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俺とアリスの異世界冒険手帳~ショッピングモールごと転移したのはチートに含まれますか!?~  作者: 底辺雑貨
五部 第二章

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305 サメと男と女の茶番

 まさにサメ映画のワンシーンのようだった。巨大な黒い影が背鰭で水面を切り、馬鹿でかい貯水槽の中をぐるぐると俺たちを威嚇するように遊泳していた。


 貯水槽を時計に見立ててみると、まず俺たちは中央にある直径5メートル程度の円形の足場にいて、そして金網床の細い橋が十二時と六時の位置から真っ直ぐ伸びている。どちらも向こう側までは100メートルぐらいある。水中の黒い影は秒針といったところで、ちょうどおあつらえ向きに時計回りにまわっていた。


 俺は片膝をつき、胸を押さえて苦しむガルヴィンの背中をさすりながら、あの生物に影を喰われたという男のことを眺めた。近くでおろおろとうろたえている男女には薄っすらながら影が確認できるが、横たわったまま動かないでいる男の身体からは、やはり影らしきものは一切伸びていなかった。


「あれたぶん幻獣だと思うよ……」とガルヴィンは泳ぎまわる黒い影を見ながら言った。「お兄ちゃん幻獣使いなんだから聞いたことない……? 影を喰らう幻獣……」


 俺はそれについて考えた。ショッピングモールで読んだ幻想の生き物図鑑にそんなのがいたような気がしたが、そこで思考をぴしゃりと断ち切った。今はそんなことはどうでもいい。


「それよりお前大丈夫か!? 胸が痛むのか!? なんか病気に罹ってるんじゃないのか!?」

「さっきも言ったけど、たぶん少し落ち着けば大丈夫……。これは病気なんかじゃないよ――」、彼女は胸の痛みに激しく顔を歪め、そこで細切れの呼吸を何度も挟んだ。涙と汗が混じり、一緒になってコンクリートの床に滴り落ちていた。「……ウィンディーネの激流のような感情が、ボクのなかに流れ込んでいるんだ……。まったく、本当になんなのこの現象は。ボクが精霊士だからってこと……? わけがわからないよね……」


 そのウィンディーネの姿はどこにもなかった。あいつはこんなガルヴィンを放って先に行ってしまったのだろうか? 機先を制するように、またガルヴィンは口を開いた。唇を少し上下させるだけでも苦しそうだった。


「ウィンディーネのことを、悪く思わないであげてよお兄ちゃん……。クラウディオのオジサンがこの真っ暗な地下水路のどこかで監禁されてるって知って怒ってるんだ……。同時に焦ってもいる。悲しんでもいる。再会できたときの喜びを、先んじて少しだけ享受してもいる。……要するに、感情がすごくグチャグチャになってるんだ。それがボクにはよくわかる、手に取るようにね……。きっと、アリスが同じ目に遭ってたら、お兄ちゃんだって同じことをすると思うよ……それは仕方のないことなんだ」


 俺は指先でガルヴィンの顔の涙やら汗やらを拭ってやった。苦痛が少しでも和らぐなら、なんでもやってやりたい気分だった。


「馬鹿言うなって、お前は俺にとってアリスと同じくらい大事なんだ、こんなお前を置いていけるわけがないだろ?」


 ガルヴィンは唇の端で無理に笑った。たとえどんなに辛くても、今笑顔を見せないと永久に俺に見捨てられてしまうとでも思っているかのように。


 突然、薄闇のなかで顔もよく見えない男が甲高い声で俺たちに言った。


「ようようお二人さん、いつまでもくっちゃべってるわけにもいかないぜ!? なんせ、あのサメ野郎はああやってぐるぐる廻って力を貯めてるんだからな! このままじゃ全員こいつみたいに影を喰われちまうぞ!」


 こいつは何を言っているんだろう、と俺は思った。こんなところにいるということは、やはりレジスタンスの一員なのだろうか? いずれにしろ、すぐに返事をする気にはなれなかった。


「よう聞いてるのかよ!」、男は細い渡り橋の遥か先を指差した。「早くあそこまで渡って逃げねーとまずいって言ってんだよ!」

「なら勝手に行けばいいだろ」と長い時間が経ってから俺は言った。「こんな状態のガルヴィンを動かしたくない。それに……あんたらレジスタンスだろ? わるいけど少しも信用できないね、俺たちを先に行かせて囮にするつもりじゃないのか?」


 しかし、男の言い分に説得力を添えたのはガルヴィンだった。こいつの言ってることは本当だよお兄ちゃん、と彼女は途切れ途切れ俺に言った。この貯水槽はまだ明るいほうだからね、ほかと比べて影が濃いんだ。あの幻獣にとって格好の餌場ってわけだよ……。


 俺は自分の着ているコートを脱ぎ、ガルヴィンの肩にかけた。そして彼女をおぶった。


「そういうことならさっさとずらかるぞ」と俺は言った。「揺れるから、力の限り俺にしがみついとけよ?」


 鮫のような幻獣は三時から四時のあいだを泳いでいた。ガルヴィンが弱々しい返事をすると、俺はまた影のない男に目を向けた。


「ついてくるなら、そいつもちゃんと連れていけよ。まだ死んだわけじゃないんだろ?」

「もちろん」と声の低い女が言った。「アジトに運ぶ……。導術師がいるから診てもらうよ」


 女が男に指示を出して、二人は影を喰われた男の両腕を自分らの首にまわした。そして三人四脚のような恰好になった。鮫のような幻獣はまた一周して、今は三時のあたりにいる。俺は十二時方向の橋に足を一歩かけ、それから一気に駆け出した。


 金網床は踏みしめるたびにかすかに軋み、そしてカンカンカンカンと小気味良い音を立て続けていた。音は貯水槽の壁や天井に反響して、最終的には俺のほんの少し下に満ち溢れている仄暗い水に吸い込まれていった。

 ちらっと後ろを振り返ると、背鰭がしっかりと俺たちのことを追跡していた。向こう側まではあと50メートルといったところだった。


「急げ!」と俺は後方に向けてどなり声をあげた。俺が想像していたよりも彼らは遅れていた。あいだで引きずられている影のない男は、首をぐったりとさせて両脇の二人に無意識のまま命を預けていた。あるいは、俺のその激励が右腕を支える男に致命的な焦りを与えてしまったのかもしれない。


 あるいはもともとがクズだったのかもしれない。信じ難いことに、男は三人四脚を放棄して二人をそこに残し、俺のギリギリ横を通り抜けて走り去ってしまった。女はバランスを崩して倒れ込み、危うく貯水槽に落下するというところで手すりをうまく使って二人分の体を支えた。


 罵る声が逃げ出した男の背中を突いたが、足が止まることはついになかった。彼はそのまま橋を渡りきり、闇のなかに消えていった。


「おい! 早く立て!」


 残された女に向かって声を張り上げながら、俺は貯水槽の水面を注視した。背鰭はどこにも見当たらなかった。ただ不吉な波紋が岸に寄る波のように、静かに広がっているだけだった。


「潜水したぞ! 一気にジャンプして襲ってくる気だ!」


 しかし、女はひどくもたついていた。懸命に体格差のある彼をおぶろうとしているが、膝は上がらずに沈み込むばかりだった。


「くそっ……!」


 俺は引き返さないわけにはいかなかった。もし彼女までもが影を喰われた男を見捨てていたら、そんなことはしなかったかもしれない。だが、俺はその姿を瞳に映じさせてしまったのだ。

 女のもとで、俺はガルヴィンを静かに降ろした。そして女に動かないでじっとしていろと注意した。女はわけがわからないといった顔をしていた。暗くてよく見えないが、たぶんそういう表情なのだと思われた。


 やがて水面が派手に揺れ動き、それと同時に潜水艦が浮上するときのように高くせり上がった。そして、巨大な黒い影が爆発的な水の飛沫とともに飛び跳ねた。一瞬にしてフィールドを空中に移し、黒い影は鷹のように上空から急降下してくる。


 大きく開かれた顎が迫り来る。黒い影の一端がかすれ、そこに白く輝く眼球を覗かせている。まるで雲の絶え間に浮かぶ月のようだった。俺は右腕を突き出し、最良のタイミングで鬼熊を使役する。


ガルウウウウッ!


 振り下ろされた鬼熊の拳が黒い影を捉え、さざ波の立つ水面まで一気に叩き落とす。水面が割れ、大量の水が打ち上げられる。

 しかし手応えがまるでなかった。干した布団を殴ったみたいに、どこかに力が吸収されてしまったような感覚が腕に伝わっていた。あの影はそういう性質を帯びているのだろうか?


 俺は渡り橋の手すりから身を乗り出し、貯水槽を再び優雅に泳ぎまわる黒い影を睨みつけた。振り返って指示を出した。


「その男は俺が背負ってやる! だからあんたは先にガルヴィンを!」


 女は即座に返事をした。この状況で動けなくなるようなヤワな女ではないみたいだった。素早くガルヴィンをおぶり、彼女は一直線に金網床を駆けていく。俺は水面の背鰭を狐火の炎や雷獣の紫電で狙い、牽制を打っておく。


 そのおかげか、あるいはまたぐるぐると廻って力を溜める必要があるのか、俺が渡りきるまで飛び上がってくることはもうなかった。最後に一瞥を投げ、俺は貯水槽をあとにした。





 女の案内で迷路のような地下水路を歩いていくと、十分ほどで女のアジトに着いた。つまりレジスタンスのアジトということになる。俺は扉のそばに男を横にして寝かせた。とてもじゃないが、身体を自由にしておかないと足を踏み入れる気にはなれなかった。

 薄暗い体育館のようなだだっ広い空間には多くの人の姿があった。そのほとんどが俺とガルヴィンに鋭い眼差しを向けていた。


「みんな落ち着いて、この人は私たちを助けてくれたのよ」


 女は近くのソファーに丁寧にガルヴィンを座らせてから、影を喰われた男を導術師がいるという奥の部屋まで運ばせ、それから集まって輪になっているメンバーの一角に目を向けた。そしてずかずかと数人を押し退けて歩き、自分を見捨てた男の前に立った。


 それからどうってことのない、ありふれたつまらないやり取りが行われた。仲間の危機にうんたらという女のスピーチに始まり、謝罪、平手打ち、土下座と続いて、二度と仲間を裏切らないがどうとかという涙ながらの男の誓いで閉じられた。まわりの人々は彼らの和解を温かい目で見守っていた。盛大な拍手さえ巻き起こった。


 俺はうんざりしながらその感動巨編の一幕を眺めていた。レジスタンスと将軍との関係を問いたださなければならなかったが、終幕まではまだ少しかかりそうだった。


 ガルヴィンは体調が少し良くなったようで、うさんくさい劇団員たちの後ろを通って俺のところにやって来た。唇を曲げたシニカルな笑みに似たような表情を返すと、ふいに俺のなかに棲む幻獣が急激に熱を強めた。


「っ……!」


 幻獣は何かをひどく警戒していた。付近にいる何者かに対してのようだった。剣を抜かせる前に、あるいは力を出させる前に討ち仕留めよ。まるでそう言われているみたいだった。まともに立合えば殺される。我が主はこの者には勝てぬ……、と。


 ガルヴィンが俺の背中をさすってくれていた。どうしたの? 大丈夫お兄ちゃん? と彼女は言った。


「あ……ああ、俺は平気だ」と俺は言った。もう熱は弱まりかけていた。「ってか……俺のことよりお前はもういいのか? ウィンディーネの激情はもう流れてこないのか?」

「いや、ばっちり流入してきてるよ。でもなんて言うか……ボクの身体がそれに慣れつつあるんだ。入って来るなら入ってこればいい、そんな感じ。上手くいなせてるって言えばいいのかな。……ダメだね、ちょっと説明が難しいや」


 克服したということなのだろうか。俺はガルヴィンにこぶしを握らせ、そこに自分のこぶしを打ちつけた。子供はこうやって、俺のような大人の心配をするするとすり抜けて知らないあいだに成長してしまう。もう少しおぶってやりたかったが、もう必要ないみたいだ。


 気づけば、もう劇団員は方々に散らばっていた。女が左目に眼帯をつけた体格のいい男を連れ、俺とガルヴィンの前に立った。


「あいつをここまで運んでくれて礼を言う」と眼帯の男は言った。そしてすっと握手の手を伸ばした。


 俺はしばらくその手を眺めた。四十歳くらいの男の、四十歳くらいの手だった。それから言った。


「いや、わるいけど握手をするつもりはないんだ」


 女は驚くように僅かに体をびくつかせ、同時に俺たちを遠巻きから見ているレジスタンスの人々が威圧するように数歩ぶん距離を詰めてきた。

 眼帯の男は彼らを見て、首を小さく振った。それから伸ばしたその手を、今度はガルヴィンに差し出した。


「お嬢ちゃんもかい?」

「あいにく」とガルヴィンは言った。


 それでようやく『友好的』という付箋が貼り付けられている手が引っ込められた。それから、眼帯の男は右の目で俺のことをじっと見つめた。何者なのか、まさか軍の犬なのか、そんなことを思案している目だった。この男がレジスタンスのリーダーなのだろうか? いや、それすら俺には興味がなかった。


「長居をするつもりはない」と俺はできるだけ冷静な口調で言った。「でも一つだけ訊きたい。だからあんたたちの茶番劇が終わるのを待ってたんだ」


 また俺たちを中心とした輪が縮められた。今度は眼帯の男も止めるつもりはないみたいだった。構うものか、と俺は思った。こんな奴ら、その気になれば鎌鼬・十六夜で一瞬のうちに斬り刻める。


「何を訊きたいのかな?」と眼帯の男は俺に言う。「うまく答えられるといいんだが」


 俺は将軍がこの地下水路に下りていることを話した。なので、将軍とレジスタンスは繋がっている、あんたらで共謀してクラウディオさんを誘拐したのだと考えている、と俺は告げた。


 眼帯の男が笑う。それから感染するようにほかのレジスタンスメンバーに波及していく。俺とガルヴィンはそのいびつな笑い声のなかで目を見合わせる。どうやら当てが外れたみたいだ。

 俺はアジトから出ていこうと、黙ってガルヴィンの手を取る。逆側の手を眼帯の男が咄嗟に掴む。


「ちょっと待て、すぐには帰せんよ。軍の手の者かどうか身体検査――」


ザシュザシュッ!


 四つに斬り分けられた眼帯がひらひらと宙を舞う。俺は鎌鼬を使役した腕を下げ、ガルヴィンの手を引いてその腕のなかに大切にしまい込む。あとには眼球のない醜い眼窩だけがそこに残される。


「ガルヴィンに触るなよニック・フューリー大佐」と俺は言う。


 あちこちで乾いた音を立て、鞘から剣が曳き抜かれる。あるいは弓に矢がつがえられる。何人かはもう目に殺意の赤い光を浮かべている。


 オーケー、来いよザコども。俺はお前らなんかに負けない、と俺は呟く。すぐに半分は胸の奥の幻獣に言ったのだと気がつく。誰を警戒してるのかわからないけど、俺はそうそう負けやしない。だから、俺を信じて力を貸してくれ……!


 しかし、急に女があいだに入って両手を広げる。趣味の悪いナイフを取り出した眼帯の男(元、眼帯の男ということだ)を諌め、ほかのレジスタンスたちを必死になだめる。

 よく見たら二十代後半ぐらいの女性だった。髪は短く灰色で、後ろが綺麗に刈り上げられている。


 彼女はすごい勢いで振り返る。「あんたも態度が最悪! 殺されても文句言えないよ!」と彼女は俺に言う。「どうしてそんなに喧嘩腰なのさ、ひょっとしてレジスタンスが気に入らないってわけ!? ワタシたちは国を愛してるんだ、だから帝国にいいように利用され続けるのが許せないんだ、だから頑張ってるのよ! よそ者でもその気持ちは理解できるでしょ!?」


 ガルヴィンに一切手を出すなときつく言ってから、俺は一歩前に出る。それから俺は彼女に――いや、ここにいる全員に言う。


「でもお前たちはクラウディオさんに暴力を振るった。嫌がらせをした。みっともない逆恨みでな」


 ただそれだけで、こいつらがどんなに祖国を愛する勇士であり、また、のちに英雄と呼ばれる存在になったとしても、俺の気に入らない理由としては十分だった。女の目はひどく濁って見えていた。まだ赤く輝かせる殺意の眼のほうがマシなぐらいに。


「喧嘩腰? あたり前だろ。……言っておくけど、俺は怒ってるんだ。正義を振りかざす相手を選べないお前たちにな……。もう一度言う、来いよザコども」


 こんなに人を地面に這いつくばせたいと思ったのは初めてだった。幻獣が感応し、熱く燃えたぎっていた。


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