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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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339 トゥモン

 ナルシードは驚いた顔を少しも取り繕おうとはしなかった。長い睫毛が間断なく走る切れ長の目。真っ直ぐ筋の通った高い鼻。いつでも爽やかな笑顔を引き出せる口元。限られた本当のイケメンにはそんな必要はないみたいだ。ただありのままの表情を浮かべるだけで、写真集の一ページのようにきちっと様になってしまう。格差、と俺は心のなかで呟いた。


 彼はアリスに声をかけてから、俺の存在にも気がついたようだった。


「驚いたな、アリスちゃんだけじゃなく、ウキキ君までどうしてここに? 屍教の一件以来じゃないかい?」


 古い友達の幻影を見るような目で彼はそう言った。どことなく嬉しそうに見えるのは、歳の近いこいつのことを親友だと思っている俺の願望からだろうか?


「いや……ってか俺が聞きたいよ、なんでナルがガイサ・ラマンダにいるんだ?」


 ナルシードの後ろでもじもじとしていた女が、おもむろにフードを脱いだ。フレーム・レスの眼鏡をかけ、茶色く長い髪を二本にまとめて縛っている二十代後半ほどの女だった。美人と言っても差し支えないだろう。メロンを隠していると思えるほど豊満な胸元を見ていると、彼女のことをだんだんと思い出してきた。


「ノベンタさん……でしたっけ? ファングネイ王国の呪術師ギルドマスターの?」

「そうだよ~、きみはウキキ君でしょ~? そっちの女の子は~アリスちゃんっていうのね~?」


 特徴的なゆったりとした喋り方は、前に散らかったギルドで一度だけ話をしたときと同じだった。しかし、可愛い可愛いと言ってアリスの顔を触りまくる動きには明確な違いがあった。


「あれ……たしか呪いの反動でゆっくりとしか身体を動かせないんじゃ?」


「そのとおりだよ」とナルシードは彼女の代わりに答えた。「そして、僕たちがこの南方の都市を訪れた理由もそれさ」


 今は妙薬のおかげで一時的に呪詛を跳ね除けているだけらしい。その薬は使えば使うほど効果のほどが落ち、いずれ機能しなくなってしまうそうだ。彼女の呪いを解くこと――それがナルシードがファングネイ王国兵団から与えられた任務だった。


「どうして騎士の僕が兵団から? ってウキキ君は思っただろ?」と彼は儚げに笑いながら言った。思わなかったが、そう言われてみて初めて気がついた。こいつは二十三歳という若さで騎士団薔薇組の副組長まで上り詰めた男だ。どうしてだ? と俺は尋ねた。


 するとナルシードは、屍教との戦いのあとのあらましを手短に話して聞かせてくれた。薔薇組は完全に解体され、今はどこにも籍を置くところのない野良騎士という立場らしい。まあ騎士号を剥奪されなかっただけでも儲けものさ、と南国特有の生暖かい風に紺の前髪を吹かれながら彼は言った。薔薇組はそのほとんどが――組長までもが、裏で屍教に属していたんだからね。


「だから僕は今、何かと便利な存在なんだよ。兵団から回りまわって命令が飛んで来たら、大人しく従うしかないのさ。まあ――でもそのおかげで、副兵団長から興味深い話も聞けたけどね」


「ガーゴイルの件か?」と俺は訊いた。副兵団長はガーゴイルのことで協力を求めた数少ない外部の人間の一人だ。彼なら、俺たちと親しいナルシードに伝えていても少しも不思議ではない。


 すると、やはりナルシードはそうだと頷いた。そして諸々の話しは夜にでもゆっくり腰を落ち着けてどうだい? と提案した。そうだな、と俺は答えた。彼は宿泊先のホテルを簡潔に教え、それから再びフードをかぶり、ノベンタさんの手を引いて素早く路地に消えていった。


 二人の背中が見えなくなると、アリスは珍しく覇気のない声でぼそっと呟いた。


「あ、あのひと呪術師なのよね……?『こんなに可愛いと、蝋人形にしてギルドに飾っちゃうぞ~』って言っていたけれど、冗談よね……?」


 たぶん、と俺は答えた。デーモン閣下? そして気を取り直し、金ぴかな門を抜けて、サラマンダーの首飾りを奪った男を尋ねた。





 思ったよりも呆気なく、この豪邸の主人は俺たちと会って話をする気になったようだった。まあ言うまでもなく、アリスが絢爛な玄関の前で使用人に提示したロイヤル・ライセンスのおかげだろう。


 しばらく待たされてから通された部屋には、屈強な男を後方に配し、金に彩られたビーチチェアのような椅子に身体を横たえる男がいた。ひどく肥え、ガマ蛙のような顔をしていた。サラマンダーが俺に視せた男に間違いない。しかし、薄革の黒い手袋をはめた手には、左右のどちらにもサラマンダーの首飾りは巻かれていなかった。


 蛙が大の苦手なアリスは、男を見ると一瞬身体をすくめた。しかし人間のような蛙ではなく、蛙のような人間だと脳が正しく理解できたらしく、すぐに毅然とした態度で男に詰め寄った。


「サラマンダーから盗んだ首飾りを返してもらうわ! あれはブルーニといって、とても大切なものなのよ!」


 蛙のような男は「ほほう」と言って、脂肪が厚くのった瞼をかすかに震わせた。


「サラマンダー……それは取引相手に届けられる前に帝国領で姿を消した、我が商材の名。話しの流れからすると、連れ去ったのはあなた方ということですかな?」

「だったらなんだって言うのよ!」


 屈強な男に手伝わせ、彼はまるまる太った身体を椅子の上に起こした。そしてアリスに向かってゆっくりと手を伸ばした。


九頭大蛇くずおろちの紋入りライセンスをよく見せてもらえますかな?」

「九頭大蛇って何よ! これはヒュドラっていうのよ!」

「違う呼び方をする土地もあるということです。さあ、見せて頂けますかな?」


 俺はアリスにそれを引っ込めさせ、代わりに筒状に巻かれたままの俺のものを手渡した。彼はパスポート大のロイヤル・ライセンスを仔細に観察すると、また巻き直してから俺の手のひらに置いた。


「たしかに、あなた方はオパルツァー帝国の寵愛を受けておられるようだ。とすると、乱暴な真似はそうそうできないですな」

「……ブルーニを返す気になりましたか?」


 男はいやに長い舌で上唇を舐め、にやりと笑った。俺の背後で脂の乗った美味しそうな蠅でも飛んでいるのかもしれない。


「金貨百五十……それがあの娘についた値段です。それだけの金が、あなた方の行いによってワタシの手からこぼれ落ちた。それはおわかりいただけますかな?」

「……ブルーニが欲しければ、それを代わりに支払えと?」


 男は薄暮のウシガエルのような声で笑った。きっと声帯が似ているのだ。


「いえいえ、そうではありません。滅相もない。ただ、こちら側がこうむった損害を正しく理解されているかどうか確認したかっただけです」

「なら、はっきり言います。俺たちは犯罪の魔の手からサラを救い出しただけです。犯罪の首謀者の損害なんて知ったこっちゃない」


「なるほど……」と男は言った。「あなた様はワタシを犯罪者だとおっしゃりたいわけだ」


「奴隷なんてものを認めてるのはこの南方の地だけです。それ以外での取引は重罪に値する。……知らなかったわけじゃないでしょう?」


 深く頷き、男はもう一度なるほどと口にした。そしてのっそりと動き、台座に置かれたベルを小刻みに何度か振った。するとすぐに扉が開き、小さな男の子がシルバーのトレイにポットとコップとクッキーを載せて入ってきた。静かにテーブルに置くと、無言で俺とアリスにアイスティーを淹れてくれた。


「どうぞ、お掛けになってお召し上がりください」と蛙のような男は言った。「それから――すぐに宴の用意をさせましょう。帝国からのお客人に何も振舞わないで帰したら恥ですからな。その席で商談といこうじゃありませんか」


 小さな男の子は目を伏せたまま壁際まで下がり、トレイを抱きしめるように持ってじっと動かないでいた。きっと男の指示がなければ出ていけないことになっているのだろう。上半身には何も身に着けず、腰にボロを巻いただけの簡素な恰好をしていた。この屋敷で隷属的な扱いを受けているのは、火を見るよりも明らかだった。


 アイスティーをひと口飲むと、アリスは男の子に向かってにこっと微笑みかけた。「とっても美味しいわ! そんなところにいないで、こっちに来て一緒にクッキーを食べましょ!」


 男の子は驚いた表情でアリスのことを見た。十歳ぐらいの、アリスと同い年程度の少年だった。彼は上品な真っ白い皿に盛られたクッキーを見て、ごくっと生唾を呑み込んだ。それから唇をきっと結び、視線を足元に落とした。


「どうしたのよ?」とアリスは少年のところまで歩いて訊ねた。「あなた名前はなんていうの? まさか私から名乗らさせるつもりじゃないわよね?」


 圧縮された沈黙のあとに「トゥモン……」と男の子は小さな声で言った。目線は変わらず、どこまでも深いところまで落とし込まれたままだった。アリスは秘密の暗号を教えてもらったみたいに、嬉しそうな屈託のない笑顔を浮かべた。しかし代わりに自分の名を教える前に、先に蛙のような男が口を開いた。


「九頭大蛇のお方様は奴隷というものをまるでわかっておられないようだ」と男は静かな声で言い、立ち上がった。そして、立て掛けてある棒切れを手にしてゆっくり少年のところまで歩み寄った。


「三親方の許可なく口をきいてはならない。三親方の許可なく名を告げてはならない。奴隷は売りに出される前に、数多くの教えをきつく叩き込まれておるのです。破れば、罰を受けることもです。……ましてや、客人に出したものを物欲しげに見るなど、あってはならぬことなのです」


 棒切れが緩慢に振り上げられた。しかし、振り下ろされるのを許すわけにはいかなかった。


「やめてください」と俺は男の脂肪に覆われた腕を強く握りしめたまま言った。「そんな罰なんて見たくもない」


「放してくれますかな? ワタシの奴隷に何をしようとワタシの自由。あなた様に口を出す権利はない」

「じゃあ……手を出す権利なら? やろうと思えば、俺はあんたとそこのガタイのいい男を三秒でぶっ飛ばせます」


 蛙のような男は腕に力をこめて振りほどこうとしていたが、やがて諦めて棒切れを持つ手を下ろした。そして、やっぱりウシガエルの鳴き声のような声で短く笑った。


「ふぉふぉ……なるほど、ワタシはそうかもしれん、闘う力なんて何一つ持っておらぬゆえ」と彼は言った。「しかし、そこの男はどうでしょうな……。あれは幼い頃より血を吐くほどの訓練を積み上げた戦闘のエキスパート、高い金を出して買った『デザート・スコーピオン』の特に活きの良いものですからな。あなた様をこの場で殺せと命令すれば、涼しい顔をしてやり遂げるでしょうな」


 その男はどのような種類の表情を浮かべることもなく、ただ主人の横でじっと佇んでいた。俺の無礼とも取れる行いを阻害することもなければ、腰の曲刀の柄に触れることさえなかった。自信があるのだ。命令さえ耳にすれば、俺が動くよりも早く、俺の喉元に刃を走らせられる絶対の自信が。


 俺の胸の奥で幻獣たちがざわめいているのがわかった。ラウドゥルのときほどではないにせよ、彼らは強い熱を発して警戒を強めていた。砂漠の蠍……と俺は思った。蛙が蠍をあごで使うなんて、ろくでもない世界だ。


 そのあべこべな立場の二人は元いた場所に戻っていた。出ていけと言われ、少年は部屋から去っていった。アリスはいつまでもその扉を見つめていた。こいつなりに、今あった出来事を頭のなかで整理しているみたいだ。


「宴はなしですな。そのほうがよろしいでしょう? どうやらワタシは、九頭大蛇のお方様の気に入らなかったようだ。なのでここで商談とまいりましょう」


 わけのわからない要求が延べられた。ブルーニと引き換えに、ロイヤル・ライセンスを差し出せと男は言った。


「それを手にする者は世界で五名ほどと聞いておりましてな。たとえ所有者が変われば意味のない紙切れになろうと、喉から手が出るほど欲しい一品なのですよ。ブルーニとやらがどうしても必要なら、悪くない条件なのでは?」


「そんな交換要求の前に、そもそも俺たちはまだブルーニを目にしてない」と俺は言った。「あんたが腕に巻いてたのを俺は知ってる。だけど、今も持ってるかは定かじゃない。商談がしたいなら、現物をちゃんと前にしてやるべきじゃないか?」


「もっともですな」と男は言った。「ふむ、それでは明日の同じ時間にまたお出で願えますかな? 用意しておきますゆえ」


 それで、今日のところは引き下がることになった。ブルーニをどこにしまったのかまるで覚えていないと、男は言い訳をするみたいに口にしていた。アリスはそれでも持ってくるまで帰らないと食い下がるかと思っていたが、大人しく俺のあとに続いて部屋をあとにした。使用人に見送られ、玄関を抜けて広い庭を歩いた。金色に輝くまぶしい噴水の横を通ると、離れた場所で庭の手入れをしている少年を見かけた。先ほどの彼だった。


「トゥモン!」とアリスは大きな声で少年に呼び掛けた。


 彼はびくっと身体を震わし、恐るおそる振り返った。そしてアリスの姿をその沈んだ瞳に収めると、何も言わずにその場から立ち去った。奴隷は三親方の許可なく口をきいてはならないのだ。


 アリスは寂しそうな目をしていた。行きと違ってずっと話もせずに、俺の隣にぴったりとついて歩き続けた。悲しみと混乱を横顔に浮かべ、思考に耽っているようだった。奴隷の少年というものを実際に目にしたショックは、俺より何十倍も大きいのだろう。


 俺は『三親方』という言葉の意味をなんとなく考えてみた。それはキケロも口にしていた。また違う奴隷の少年に向かって、『常に一女神・三親方への感謝を忘れずに』、と。


 一女神というのはリアのことだろう。この地に住む人々は月の女神が双子だとは教えられていない。彼らはリアを唯一の月の女神として崇めている。わざわざ『一』なんて冠するところを見ると、歪められた経典を作った連中は、どうしてもルナを邪神として貶めたかったみたいだ。


 しかし、三親方というのはどういうことだろう。親方……つまり主人という意味だろうか? 奴隷には三人の主人がいる? もしそうだとして、それにはいったいどんな理由があるのだろう?


 考えても答えに行き着くことはなかった。まあいいか、と俺は思った。別に俺がここで気にしても仕方がない。ブルーニを手に入れて、さっさとこんなろくでもない場所からはおさらばだ。


 高級住宅街を抜けて賑やかな人々の声が聞こえ始めてくると、アリスはまるで音に反応するおもちゃみたいに、急に俺の腕を掴み取って顔を見上げた。


「あの子は奴隷なの!?」とアリスは言った。「ここにはあんな子がたくさんいるということ!?」


「お前わかってなかったのかよ……。ここは世界一自由な国であり、同時に世界一不自由な人々が暮らす場所なんだ。……まあ、たくさんいるんだろうな」

「信じられないわ! お給料も貰ってないということ!?」

「貰って……ないだろうな。たぶん、買われた時点で無料奉仕があたり前なんだと思う」


 アリスは大きな目に涙をたたえ、しばらくそこで立ち尽くした。それから、一気に身体のあらゆる組織をフル稼働させて、全力で駆け出した。


「おい、どこ行くんだよ!」と俺は叫んだ。答えは返ってこなかったが、だいたいアリスの考えていることはわかっていた。自分の目で見るまでは、この世界の現実を信じたくないのだと思う。俺はすぐにアリスを追いかけた。



 アリスが過酷な現実を前に言葉を失ったのは、長いことあちこち駆けまわったあとだった。アリスは荒い呼吸を繰り返しながら膝に手をつき、辺りをぐるっと一望した。


 奴隷市場……。そこには狭い檻に閉じ込められた、とても多くの人々がいた。


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