347 甘いチョコレート
牢の連なる地下の奥には鉄扉があり、使用人のかざす蝋燭の炎が堅く閉ざした錠を暗闇のなかに浮かべていた。辺りを漂う汚臭が鼻を突き、呻くような男の低い声が耳を打った。
使用人が解錠すると、屋敷の主はみずから扉を押し込んだ。半分ほど開いたところで首をまわし、俺のことをじっと見た。
「さあ九頭大蛇のお方様、ワタシの自慢の説教部屋をとくとご覧下され」
その空間の中央には月の女神リアの名を冠する像があり、浅黒い肌の男が腕に抱かれるように縄で括りつけられていた。何も纏っておらず、ゆらめく炎がミミズの這うような裂傷をいくつも照らし出していた。あとは長い棒きれが女神像の足元に立てかかっているだけだった。ほかには何もなかった。
「『常に一女神・三親方に感謝を』。それを忘れた奴隷がいると、ワタシはそれをしっかり学ぶまで何日だってここで教えてやるのです」
彼が棒きれを手にすると、奴隷の男は短い悲鳴をあげて捕縛を解こうともがいた。密生する髭が表情を隠しているが、目は恐怖に染まり異様な光を帯びていた。
振り上げられた棒切れが緩慢な弧を描く。奴隷の身体を打つ寸前で、俺は男の腕を掴んで到達を阻止した。
「こんなもの見たくもないって昨日も言ったよな?」と俺は言った。「あんたこそ学べてないんじゃないか?」
ふぉふぉふぉ、と男は笑った。今度は手に力をこめることなくすぐに棒きれを投げ捨てた。
「そうでしたな。いや失礼、歳を取ると物忘れが酷くなりましてな」
「どういうつもりだ? これが余興だなんて言わないよな?」
腕を放すと男はわざとらしく掴んでいた位置をさすり、それから後ろで両腕を組んだ。
「いやなに、あなた様は奴隷に同情が過ぎるのでな。こういう教育も必要だとわかってもらいたいのですよ」
自分も奴隷だったころ三親方からこういう仕打ちを受けていたが、今ではすべてに感謝している。あのときがなかったら、今の自分はないだろう――というようなことを男は語ったが、熱心に聞いてやる気にはなれなかった。元の世界から現在に至るまで、成金の過去の苦労話が面白かったためしがない。
きりのいいところまで喋らせてから、俺は話を遮った。
「それより、もう上に戻ってもいいか? そろそろブルーニが戻ってくるころだろ?」
まだ話し足りないようだったが、男は首を振って諦めた。
「あくまで邪険な態度を崩さないおつもりですな。いいでしょう、それなら余興はここまでです。しかし、ブルーニとやらはまだ届けられておらぬでしょう。来たら連絡を寄越すよう言ってありますからな」
それは事実だった。地下から上に戻ったが、鑑定にまわされたブルーニはまだこの屋敷に到着していなかった。いつまでこの居心地の悪い場所にいればいいのだろう? うんざりして顔をしかめると、男は提案を申し出た。
「もしお急ぎでしたら、あなた様が受け取りに行くというのはどうですかな?」
「俺が取りに? でもあんたは俺のロイヤル・ライセンスと交換したいんだろ? 俺がブルーニをそのまま持ち逃げしたらどうするんだ?」
ふぉふぉふぉ、とまた男は笑った。今度は外敵のいない沼地のヒキガエルのような、余裕を見せつける笑い方だった。
「あり得ぬでしょう、知龍のように聡明な九頭大蛇のお方様がそんなこと。夜にでもそちらに使いの者を送りましょう、そのときにロイヤル・ライセンスを預けてくださればよい」
少し考えてから提案を受け入れると、男は鈴を鳴らしてトゥモンを呼びつけた。音もなく扉を抜けてやってきた少年が、おどおどした様子で男の前まで歩いていった。
「ゴベア商会まで案内なさい。場所はわかるだろう?」
少年は俯き、小さな返事をした。「はい、親方様……」
その態度が気に入らなかったのか、男は厚い手のひらをトゥモンの頬に打ちつけた。
「いつも言っておるだろう? 話すときは相手の目を見なさい。また説教部屋に入りたいのかね?」
少年は赤くなった頬を手で押さえ、何度も首を横に振った。明らかに栄養の足りていない身体には、無数のミミズ腫れが浮き上がっている。この子はあのろくでもない部屋にどれだけ入れられていたのだろう。
「じゃあよろしくな、トゥモン」
すぐに彼の手を引っ張り、蛙のような男から遠ざけた。これ以上この子が何かされるところなんて見たくもない。大広間から出ていこうとすると、男は俺たちの背中に語りかけてきた。
「トゥモン、そのお方様との会話を許可する」と男は言った。「ゴベア商会まではかなり距離がある。退屈させぬよう、ワタシの本の十三章八節でも暗唱して差し上げなさい」
トゥモンは全身で振り返り、深く頭を下げた。「はい、わかりました、親方様……」
男は表情を和らげ、横目を向ける俺の顔を遠くから射貫くように見つめた。
「自伝でしてな。九頭大蛇のお方様のためになることも著述しておる。きっと気に入るでしょう」
「お気遣いどうも」と俺は言った。それから部屋を出ていこうとしたが、思い直して足を止めた。
「ついでに、気になってたことを一つ訊いてもいいか?」
「ほう、気になっていたこと。なんでしょうな? ワタシに答えられればよいのですが」
俺は少々演技っぽく、きょろきょろと大広間を見まわした。「あの曲刀の大男がずっといないみたいだけど、今どこにいるんだ? あんたのボディーガードなんだろ?」
ふぉふぉふぉ、と男は笑った。きっと笑い声のレパートリーがこれしかないのだと思う。しかし、今回は焦りを隠しきれないヒキガエルのようだった。神聖な沼地に毒蛇の侵入を許してしまったのだ。
「なあに、少し休ませておるのですよ……。高い金を出して買ったデザート・スコーピオンの強者とはいえ、働きすぎは良くないですからな。それが何か……?」
俺は何も答えずに扉を開けた。そしてトゥモンの背中に手を置き、一緒に大広間を後にした。
*
太陽が中空から西に傾き始めても、都市は執拗な熱気を追いやることができないでいた。外に出て少し歩いただけで、俺のブルーのシャツは首元から鼠色に変わっていった。
トゥモンはずっと律義にくだらない本のどこかのページをそらんじていた。唯一の月の女神リアのお導きに従い、枕を一段高くしたら運が向いてきたという辺りだった。もし当のリア本人が聞いたら、そんなお告げは出していないと即座に否定するだろう。あるいは一切の興味を示さず、無表情のまま地面に絵を描き始めるかもしれない。
やがて大通りに出ると、トゥモンはすれ違う行商の男とロバに注意を向け、そこで暗唱を一旦ストップした。俺はその機を逃さず彼に話しかけた。
「な、なあトゥモン。本の内容を聞かせてくれるのもいいけど、もっと別の話をしないか?」
「別の話……ですか?」とトゥモンは不思議なものを見るような目で俺に言った。「僕のような者と話すことなんて何かあるのでしょうか?」
いっぱいあるよ、と俺は言った。いっぱいある。
それから俺は彼にいろいろと訊いてみた。見立てどおり歳は十歳だった。アリスより一歳年下だ。俺が仲の良かった幼馴染を二人同時に失い、一人でずっと部屋にこもって漫画を読んでいたころの年齢だ。
六歳の弟が一人いるらしい。父のことは何もわからないと彼は言った。母は奉公先で弟を産み、その日に亡くなった。形見の品は何もなく、思い出だってろくすっぽ残っていなかった。
「弟は生まれつき体が弱いんです。親方様のご厚意でお屋敷に住ませてもらってますが、あと一年もすれば奴隷として働かなくてはならない歳になります。弟にできるか、僕はそれが心配で……」
あたり前の話だが、奴隷にもいろいろとある。語られるべき物語のない人間なんて誰ひとりとして存在しない。トゥモンと話をしていると、それが本当によくわかる。彼は話をするのが上手く、そして綺麗な声をしていた。
トゥモンはそれから好きなものについて話してくれた。初めて目にした少年の笑顔は、小さいころに聴いた歌のフレーズを口ずさんだときだった。
「歌は聴くのも歌うのも好きです。九頭大蛇のお方様は何か知っている歌はありますか?」
「優希だよ」と俺は言った。「九頭大蛇のお方様なんて名前じゃない。俺は三井優希っていうんだ」
「ミツイ……ウウキ様?」
「ウウキじゃなくて、ユ・ウ・キだ」
「ウキキ様?」
「やっぱりそうなるのか……。ま、まあそれでいいよ……」
少年は歩きながら首を傾げ、もう一度ウキキ様と口にした。なんだかソフィエさんとの最初のやりとりを思い出してしまう。ソフィエさんも俺の名前を間違え、そしてそれを嬉しそうに連呼していた。彼女は今どこで何をしているのだろう?
「じゃあウキキ様、何か知っている歌はありますか?」
「え? あ、ああ……いっぱいあるよ」
歩きながら最初に浮かんだ歌のサビを歌いだしたが、トゥモンは少しも耳を傾けず、足を止めてほかのものに目を奪われていた。
「どうかしたか?」と俺も立ち止って視線をともにし、訊ねた。「屋台に人だかりがあるけど、なんの屋台だ?」
トゥモンは慌ててそこから目を切り、向き直って俺の顔を見た。
「いえ、なんでもないんです。すみません、ゴベア商会に急ぎましょう」
彼が心を惹かれていたのは氷菓を売る店のようだった。子供たちが軒先のベンチに座り、清涼感のある透明の皿から手掴みで小さな氷を口に運んでいた。ジャリジャリと噛み砕く心地良い音が辺りに響いている。サイコロ大に刻んだ氷に砂糖をまぶしたもののようで、屋台ののぼりには『氷砂糖』とあった。
「食べたいのか?」と俺はトゥモンに訊ねた。それからすぐに馬鹿な質問をしてしまったなと後悔した。
あんなもの、子供なら誰だって食べたいに決まっている。ましてや、この少年は満足な食事とは程遠い位置に伏すことを余儀なくされた身分なのだ。いつだって腹をすかせており、自然と目と鼻が食べ物を捉えてしまうのだろう。
しばらくすると、トゥモンは遠慮がちに視線を戻した。子供たちは太陽の下で、楽しそうに氷を口に含んで笑っていた。
「僕もむかし、一度だけ食べたことがあるんです。親方様が……えっと、ウキキ様がお会いした親方様とは別の親方様が、今日のような暑い日の帰り道に買ってくださいました。とても美味しかったのを覚えています。とてもとても冷たく、そしてとてもとてもとっても甘かったんです」
少年はそこで大事な楽しい思い出に蓋をした。あまり長く触れてしまうと、それはすぐにでも損なわれ、儚く消えてしまうものだった。少年にはわかっているのだ。この先、まだまだこの記憶に縋らなくてはならないほど、自分の人生が薄暗く薄幸なものであると。
俺は財布を取り出し、祈る気持ちで中身を確認した。わかってはいたが、一万四千円ちょっとの日本円しかなかった。おいウキキ、と俺は思った。どうしてお前はいつまでもこの異世界の金を持たずにいたんだ。お前はたかだか氷菓の一つも奢ってあげられないのか。
今ほど自分を情けなく思ったことはなかった。しかし、この都市はいつまでも落ち込んだ気分でいることを許してはくれなかった。
「っ……!」
石ころが飛んできた。氷砂糖を食べていた子供の投げたものだ。それは放物線を描いてトゥモンにあたり、小さな額から薄っすらと血を滲ませた。
「おいトゥモン! 大丈夫か!?」
俺は膝を折って座り込むトゥモンを腕のなかに導き、彼の額の具合を確かめた。小さな石だったので、それほどの怪我ではない。だけど、そんなことはいま考慮する問題ではなかった。いま問題にしなければならないのは、縦縞の立派な衣服を着る子供が平然とトゥモンを傷つけ、あまつさえガッツポーズまで決めて隣の子供と手を打ち合っていることだった。
「おいお前! なにやって――」
怒りのすべてを声に乗せて発そうとしたが、トゥモンに腕を掴んで止められた。彼は顔を上げ、なだめるように俺に言った。
「ウ、ウキキ様、いいんです、僕なんかのために怒らないでください……」
トゥモンは立ち上がり、顔を伏せて逃げるように屋台から離れていった。俺はしばらくその場から動くことができなかったが、はっとなってすぐにトゥモンを追いかけた。なにはともあれ、とりあえず彼の額を治療しなければならない。
彼は泣いてなんかいなかった。それどころか少しも気にしていない様子だった。少なくとも、俺の前では気にしていない様子を続けたいようだった。ベンチに座らせて噴水の水の包帯を頭に巻いてやっても、彼はその表情を崩さなかった。
隣に腰を下ろすと、彼は申し訳なさそうに頭を下げて俺に言った。
「本当にすみません、僕のためにこんなことまで……」
俺は口をきかずに、褐色の彼の顔貌を眺めていた。こうしてあらためて見ると、かなり良い顔立ちをしていた。汚れていて気づきにくいが、将来女を何人も虜にさせる要素が散りばめられている。髪だって雑に伸びてしまっているが、この異世界でもリアやルナやアリューシャ様ぐらいしか見たことのない銀髪だ。ちゃんと洗ってやれば、彼女たちのように綺麗な輝きを帯びることだろう。
「ど、どうしたんですか、ウキキ様?」と彼は戸惑うように言った。「怒ってるんですか? 僕があまりにも不甲斐ないから……?」
「いや、違うよ」と俺は言った。「なんでもない。それより、お前いつもあんなことをされてるのか?」
「いえ、そんなことはありません。稀なことです。本当に大丈夫ですから、ウキキ様が気を煩わせることはありません」
ベンチからすっと立ち上がり、ゴベア商会まで急ぎましょうとトゥモンは言った。俺は小さな手を引っ張り、またベンチに腰を落ち着けさせた。
「どうしたんですか? 早く行かないと日が暮れてしまいます」
「いいよ、暮れたきゃ暮れれば」と俺は言った。「それより、もっとお前と話がしたいんだ」
というよりは、彼の話が聞きたかった。悩みや相談があるなら、なんでも聞いて乗ってやりたかった。だけど、俺には上手く聞き出すことができなかった。彼の話す奴隷としての労働の数々を聞きながら、俺はアリスなら今日一日どうしていただろうと考えた。あいつなら、屋敷の地下で奴隷がリア像に縛られているのを見たらどうしただろう? 氷砂糖を生唾を呑み込んで見ているトゥモンに気がついたらどうしただろう? そして、彼の身体とプライドが理由もなく傷つけられたらどうしただろう?
答えなんて最初から決まっていた。アリスならすべてを良い(とあいつが思い込む)方向に持っていこうとするだろう。縄を解き、物々交換をしてでも氷砂糖を手に入れ、石ころをぶつけた子供をトゥモンに謝らせてそのあと一緒に遊ばせるだろう。それが根本的な解決に繋がらなくとも、あいつなら目の前の困窮する人をほっとけはしないだろう。
なら、俺はどうする? と俺は思う。俺はどうすればよかった? このろくでもない南の地で、不自由な人たちのためにできることが俺にもあるのか?
腕を組んでひとり思考に耽ってしまったので、話を終えたトゥモンは不安そうに俺の反応を窺っていた。
「すみません、ウキキ様。つまらない話をしてしまいました……」
また気を使わせてしまったみたいだ。大丈夫、と俺は言った。ちょっと考え事をしてたんだ。続きを聞かせてくれないか?
トゥモンがまた口を開こうとすると、突然腹がぐ~ぐ~と鳴りだした。もちろん少年の空腹が立てた音だ。それにかぶせるように彼は少し大きな声で話しだしたが、もう手遅れなのは明白だった。「すみません」と言ってかすかに顔を赤らめ、そして話すことをやめて下を向いてしまった。
俺は咄嗟にジーンズのポケットに手を突っ込んだ。まだミルク・キャンディーがあったかもしれない。だが、左右どちらをまさぐっても何も出てこなかった。俺は飴玉ひとつトゥモンに与えてやれない。
しかし、駄目もとでシャツの胸ポッケを叩いてみると、何か手応えがあった。小さな包み袋に梱包されたチョコレートが二つ入っていた。アリスの仕業だろう。ジーンズの飴玉もそうだが、あいつは人の服にお菓子を忍ばせることがよくある。
少し融けているかもしれないが、ないよりはましだろう。俺はその二つをトゥモンの手のひらに置き、包み袋の開け方を教えた。とくにいぶかる様子もなく、彼はべとべとになったチョコを口許まで運び、そして半分ほど食べた。
長い時間が経過する。空白が時を埋め、樹木の影が少しずつ形を変えていく。それでも、少年は押し黙ったまま身動きひとつしないでいた。まばたきをすることさえ忘れ、ただ口のなかに優しい甘みを広げている。
そこに笑顔がこぼれることを俺は待ち望んでいる。刻一刻と、その時が近づいているのを感じる。
しかし――こぼれたのは笑顔ではなく涙だった。窓を一滴の雨が滑り落ちていくように、赤くなった頬を一筋の涙が伝っていった。
きっと、この涙を正確に理解することは俺にはできないだろう。甘い幸せに包まれた喜びかもしれないし、その幸福からずっと遠ざかってきた自分への憐れみかもしれない。あるいはその両方なのかもしれない。
しかしいずれにせよ、少年はチョコレートを食べて涙を流した。車のダッシュボードの奥から出てきたような変形したチョコレートを食べて、トゥモンは思わず涙を流したんだ……。
こんな世界でいいはずがない。子供が甘いものを食べたとき、そこに浮かぶのは絶対に笑顔であるべきだろう。
俺になにがしてあげられるだろう?
その輪郭すらまだ見えてこない。いつまでも手の届かない場所でゆらゆらと揺らめき、その存在を暗示しているだけだった。
*
トゥモンは時間をかけて、ゆっくりとチョコレートの残り半分を食べた。そして、赤くなった目で哀願するように俺のことを見た。
「こんなおいしいものを、僕のような者に恵んでくれてありがとうございます。それで……すみませんウキキ様、もう一つは持って帰っても構わないでしょうか? 弟にも食べさせてあげたいんです」
もちろん構わないよ、と俺は言った。弟がそれを口にするとき、トゥモンはいったいどんな表情でそれを見ているのだろう?
それから俺たちはようやく腰を上げ、大通りをまた東に向けて歩き出した。タージ・マハルのような円形屋根の建造物の前で右に折れ、長い階段を下りてから川沿いの道を歩いた。
だんだん人気がなくなってくると、前方に敷地全体を黒壁で覆い隠す建物が見えてきた。たぶん、あれがゴベア商会だろう。思っていた以上に物騒な印象で、そのせいか川の水まで濁って見えてきた。ガラの悪い連中が門の前にたまり、近づく俺たちを威嚇するような目で見ている。
突然、トゥモンは歩くのをやめて俺のシャツの裾を掴んだ。「すみませんウキキ様……。やっぱり、あそこに入るのはやめたほうがいいと思います……」
振り返ると、少年はじっと俺の目を見つめたまま言葉を継いだ。
「すみません、実は――」
「いいよトゥモン」と俺は言った。「それ以上何も言うな。俺は大丈夫だから安心しろ」
あの蛙のような男の提案なんて、どうせ薄汚い欲にまみれたもの決まっている。俺を人目のつかないところで始末させ、ブルーニを失うことなくロイヤル・ライセンスを手に入れる魂胆だろう。
俺はトゥモンの頭をそっと撫でる。そして言う。「お前は最後まで俺を案内するんだ。そうすれば、これから何が起ころうとお前に責任はない。与えられた仕事を終わりまできっちりやり遂げろ」
少年はどこか今までよりもずっと力強く頷いた。そして先に駆けていき、たむろする男たちに話をつけて扉を開かせた。
複数のにやにやした表情とたった一つの心配そうな表情に見守られながら、俺は扉を抜けてゴベア商会に足を踏み入れた。石造りの長屋が左右に並列しており、そのずっと奥にはバルコニーのある三階建ての建物が佇んでいた。そこかしこでチンピラのような奴らが眉根に力をこめて俺のことを見ている。やはり身を粉にして働く商人の協会というよりは、裏で違法な取引をする連中の集まりというイメージを受けざるを得なかった。
「っ……!」
それを目にするのは想定よりもだいぶ早かった。交渉はもちろん、名乗りも前口上すらもなく、青い軌道が俺の体幹を狙うように真っ直ぐ空から降ってきた。
俺は横っ跳びで斬撃をかわし、硬い地面を穿った曲刀に目を留めた。それは屈強な大男に持ち上げられ、担ぐように肩にあてられた。
「オヤカタサマの望むものを黙って差し出せ」とデザート・スコーピオンの男は言った。




