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209 俺は何も言わずに敵の出方を窺う

「お母さんは無事なの!?」


 三人の男を見上げながら、ガルヴィンが悲痛な表情を浮かべる。

 ミドルノーム兵団長はゆっくりと後ろの白いカーテンに目を向ける。そしてすぐに前を向いて、ガルヴィンに哀れな子犬を見るような目で静かに言う。「無事です。いつもと変わりありませんよ」


 刻印術師が引き継ぐように、ガルヴィンの問いに答える。「ガルヴィンちゃんの母君は屍教の象徴、殺しはしません……。いつまでも……」


 俺は二人の言葉に何か含みがあるのを感じ取る。それは俺の喉の奥に違和感のしこりのような物を生み出し、息を吸うたびに取り返しのつかない場所へと吸い込まれていく。吐き出すことができない。


「屍教はもうおしまいだ。観念しろミドルノーム兵団長」とファングネイ王国副兵団長が言う。腕に巻かれた噴水の水の包帯は、先端が可愛いらしくリボン結びになっている。「ゴブリン討伐の地でのボブゴブリンの襲撃。あれも貴様らが企てた送り人拉致の一環だったのだろう? ワタシがどれだけの部下を失ったかわかっているのか!」


「それは申し開きのしようもない。死んだ者たちには哀悼の意を尽くそう。しかし、世界は七福の理による導きが必要なのだ。変革が必要なのだ。それはいつの時代でも、常に犠牲という人柱を伴うことになる」


 俺は言う。「屍教を乗っ取って私腹を肥やそうとしてるだけじゃないんですか?」


「……ウキキ君、浅はかな考えが過ぎるな。きみは異なる世界の人間だと聞いた、この世界の行く末について口を挟まないでもらいたい」

「挟まないわけにはいきません。確かにここは俺とアリスにとって異世界だけど、多くの仲間や知人が暮らす世界でもあるんです」


 俺はここにいる全員を少しずつ順番に見ていく。

 気を失って横たわるソフィエさんがいる。腹部の噴水の水の包帯に血を滲ますアナがいる。僅かに身体を震わせるガルヴィンがいる。ミドルノーム兵団長を全世界の敵と認識しているように睨むファングネイ王国副兵団長がいる。大盾を構えて、いつでも先陣を切る覚悟の大盾の兵士がいる。

 そして、俺と同じ世界から転移してきたアリスとボルサがいる。扉の奥には、クリスとセリカもいる。


「屍教が何をしようとしているのか俺にはわかりません。だけど、その為にまだソフィエさんを利用しようというのであれば、俺は何をしてでもそれを阻止します。そして全員でここから脱出します」


 左腕が疼いた。刻印術によるものでなく、体内の幻獣が俺の想いに呼応しているように感じられた。そしてそれは右腕に伝わり、やがて体全体を覆っていった。


「ソフィエは返してもらうわ!」とアリスは言った。アナもボルサの肩を借りて立ち上がり、ヴァングレイト鋼の剣――オウス・キーパーを鞘から抜いた。

「ふう……」と刻印術師は息を吐いた。そして漆黒のローブの裾を手で払い、次の瞬間には下に降りて視線を平行的にこちらに向けていた。


「奇しくもあなた方は神聖なる儀式に足を踏み入れてしまった……。それならば七福の理について理解するべきでしょう……」と刻印術師は近づきながら言った。だが、それは俺の見間違いだった。少しも動いていないようだった。刻印術師と俺とを繋ぐ空間が、あやふやなものに変化していく。遠近感がめちゃくちゃになり、瞬きをするたびに距離が変わっていくように見えた。


 先に口を開いたのはボルサだった。「ソフィエさんの、重力を操るという類い稀な能力。それを使って月の軌道に手を加えることが七福の理なのでは?」


 俺はボルサの横顔を見た。星占師ギルドで彼が言っていた推測が、今では確信に変わろうとしているようだった。

 横顔が上を向き、視線は天窓に投げかけられた。俺やアナや副兵団長は示し合わせたように同じ場所を見上げた。なかでもアリスは頭を大きく振って、歌舞伎役者のような振る舞いで天窓を視界内に入れた。

 その先には紅く輝く四の月があった。


「四の月の軌道をずらし、半年間で終わるはずの円卓の夜を恒久的なものにする。……そういうことではないのですか?」


「ほう……」と刻印術師は息を吐くついでのように言った。「素晴らしい……。まるで龍の慧眼のようです……。それとも、どこかで情報が漏れていましたか? ガルヴィンちゃんもオウティスも詳しくは知らないはずですが……」


「慧眼でも、聞いたわけでもありません。ただの推測です。ソフィエさんがさらわれた理由、そして屍教の教え。それらを考え、推測の上に推論を重ねていっただけに過ぎません。しかし、暴論と言ってもいい。そんなことが可能とは到底思えません」

「しかし、それは既に行われた事実です……。半分の工程ほどですが……」


 刻印術師はそう言い、隣に立つ眼光の鋭い男から樫の木で作られたような長い杖を受け取った。いつの間にかミドルノーム兵団長も立ち並んでいることに俺は気づいた。二人ともバルコニーのような場所にいたはずなのに。あやふやな空間では、高低差など取るに足らないということだろうか。


 俺は言う。「その杖、帝国の技術で作られた物か……」

 アリスが引き継ぐ。「時の迷宮で似たような物を見たわよ! その先端に月の欠片を入れて、マナを増幅させるのよね!」


 推測のピラミッドの頂上に出来上がった暴論。それを注意深く見定めながら、ボルサは口を開く。


「ソフィエさんは刻印術で操られ、あの杖でマナを増幅して四の月の軌道を少しだけずらした――」、まるで推し量るようにボルサは間を作り出す。そして続ける。「それによって、終わらない円卓の夜が始まる。地上に死ビトが溢れ、また新しい死ビトが産み出されていく。それが屍教が執り行おうとしていることですか」


「その通りです……。そして、それに伴うありとあらゆる死こそが七福。焼死、窒息死、出血死、溺死……まあそれらです。そうして四の月に導かれ、死ビトとなって地上に甦ることこそが人の幸せ……。それこそが不幸せなこの世界の人々にとって必要な変革なのです! この世界は死ビトの世界となって、永遠に銀河の記憶に刻まれるのです!」


 漆黒のフードに隠された顔を、俺は一瞬だが捉えた。どこからか吹いた風が、そうしろと言っているかのようにフードを捲った。どうってことのない至って普通の顔だった。しかし、目だけは異常なほどに見開いていた。


「……ミドルノーム兵団長、あなたも同じことを本当に望んでいるんですか?」

「悪いなウキキ君、本当に心からそう望んでいるのだ。それは今は理解できなくとも、いずれ全世界の人々が望むことになる理なのだ」


 ミドルノーム兵団長は穏やかな目で、横たわるソフィエさんとガルヴィンの顔を交互に見た。


「もう一度、次は暁ノ刻に四の月の軌道をずらせば全ては完遂する。四の月は永久に三の月の内側を回り続けることになる。……暁の長城でそれが行われることの妙な偶然について、ウキキ君はどう思うかね?」


 俺は何も言わずに敵の出方を窺う。


「どうとも思わないか。まあ、それもいいだろう。きみたちは大人しくさえしていれば、特等席で七福の理を見物させてあげよう。こんなものは誰もが見れるわけではない、なんせぐるぐると回る衛星が辿る道を変えてしまうのだ。ウキキ君がいた世界でも、そうそう滅多に起きることではないだろう。……だが、ガルヴィン。お前には死んでもらわなければならない……」


 眼光の鋭い男が一歩前に出る。まるで硬い棒で繋がれているように、それに対してガルヴィンが一歩下がる。

 ミドルノーム兵団長は言う。「世界に変革が訪れた後にもそれなりの秩序は必要だ。死ビトとなった人々を正しく導く指導者が必要なのだ。屍教がその役割を担う他ない。そして、それにお前は邪魔なのだ。最高司祭の娘という肩書はどうしても邪魔になるのだ。……しかし安心しろ、お前の母は最高司祭としたまま、我々とともにあり続けるだろう」


 俺は兵団長が言っていることについて考えた。たぶん、アリスもアナもボルサも考えていた。副兵団長と大盾の兵士もそうしているように見えた。そして、全員の答えはきっと『ふざけるな』だった。


――おい、うぬ。そろそろ扉が破られるぞ。


 ふいに、クリスが俺の頭に語り掛けた。セリカは硬く閉ざされた扉から必死に出ようとしているようだった。それは存在すら知らない妹――ガルヴィンの為だった。あるいは魅惑溢れる太ももで世界に正しい秩序をもたらそうとする為だった。


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