指で押し広げてまでハイデルベルクは右目を見開いたが、近づいてアリスの名を探す気にはならなかった。今はそこにある名を取り戻すことだけを考えなければならない。名が左目に移動し、そこで幾千の名が形づくる漆黒の螺旋に染まる前に。アリスが吸血鬼になってしまうよりも先に。


 俺は言った。「こんな無茶な契約、無効に決まってるだろ……」、とくに考えがあったわけではない。ただの場繋ぎの発言でしかなかった。


 吸血鬼は口端をいびつな形に釣り上げ、にやにやと笑った。右目はもうとっくに閉じられている。


「なかなか興をそぐことを言ってくれる……。我はこの戯言につきあわなければならないのかな……?」

「アリスはまだほんの十一歳の子供だ。知識も経験も不足してるし、まともな判断能力だって備わっちゃいない。俺たち大人の同意なしで、そんなアホな契約を結ばせていいはずがない」

「いやいや、彼女は立派なレディだよ……。それに、なかなか賢しくもある……」


 白と黒の眼球がぎょろりと動き、簡素なベッドで眠るアリスに差し向けられた。うす気味悪い牙が覗き、どこかで蝙蝠の羽ばたく音が聞こえた。


「無理に取り繕おうとするなよ吸血鬼」と俺は言った。「あんたは汚いやり口でアリスを嵌めたんだ。返せるはずのない借金を背負わせて、無理やり眷属に取り込む……。それがブラッド・バンクのやり方なんだろ?」


 ハイデルベルクは玉座で片肘をつき、大きく広げた手に額をもたせた。全滅の一報を受けた王が、深く悲嘆に暮れるみたいに。


「ああ……いやだ、いやだ。ヒトはいつもそうだ……。返済に行き詰まると、決まって債権者たる我を非難する……。ヒトは融資を求め、我は善意でそれならばと応じる……。それ以上我にどうしろと言うのだ?」

「善意? 悪意の間違いじゃないのか?」

「善意……だよ、純然たる善き意思だ……。園城寺アリスに対してもそうだった……。『奴隷を全員解放するのにお金がいるのよ!』、誰がこの純真たる少女の願いを無視できよう……?」


 話にならない。だがなんとかして、この吸血鬼にアリスの眷属化を慰留させなければならない。どうする、と俺は考える。どうすればアリスを諦めさせられる?


 数秒の沈黙ののちに、アナが一歩前に踏み出た。鞘からオウス・キーパーを抜き、まるで奉納するようにそっと屈んで地面に置いた。


「これで利子代わりにならないだろうか?」とアナは言った。こいつはアリスのために、元領主から譲り受けた大切な剣を手放すつもりでいるのだ。


「だったら俺のをやるよ!」と俺はアナの行動を上書きするように声を上げた。そして大蝦蟇を使役し、鬼姫・陰を吐き出させた。


 すぐに二振りのヴァングレイト鋼の剣が宙に浮き、そろそろと移動してハイデルベルクの手に渡った。念力か何かだろう。彼はそれを交互に点検するように凝視しすると、蔑むようにふっと笑った。


「こんなもの、いらぬよ……」、また宙をゆっくり浮遊して、オウス・キーパーはアナの鞘に、そして鬼姫・陰は俺の足元に戻された。


「たしかに、ヴァングレイト鋼の刀剣は希少価値の高いものだ……。それが二本ともなれば、我が融資した金貨三千……それに利子分の金貨九千を合わせても十分釣り合いがつくだろう……。だが、そんなものはいらぬ……。我はSSSランクの血――園城寺アリスが欲しいのだ……」


 次の瞬間、俺はすぐ隣でナルシードの声を耳にした。『やれやれ、語るに落ちるとはこのことだね』と彼は言ったように聞こえた。だが、ナルシードはもうそこにいなかった。地面を蹴り、壇上に上って、魔剣を左手に携えてハイデルベルクの死角を取っていた。


「っ……!」


 息を飲むよりも速く、ナルシードは玉座の後方から切っ先をハイデルベルクの頸に突き刺していた。そして風よりも速く飛び退き、俺の前方に着地した。


 ハイデルベルクの首が、実った稲穂のようにがくっと垂れる。突き立てられた魔剣が黒瘴気となり、大気と混ざり合って消えていく。


「手応えがまるでない……」


 手相占いのように自分の手のひらを見つめ、ナルシードはそう呟く。その言葉を待っていたのかもしれない、ハイデルベルクは深い井戸の底から聞こえてくるようなくぐもった声で笑い、顔を上げる。


「いったいどういう了見だろう……? 債権者たる我を殺めようと……?」


「まあね」とナルシードは言った。「それが一番手っ取り早いと思ったのさ」


「なるほど……。それで、今ので諦めはついてくれたのかな?」

「どうだろう? もう少し試してみてもいいかもしれない」


 再びサーベルのような魔剣が生成され、吸血鬼の額を目掛けて投擲される――と同時に、四方八方から数えきれないほどの刀剣が軍勢の放つ矢のように降り注ぎ、ハイデルベルクの身体を玉座ごと貫く。俺が話しているあいだに、魔剣を空間のあらゆる場所に忍ばせていたみたいだ。


 しかし、それも吸血鬼にとっては突然のにわか雨程度でしかないようだった。すべての魔剣が黒瘴気に変わり、濃い霧のようにハイデルベルクを覆い隠す。やがて晴れると、そこに浮かび上がったのは歪んだ笑みと鈍色に光る牙だった。


「無駄だよ……」とハイデルベルクは言った。「現し世に属するヒトが、我に一撃することなどできぬ……」


 ナルシードは眉をひそめ、再度払った右手に黒瘴気を集めた。だがすぐに考え直し、魔剣を形成する前に散らした。


「どうやら本当みたいだね」とナルシードは言った。「まるで有効打を与えられる気がしない」


 それでも表情の曇らない横顔を見ながら、俺は拭いきれない疑問を覚えていた。本当にそうだろうか? と俺は思った。我に一撃することなどできぬ? 有効打を与えられる気がしない? 俺の胸の奥で、すべての幻獣が燃えるような熱を帯びていた。


 試したいのならやってみるといい……、と吸血鬼は俺に言った。きみはまるで、可塑性の雲を眼下に見つけた子供のような顔をしている……。


 言い得て妙だな、と俺は思う。わるくない表現だ。言い換えるなら、俺は絶妙な幅のドブ川を前にしたときのような気持ちになっていた。たぶんなんとかなる気がする。俺はこのドブ川を飛び越えてみたいし、雲に飛び乗ってみたかった。


「出でよMAX鬼熊!」


 結論づけるよりも先に、俺は右手を突っ張って幻獣を使役していた。月の迷宮でイブを真っ二つにしたときと同様に、剛腕が暴走列車のようにぐんぐん伸びていく。そして拳のすぐ先に吸血鬼を捉えると、彼は目の色を変えて王座から飛び跳ねた。


 警笛も鳴らさずに暴走する列車が通り過ぎると、吸血鬼は粉々に粉砕された玉座を梁に足をひっつかせながら見下ろした。蝙蝠のように完全に逆さになっている。城の主としての威厳も、吸血鬼としての尊厳も、今の彼からは見て取ることができなかった。


 俺は腕を下ろし、まだぶら下がっている吸血鬼に大きな声で語りかけた。


「おかしいな、あんた現し世の人間じゃどうのって言ってなかったか? がっつりよけたように見えたぞ?」


 ハイデルベルクは梁から壇上に音もなく飛び降り、ゆっくりと視線を俺の顔に移した。


「……なるほど、隠り世かくりょに足を踏み入れたことがあるようだ……。そのせいで、少々ではあるが黄泉性を纏っているのであろう……。ふむ、しかし少しき性質にもかかわらず、我に飛び退らせるとは……。いやはや、肌が粟立つこの感覚は本当に久しぶりだよ……」


「か、隠り世? 黄泉性? なんのことを言ってるんだ……?」


 長い静寂が訪れる。吸血鬼は俺の質問に答える気はなさそうだった。腕をまくり、そこを走る鳥肌を熱心に眺めていた。感動さえ覚えているように見える。感嘆の声を漏らし、やがて吸血鬼は口を開いた。


「これだ……。我はこの身の毛がよだつほどの戦慄を愛していた……。ああ……我は覚えている。戦いに明け暮れていた長き時を……。魂が震えていた殺戮の時代を……。そうだ……何よりも旨いのは、八つに裂いたヒトの返り血であった……」


 再び謁見の間に沈黙が落ちる。しかし、今度はあまりにも短かった。


「黄泉性を纏うヒトの子よ……」とハイデルベルクは俺を見て言った。「さあ、我にもっと死の恐怖を与えてくれ……。永劫の檻から我が魂を解き放ってくれ……。我はもっと追憶の海に沈みたいのだ……さあ、死合うことの愉しさを我に!」


 俺は思考する。どうする、と俺は思う。どうすればアリスを助けられる? 俺は身構え、だらりと腕を垂らしたままの吸血鬼に右手で狙いをつける。


「一つ教えてくれ、あんたを殺せば本当にアリスの名はその右目からなくなるのか?」

「そうなる……だろうな……。眷属化の途にある園城寺アリスとの契約は破棄されるであろう……。幾千の我が眷属たちは、深き死を迎えることになるがね……」


 それだけ聞ければ十分だ。俺はこの好条件を逃さず、一撃で終わりにするために意識を限りなく集中させる。そして、朱雀の名を呼ぶ。


「出でよ――」


 しかし、すぐに思いとどまるだけの理由が生み出された。謁見の間の扉が開き、俺を制止する声が聞こえたのだ。それは俺に温かみを与えてくれる声であり、同時に俺をより緊張させる声だった。俺は振り返り、その男を瞳に映じさせた。


「やめとけウキキ」とラウドゥルは言った。「そいつに戦いの悦びを思い出させるな。眷属集めと金融ごっこで満足させておけ」


 ラウドゥルの隣には小さな少年が立っていた。グスターブ皇国の皇子――だろう。どういうわけか、一目見ただけで外しようのない答えが俺の頭に浮き上がった。


「なんだあの冴えない男は。ラウドゥル、お前の知り合いか? 余にちゃんと紹介せい」


 アリスが目を覚ましたのは、皇子が声を上げてからすぐのことだった。始祖をともにする二人は、今ここで邂逅を果たしたのだ。


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