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248 北国のアルルカン

 神聖裁判所の薄暗い部屋で待機を命じられ、壁にもたれて考え事をしていると、突然扉が音を立てて開いた。そこに金色の鎧を纏う男二人が姿を現し、無言で俺を法廷まで連れていった。決闘裁判の舞台は首尾よく整ったようだった。


「決闘裁判代理人は中央へ!」と裁判官が声を張り上げた。法壇の席に一人だけ座っているので、たぶん裁判官なのだろう。俺は一応返事を返してから法廷の中央まで歩いた。多くの人間(五十名ぐらいいそうだ)から注目されていたので少し緊張したが、姿勢よく歩けていたと思う。


 甥は被告人席にいた。立ち上がり、俺に向けてガッツポーズをとった。俺は微笑んで見せ、それから裁判官の言葉を待った。


「被告人との関係を述べよ!」と裁判官は言った。

「友人です」と俺は答えた。


「ではなぜこの男のために決闘に臨むのか答えよ!」


 俺は裁判官の質問を少しのあいだ考え、それから姿勢を正して答えた。「友人だからです」


「命を失うことになっても異議申し立てをしないと誓うか!?」


 誓う、と俺は答えた。死んだら異議を申し立てられる自信がない。


「では生前契約を結ぶ送り人はいるか!?」

「生前契約?」

「己が死亡したら三送りを執り行う契約を結んだ送り人のことである!」

「ああ……いや、いないと思います」


 答えながら、俺はソフィエさんのことを考えた。彼女ならたとえ北の大地であろうと、もし俺が死んだらすっ飛んで来てくれるのだろう。誰よりも優しい女性なのだ。

 しかし、万が一にもそんなことにはならない。俺はこんなところで死ぬわけにはいかない。早く終わらせて、大魔導士アリューシャに転移の法でハンマーヒルに飛ばしてもらって、ショッピングモールに戻って、そしてアリスと一緒にソフィエさんに会いに行こう。


 裁判官が小さな木槌で丸い台を何度か叩いた。叩いたぶんだけ法廷内にはっきりとした音が響いた。その音を聞いて、俺は少しだけ安心した。これが大魔導士アリューシャの前だったら、きっと原因と結果の回数が等しくならない。あの人は俺の認識力を著しく低下させてしまう。魔法の一種なのだろうか? あれはザイル・ミリオンハート・オパルツァーの前で空間が歪んだような感覚になったことと、性質が同じように思える。


「では決闘代理人を残し、他の者は上へ! 母なる叢氷そうひょうの神の名のもとにおいて、これより決着に至るまで誰も手を出さぬよう命ずる!」


 裁判官のその一言で国会議事堂の衆議院議場のような部屋から人々がぞろぞろと退出し、しばらくしてからその先頭集団が二階の見物席のような場所に現われ、やがてそこが人々で埋まっていった。アリの巣を断面から見ていたような気分だった。

 俺のちょうど正面に、甥はいた。二階の手すりから身を乗り出して俺を応援していた。まだ始まってもいないのに、甲子園のスタンドで母校を応援する高校生のように必死の形相だった。九回の裏、二点ビハインドでツーアウト。彼らには後がないのだ。そして甥にも後がない。


 足音は聞こえなかった。しかし、気がつけば俺の少し後ろにはイワン大佐がいた。


「よう、それじゃ始めるとするか」と彼は言った。鞘から剣を引き抜き、男子小学生が雨上がりの空の下で歩きながら傘をくるくると振り回すみたいに、剣柄を軽く握って手首だけで回転させた。


「なんであんたが相手なんだよ……」

「なんでって、そりゃこれもオレを苛む仕事のうちの一つだからな」

「苛む仕事が増えるなら、なんであんたは甥の決闘裁判の代理人を受理してくれたんだ?」

「まあ、借りがあったからな……でも負けてはやらないぜっ!」


 止まりかけの風車のように回転する剣の切っ先から、出し抜けに放物線を描くように青い攻撃軌道が伸びた。俺は躊躇なく俺の身体の正中線を走る予兆から素早く離れ、大蝦蟇を使役する。


「出でよ大蝦蟇!」


ゲコゲコッ!


 鬼姫・陽が高い天井に向かって吐き出され、そして俺の手元に落ちてくる。

「よっと……」、俺は鬼姫・陽を左手で掴み取って逆手に握り、腰を落として構えながらイワン大佐を見据える。


「ほお……ヴァングレイト鋼か」とイワン大佐は言った。「それをオレにくれるなら負けてやってもいいぞ。そうしたらオレはそれを売っぱらい、こんな仕事からは足を洗って、悠々自適に遊んで暮らすんだ。南の国の自由都市『ガイサ・ラマンダ』で召使い付きの屋敷を買って太陽の下で暮らすのもいいな」

「そ、そんな高く売れるのか……」と俺は言った。「でもあげるわけにはいかない。これは義理の兄から貰った大切な短刀なんだ」


 交渉決裂。といった具合に、イワン大佐は鼻を掻きながらしょぼくれた様子で俺に背を向けた。それからくるっとターンすると、すぐに鋭い剣先が俺の腹を掻っ切りにやってきた。

 予兆はちゃんと視えている。俺は飛び退いてそれを躱し、雷獣を使役してイワン大佐の足元を紫電で狙う。


 しかし真横に跳躍してイワン大佐は紫電を躱し、そのまま裁判官の法壇に着地をした。中年とは思えないほどの身のこなしだ。そして道化師がジャグリングをするように空中に剣を放り投げ、回転して落ちてくるそれを左手でキャッチした。


「じゃあ、手加減してやるからその短刀をすこし貸してくれ。それを元手にギャンブルで稼いでくるからよ」

「嫌だっての……。ってか、手加減って……せめて目の赤い光を消してから言えよ」


 イワン大佐は法壇の上の何かを蹴飛ばす。小さな木槌だ。それは的確に俺の額を狙って飛び迫り、俺は慌てて鬼姫・陽で打ち弾く。


「それは視えないんだなっ!」という声が上から聞こえてくる。イワン大佐はまた大きく飛び跳ね、上から俺の頭頂部を剣で突き刺しにきている。青い軌道は視えているが、その性質上、どうしても上からのものには気づくのが遅れてしまう。


 しかし、ギリギリで上体を反らして躱すことができた。だがイワン大佐は止まらない。着地と同時に秀逸な蹴りが放たれる。俺のこめかみと脇腹に一発ずつ。どちらもなんとか肘でガードできたが、最後にその長い脚が俺の足を刈にやってきた。躱せない。足払いをまともにくらい、俺はその場で背中から落ちて仰向けで倒れ込む――瞬間、今度は俺の眉間に青い軌道が伸びる。本当にえげつないチョイ悪親父だ。俺は予兆の青い直線に鬼姫・陽を重ね、そのなんのためらいもない刺突を防ぐ。同時に、右大腿部に激痛が走る。


「っ……!」


 イワン大佐は左手で俺の眉間に突き立てようとした剣を握りなおして立ち上がり、右手に持つ鉤爪のような形をしたナイフを俺によく見えるようにして掲げる。「やっぱり、視える攻撃は限られているみたいだな」と彼は言う。


「ジャグリングの時にこっそり取り出してたのか……。ああ、認識してるのしか視えないんだ。ただのナイフならとにかく、そんなエグい形状のなんて見たこともないからな……」と俺は言い、激しい痛みに耐えながら素早く起き上がる。


「おいおい、そんなにあっさり教えちゃっていいのか?」

「構わないよ……。あんた知ってたんだろ?」

「まあな、先の戦いでお前の動きを見たときにピンときたぜ。いるんだよ、極稀にそういう特殊な能力みたいなのを持つやつがな」


 俺は血がドバドバと流れ出る右大腿部に治癒気功を施しながら、イワン大佐の目を覗き込む。赤い殺意の光は消えている。


「俺の勝ち……ってことでいいのか?」


「まあな」と彼は言い、折れた剣をその辺に放り投げる。「戦士が剣を折られたら終わりだ。まっ……お前の勝ちと言うより、ヴァングレイト鋼の勝ちってところだな」


 ただ突きに横から重ねただけで、鬼姫・陽はイワン大佐の剣を切断してしまった。俺はあらためて金獅子のカイルがプレゼントしてくれたヴァングレイト鋼の短刀をじっと見つめる。あの人が俺に与えてくれたものはあまりにも多く、そしてとてつもなく大きい。


「随分と潔いではないかイワン大佐! まだその右手のナイフで戦えるだろう! それに、体術でもその小僧を圧倒しておったろうに!」と裁判官が二階からどなり声をあげる。


「聞いてなかったのか裁判官の爺さん。剣が折られた時点で勝敗は決しているんだよ。それに、もうこの小僧にオレの手は通用しねぇと思うぜ?」とイワン大佐は前を向いたまま言った。それから裁判官を見上げながら続ける。「まだ観客が決闘を見足りないと言うのなら、そこの金ピカ神聖騎士様にやらせればいいだろ。オレの仕事はこれで仕舞いさ」、そして法廷の扉に向かって歩き出した。


 俺はその後姿に声をかける。「勝負が決まってたなら、俺のふとももを刺す必要もなかったんじゃないか?」


「必殺の鉤爪をあらわにしておいて、何もしないで引っ込められるわけねぇだろ。腹じゃなかっただけありがたく思いな」


 手ぬぐいのようなものが宙を舞う。必殺の鉤爪という名のナイフを握っていたイワン大佐の手から放られたものだった。

 俺はそれを受け取り、手早く刺された大腿部に巻きつける。すごく痛いが、治癒気功を施したので我慢できないほどではない。


「あんたも――俺が必殺の幻獣を使役しなかったことをありがたく思ってくれ」と俺は言う。

「ああ、思っているさ」と言い、イワン大佐はそのまま法廷内を後にする。


 さて……と、俺は上の階に目をやる。甥が万歳をしながら俺の名を叫んでいる。しかし、その喜びの声がすぐにかき消される。五十人ほどの観客が一斉にブーイングのような行為をイワン大佐が出ていった扉に向けて行い、怒号を響かせた。


「静粛に!」と裁判官がどなり声をあげる。法廷内が水を打ったようにしんと静まり返る。「決闘裁判はまだ終わってはおらぬ!」


 終わってはおらぬ? それを聞いて甥は真っ赤な顔で裁判官に詰め寄り、そしてすぐに金色の鎧を纏う男たち(神聖騎士というらしい)に取り押さえられる。


「そこの神聖騎士様が次の相手か!?」と俺は裁判官に向かって訊く。


叢氷そうひょうの神の祝福を受ける神聖騎士にそのような蛮行はさせられぬ! 誰ぞ神に代わって愚かな決闘代理人を粛清する者はおらぬか!」


 法廷の二階ががやがやとしだす。よく見てみると、決闘なんてとてもじゃないができそうにないフォーマルな服装の上品な人間たちの姿が目立つ。貴族なのだろうか?


「勝利したあかつきには褒美を取らす!」と裁判官は続けて声を張り上げる。


 しかし、しばらく待ってみても名乗りを上げるものはいなかった。金ピカ神聖騎士もばつが悪そうに頭を垂れている。


「いないみたいだな!」と俺は大声で言う。「じゃあ甥を解放してもらうぞ!」


 だが、俺の言葉が結びを迎える前に二階から鮮やかにジャンプをして法壇に降り立った者がいた。俺はゆっくりと顔を傾けてその男の顔を見る。


「久しぶりだな。たしかウキキといったか?」と男は言う。

「なんでお前がここにいるんだよ……」と俺は言う。


 その男はかつてハンマーヒルの酒場の地下で幻魂の一戦を交えた、ウヅキという幻獣使いだった。


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