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238 呑んだくれの竜 間抜け面な亀 昼行燈な鳥 アイドル性が強い虎は強い決意を秘める

 金獅子のカイルは最初にこう言った。「華香は何度もこの世界とあちらの世界を行き来していマシタ。それは次元圧空の扉をワタシの魔法で拡張したからこそ成せる裏技デシタが、扉が閉じてしまうのを防ぐことは誰にもできマセン。二つの世界を繋ぐ扉は必ず塞がってしまいマス。そしてその時がやってきマシタ。ワタシは特に親しい者に文烏を飛ばし、それから迷うことなく閉まりゆく扉に飛び込みました」


 俺が頷いたのを確認し、カイルは太いパイプに座って足を組んでいる姉貴に視線を移した。「それは言うまでもなく、愛する華香と生涯をともにするためデス。しかし、もう一つワタシには目的がありマシタ」


 姉貴は自分の名前が出たにもかかわらず、免許書の写真のような表情で、脚の先のパンプスを眺めていた。まだ機嫌が治っていないようだった。そんな姉貴を気にしながらも、俺はもう一つの目的を尋ねた。

 すると、カイルは幻獣界で暮らす幻獣の生態調査がもう一つの目的だと答えた。もちろん語尾には『デース』とついていた。


「幻獣界?」、俺は聞いた音をただ繰り返した。それからすぐに、カイルがシュリイルという妹に宛てた手紙に、幻獣界に旅立つという記述があったと聞いたことを思い出した。


「俺たちが生れたこの世界が幻獣界なのか……」

「そうデース。全てではありませんが、幻獣のほとんどはこの星で生れた者たちデース」


 なるほど、と俺は思った。サワヤちゃんに紹介してもらった数万体の木霊が脳裏をよぎった。あんだけの数の木霊が生息しているのだ、ここが幻獣界だと認めないわけにはいかない。


「ちなみに、およそ半分の種類の幻獣はグンマを根城にしてイマース」


 続けてカイルはそう言った。それも認めないわけにはいかなかった。群馬は日本に唯一残る摩訶不思議アドベンチャー的な地なのだ。最近、チュパカブラが目撃されたとも聞く。


「さて――」とカイルは言い、姉貴の隣に腰を下ろした。「これからお話をする白き虎とは、そんな群馬のとある動物園で出会いマシタ」





 この世界に降り立ってから、金獅子のカイルはまず最初に姉貴の両親(俺の両親でもある)に挨拶をしに向かった。姉貴に連れられて電車に乗り、バスに乗り、田んぼ道を歩いた。そして一週間ほどうちで過ごし(両親はすぐに結婚を認めてくれたらしいが、爺ちゃんの許しを得るのにそれだけかかった)、それから一人で群馬に向かった。


 カイルは幻獣の気配を感じ取ることができた。群馬のとある動物園に行ったのは、その気配がひときわ強く、そして並々ならぬ決意を秘めていたからだった。

 そこには、檻の中で大勢の客から視線を注がれる白き虎の姿があった。違う檻のホワイトタイガーよりも身体がだいぶ大きく、見るからに活力に満ち溢れていた。カイルはすぐにこの白き虎の正体を窺い知った。


 西方を守護する四聖獣がこんなところで何をしているのですか?


 カイルはそう白き虎に語りを送って尋ねた。返事はなかった。語りが届いたかどうかも判断できなかった。その日の夜、カイルはこっそり動物園に忍び込み、白き虎が暮らす檻の中に侵入した。冷たいコンクリートに敷かれたペルシャ絨毯の上で横になっている姿がある。眼を伏せているが、眠ってはいないようだった。お腹の辺りに小さな小さな白い赤ちゃん虎が四匹いた。


「おかあさんなのですね?」とカイルは尋ね、白き虎の隣に立った。そしてちょうど耳と耳のあいだに手を置いた。そこにある温もりは、幼き日の母の背中をカイルに思い出させた。


「我が名は白虎――」と白き虎は言った。

「知っています。あなたを打ち倒して主従関係を結ぶために来たのではありません、前口上は抜きにしましょう」とカイルは言った。


 ふと足元を見ると、四匹の赤ちゃん虎が前足を伸ばして猫パンチをすねに放っていたり、噛みついたりしていた。お母さんを奪うなと訴えているようだった。カイルはその場でしゃがみ、四匹を抱えて胸の中に引き入れた。猫パンチが口に二つ、頬に二つ迫ってきた。

「どうしてホワイトタイガーの真似事をしているのですか?」とカイルは訊いた。白き虎は濃密な沈黙のあとにこう言った。


「この世界で、ホワイトタイガーがどのようにして産み出されているのか知っている?」


 知らないと首を振った。白き虎の青い瞳が、カイルの青い目を覗き込んだ。


「幾重にも重なる螺旋の中で、ホワイトタイガーは子を作り、子を産み、そしてその新しい命はまた螺旋の中に放り込まれるの」


 カイルは黙って頷いた。「白い虎を作り出すための無理な交配が続いているのですね?」

 白き虎は何も言わず、それに頷きもせずに、長いまばたきをして肯定の意を示した。


「血を分けた兄や妹と。あるいは姉や弟と。そして、子が両親と。それが何代も続き、生まれつき身体が弱い者や障害を持つ者が産まれる。その数は決して少なくない。私はそのとても濃い色をした螺旋を正常なものに戻すために、ここでこうしているの」


 強い視線を感じた。しかし、全くと言っていいほど敵意のない視線だった。カイルはぐるっと周りを見渡した。数々の檻の中にいる動物たちが、申し合わせたようにカイルと白き虎を見つめていた。「あなたは、ここで歓迎されているのですね」とカイルは言った。


 四匹の赤ちゃん虎を母の胸に戻すと、まるで磁石のS極とN極のように、四匹は白き虎のお乳に引き寄せられていった。その光景もカイルの記憶を揺さぶることになった。母の金色の長い髪が、彼の視野でゆらゆらと風に吹かれた。(母の金色の髪? カイルの母はカイルと同じ金髪なのか? と話を聞いて思ったが、俺は質問をすることを今は控えた)。


「一つお尋ねしてもいいですか?」とカイルは言った。「無理な交配を、四聖獣の力で阻止しようとは考えなかったのですか?」

「それは殺戮によってということ?」、カイルは黙ってまばたきをする。


「考えなかったわね。ホワイトタイガーは種ではない、ただベンガルトラの白変種というだけ。それを人間の都合で増やし続けている。……だけれど、その責任は私にもあると思っているの。人はあるいは、古代に何度も人の前に姿を現した私のことをDNAのどこかで覚えていて、その雄姿をホワイトタイガーに重ねているんじゃないかなって」


 白き虎は片目をつむった。ウィンクだと気がつくのに、カイルは少しだけ時間がかかった。


「ほら、私ってそういうアイドル性みたいなものが強いじゃない? 呑んだくれの竜や、間抜け面な亀や、昼行燈な鳥とは違って」


 そう言って、白き虎はくすくすと笑った。カイルも微笑んだ。四匹の赤ちゃん虎は、まん丸な目でそんな親密的な二人の笑顔を不思議そうに見つめていた。


「たしかに、ネコ科というだけで私の目には優れたアイドルに映ります。私の住んでいた世界では、ネコ科はとうの昔に滅びた神のような存在なので」


(あの異世界にネコ科はいない? そう言われてみれば一度も見たことがなかった気がする。あとでカイルに訊いてみよう)。


「そういうわけだから――」と白き虎は言った。「私は四聖獣の白虎ではなく、これからは一匹のホワイトタイガーとして生きていかなければならないの。たぶん、そうして一生を終えることになると思う。『白』を慈しむ人間から白いDNAを護るためにね」


 少し考えるようにしてカイルは空を見上げた。それから言った。「白を良しとするのはどの世界でも同じなのですね」、風がどこからか匿名性を帯びた獣のにおいを運び入れ、そして彼の金色の長い髪を探りを入れるように少しだけ揺らした。


「では、私は帰ります。また会いに来てもいいですか?」

「もちろん。けれど、少しだけ待ってくれる? ……おい昼行燈、そこにいるんでしょ。懐かしい顔に会ってもぼんやりとしているの? なにか私に言うことは?」


 刺すような鋭い視線がカイルの胸の辺りに放たれた。カイルはそこに手をあてて、高まる熱を感じ取って代弁をした。


「勝手にしろ、だそうです。私もそう思います。あなたがホワイトタイガーのために生きようと決意したのであれば、誰の許可も必要ありません」

「やれやれ、優しい言葉の一つもかけられないとは」


 呆れるようにして白き虎は前足の上に頭を乗せ、深く目を閉じた。カイルはもう一度その頭に手で触れて、白き虎と四匹の白い赤ちゃん虎が暮らす檻を後にした。



 長い話を終えて、カイルは塊のような息をふうっと吐いた。その音が俺をスーパームーンの下の立体駐車場の屋上に引き戻した。


「……なんか、あんたの話を聞いてて、まるでその世界に第三者として入り込んでたような気がする」と俺は言って、凝り固まった身体を軽くひねってほぐした。それは園城寺譲二の話を聞いている時にもあった感覚だった。


「それは鳥瞰デスネ。身体に棲む八咫烏が、集中して話を聞く義弟に鳥瞰の映像を視せていたのデショウ」

「えっ……そんなことが可能なのか? 使役してもいないのに? それにイチムネに『云う』ことを封印されてるのに?」

「義弟はどうやら頭が固いようデスネ。可能か可能ではないか、その壁は意外と低いものデスヨ?」


 俺はカイルがいったことについて腕を組んで考えた。いかにも才能を持って生まれた人間が言いそうな言葉だなという結論に辿り着いた。


「で……どうして白虎の話を俺にしたんだ?」と俺は訊いた。

「義弟は幻獣との親和性にとても優れているようデス。だからこそ、幻獣にもそれぞれ意思があり意志があるということを知ってもらいたかったのデス」とカイルは言った。そして軽やかな足を運んで俺の前に立った。「それを心から理解すれば、義弟は幻獣使いとして三本の指に入ることになりマス」


 手が差し出された。俺は無意識のうちにそれを握る。


「そして、これを無事受け取れれば、指はピースの形をとることになるデショウ」

「えっ……それって、あんたに次いで二番目に強くなるってことか!?」

「幻魂の儀というのを知っていマスカ?」

「えっ」


 金獅子のカイルは渾身的に俺の手を握り返した。「ワタシのとっておきを義弟に差し上げマス。受け取る意思を強く持ってくだサイ」


「えっ……?」


 金獅子のカイルの幻獣を使役する声が、ショッピングモールの立体駐車場の屋上に響き渡る。


「朱雀! カモーン!」


 そして、俺は深い混沌のなかに身を沈める。


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