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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
六部 第一章

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326 心豊かな人生を

 朝七時をまわると、俺はアリスと二人でセルロ区まで徒歩で向かった。そこにあるヴァイス邸を訪ねろというのが、早朝に帰宅したザイルからの指示だった。

 ヴァイス氏は彼の執事であり、アリスが飛空挺で多くの時間をともにした人物だった。その老執事が俺たちの世話を色々とみてくれるそうだ。


「でも、なんでザイルは俺たち二人を行かせるんだろうな?」


 アリスは無駄にあっちこっち駆けまわりながら、楽しそうに白澄んだ冬の街路を進んでいた。ヴァイス氏に会えるのがとても楽しみのようだった。手には俺たちの冒険手帳が握られている。飛空挺で彼とザイルの冒険手帳を見せてもらった代わりに、屋敷に着いたら一番で見せてあげるらしい。


 アリスは雑貨屋の看板の前で片足を上げて立ち止り、真円を描くコンパスのように振り返った。振り上がったぱっつん前髪が一拍子おくれて、形のいいおでこを暖簾のように覆った。


「執事のおじいちゃんは奥様と二人で静かに暮らしていると言ってたし、あんまり大勢で押し掛けるのもよくないということかしら?」

「ま、まあたしかに精霊やら月の女神やらも混じってるし、あんまりどこにでも訪ねていける一行とは言えないか……」


 黒鉄城からセルロ区までは二十分ほどで辿り着いた。閑静な住宅街のようなところだった。ザイルは屋根を見上げればすぐにどの屋敷かわかると言っていたが、たしかにそれと見定めるのにたいした時間はかからなかった。一軒だけ、屋根に風見鶏のようなものが建てられている屋敷がある。九つの頭を持つ蛇――ヒュドラをかたどったものだ。皇族以外でオパルツァー帝国の紋章を掲げることが許される家はそうはないだろう。あれがザイルの――第一継承者の――執事の屋敷で間違いなさそうだ。


 立派な門扉を抜けると、それと同時に屋敷の扉が外側に開いた。白髪頭を短く刈り込んだ、長身で細身の老人が姿を現した。彼はアリスを見た瞬間に相好を崩し、夏休みに遊びに来た孫を迎える祖父のように優しく微笑んだ。アリスは一直線に駆け込み、その胸に勢い良く飛び込んだ。


 俺は一礼をしてから訊ねた。「ヴァイスさんですね? ザイルからあなたを訪ねろと言われて来ました。俺たちの助けになって頂けるとか……」


 彼は俺の顔をしっかりと視野の中心に据えて頷いた。そして快く家に招き入れ、リビングまでアリスと手を繋いでゆったりと歩き、自分の向かいのソファーに俺たちを座らせた。


 アリスが冒険手帳を開き、丈の低いガラス製のテーブルから身を乗り出して彼に見せていると、奥のほうから老年の女性がおぼんを持ってやって来た。奥さんだろう。彼女はきびきびとした動きで紅茶とショートケーキをそれぞれの席に置くと、姿勢よくヴァイスさんと並んで座って、上品な笑顔を顔に浮かべた。


「ウキキさんとアリスさんでしたわね? お話は伺っておりますわ。主人ったら、ザイル殿下から火急の用命を受け賜わって、年甲斐もなく張り切ってしまっておりますの」


 奥さんは目を細め、温かい光の宿る眼差しで老執事の横顔をみつめた。彼は恥ずかしそうに頭を掻いて否定するように妻の顔を覗いたが、すぐに冒険手帳の一ページを得意げに説明するアリスの声に意識を引き戻された。


「主人は口がきけませんの。そのことは?」と奥さんはありふれた事実であるように、なんでもないような口調で言った。はい、アリスから聞いてます、と俺は言った。


 その障害はこの夫婦にとってどんな影響をもたらしたのだろう? 俺はふとそんなことを考えたが、すぐにくだらなく思えてやめた。他人があれこれ思索することではないし、それに少なくとも悪い影響は与えなかったように感じられる。夫婦が自然に纏う空気感はとても温かいし、こうやって初めて訪れた家のリビングにいるにもかかわらず、少しも居辛さのようなものを感じさせない。むしろ慣れ親しんだおばあちゃんの家にいるような気持ちにさせられる。きっと心豊かな人生を二人で歩んできた証のようなものが、そんな親密感をこの家に付与しているのだろう。


 俺はふと(ふと考えることが多い一日になりそうだ)、中級精霊であるハクが憧憬を抱く夫婦はこの二人ではなかろうかと考えた。互いにザイルの従属だし、接する機会も多いだろう。それに、たしかにこの老夫婦を見ていると、そんな感情が芽生えてしまう。こんな老後を送れたらどんなに幸せだろうか、と。


 アリスによる冒険手帳の披露はずっと続いていた。老執事は自分の白革の手帳にペンを走らせ、事細かに感想を記述していた。この手帳が、アリスの言うザイルと老執事の冒険手帳だろうか? 俺たちの100円ショップでゲットしたものとは比べるまでもなく高級そうだし、それに長年使い込まれてきた重みのようなものも感じられる。手帳とはかくあるべしと言われているみたいだ。



 結局、朝食も含めて二時間ほど滞在し、俺たちは老執事の屋敷を後にした。彼らが俺とアリスに与えてくれたものは数多くあった。温もり、安らぎ、自然と口元がほころぶ笑顔、バスケットいっぱいのパンとジャムのお土産、そしてヒュドラの紋章が刻印された認定証。


 この認定証はオパルツァー帝国の皇室が身分の保証を請け合う人物に発行されるもので、この先どんな国や地域に赴こうが行動を束縛される心配がほとんどなくなるらしい。当然そう簡単に発行されるものではなく、帝国内でも手にする者は五名もいないが、今回はザイルの力で便宜上の書類数枚に名前を記入しただけで済んでしまった。老執事のみてくれる世話とは、つまり事務的な手続きのことだったようだ。


 俺はアリスと並んで歩きながら、パスポートぐらいの大きさの認定証をくるくると丸め、筒の中にしまってポケットに放り込んだ。するとアリスはそれをさっと掻っ攫い、自分のと纏めて赤いリュックサックに大事そうにしまった。


「いや、なんでだよ……」

「これは大事なものなのよ! あなたなくしちゃいそうだから、私が預かっておくわ!」


 議論の余地を少しも挟まずに、アリスは続けてサラマンダーのことを口にした。再会を心待ちにしているみたいだ。もうとっくにアナとレリアが黒鉄城に連れて来ているだろう。バスケットの被せ布をめくり、焼き立てのパンを眺めながら、アリスはイチゴジャムをたっぷりと塗って早くサラに食べさせてあげたいわと独り言のように言った。





 黒鉄城の大広間ではザイルを除く全員が集まり、テーブルを挟んでサラの紹介が行われていた。アナは俺とアリスが入って来たのに気付くと、サラの肩に手を乗せて彼女の視線を誘導した。


 可愛らしい小麦色の幼顔が、すれ違う野原のチョウチョを目で追うように振り返った。アリスを見るとサラは赤い目を輝かせ、すぐに駆け寄って来た。長く黒い三つ編みが尻尾のようにぶんぶん揺れ動いている。アナかレリアが編んであげたのだろうか?


「アリス!」

「サラ!」


 俺はすぐ隣で、再会を喜ぶ二人の姿を黙って見つめた。感動的で、心が洗われる思いだった。アリスは目を閉じ、かつてショッピングモールから煙のように消えてしまった少女を、もう決して放さないというふうに力強く抱きしめた。サラもそれに応えるようにアリスの背中に小さな手をまわした。


 ひとしきり想いと体温を交換しあうと、アリスは絨毯の上に落下したバスケットを拾い上げた。美味しそうなパンが、漫画のコマからはみ出るようにバスケットから突き出ていた。


 サラはそれを宝石を見るような目でジッと見つめた。目線を拾い、アリスは大本営の重大作戦を発表するように声をあげた。


「お土産のパンよ!」

「パン!」とよりいっそう目をキラキラと光らせ、サラは叫んだ。「食べてもいいの!?」


「もちろんよ! イチゴジャムもたくさんあるわ!」

「イチゴジャム!」


 サラは宝物を掲げるようにイチゴジャムの詰まった瓶を頭上に持ち上げ、振り返ってレリアに見せた。


「レリア、イチゴのジャムだって! 食べたことある!?」

「ええ、ありますわ」とレリアは言って微笑んだ。「じゃあ、少し早いけれど、みんなで昼食にしましょう」


 それから作戦会議を兼ねての昼食会が始まった。中級精霊のシロはパンだけでは寂しいからと、厨房で簡単な料理をこしらえて運んできてくれた。ホラ、ありがたく食えよニンゲンども! と彼は給仕をしながら誰に言うともなく言った。ぶっきらぼうな十五歳ほどの少年だが、普段からこの城の料理人をしているらしく、出された料理の味はどれも文句のつけようがなかった。


 そういえばもう一人の中級精霊はどこにいったんだ? とふと思うと、ちょうど大広間の扉が開き、そこにハクが姿を見せた。彼女の着物の袖から伸びる両手は、どちらも手が繋がれていた。左手が金髪ツインテールの少女。そして右手は猿だった。このオパルツァー帝国の皇女――シュリイルと、そのペットで幻獣のイチムネだ。


 誰よりも早く反応して席を立ち、アリスはシュリイルのところまですっ飛んでいった。


「シュリイルも来ていたの!?」とアリスは驚いて言った。


「来ていたのです。週に一度、シュリはここでザイルにぃと遊ぶのです」と皇女は言った。「でもザイルにぃが起きないのです。寝坊助さんなのです」


「ザイルは朝まで色々していたみたいだし、仕方がないわ! 私が代わりに遊んであげるから元気を出してちょうだい!」


 アリスはお姉ちゃん面になってシュリイルの相手をしだした。その横で、イチムネは憎たらしい表情をして俺のことをずっと見ていた。


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