257 Tears in rain monologue
クイズ対決は第二問に移り、アリスはよりいっそう早押しボタンに意識を集中させていた。血塗られた悪魔の口の端が歪み、ジャジャン! という効果音がまたどこからか鳴り響いた。
たっぷりと時間を空けてから、血塗られた悪魔は第一挑戦者のアリスに問題を突きつける。
「『魔法少女サッキュン二期』でサキュバスの力に覚醒する、立花咲や雪代舞の同級生の名前は――」、言葉がいやらしく切られ、設問がふらふらと空中を彷徨う。早押しボタンにかぶせる重ねた両手がぴくっと反応したようだったが、アリスは押し込む力を一度ニュートラルに戻した。
「危ないところだったわ! けれど、意地悪な間なんてお見通しなのよ!」
血塗られた悪魔がにやっと笑う。山羊頭のそういった表情はかなり不気味で、それにこの状況にとても適していた。
「――名前は若本ノリオですが、その声をあてているのは誰でしょう?」
もらったな、と俺は思った。これはファンのあいだではかなり有名な話だが、声優さんの下の名前がこのキャラにあてがわれているのだ。音響監督がどうしてもこの声優さんと仕事をしたかったからというのが定説で、声優さんもラジオ番組でそのような旨をほのめかしている。
もし仮にこの裏話を知らないとしても、今日この日のために何度も視聴して復習したアリスなら、ブタのおパンツ様を裏返して穿くよりもよっぽど簡単な問題だろう。
あるいはサービス問題なのだろうか? 三問中二問正解しなければならないルールで、既に一問めをアリスは落としているのだ。血塗られた悪魔的にもストレートで負けさせるのは面白くないのかもしれない。
アリスは確たる自信を携えて早押しボタンを連打していた。当然、アリスしかいないわけなので、アリスの席のランプが点灯する。
アリスは元気よく颯爽と口を開いた。「わからないわ!」
わからなかったらしい。
俺は椅子からずり落ち、硬い背もたれに後頭部をおもいきりぶつけた。
「なんでわからないんだよ! めちゃくちゃ簡単な問題だろうが!」
地味に痛む後頭部に手をあてながら、俺はアリスのもとまで走った。アリスは心臓マッサージのスペシャリストみたいな手つきでまた早押しボタンを押さえていた。
「もうお前の負けだアホ!」
「なんですって!?」
アリスはすごく意外そうな顔で俺を見て、そのまま回答者席に座り、手を膝の上にゆっくりと置いた。しかし何を思ったのか、またその手を素早く早押しボタンに戻した。
「今の問題はパスさせてもらうわ!」
「パスとかねえよアホ!」
「どうしてよ! 二回までは使えるはずでしょ!」
「七並べか! そんなルール言ってなかっただろ!」
アリスの鋭い視線が司会者席に向けられる。「パスなんてありませ~ん! は~いミス・オンジョ~ジ失格!」と血塗られた悪魔はとても楽しそうに言った。
アリスは肩をすぼめ、それからとても長いため息をついて観客席へと歩いていった。しかし、すぐに振り向いて気の強い表情を浮かべた。
「というか、問題の意味がさっぱりわからないわ! 声をあてているってどういうことなのよ! ノリオはノリオでしょ!?」
「いや、声優さんは誰だって問題だろ……。あれ、お前もしかして声優って存在自体を知らないのか?」
「馬鹿にしないでちょうだい、それくらい知っているわ! 私、小さい頃にシャーと安室の声優さんに抱っこしてもらったことだってあるのよ!」
何それすごく羨ましい。しかし、アリスはそう主張してから突然動きをぴたっと止めた。普段から必要以上によく動くので、静止した姿はなんだか妙なものだった。
「ま、まさかサキちゃんたちにも声優さんがいるっていうの……?」
疑り深い目でアリスは俺の顔を見る。サンタクロースの恰好をした父親に恐るおそる聞きただそうとする幼稚園児のようだった。
「あ、あたりまえだろ……」と俺は言った。「サキちゃんもユキりんもカナミンもバタ子もエンディングで『CV』だれだれって毎回出てくるだろ。復習したならちゃんと見とけよ……」
「『CV』ってそういう意味だったの? 私カルロ・ベローチェの略だと思っていたわ!」
「なんでイタリア軍の戦車がエンディングに出てくるんだよ!」
だがまあ、十一歳なら夢中になっているアニメのキャラクターは実在しているのだと思っていてもおかしくないかもしれない。俺も小さい頃、戦隊もののヒーローが変身したとき中に入っているのは別の人だと知って大きな衝撃と少々の喪失感をおぼえたものだ。それと似たようなものだろう。
「と言うか――」と昔を懐かしんでいる俺にアリスは言い、目を細めた。「あなた、やっぱり魔法少女サッキュン大好きなんじゃない? 私ずっと怪しいと思っていたのよ!」
おっとこれはまずい。しまった、つい色々と口走ってしまったようだ。
俺はアリスに背を向けて回答者席を見るともなく見た。誤魔化すためのヒントを無意識にそこに求めていた。『たまたま観たテレビでアニメクイズをやってたんだ』。よし、これでいこう。
俺は勢い良く前を向いた。しかし――そこにはもう俺の知っているアリスはいなかった。
「っ……!」
時の迷宮七層とクイズ番組のセットが織りなす不協和音の中で、アリスは物言わぬ石像に変わり果てていた。
*
「お……おいアリス!」
アリスは石像になっても躍動的だった。
俺の頭にチョップを叩き込もうと思ったのだろうか? 小さな手刀を構え、飛びかかろうと左足に力をこめた瞬間で、まるで時間を細かく刻んで切り取られたかのように静止していた。
「イ~ヒッヒッヒ!」、血塗られた悪魔が笑った。耳をつんざくとても不愉快な笑い声だった。
「てめえ! アリスに何をしたんだよ!」
まだ笑っていた。俺は咄嗟に悪魔の山羊頭に狙いをつけ、幻獣を呼びたてた。
「出でよ雷獣!」
ビリビリビリッ!
無効化。とでも理解すればいいのだろうか? 紫電の爪は確かに血塗られた悪魔を捉えたが、寸前で無数の光の粒子になり、空気と同化するようにして消え入ってしまった。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
接近して鎌鼬を使役したが、二撃の斬風も同様だった。やはり血塗られた悪魔に到達することなく、儚げな煌めきを残して還ってしまった。
突き出した右腕が強い力で掴まれる。悪魔は俺の身体を引っ張り込み、眼前にまで不気味な山羊頭を近づけた。
「無駄だよ~! ミスタ~・ミツイ! 七層では相手に対する攻撃は認められていないって言っただろ~?」
これ見よがしに悪魔は手を俺の目の前に持ってきて、指をぴったりと揃えた。尖状となった手の先がボディーブローのように打たれ、俺の腹に突き立てられる。
「ぐっ……!」
一点に凝縮された激しい痛みが瞬間的に全身に散らばっていく――しかし、それはどこからか脳が手繰り寄せた架空の痛みだった。血塗られた悪魔の手は俺の体を通り抜けていた。
「ラ~ブ・アンド・ピ~ス!」と血塗られた悪魔は俺を放し、歌うように言った。「相互理解だよミスタ~ミツイ! この月の迷宮を創った月の民はそれこそを心の軸として七層に吾輩を配したのさ! そこの『いざなう者』であるブタ侍君と『阻みし者』である吾輩を同時に生んだこの背反性こそが、相互理解を深める鍵なのさ!」
俺は言う。「答えろ、アリスに何をやったんだ!」
大袈裟に両手を広げ、血塗られた悪魔はいかにもつまらなそうに山羊頭を傾げた。
「盛り下げてくれるねぇミスタ~・ミツイ。いいよ、じゃあ二戦めをやろう。次はどっちが挑戦するんだい? ユ~かい? それとも『いざなう者』かい?」
無駄だとわかっていても、俺は幻獣をぶちあてないわけにはいかなかった。左手を添えた右腕を素早く構える。その瞬間、俺の腕の先にブタ侍が音もなく降り立った。
「クイズを続けるでござる」とブタ侍は背を向けたまま言った。「それに勝利すれば、アリスはきちんと元の姿に戻れるでござるよ」
飛び跳ね、今度は石像になったアリスの頭に着地した。まるで聖なる神殿で天使か何かの石像を護る守護者のようにブタ侍は見えた。
「ほ、本当に元に戻れるのか……?」と俺は訊いた。そのリアクションを見るのがとても怖かった。
しかし、ブタ侍は今までに見たことのない面差しで強く頷き、俺の恐怖や不安をどこかに追い払ってくれた。大丈夫だ、と俺は思った。こいつを心から信じることが俺にはできた。
「前回この悪魔を模した石像と対面したとき、拙者はおぼろげに感じたのでござる。拙者とこやつは善と悪、光と闇、陽と陰だと。それが今回確信に変わった。拙者たちは元々一つの存在。それが違う役割を担うために別の核――意識とでもいうのでござろうか――を持たされたのでござると。故に、拙者にはわかるのでござる。石化の呪いはこやつを打ち滅ぼせば解けるでござるよ」
俺は頷いた。そして血塗られた悪魔を見据える。
「やっとブタ侍君も気づいたんだね」と血塗られた悪魔は生き別れの兄弟に言葉をかけるように言った。しかし、そこにある感情を読み取ることはできなかった。
「そうさ。吾輩ときみはコインの表と裏。あるいはトンネルの入口と出口。善があるから悪がある。あるいは光があるから闇がある……そんな間柄なのさ。けど、一つ訊きたい。いや二つかな。どうして自分が光だと言える? なぜ吾輩が闇だと言い切れる? それが一つめさ。次に、『悪魔を模した石像』というのは心外だよ、というのが二つめだね。吾輩は悪魔さ、れっきとしたね」
「否。拙者がブタを模した人形であるように、お主もただの悪魔を模した石像でござるよ。時が凍りつくほどの長いあいだその石像に宿っているからそう思い込んでいるだけでござる。拙者はまだ日が浅い故、そこをちゃんと区別して考えることができるのでござる。
そして二つめ……いや、こっちが一つめでござったな。善と悪、光と闇。確かに、いざなう者が良き存在で阻む者が悪しき存在というわけではござらんな。そこは詫びるでござるよ」
血塗られた悪魔はずっと黙ってブタ侍を見ていた。ブタ侍の目も決して逸れることはなかった。
交錯する視線は彼らをどこにも連れていきはしなかった。行き場のない想いはぶつかりあい、擦れあい、消耗しあって、そして二人は同時に瞳を閉じた。
「いいよ、続きをやろう」と血塗られた悪魔は言った。「残るきみたちが勝利すれば吾輩は消滅する。どちらか一人でも負ければきみたちは石像となって――間違っても吾輩のような石像になれるとは思わないでほしい――悠久の時のなかで終わることのない絶望に身を沈めることになる。思い出さえ時間とともにやがて消えてしまうだろう。雨の中の涙のようにね。『Tears in rain monologue』。――さあ、第二挑戦者はどっちだい?」
アリスの石像から降り、ブタ侍はとことこと歩いて俺のもとまでやってきた。見上げる目にはとても温かい親密性が浮かんでいた。
「重要な二戦めでござる。ウキキがいくでござるよ」
「ああ、任せとけ」と俺は言った。「二問続けて正解してお前に繋げてやるよ!」
ほどなくして俺は回答者席に移り、椅子に座って早押しボタンに手を添えた。いい具合に丸みを帯びた半球形で、確かに必要がなくても早押ししたくなる衝動に駆られるものだった。お胸様で言えば、Cカップほどだろうか? いつまでも手を被せておきたいボタンだった。
「オ~ケ~! それじゃ気を取り直して第二戦といこうか!」と血塗られた悪魔は言った。「ヘ~イ、ミスタ~・ミツイ! さあクイズのジャンルを選んでおくれ! 再三の忠告になるけど、クイズは抜き取ったきみの頭の中の情報から出題されるんだ、一番豊富な知識を有しているジャンルを選ぶといいよ!」
「その前に一つだけ訊かせてくれ。なんで前回はアリスを石像にしないで帰したのに、今回はこんなことをするんだ?」
う~んと唸り、血塗られた悪魔は腕を組んで考えた。あるいは考えるふりをした。
「仏の顔も三度まで。悪魔の顔は二度めから――なのさ!」
俺は何も言わなかった。頷く気にさえなれなかった。口をきかないでアリスの石像をしばらく眺めてから、また血塗られた悪魔を視野の中心に据えた。
「一番豊富な知識……ね」と俺は言った。「じゃあジャンルは――インダス文明だ」




