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233 まわってまわってまわってワン

 本堂にお参りをしてから、俺たちはアリスの両親のお墓に向かった。園城寺譲二は歩いている最中も色々な話を聞かせてくれたが、墓地内に入るとすっと空気に溶け込むように黙り込んだ。

 そろそろ日が暮れる時間だった。俺は園城寺譲二やタヌキやキツネの指示に従ってお墓の掃除をさせてもらい、終わってから柄杓で打ち水をした。そして園城寺譲二の後に続いてアリスが作った押し花のファイルを供え、墓前で手を合わせた。アリスの近況を報告させてもらい、ファイルの中の押し花についてアリスの代わりに説明を加えた。黄色いパンジーの押し花は、異世界のショッピングモールの北メインゲートの外で咲いていたものです。といった風に。アリスが一生懸命作った押し花なので、天国のご両親も喜んでくれることだろう。


 お墓参りが終わり、俺たちは寺院墓地を後にした。俺は駐車場まで歩きながら、園城寺譲二から聞いた話を復習するみたいに思い出した。


 園城寺譲二の妻でありアリスの祖母である園城寺シノは――アリシア・イザベイルは――産まれたアリスを抱いた瞬間に記憶が蘇り、それから自分が『時を駆けし者』の使命を全うできなかったことを悔やんだ。蘇った記憶の全てを聞いた園城寺譲二も、彼女をこの世界に連れてきてしまったことを後悔しないわけにはいかなかった。


 それから一年後、彼女は異世界のことを案じながら病で亡くなった。


『背負った使命を遂げることはできなかったけれど、それでも許されるのなら、私はジョージにこう言いたい』と、やせ細った園城寺シノは自宅のベッドの上で言った。


 私は幸せでした。来世もあなたと一緒になれますように。


 彼女は最期に異世界語でこう告げたと、園城寺譲二は俺に教えてくれた。太陽のような笑顔でこの世を去ったということも。死ぬ瞬間までそんな笑顔を浮かべることができるのが園城寺シノなのだ。俺はアリスの太陽のような笑顔を思い浮かべながら、そう思った。


 アリシア・イザベイルが背負っていた使命――それは俺をアパートまで送る途中に、車内でまた話すと彼は言った。勿体つけるわけではなく、きちんと筋道を立てて話す必要があるので、歩きながらでは難しいようだった。

 しかし、俺はふと彼が口にした言葉を聞き逃さなかった。彼はアリシア・イザベイルの双子の姉であるアメリア・イザベイルを、『竜を宿せし者』という異名で一度だけ呼んだ。

 竜を宿せし者と、時を駆けし者。それが二百年前にグスターヴ皇国の皇室に生れたイザベイル姉妹の異名ということらしかった。

 そして現在の滅んだグスターヴ皇国にも、もう一組双子がいる。いや、いるはずだった。過去形の理由は弟が亡くなってしまったからだ。兄は集落で元気に育っているとラウドゥルは言っていた。イザベイル姉妹と合わせて考えるとするなら、『時を駆けし者』の弟が亡くなり、『竜を宿せし者』の兄が生きているということだ。


 だんだん頭が痛くなってきた。パズルのように散りばめられた情報を元に推察を重ねようとするには、俺の頭は疲弊しすぎていた。帰りの車で園城寺譲二の話をしっかりと聞くためにも、脳のエネルギーを取っておいたほうがいいかもしれない。


「あっ……!」


 脳のエネルギーを気にした瞬間、俺は園城寺家でアリシア・イザベイルの大きな写真を見た時の既視感の原因に思いあたった。どうりで写真の空色の髪のきれいな女性を既に見ていた気がしたはずだ。俺はアリシア・イザベイルの全身を描いた絵画を目にしていたのだ。たしか、ゴブリン討伐のファングネイ兵団長のテントの中で。

 園城寺譲二とアリシア・イザベイルは兵団長と知り合いだったのだろうか? 彼女の絵画をテントの中に飾るぐらいなので、相当な関係だったと思われる。少なからずミーハー的な興味もあるので、それも帰りの車中で訊くことにしよう。


「あっ……!」


 訊くか訊かないかで迷っていた事柄があったことも思い出した。しかし、これはかなり訊きにくいなと俺は思った。少なくとも寺院で訊くことではないかもしれない。


「どうしたかね? 何か気になることでもあるのかい?」と園城寺譲二は言った。二回続けて短い声を上げてしまったので、それが気になっているようだった。


「あの……。すごく聞きづらいのですが……」と俺は言った。それから思い切って尋ねることにした。「アリスは、お母さんのお腹のなかに妹の命が宿っていたと言ってました。その子の魂もアリスのお母さんと……アリアさんと一緒にあのお墓の中で眠っているんですか?」


 園城寺譲二はぴたりと立ち止まった。護衛するように少し先を歩くタヌキも、少し後ろを歩くキツネも、示し合わせたように動きを止めた。園城寺譲二の隣を護衛チーフ面で歩くジェームズも、同じように止まって、辺りを注意深く見回した。


「アリスはそのことを三井君に話したのだね」と園城寺譲二は言った。俺を見る目が少し変わったように思えた。「よほど信頼しているんだね。……アリスはああ見えて意外と警戒心が強く、少し臆病なところもある。けれど、きみのことは本当に家族のように思っているらしい。でないと、アリスは妹の話をしたりはしない。私でもあの火事のあと、そのことをアリスに思い出させないように話を避けていたぐらいだからね」


 彼は再びゆっくりと歩き出した。護衛チームもその陣形を崩さずに動き出す。


「アリアの次女になるはずだった子はいなくなっていたよ」と園城寺譲二は言った。


「いなくなっていた……? どういう意味ですか?」

「たしかにアリアは女の子を妊娠していた。けれど、あの火事のあとはアリアのお腹の中からその子は消えていた。信じられないかもしれないが、それが事実なんだ」


 俺は黙っていた。何を言えばいいのかわからなかった。彼はそんな俺の横顔を見て、また話を続けた。


「私はね、三井君。時を駆けし者――アリシア・イザベイルの娘であるアリアが、なんらかの不思議な力で燃えゆく自分のお腹の中から胎児をどこか安全な場所に転移させたんじゃないかと思っているんだ」

「安全な場所に転移……ですか」

「どこかはわからない。あるいは私がそう信じたいだけかもしれない。けれど、いくつかの事実を自分のなかで納得がいくように一つの形に結び合わせるには、どうしてもそんな不思議な現象を一本の糸として手繰り寄せなくてはならないんだ。天文学的現象を説明するために考え出された、ダークマターのようにね」


 ダークマター。俺は宇宙を想像した。太陽がアリスの顔に変わり、その周りを俺がぐるぐると回っている図が自然と頭の中に浮かび上がった。「あなたは機嫌を窺うように私の周りを回っているのがお似合いだわ!」と太陽アリスは言った。まずい、頭痛が酷くなってきた。


 俺はやっとの思いで口を開いた。「そのことをアリスは知らないんですか?」


「もう少し大きくなってから話そうとしていた。シノがアリシア・イザベイルという異世界の人物だということも一緒にね。……しかし、その機会は奪われてしまった。少なくとも、私がすぐに伝えることはできないだろう」


 園城寺譲二は空を見上げた。二羽の鳥が夜が訪れる前にひな鳥が待つ巣に帰ろうと、一直線に空を横切って行った。二羽が建物の陰に消えて見えなくなると、彼はまた話を続けた。「三井君、どうして私がショッピングモールから消えたアリスの捜索を警察にさせなかったかわかるかね?」


「ど、どうしてでしょう?」

「ショッピングモールからアリスが消えて、私は必死にあの子の姿を探し求めた。けれど、頭の中ではわかっていた。もうアリスはこの世界にはいないのだと。私はあるいは予感をしていたのかもしれない。アリスはいつかあの異世界にいざなわれる時がくるとね。

 それからすぐに、総力を上げて異世界への扉の捜索にあたったよ。『次元圧空の扉』というものを聞いたことは?」

「いえ、初耳です。……その扉であなたとシノさんはこの世界に戻って来たんですか?」


 彼は頷いた。


「あちらからこちらに。そして、こちらからあちらに。それぞれ一方通行だが、それは稀に姿を現す。しかし、いつどこに現れるかは誰にもわからない。明日、富士の山頂にということもあるし、十年後にマチュ・ピチュの月の神殿にということもある。だが発見できる可能性はゼロではない。だから――きみが戻ったらアリスに伝えてほしい、園城寺譲二は必ずアリスを助けにやってくる……とね」


 今度は俺が立ち止まる番だった。なぜだろう? 彼の決意を受けて、俺の目から涙が流れ落ちた。もう泣かないと決めたけど、泣いてもいいかな? と太陽アリスに尋ねてみる。


「許すわ!」、あいつは偉そうに腰に手をあてながら言った。


 園城寺譲二は振り返り、歩みを止めた俺の顔を注視した。俺も視線を逸らさずに彼の目を見る。


「わかりました! それまでは絶対に俺があいつを護ってみせます!」と、俺は新たな決意を宣言する。

「ああ、よろしくお願いするよ三井優希君」と彼は言う。首元のブタの刺繍入りストールが、風を受けてはためく。


「……ブタのおパンツ様だったり、ブタのストールだったり、やっぱり孫と祖父なんですね!」、アリスの祖父がこの人だということがすごく嬉しい。大好きなアリスが大好きなおじいちゃんだから、俺も彼を大好きになれたことがものすごく嬉しい。


 俺は袖で涙を拭って続ける。「アリスのブタ好きはもしかしておじいちゃん譲りですか? あいつの太陽のような笑顔はおばあちゃん譲りみたいですし!」


「ブタのおパンツ様……?」と彼は言う。空気が突然重たいものになる。激しいプレッシャーが俺の全身にまとわりつき、園城寺譲二の表情がみるみるうちに変わっていく。不動明王みたいな顔になっている。なにこの人、すごく怖い。


「きみはアリスの下着のことを言っているのかね?」、彼が近づく。俺は後退したいのに動くことができない。

「それをきみは見たということかね?」と園城寺譲二は言う。気円斬的なものが彼の手のひらの上でびゅんびゅんと音を鳴らしている。


「違います! あのっ……洗濯の時にちらっと目にしただけです!」

「本当かね? 私は龍の慧眼で人の嘘を見分けることができるんだ。それを発動してもいいのかね? 白状するのなら今のうちだよ?」

「ごめんなさい嘘です! えっと……あいつスカートが短いからたまたま見えてしまったんです! 本当ですわざとじゃありません! やめてっ、目を赤くしないで!」

「もう一度だけチャンスをあげよう。真実を口にしているのかね?」


 俺は人生で最高の土下座を披露する。「全部嘘です! 本当はっ……えっとその……そうです、俺のこの左手に封印しているジャヴァウォックが勝手にあのバカのスカートを捲ったんです! ああっ僕はこの左手が憎いっ……!」


「あのバカ? きみは私の世界一可愛い孫の下着を無理やり覗いた挙句、バカ呼ばわりまでするのかね?」 


 駄目だ。口を開けば開くほど状況が悪化してしまう気がする。このままでは、俺はこの不動明王みたいな爺さんにボコボコにされてしまう。なんとか誤解を解く方法はないものだろうか?


――やはりただのロリコン変態野郎だったか臭い人間。


 黙れ犬。と俺はジェームズに語りを送り返す。

 その時、俺のポケットのあたりが強い光を放ち出す。姉貴から借りた携帯電話を入れているポケットだ。


「っ……!」


 光はどこか光の貯蔵庫のような場所から溢れ出るように氾濫し、俺を中心にして波紋のように広がっていく。目を開けていることすら難しい。俺は薄目であたりの状況を窺う。

 ジェームズはいつの間にか濃い色のサングラスをかけている。そして園城寺譲二は光を遮るように手のひらを顔の前に持っていって、その隙間からこちらを心配そうに覗き込んでいる。彼は何かを伝えようと口を大きく動かしている。俺は真っ白の世界でその動きを必死に読み解く。


『アリスを頼んだぞ三井優希君!』


 まるで俺の身に何が起こるか承知しているかのように、彼は最後のメッセージを俺の胸に滑り込ませる。

 光が世界の全てを呑み込む。最後に見た園城寺譲二の表情は、まるで菩薩のような優しいおじいちゃんの顔だった。



 光が収束していく。ビデオの巻き戻し空間の中に入り込んでしまったかのように、光が少しずつ俺のポケットの中に還っていく。

 気がつけば、俺は土下座の恰好のままフローリングの床の上にいた。見覚えがあるていどには俺はここを知っている。


「俺のアパート……。帰ってきたのか……?」


 ブラウン管テレビがある。畳まれたベッドがある。おびただしい数の積んだまま放置してある段ボールがある。そして、テーブルの上に置手紙のようなものがある。

 俺は膝で数歩移動し、その手紙に手を伸ばす。姉貴の字だ。


『転移魔法は楽しかったかしら? カイルが携帯電話に仕込んでおいたの、あんたが時間に遅れないようにね。この手紙を読んだら、三回まわってワンと言ってから地図の場所まで来なさい。私たちは先に行って準備をしておくわ』


「転移魔法……。そういうことかよ……くそ、園城寺譲二の話の続きを聞き損ねたじゃねえか……」


 しかし、夕刻までには戻れと言われていたのにあの寺院からではそれは不可能だったので、助かったかもしれない。俺は首筋のひし形の刻印に触れる。この領主が複製してくれたものが消えてしまったら、俺はアリスのいる異世界に還れなくなってしまう。


 ここは素直に金獅子のカイルと姉貴に感謝をしておくことにする。「ありがとう」と俺は呟く。

 そしてその場で三回まわってワンと言い、手紙に書き込まれている地図の場所を確認する。


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