285 幸せを願う
ジャック・オ・ランタンの紳士的な老店員は部屋に入ると、注意深く中を見まわした。そして神経質そうな目をベッドに座るガルヴィンとリアに差し向けた。
彼はアナの耳元でそっと呟いた。「失礼ですが、あの方たちは……」
「問題ない、彼女らもわたしたちの仲間だ。何か話があって来たのだろう? 気にしないで話してくれ」
アリスがすっと立ち上がって丸テーブルまで歩き、丁寧に音を立てずにアナの隣の椅子を引いた。
「レリアのおうちのことね? 約束どおり、何かわかったから教えに来てくれたのでしょ?」
彼はアリスを見て微笑み、長い脚を折って椅子に腰を下ろした。アリスも正面に座り、偉そうに手と足を組んだ。
「さて――どこから話せばよいのやら」と彼は言った。「アナ様もアリス様も本日パンプキンブレイブ家にお越しくださったそうで、ことによればある程度お耳に入れているかもしれません」
アナは頷いた。「ああ、だいたいのことは使用人から聞いている。しかし初めから話してくれ。より近しい者が語り手なら印象も違うかもしれない」
老店員は静かに紳士的に頷いた。俺はアリスの後ろに移動し、彼の話が終わるまで口を挟まずに耳を傾けた。
話の内容はだいたいこんなところだった。
登場する主要人物は三人。パンプキンブレイブ家の二女ヘカテリーナと、オパルツァー帝国のステレイン家の三男坊と、そしてパンプキンブレイブ家と同じファングネイ王国の六大名家の一つ、バビルゲイツ家の長男。
レリアの姉は帝国の魔法学校に留学していて、そこで帝国貴族の三男坊と出会った。そして、卒業する頃には深く愛し合うようになっていた。
しかし、彼女には幼いころから家と家によって婚約が交わされている相手がいた。いわゆる許嫁というやつだ。そして、それがバビルゲイツ家の長男(傲慢な男らしい)だった。
レリアの姉は帰国後、父ルートヴィッヒ・グリハイム・パンプキンブレイブに懇願する。
「お父様、どうか私とバビルゲイツ様の婚約を破棄してください! 私には愛する男性がいるのです!」
父はすげなく一笑に付したが、まあ結果的には色々とあって娘の幸せを願うようになり、バビルゲイツ家に一方的な婚約の破談を言い渡す。
しかし当然バビルゲイツ家は憤慨し、縁談を白紙にするというのなら、パンプキンブレイブ家の爵位を剝奪すると宣告する。それは六大名家のなかでもっとも力を持ち、そして王家とも太い繋がりを有する彼らには不可能なことではなかった。
しかし、ルートヴィッヒ氏は脅しに(あるいは予告に)屈服することなく、レリアの姉とスレテイン家三男坊の結婚式を、これ見よがしにファングネイ王国で挙げさせた。そこにはステレイン家の威光を後ろ楯にしようとする狙いもあったのかもしれないが(帝国の皇后陛下が主賓として参列するぐらいの相手なので、それはまさしく威光だろう)、その多くは亡き妻にも間近で娘の花嫁姿を見せてやりたいという想いからだった。
だがバビルゲイツ家は大人しく引き下がるような気質の家柄ではなかった。『等価交換』を家訓とする彼らはほかの六大名家を味方につけ、こともあろうに二女ヘカテリーナの代わりに三女レリアを嫁に差し出せと要求してきたのだ。「それを拒否するのなら、我々はすぐにでも貴家の爵位を剝奪し、没落貴族として地を這いずりまわせるだけの準備がある」。設けられた回答の期限は三日後ということだった。
先にアナから聞いていたのと大筋は同じだったが、彼の話には続きがあった。
「レリア様の心は揺らいでいます。ご自身が犠牲になることで家を護れるのなら――と傾き始めています。ルートヴィッヒ様はそんなことは望んでおりません。そこで、私はある提案いたしました」
彼は慎重に言葉を選んで続けた。
「アナ様、レリアお嬢様を誘拐なさってくださいませんか?」と老店員は言った。「さすれば拒否も何もなくなり、パンプキンブレイブ家が爵位を奪われることもありません。あるいはそれでも剝奪するというのなら、ほかの六大名家のうちどこか一つでも反対してくださることでしょう。そして、レリア様も望まぬ婚姻を結ぶことなく、幼きころに志した騎士の道を諦めないで済みます」
彼は封蝋印で閉じられた手紙を内ポケットから抜き出し、アナに渡した。
「ルートヴィッヒ様からアナ様宛の手紙です。もちろん封を解いたからといって強制することはありません。どうぞ手紙を読んでから、ゆっくりと決め、それから回答をお聞かせください」
アナはカボチャマークの封蝋をじっと見つめていたが、開封せずに顔を上げた。
「読んでからも何もない。それがレリアのためにわたしにできることなら、あいつの師として断るわけにはいかない」
「おい」と俺はアナに言った。決断が早すぎる。「お前わかってるのか? お前はミドルノームの騎士なんだぞ? ファングネイ王国の貴族令嬢を誘拐したなんて知れたら大変なことになるんじゃないか?」
アナは淡い微笑みを口許に浮かべ、腰のオウス・キーパーの柄に指を添えた。
「わたしはレリアを預かったときに誓ったのだ。屈強な男にも負けない、立派な騎士にしてやるとな。そして、領主様から頂いたこの剣の名はオウス・キーパー<誓いを果たす者>。レリアと出会ったときはまだ手にしていなかったとはいえ、この剣を振るう以上、誓いに過去も未来もない。
それにウキキ殿、レリアの父上がそうするよう望んでいるのだ。これは断じて間違った道などはなく、正しき騎士の道だとわたしは思うのだが、どうだ?」
アリスがふわりと飛び跳ね、俺の頭をチョップした。「そうよ! それにレリアは大切な仲間なのだから、そんな状況なら放っておけるわけないじゃない!」
「ねえ、お兄ちゃん」と手のひらに炎を浮かべながらガルヴィンが続いた。「バビルゲイツ家ってすごく嫌な奴らの集まりなんだ。街を我がもの顔で歩いているのを何度も見たよ。平民にぶつかっておきながら、その平民に土下座をさせたりね。だから、こんな大義名分もできたことだし、あいつら全員燃やしちゃっていいよね?」
燃やしちゃだめだ、と俺は言った。ナチュラル・ボーン・キラーよろしく、俺のことまで殺意の赤い眼で見ていやがる。
リアは相変わらずだった。興味なさげに(実際ないのだろう)ベッドに座り、窓の外を眺めながら脚をぶらぶらとさせていた。
「とりあえず手紙を読むぞ」と俺は言った。そしてアナから受け取り、封蝋印を解いた。
そこには文字がびっしりと書き込まれていた。バビルゲイツ家の長男がレリアと親交を深めるという名目で屋敷に滞在していること。それは言うまでもなく、回答期限までレリアを逃がさないためであろうということ。数名の私兵を従えているということ。そして明日の晩、居間の窓を開け放しておくということ。大広間に家宝の剣が飾られているので、それをレリアに持たせてやってくれということ。
俺は読み終えてから手紙をテーブルの上にそっと置いた。アリスかアナが次に読もうとするかと思ったが、二人ともじっと俺の顔を見ているだけだった。
「明日の夜、居間の窓を開けとくってよ」と俺は言った。「……オーケーわかった。たしかにレリアは俺たちの大事な仲間だ。……やろう。明日の夜、バビルゲイツ家の奴らが寝静まったのを見計らってから決行だ」
*
それから紳士的な老店員は宿を後にし、アリスとアナとガルヴィンも隣の部屋へと帰っていった。リアはあっちに行かないのか? と訊くと、彼女は振り返り、ゆっくりと首を振った。
「わたしはねむらない。ここからルナをみている」
また窓枠に頬杖をついて、リアは頭を傾けて夜空を見上げた。ここからだと見えないが、きっと視線の先には四の月があるのだろう。
しばらくすると、今度は俺を見ずにまた静かな声で言った。「ウキキはもういく」
月の女神には見透かされていたようだ。あるいは少し先の未来が視えたのかもしれない。
「ああ、もう行くよ」と俺は言った。「あいつらにはああ言ったけど、やっぱり後々大問題になりかねないからな。アリスにもアナにもそんなことはさせられない。それに、ガルヴィンなんて保釈中の身だから尚更だ。終わらせてくるよ、俺が今日中に」
リアはそれについて何も意見を述べなかった。ただ銀色の細い髪を夜の冷たい風になびかせていた。その一本いっぽんが月明かりを効果的に浴び、幻想的に輝いている。まるで夜の世界から少しずつ集めてきたような、輪郭ははっきりとしないが力強い光だった。
俺はリアの頭を少しどかせて、窓枠に足をかけた。そして木霊の階段を配置して地面まで下りた。
『アリスたちってわからない限り、誰か来てもドアを開けるなよ!』と下からジェスチャーでリアに伝えると、彼女は何かのついでみたいにあごを少しだけ引いた。そしてまたルナのいる四の月に視線を持っていった。




