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284 胸躍るお誘い

「どうしたのお兄ちゃん? 早く服を脱いで湯に浸かりなよ。かなりいい湯加減だよ?」


 とても胸躍るお誘いではあったが、俺は道義的問題を考え扉を閉め、外でガルヴィンの入浴が終わるのを待つことにした。一度ならとにかく、二度も十二歳の少女とお風呂に入っては、常識のある成人男性として色々とまずい気がする。


 再び牢獄の闇が俺の視界を支配すると、背中におぶっているリアが前置きもなく地面に下り、向かいに座った。薄暗くてよく見えないが、リアは俺の顔をじーっと見ているようだった。研ぎ澄まされた女神の視線を肌に感じる。


「ってか、お前さっき過去と未来が混ぜまぜにとか言ってたけど、もしかして未来が視えたりするのか?」

「すこしだけ。でもだいじなものはみえない」

「大事なものって、例えば?」


 しばらく待ったが、リアは何も答えてはくれなかった。きっと俺の質問が愚劣極まるものだったのだろう。

 話題を変えてみる。


「今ごろお前の姉貴――ルナは四の月がこの惑星の重力に呑み込まれないよう頑張ってるんだろうな」

「ウキキはルナがすき」


 俺は自動的に語尾にハテナマークをあてがう。


「ああ、好きだ。あんなひたむきで、けどちっともそれが人に伝わってない神様なんてそうはいないだろ。人知れず人のために頑張る神様。しかもそれが銀髪幼女ときたら、きっと高峰先輩なら全財産を投げうって社か何か建てるんじゃないかな」


 闇のなかにまた沈黙が降りてきた。それすら俺たちの会話の一部であるみたいな、包含的な静けさだった。


「ずっとすきでいてあげて」と長い時間が経ってからリアは言った。「ルナはだれよりもさびしがりやだから」





 風呂を出たガルヴィンが俺たちを連れていったのは、牢獄の奥のほうにある一室だった。当然壁と鉄格子に囲まれた立派な牢屋なのだが、ガルヴィンは自分で鉄柵扉を開けて入り、俺とリアを中に招き入れ、そしてまた扉をガチャンと閉めた。錠がかけられることはなかったし、そもそもこの牢獄には衛兵の姿がなかった。


「お、お前いちおう屍教の残党ってことでここに捕まってるんだよな?」


 ガルヴィンは牢屋の隅にある蝋燭に精霊術で火をつけ、壁にもたれてそのまま背中を滑らせるようにして座り込んだ。


「そうだけど?」とガルヴィンは言った。淡い火の灯りが、まだ濡れている真っ赤な髪に濃淡を浮かばせていた。


 少女のあっけらかんとした表情を見て、俺は細かいことに気を留めるのが馬鹿ばかしくなってしまった。きっと円卓の夜やボブ・ゴブリンのせいで兵士の数が足りないので、牢獄の入り口だけを閉ざしてあとは好きにやらせているのだろう。ほかに囚人もいないようだし、管理として賢い方法かもしれない。


「でも……お前ちゃんと食えてるのか? なんか少し痩せてないか?」

「前に見たボクの裸と、さっき見た裸を比べたの?」、ガルヴィンはいたずらっぽい笑みを唇の端に刻んだ。「大丈夫、一日二食ちゃんと食べているよ。昔の屍教は三日ぐらい何も食べられない日があったからね。それを考えたら、ここはボクにとってそう悪くない場所さ」


 ガルヴィンは話を終えると、あらためて見定めるようにリアのことを金色の瞳で見つめた。リアは見られていることに意識を傾けず、とことこと歩いてガルヴィンの隣にちょこんと座った。


「それで、この子は何者? 人じゃないみたいだけど、かといって精霊でもないみたいだ」

「そんなことわかるのか?」

「そりゃボクは精霊士だからね。自然界に存在するマナの流れを正しくつかめないと精霊魔法なんて扱えないよ。人にも怪物にも当然、独自のマナの流れがある。けどこの子にはそれがない。人のマナが川だとしたら、この子のは凪いだ海だ。ともすると精霊に近い気もするけど、そこには大きく隔たれた壁がある。鳥だって越えられやしない高い壁がね」


 俺が口を開く前に、リアは自分で双子の月の女神の妹だと名乗った。ガルヴィンは納得したように手のひらを拳の横で叩き、親密な笑顔をリアの薄い表情に届けた。精霊士であり、そして何より屍教という世界から孤絶した組織に生まれたときから組み込まれていたガルヴィンにとって、リアは俗世間の人間よりもよっぽどそんな顔で接するに値する存在であるようだった。


 俺はそんな年相応の表情に目を向けたまま、少女に訊かなければならないことを訊いた。ガルヴィンはリアに見つめられたまま瞳を閉じてしばらく考え込み、やがて長い眠りから覚めたみたいに目をそっと開いた。同時に蝋燭の火が一段と大きくなったが、それは偶然だろう。


「なるほどね。そのガーゴイルの起動を阻止するために四大精霊を精霊王のもとに集結させる必要があって、ボクに精霊王のことを訊きにきたと」とガルヴィンは言った。「なんか残念だなぁ。そっか、お兄ちゃんはボクに会いたくて来てくれたんじゃなかったのか。ボク、大好きなお兄ちゃんの顔を見てすっごく嬉しかったんだよ?」


 予想していなかった反応が返ってきた。ガルヴィンは体育座りになり、悲しそうにおでこを膝のあたりにうずめた。あれ、こういうときなんて言えばいいんだ?


「冗談だよ、お兄ちゃん焦ったでしょ?」


 冗談だったらしい。恋愛漫画の四巻あたりにありがちなセリフを言わなくて本当によかった。


「あ、焦ってねえよ……。で、どうなんだ? 精霊王について何か知ってるのか?」

「知らないともいえるし、知ってるともいえるね」とガルヴィンは真剣な眼差しになって言った。「精霊王なんてもう百年も不在のままだよ。だからボクは精霊王を知らない。けど、精霊王にもっとも近しい存在なら知っている」


 誰なんだ? と俺はすぐに訊ねる。偶然にしてはできすぎたタイミングで、また炎がボオッと燃え盛る。


「ザイル・ミリオンハート・オパルツァーだよ。ボクの精霊魔法の師匠であり、帝国の第一継承権を持つ男さ」


 そして、俺の姉貴の旦那であるカイル・セブンハートの弟であり、そのカイルが飛来種に乗っ取られていると危ぶんでいる男……。


 俺はガルヴィンの口から告げられた男の名を聞き、用意されていたニュースの原稿みたいにすぐそう頭のなかで呟いた。あるいは俺はここに来るずっと前から、その宿命的な名が出てくるだろうなと頭のどこかで予期していたのかもしれない。





「で、ウキキ殿。どうしてガルヴィンがここにいるのだ?」


 アナは宿のベッドにアリスやリアと座って話をしているガルヴィンを見て、至極まともな疑問を呈した。


「副兵団長の計らいだよ。ザイル・ミリオンハート・オパルツァーに会いに行く必要ができて、そのためにはガルヴィンの手引きが不可欠らしいんだ。だから兵団の宿舎に戻って相談したら、俺が監督役として常に目を光らせるという条件で、一時的な釈放申請を通してくれた。……暁の長城で似たようなシチュエーションでオウティスが消えたってのに、あいつ俺を信用しすぎだろ」


 ふふっと笑い、アナは俺の座るテーブルの正面に腰を落ち着かせた。


「ウキキ殿は『英雄』だからな」とアナは言った。「しかし――それだとおのずと我々の次の目的地が定まった気がするが、まさかオパルツァー帝国に行くつもりか? 円卓の夜のこの時分、飛空艇でもなければ到底辿り着くことは難しいぞ?」


 俺は頷いた。くすんだ色のカーテンの隙間で、夜空に偶然貼り付いてしまったような小さな星が瞬いていた。また一日が終わろうとしている。ガーゴイルの起動を防ぐ日数が四十五から四十四になろうとしている。


「聞いた話によると、レリアの家――パンプキンブレイブ家は飛空艇を持ってるんだってな? 俺としてはそれに乗せてもらえればって考えてるんだけど」

「なるほど、それでその余裕か」とアナは首を何度か振りながら言った。「ならあてが外れたな。レリアの家はいま飛空艇を飛ばせられるような状況ではない。いや、それどころかお家そのものの存続の危機ですらあるのだ」


 アナは椅子に座り直し、体ごと俺に向けて、パンプキンブレイブ家が抜き差しならぬ状況に陥った経緯を説明した。それが終わった頃には、もう隙間から星は見えなくなっていた。今にして思えば、あれは窓についたゴミか埃か何かだったのかもしれない。


「わたしもアリス殿も結局レリアには会えず、使用人からその話を聞いたのだがな……」

「そっか……」と俺は言った。レリアの家の現状を聞いて、相槌以外に何も言葉にできる気がしなかった。


 もしかしたら長い夜になるかもしれない。漠然とした予感が俺の脳裏をかすめた。

 そして、それは宿の扉をコンコンと叩く一人の老人によって現実のものとなった。アナが幾分警戒しながら扉を開けると、そこにはジャック・オ・ランタンの老店員がいた。


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