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番外編 ひとりぼっちのショッピングモール sideアリス

 私はソフィエが眠るベッドの端に座って計算ドリルを解いていた。

 いくつもの十字枠の窓を太陽の光(太陽よね、どう見てもあれは)が通り抜け、少しずつ形の違う影をたくさん病室の床に落としている。そこからヒントを得て、私は計算ドリルに完全勝利する。

 今日の分のノルマを終えた計算ドリルをあの人のボディバッグにしまい、私は両手の指を組み合わせて頭の上に伸ばした。「う~ん」という声が自然と漏れた。まるでそれが目覚めの呪文だったかのように、ソフィエの目がそっと開いた。


「どこか痛むところはない? ソフィエ、王都に着いてからすぐに倒れてずっと眠っていたそうよ?」


 まだソフィエの意識は覚醒の内側にあるようだった。私はソフィエの顔の前まで移動して、そのおでこに手をあてる。


「熱はないみたいだから、きっとすごく疲れていたのね。ずっと屍教に囚われていたのだから無理もないわ」、前触れもなくソフィエの白い手が私のおでこまで伸ばされる。おでことおでこの触り合いが始まる。この世界で美女のみが許される儀式みたいなものかしら? 手首の赤いシュシュは燃えるように赤い。


 ソフィエは儚げな口を開く。「……おでこの傷が残ってるじゃない。駄目だよアリス、女の子なんだからちゃんときれいにしてもらわないと。知り合いに導術師さんがいるから、あとで一緒に行こ?」


 私は立てかかっている大きな鏡に目を向けて、そこに映る自分の姿を眺める。はぁ、今日もため息が漏れるほど可愛い。

 私は言う。「医術師の人が診てくれたし、大丈夫よ。それに、あの人が付けたこの一文字の傷はショッピングモールの水を飲んで治したいの。なんて言うのかしら……」


 うまく言葉が出てこない。こんなことは初めてだ。なんて言うのかしら――私とあの人とショッピングモール。その循環の中に誰も入ってきてほしくない。私のおでこにあるあの人の証のようなものは、ショッピングモールの水でなくては治療するべきではない。……駄目ね、やっぱりうまく言い表せないわ。けれど、きっとそんな感じのことを私は胸の奥で考えているのだと思う。


「アリス……ウキキが戻るまでその傷を残すとか言わないよね?」とソフィエは私の目を射抜いて言う。私は一瞬ドキっとする。どうして? 私はそうしようと思っているの?

 私は気を取り直して、腰に両手を強くあてる。「そんなことをしてもなんの意味もないじゃない! 約束するわ、ショッピングモールに戻ったらちゃんと噴水の水を飲むわ!」


 屍教との一連の流れのなかにあるこの傷も、自分に責任があると感じているのだろう。ソフィエは安心したような表情を浮かべて枕に深く頭を沈める。


「このふわふわな枕、アリスがショッピングモールから持ってきてくれたんだよね? 私、本当にすごい久しぶりにちゃんとぐっすり眠れた!」


 軽く頭を持ち上げて、また落とす。ソフィエは何度かそんな風に繰り返し、枕のふわふわ心地を微笑みながら楽しむ。

 やっぱり女の子はみんなふわふわな枕が好きなのだ。領主代理のおばあちゃんだって、森の村のおばあちゃんだって、私のお母さまだって、私が生まれてすぐに亡くなったおばあさまだって――それに妹だってきっと。


「あら、でもソフィエよく知っているわね?」と私は言う。「それに、あの人がいなくなったことも知っていたようだけれど、ずっと眠っていたのにどうして?」


 ぐっすり眠りながらも、この病室での私やアナの会話をおぼろげに聞いていたらしい。「聞くというか、夢の中に反映されたというか」とソフィエは言った。それから続ける。


「ウキキどこにもいなかったの?」

「ええ、時の迷宮があった場所は底の見えない大空洞になっていて、周りにあの人の姿はなかったわ。チルフィーとスプナキンも必死になって探したようだけれど、見つからなかったってとても悲しんでいたわね」


「そっか……」とソフィエは言う。その響きにはあの人が死んでしまったかもしれないという悲観が含まれている。そして、やっぱりその架空の責任に身をさらしているのだろう、ソフィエは自分を責めるように深く目をつむる。


「ソフィエは何も悪くないわ!」と私は言う。「それに、あの人は死んでいないわ! でなければ、あの人の左手が消えたりしないもの!」


 それについては、私は確信に近い考えを持っている。だってそうでしょ? 人は亡くなるときに欠損した自分の身体の一部を、まるで手品のように消し去ったりはしないわ。消えたことには理由がある。たとえば魔法少女サッキュン二期で、現場に残されたサキちゃんのファンタジック・メイスが音もなくみんなの前から瞬間移動のように消えたみたいに。あの人の左手も、きっとファンタジック・メイスのようにどこかにいるあの人を追いかけて合体したんだわ。


「だから元気を出してちょうだい! あの人は絶対に戻ってくる。その時にソフィエが余計な責任を感じていたら、きっとあの人はそれに便乗していやらしいお願いをしてくるわよ!」


 ソフィエは笑う。「じゃあ、気をつけないとだね!」





 ソフィエが眠ると、病室の扉がそっと開いた。アナとボルサが音を立てないように中に入り、静かに扉を閉める。


「ソフィエ、一度起きたけれどまた眠ったわよ! 私が絵本を読んであげていたの!」と私は言う。


 二人とも口元に笑みを浮かばせる。そして揃ってソフィエに視線を移し、やはり同じようにソフィエのベッドの隣に立つ。


「馬車の準備が整いました。宿も引き払いましたし、いつでも王都を起てますよ」、最初にその均衡を破ったのはボルサだった。私は頷いてからお礼を言う。


「星占師ギルドへの報告が済んだら、僕もショッピングモールに向かいます。ウキキが戻ってくるまで滞在をと考えているのですが……もちろんアリスさんが良ければですが」


 もちろん構わない。心配してくれてありがとうと私はボルサに言う。


「まったく、ウキキ殿はアリス殿を置いてどこに行ってしまったのだ」とアナは言う。突然、大きな音を立てて扉が開く。


「オウティスという死霊使いの逃亡の手助けに決まっているだろう」、ずかずかと入ってきたファングネイ副兵団長はそう言って窓際のソファーに腰かける。ソファーが彼の重さ分だけ沈み込み、フラミンゴのように長い脚が空中で円を描いてから組まれる。


「いえ、お言葉ですがそれはないと思います」とボルサは言う。「スプナキン――風の精霊も証言しています。オウティスは朱色の砂嵐というのに呑み込まれ、そしてウキキはスプナキンを助け出してから、自力で脱出すると言ってそこに残ったと」


 副兵団長はふんっと鼻を鳴らす。「上級精霊とは言え、屍教に与していた奴の言葉なんて信用できるものか。まあ、どっちにしろすぐに円卓の夜が始まる。ボブゴブリンの脅威もあって、我々ファングネイ兵団は逃亡者の大捜索に手を回す余裕なんてない。逃げ延びようが、死ビトに喰われようが、ワタシはどちらでもいい」


 長い脚が直角に上がり、副兵団長は起き上がりこぼしのように勢いをつけて立ち上がる。「だが、そこの送り人を無事保護できたのはウキキの力添えがあったことが大きい。安心しろ、召喚士の娘。大捜索の手はないが、小規模な捜索ぐらいならできるだろう。送り人救出作戦の英雄は必ず我々が探し出してやる」


 誰の返事を待つこともなく、副兵団長はまた大袈裟な音を立てて病室の扉から出ていった。結局、何が言いたかったのかしら。ツンデレなの、あの人?


 アナが苦笑いをしながら私の顔を見る。「では、わたしたちも行こうかアリス殿」





 レリアに別れの挨拶をしたかったけれど、パンプキンブレイブ家のお屋敷には誰もいなかった。正確に言うと、門衛のおじさんに誰もいないと言われた。「皆様、外出中でございます」、アナは釈然としない様子でレリアの行き先を尋ねたが、門衛のおじさんは自分のあずかり知るところではないという返事を返した。


「レリアはもうわたしの元に戻ってこないのだろうか」とアナはぽつりと漏らした。何かと何かを頭の中で組み合わせてようやく辿り着いた呟きのように私には思えた。


「どういうこと? お姉さまの結婚式でお屋敷に戻っただけでしょ?」

「それはもうとっくに終わっている。なのにハンマーヒルに戻ってくるつもりがないように思えるのだ。それが自らの意思か、他の者によるものなのかはわからないがな」


 アナはそれ以上、何も話そうとはしなかった。組み合わせた考えを一旦ばらし、また積み上げるといった思考を繰り返しているように見えた。

 パンプキンブレイブ家が経営するジャック・オ・ランタンを訪れても、アナは視線を深く下げていた。私は店の奥まで入り、店主のおじいちゃんにおいしい紅茶とケーキをどうもありがとうとお礼を言って、手の中いっぱいの飴ちゃんを手渡した。彼は口ひげを大きく動かして微笑み、良い声で「ありがとうございます」と私に言った。


「ところで、私の右手の中にもたくさんの飴ちゃんがあるのだけれど」と私は言った。彼はいま聞いたことを精査し、それについて考えているようだった。

 私はそれが纏まる前に攻勢を仕掛ける。「レリアのことで知っていることを話してくれれば、この飴ちゃんは全てあなたのものになるわ」、ようやく合点がいったというような表情を浮かべ、店主のおじいちゃんは口を開いた。


「申し訳ございません。わたくしは店を任されているだけの身分でございます」、また口ひげが静かに上下した。その微笑みは、どこか私のお爺さまの笑顔を思わせるものだった。「しかしながら、レリアお嬢様を心配に思っているのはわたくしとて同じです。……何かわかれば、こっそりアリス様やアナ様の耳にお届けしましょう」


「商談成立ね!」と私は言った。大量の飴ちゃんを両手のお皿いっぱいに広げ、彼はまた優しく微笑んだ。





 ショッピングモールが見えたころには夜の十時をまわっていた。

 いつもと同じように岩地の辺りまで馬車で入り、そこから北メインゲートまで歩いた。本当はソフィエについてあげたかったけれど、ショッピングモールにはわけのわからないHPというものが設定されていて、それをあの人がいない時にゼロにするわけにはいかないのだ。何が起こるか知らないけれど、きっとゼロになったら、あの人は私にいやらしいことで償いをさせようと考えるに決まっている。本当にどうしようもない変態ね。


 私はひとりではなかった。チルフィーとクリスとアナとセリカが一緒にいた。けれど、北メインゲートの前であの人のボディバッグの中から鍵を取り出した時、私はひどい孤独感に苛まれた。言いようのない寂しさと不安が私の心を無色の液体でいっぱいにした。

 私は立ち尽くした。そんなつもりはなかったのだけれど、結果的に私は石のように動くことができなくなってしまった。

 どうしたのだアリス殿? とアナが言った。たぶん、アナが言ったのだと思う。それから誰かが私の肩を揺らし、誰かが何かを言った。みんな私のことを心配しているようだった。クリスだけが唯一、いつもと変わらない顔をして落ち着いていた。そして私のことを隣で見上げていた。


 私はメインゲートのガラスに映る私を見た。隣にあの人はいなかった。私は何かとても大事なものをなくしてしまった私に見えた。何かを損ない、そこで私はひとりぼっちで色彩を失っていた。


 どうしてあの人はいないの?


 メリーゴーランドが静かに動き出した。円の外側で、お父さまとお母さまが手を振っていた。私は両手を振ってそれに応えてから、廻る世界を楽しんだ。私の隣にはあの人がいた。

 一周して元の場所に戻ると、お父さまとお母さまはいなくなっていた。お母さまと一緒に小さな妹も消えてしまった。二週めが始まる。私はずっとあの人の胸の中で泣いている。

 三週めになると、私はひとりになっている。私を抱きしめてくれていたあの人はどこにもいない。

 私はメリーゴーランドを止めるように空に向かって叫ぶ。けれど、言葉にはなっていない。

 それでも口をぱくぱくとさせながら必死にお願いをする。誰も聞き入れてはくれない。メリーゴーランドは歯止めのきかないコマのように廻り続け、いろんな色の光が織りなす繭を闇の中に浮かべる。


 突然、あの人に斬りつけられたおでこの一本線がずきりと痛む。手のひらをあてると、私はそこにあの人の存在を感じ取ることができる。思い出も色鮮やかに蘇る。私はその記憶の中に身を浸し、膝を抱えて座り込む。泣いている。プリティーリトルアリスがひとりぼっちの空間で、カラフルな光の繭を見つめながら泣いている。私はそんなプリティーリトルアリスを空の上から見て泣いている。北メインゲートのガラスの向こう側には何もなかった。

 本当に何もなかった。私はこの広くて真っ暗なショッピングモールでこれから暮らしていかなければならない。あの人のいない時間と空間を生き続けなければならない。その事実は私を底のない暗い闇の中に引きずり込む。そして、私の内に残っていた優しい希望を音もなく剥ぎ取っていく。


「風の極み発動であります!」


 身体が風に包み込まれる。優しくて暖かい風だった。心の中の澱んだ液体が蒸発するようになくなり、私はそっと目を開く。

 チルフィーが踊っていた。私はチルフィーの風に身をあずける。それは心身ともにリラックスさせる効果があるチルフィーの奥義だった。けれど、どちらかと言うと暖かい風よりも、チルフィーの可愛らしい変な踊りのほうがリラクゼーション効果が高いように思えた。私は思わずぷっと笑う。それからお腹をかかえて笑い出す。真面目な顔で一生懸命踊ってくれているけれど、とにかくその真剣さと変な踊りのギャップがおかしくて仕方がない。


 私はひとしきり笑ってからチルフィーに向かって言う。「ありがとうチルフィー! もう大丈夫よ!」


「本当でありますか?」とチルフィーは泣き出しそうな顔で返事をする。そんなチルフィーを見て、私はようやく気がつく。あの人がいなくなってしまった責任を誰よりも感じているのはチルフィーだったのだ。


「本当に大丈夫よ! だってあの人は死んでなんかいないもの、きっとすぐに帰ってくるわ!」


 私は強くならなくてはならない。世界一可愛い園城寺アリスであり続けなくてはならない。「泣いていちゃ駄目よ!」と私は泣きながら言い、チルフィーの涙を指の先で拭いとる。


 そして、私はメインゲートの鍵を開ける。ガチャッという音がする。ゲートを開けて足を踏み入れる前に、私は目を閉じておでこに手をあてる。あの人のことを想う。あの人が優しい顔でふっと笑う。


 私はここで、あの人が帰ってくるのを待ち続ける。いつまでも信じて待ち続ける。たとえどんなに先の未来になるとしても、絶対にあの人は私の元に戻ってくる。私の優しい希望は私とともに先の先の未来を並んで歩き続ける。寄り添って、手を繋いで。


 私は未来の私に約束をする。


「プリティーアリスは諦めないわ! だからプリティービューティフルアリスも諦めては駄目よ!」


 私はここで、あの人が帰ってくるのを待ち続ける。いつまでも信じて待ち続ける。たとえ、何年先の未来になるとしても。


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