3 この草原の界隈を統べし者
三角形のショッピングモールの北に位置するジャオンを出た俺たちは、三角形を時計回りに歩いていた。
アリスの背中には小さな赤いリュックサックがあり、なかには摘んだ黄色いパンジーの様な花が薄い紙に包まれて入っていた。
ジャオンの2Fに並んでいたいくつかのリュックサックのなかで、一番可愛い物がそのリュックだった様だ。
これから向かうビイングホームにもっと質の良い物が置いてあるだろうと思ったが、俺もリュックサックを一つ選び、背負っていた。
なかには元々持っていたトートバッグと、ゲットした懐中電灯が二つ入っている。
「結局メダルあの三枚しかなかったわね。悔しい! じゃんけんリベンジしたかったわ!」
隣を歩くアリスが俺を見ずに、前を向いたまま言った。
あれからゲームコーナーの事務所や、他の筐体の返却口を隈なく探したが、アリスの言う通りメダルは最初にあったあの三枚だけだった。
正確に言うと、普通のメダルは事務所に何百枚もあった。だがそれだと百円玉と同様に、ゲームコーナーのゲームやガチャガチャは一切反応しなかった。
その事実だけを切り取っても、ただ単純にショッピングモールごと異世界転移したわけではない事を告げていた。俺が思っているより、事は複雑なのかもしれない。
「うーん……探索すればするほど謎が深まりそうな気がしてきたぞ」
「そう? 私はなんだか楽しいわよ」
アリスは小さな手のひらを俺に向けて言った。
「うわっバカ! 危ないだろ!」
咄嗟に俺は両手をクロスし、脆い防御態勢をとった。
「うふふ! 私にこんな力があったなんて!」
あれから何度か試し撃ちをしていたアリスだが、俺はというと、アリスの様にカマイタチと唱えてみてもなにも起こらなかった。
あのミニチュアが消えた瞬間、体温が少し上がり、鎌鼬が俺と融合した様な感覚だった。
てっきり手のひらからでも発射されるのかと考えていたが、呪文が違うのか、動作が違うのか、そもそもその考え自体が間違っているのか、そんな気配はまるでなかった。
「あら、ここそっちに行くの? 噴水のある中庭を突っ切った方が早いわよ?」
「いや、ビイングホームに行くまでにどんな店があるか見ときたいからな」
「あらそう。ふーん……あなた意外と少しは考えているのね」
アリスは俺を少し見直したかの様に言った。
その上から目線で嬉しがる自分が情けなかった。
「いやいや、少しじゃないぞ? 超考えているぞ?」
ムキになり、俺はメモ帳を開いてアリスに向ける。
「この食料消費優先順位を見ろ! 生モノが多い上に冷凍庫は止まってるからな! 今日は高級牛や国産ウナギ食べ放題だ! 高級刺身でもいいぞ!」
呆気に取られている様子のアリスをチラッと見てから、更に続ける。
「それにこっちのページを見ろ! ジャオン2Fにあった生活用品だ! まあ、あそこにあった物はビイングホームにもあるだろうからそんなにメモってないが……だがこのコーナーにあった物は違う!」
更に呆気に取られている様子のアリスを視認してから、更に更に続ける。
「これだ! この下着コーナーだ! 俺用の白いブリーフの枚数もチェックしたが、着眼点はそこじゃない、女児のパンツコーナーだ!」
ピクッと反応したアリスを横目に、更に更に更に続ける。
「いいか? 例えばお前が今夜、この女児パンツコーナーのパンツを一枚選んで穿くとする。そして俺はそのあとに、女児のパンツコーナーに残っている数とメモ帳の数を照らし合わせる。するとどうだ? 俺はお前が穿いているおパンツ様を覗かずとも、お前の穿いているおパンツ様がわかる! いや、見える!」
引いた表情で俺との距離を広げ始めたアリスに、最後に告げる。
「わかったか? お前はこの異世界にいる限り、俺に穿いてるおパンツ様を覗かれてる様なもんなんだよ! お前が穿くおパンツ様はお前が思っているほどおパンツ様としての機能」
「パンツパンツ言うな!」
言い切る前にアリスのストレートなツッコミとローキックを受けた。痛くはなかったが、早口で捲し立てたのですっごく疲れた。
「あとあなた! なんでパンツは敬称付きなのに、私にはお前とか呼び捨てなのよ! アリスお嬢様とか、せめてアリス嬢と呼びなさいよ!」
「わかった。すまなかったな、おパンツ嬢」
「誰がおパンツ嬢よ!」
今度の延髄蹴りは痛かった。
*
「そんなにプンプンすんなよ、ただの冗談だろ? 危ないからそんなに離れるなって」
テナントの店名と置いてある物を大雑把にメモ帳に記入しながら、俺たちはビイングホームを目指して歩いていた。
ジャオンからビイングホームまでは120メートルだとパンフレットに書いてあったが、その実際の距離以上に遠く感じた。
「話しかけないでくれる? 変態。元の世界に戻ったら、あなたはステファニーの餌よ」
「何者だよステファニー……」
話していると、急に前を離れて歩くアリスが立ち止まった。
テナントの一つに興味を持った様で、なにも言わずにそのガラスのドアを開けた。
「なんだここ? 入るのか?」
「ちょっと! あなたは立ち入り禁止よ! 入ったら殺すわよ!」
俺が入る前にドアは閉ざされ、ガチャンという音とともに鍵まで掛けられた。そのテナントの店名を見て納得した。
「ラ・ジョンマン……ランジェリーショップね……ってかどんな店名だよ」
俺は店の前に座り、中庭のイベント用ミニステージの隣にある噴水を眺めながら、アリスが出てくるのを待った。
天井の厚いガラスから陽が射していた。
もう何時間かすれば暗くなりだす頃だろうか。
もっとも、この異世界の一日の長さはまだわからないので、時間による移り変わりはあくまで大雑把な予想でしかない。
「おーいアリス。そろそろ行くぞ?」
「ちょっと待ちなさいよ! せっかちな変態は嫌われるわよ!」
「大体、こんなランジェリーショップにお前が身に着ける様な物が置いてあるのか?」
「あるわよ! 高貴なレディに向かって失礼ね!」
俺は溜め息を一つ。そして再び噴水に目を向けた。
当然、水は噴射されていない。それでいて呼び名は噴水だという矛盾に、俺は首をひねる。
しかしそんなことは気にも止めずに、溜池と化した人工物は、ただひっそりと水を囲んでせき止めている。
「待たせたわね。さあ行くわよ!」
店からアリスが出てくると同時に、その噴水に違和感を覚えた。
「アリスしゃがめ!」
「な、なによ!?」
俺はアリスの頭に手を添え、押し込んで屈ませる。
それに従うアリスの手には、小さな紙袋が握られている。
「それリュックに入れておけ、両手をフリーにしろ」
「嫌よ! リュックに入れたらお花が潰れちゃう!」
「じゃあ俺のリュックに入れておくから渡せ!」
「同じくらい嫌よ! この変態!」
話をしながらも、俺は視線を噴水から離してはいなかった。
溜まっている水は小さな波紋を起こし、少しずつ広がっていた。
「ここからだと噴水の真ん中の柱で見えないけど、恐らく向こうになにかがいる……」
アリスから空間全体に緊張感が伝わる。俺はもう一度、アリスが握る紙袋について問いかける。
「さあ早く! それをお前のリュックに入れるか俺の頭に被せるか選べ!」
「ぷぷっ……」
アリスが笑い声を漏らす。
「ちょっと! こんな時に冗談言って笑わせないでちょうだい! ……分かったわよ、はい……」
俺はアリスから小さい紙袋を受け取り、音を立てない様に注意しながらリュックに入れる。
それとほぼ同時に、噴水の死角で見えなかった波紋を起こしていた正体が、移動してその身を晒す。
「っ……!」
それは大きな白い狼だった。
噴水の溜まり水を、舌を使って几帳面に飲んでいる。覗かせる牙は恐竜博物館で見たなにかの牙の化石のように大きい。爪は戦斧のように粗暴で、日本刀のように研ぎ澄まされている。
体長は3メートルほどに見える。しかし、ここからだとその全貌はわからない。
「アリス、お前は中に入ってろ」
俺はアリスに指示し、様子を窺う為に近くの階段に素早く移動して、細心の注意を払いながら階段を上った。
2Fの手すりから顔を覗かせると、狼は一匹ではなかった。
噴水の狼より小さいが、少し離れた所に一匹と、ジャオンの出口から少し中庭に入った辺りに一匹いた。
「三匹いるわね……ちょっとカワイイわ」
「ああ……。この辺りの草原の縄張り主かもな……っておい!」
ランジェリーショップに入っていろと言ったはずのアリスが、俺の横で手すりからヒョコッと顔を出している。
「お前こら! 中に入ってろって言っただろ!」
「シーッ……!」
思わず声を荒げた俺の口を、アリスが手のひらで塞ぐ。
「大きな声を出さないでちょうだい! それに、私が店に入ったら紙袋を渡した意味がないじゃない!」
俺はアリスの手を少しずらし、小さな声で言う。
「まあ、あれは恤兵真綿みたいなもんだ」
「……???」
アリスの頭にハテナマークが3つ浮かんで見えた様な気がした。




