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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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338 邪悪なる者

 包丁で削いだように切り立つ崖の岩肌にはエレベーターが備え付けられており、それが崖上のエアポートと地上の都市を結ぶ唯一の昇降手段のようだった。


 エレベータといっても当然元の世界のような精密な文明の利器ではなく、ゴンドラをロープで吊るし、舵のようなハンドルを回して滑車で巻き上げるだけの単純な構造をしていた。おかげで下まで降りる途中に何度も揺れ、絶景も相まって、俺は命の危険を幾度となく味わうことになった。


 ようやく恐怖が取り除かれるぐらいの高さになると、アリスはゴンドラのゲートを勝手に開けて、ぴょんと飛び下りた。


 同乗する背の高い男はそんなアリスの突飛な行動に驚き、それからすぐに目尻に薄い皺を刻んで微笑んだ。


「さすがオパルツァー帝国より来訪せし友。活発で明朗なお方のようだ」


 俺は曖昧に笑い、男の出で立ちにあらためて気を配った。

 古代ローマの議員ふう、というのが最初に感じた印象だった。白い清潔なチュニックの上に青いトーガを着用し、左肩の金細工がそれを留めていた。もしこのまま石膏で固めてカエサルやポンペイウスの彫刻の隣に置き去っても、美術館の客は誰も不審に思わないだろう。


 エレベーターが地面に接地するまでのあいだ、男は俺の持った印象がおおむね正しかったことを証明してくれた。名前はキケロといい、若いながらに元老院議員を三期務めているらしい。何代も続く政治家の家系に長男として生まれ、離乳食を離れる頃にはもう跡取りとしての期待を背負っていたとのことだ。歳は聞いていないが、おそらく二十五やそこらだろう。エレベーターから降りてすぐに差し出された握手の手は、昔テレビで見た、誠実さが売りの若手政治家とまったく同じ角度をしていた。


 俺はキケロ氏と握手をしてから、下でずっとハンドルを回してくれていた上半身裸の少年にありがとうと言い、ポケットからミルクキャンディを取り出して小さな手に握らせた。少年は不思議そうに俺のことを見ると、それからキケロ氏を窺うように彼の顔を見つめた。


「ありがたく頂戴なさい。常に一女神・三親方への感謝を忘れずに」


 遠慮がちに口元だけで微笑を浮かべると、少年は宝物を扱うようにミルクキャンディをズボンのポケットにしまった。そしてまた全身を使って大きなハンドルを回し始めた。


 すぐにキケロ氏と並んで歩き出すと、彼は突然びっくりするぐらい平板な声で俺に語りかけた。


「あのような真似は二度となさらぬように」

「えっ?」

「奴隷に礼や施しを与えてはなりません。繰り返せばそれがあたり前になり、卑しくも自ら求めるようになるでしょう」

「は、はあ……そうなんですか」


 アリスはジャンプをして下りてから、一目散に大きな門が建つところまで走っていた。そこで振り返り、こっちに向かって大袈裟に両手を振りまわした。


「見てちょうだい! まるでエトワール凱旋門みたいだわ!」


 キケロ氏は片手を大きく振り返し、アリスのところまで駆け寄っていった。そして門のことをあれこれ講じはじめた。


 悪い奴ではないのだろう、と俺は思った。少年に対して冷たいとか温かいとかではなく、ただこの南方の地は奴隷制度が強く根付き、誰もが普遍的だと信じてやまないのだ。そう、彼は悪い奴ではないと思う。でもあまり友達になりたいとも思えなかった。


 門の名はガガル凱旋門というらしかった。高さは20メートルほどもあり、幅も馬車が四台は余裕を持って通れるほど広々としていた。奥行きはちょっと短いトンネルぐらいありそうだ。5メートルといったところかもしれない。


 壁面には精緻なレリーフが絵画のようにいくつも施されていた。天から降りてくる神に人々が祈りを捧げていたり、豊穣を祝ったりしていた。鳥獣戯画のようなものもあったし、まるで日本のお祭りのようにやぐらを囲んで子供たちが踊っているものもあった。


 門を抜けてアリスたちのいる都市側から見ると、エトワール凱旋門と同じく左右でそれぞれの彫刻が躍動していた。しかしそこにはナポレオンや義勇兵ではなく、透き通るような羽衣を纏う美しい女性の姿があった。きっと女神か何かだろう。左側の彫刻は悲しげに目をつむり、静かにハープを弾いている。そして右側はそれとは対照的に、楽しそうに笑ってラッパを吹いていた。背格好や髪の長さからすると、どちらも同じ女神をモチーフにしているものだと思われた。


「月の女神リアです」とキケロ氏は空欄に答えをあてがうようにそっと口にした。月の女神リア?


 俺はあらためて左右の彫刻に目をやった。やっぱりそこには美麗な大人の女神が表情豊かに存在していた。唇は艶やかだし、胸だってたゆんたゆんだ。いったいこれのどこにリア的要素があるというのだろう?


 言いたいけど言えないもどかしさを含めた視線をキケロ氏に送ったが、アリスは俺とは違う意見を持ち、そしてそれを考えなしに発した。


「ルナは? 二人は双子の月の女神なのだから、ルナもいないとおかしいわよね?」


 キケロ氏は閉口し、しばらく信じられないものを見るような目でアリスのことを見ていた。しばらくすると、金縛りから解放されたようにゆっくりと口を開いた。


「そうですね、海の向こうではそのように教えられているとボクも聞きました。ルナを女神リアと同じように崇拝する国まであるとか……。ですが高貴なる帝国の友よ、それは間違いです。ルナは女神ではなく、この地上に死ビトを生み出す邪悪なる者――まごうことなき邪神。あの紅い四の月をご覧なさい」


 そう言って、キケロ氏は曇った空で肩身が狭そうに一部を覗かせる四の月を指し示した。


「邪神ルナはあそこで三送りをされずに彷徨う哀れな魂を吸い上げ、死者を異形なる者に変異させているのです。あの色は死者の血、あの色は死者の泪、あの色は死者の嘆き……。そのすべてが邪神ルナによって、永遠に四の月に刻み込まれるのです。でなければあのような色に染め――」


 まだ何か続きがあるようだったが、アリスはそれを許さなかった。


「違うわ! ルナは四の月で、私たちのために頑張って月が落ちないようにしているのよ! 邪神のわけがないじゃない! リアだって、毎晩四の月を見上げて、そんなお姉ちゃんを心配――」


 まったく同じことを言ってやりたくて、ついアリスの口を塞ぐのが遅れてしまった。こんな偏狭な教えを信奉する連中に、リアが偶像ではなく実際に俺たちといることを知られるわけにはいかない。


「ハヒホフフホホ! ヒヒハヘヒハイヒャハイ!」と言い、アリスは俺の手を払い除けた。「あなたはルナと四の月でじっくり話をしたんでしょ! この人に言ってあげなさいよ!」


 俺はアリスを後ろに下がらせ、アリスの突然の激昂に動揺するキケロ氏を見つめた。穏やかな目と口調でものを言いたかったが、どうにもそれは無理なようだった。


「それで、俺たちはあんたといつまで一緒にいればいいんだ? 何か入国の手続きとか必要なのか?」と俺は彼に言った。不自然にタメ口に切り替えてしまったが、まあどう思われようと構うことはない。


「いえ、あなた方は特に何も……。ただ、このあと我が邸宅に招き、夕食まで語らいながら、ブドウ酒とスモーク・チーズをと思っていましたが……」

「なら遠慮させてもらうよ。あと、まだ飛空艇にいるアナたち……俺とアリス以外の連中はいつ取り調べから解放されるんだ?」

「ガ、ガイサ・ラマンダは通常、海の向こうからの者を受け入れません。ですが、オパルツァー帝国の皇室が身分を保証するあなた方の仲間だということで、寛大な措置を取っているのです……。か、感謝こそすれ、非難される謂われはこちら側にはありません」

「すごく感謝してるよ。で、いつ俺とアリス以外の連中は取り調べから解放されるんだ?」

「みょ、明後日には……」


 それさえ聞ければ十分だ。俺は一応の会釈を彼にしてから、アリスの手を引っ張って街路を真っ直ぐ北に歩いていった。





 賑やかな都市の様子は、サラマンダーが垣間見せたあの光景とまったく同じだった。広い街路の両脇に、古い石造りのアパートのような建物が所狭しと建ち並び、数多くのおしゃれな出窓がカーテンを揺らせて風を迎え入れていた。いくつかの窓の出っ張りには鉢が置かれている。そこで小さなサボテンが控えめな白い花を咲かせていた。


「あのサボテン、すっごく可愛いわ!」


 アリスが立ち止ってどこかの窓を指で示すと、同時に行商人に連れられたラクダが三頭続けて俺たちを追い越していった。目を輝かせて駆け寄ったアリスが盛り上がったコブに触れると、ラクダは横顔を向けて反芻するように口をもごもごとさせた。そして特に何を言うでもなく遠ざかっていった。


「あれを見てちょうだい!」


 アリスはすぐに俺のところまで駆け足で戻り、建物の隙間から一部を覗かせる遠くの建造物を指差した。


「タージ・マハルみたいだわ!」


 たしかに、お椀を逆さにしたような丸屋根はインドのそれっぽかった。しかし、そう言おうとした途端にアリスはまた道端まですっ飛んでいった。興味が移ろいすぎてついていけない。すっごく可愛いサボテンはいったいどこにあるのだろう?


 しゃがんだアリスの前にはゴザを敷き、カラフルな四つの壺を前に胡坐をかいて座る老人がいた。ターバンを頭に巻いて、奇妙な音色のする笛を吹いていた。嫌な予感がするので一定の距離を保って見ていると、案の定壺の一つから見えないロープを登るように蛇が出てきた。笛の音が激しいものになり、それに合わせて空中に示唆的な文字を描くようにうねうねと踊りだす。


 アリスが惜しみない拍手を老人と蛇に送ると、その音に反応して残りの三つの壺からも蛇が姿を現わし、一斉にチューチュートレインのように回りだした。アリスはそのサプライズにスタンディングオベーションで「ブラボーよ!」と叫んだが、老人の目つきを見る限りはハプニングであることが予想された。


「まるでアラビアンナイトの世界のような都市だわ!」


 それからもアリスの興味はあっちこっちに飛び回ったが、そのあいまあいまで先ほどの件に対して文句をたれていた。ルナのことを全然わかっていないわ! と何度も憤慨して、そのたびに俺のふとももに水平チョップを入れた。あの男を論破させられなかった自分に腹を立てているらしい。自分のことが許せないとき、こいつは俺を叩く習性がある。


 そうなふうにサラマンダーが鎖を引っ張られて歩いた道のりを辿っていくと、だんだんと景観が厳かに、そして洗練されたものになっていった。自由が丘の街を抜けて、田園調布の高級住宅地に足を踏み入れたような感じだ。まるで公園みたいな広い敷地に、城のような豪邸がそこかしこに建っていた。


 落ち着いた雰囲気の屋敷もあれば、金をふんだんにあしらった趣味の悪い屋敷もあった。比率としては前者のほうが圧倒的に多いが、目的の男の豪邸は後者に属していた。イスタンブールの宮殿をイメージして設計されたのに、金歯だらけの成金オーナーの要望で、ありったけの金メッキを貼り付けられたラブホテルのような外観だった。門扉も造り自体は立派なのだが、やはり金ピカなせいで、どこかキャバクラの入り口のような印象を受けた。


 しかしどんな屋敷であれ、俺たちは訪問せざるを得なかった。サラマンダーが先代から引き継がれなかった記憶を取り戻すための首飾り――ブルーニは、ここの主が掠め取ったのだ。


 遠間からヤシの木の陰に隠れて屋敷の様子を窺っていると、足早に二人の人間が門を抜けて出てくるのが見えた。どちらも白い薄手のマントに身を包み、フードで厚く顔を隠していた。背格好から判断すると、おそらくは男女の二人組だと思われた。


 突然アリスは声をあげ、そしてゼンマイを限界まで巻いたチョロQのように勢い良く駆けだした。


「今のナルシードだったわ!」

「ちょっ……おい!」


 ナルシード? 俺はアリスを追って通りに出た。アリスは石畳を蹴って風の加護を発動し、フードの男に後ろから飛び掛かった。ナルシードだとして、どうしてあんな猛犬のように襲いかかる必要があるのか?


 しかし、ナルシードらしき男は寸前で身体を反らし、猛犬アリスの襲撃をかわした。そして同伴の女を庇うように後ろに下がらせ、払った右手に黒いモヤモヤを漂わせた。

 だが、そこに魔剣は生成されなかった。空中のフリスビーを咥え損ねた犬のように悔しがるアリスを目にすると、そいつは左手で自らフードを上げて、整った綺麗な顔立ちを白日の下にさらした。


「ア……アリスちゃんかい? どうしてきみがここに?」


 それは本当に、ファングネイ王国騎士団薔薇組の魔剣使い――千剣のナルシードだった。


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