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207 俺はすべてを把握する

 亜人の死ビトは得物を求める獣のように彷徨い歩き、目についた屍教徒を次々と例えようのない形に変えていく。そして枯渇したマナを補うように、その無残な姿となった屍教徒の一部分を咀嚼し、それからすぐに興味を失って、再び生ある者に襲い掛かる。

 その姿は、絶え間なく運ばれてくるテーブルの上のご馳走に目を光らせる美食家を思わせる。彼らは決してすべてを食さない。猜疑的な目つきで少しだけ口に運び、一山いくらの感想を漏らして、そして次の料理に鈍く光る目を向ける。そんなところがよく似ている。


 美食家は二体いる。ミノタウロスとボブゴブリン。トロールの死ビトはアナに首を刎ねられ、既に黒いもやもやに包まれている。じきに消え去り、四の月へと還っていくことが予想される。月の欠片を残すかどうかはわからない。


 『亜人の死ビトは珍しい』と誰かが言った。いつかに聞いた言葉だったが、誰が言ったかは思い出せなかった。


 俺は目の前を横切っていく死ビトの首を鎌鼬を使役して斬り落とし、少し離れた場所でご馳走をつまみ食いしているミノタウロスの死ビトを見据える。そして先制攻撃を仕掛ける。


「出でよ雷獣!」


ビリビリビリッ!


 死ビトには雷獣の紫電はあまり効果がない。しかし、そのただれた眼を赤く染めるだけの働きを雷獣はしてくれた。

 口の中でどんどん唾が硬くなっていく。俺はそれを一気に飲み込み、向けられた殺意を真っ正面から受け止める。

 それを皮切りに、ミノタウロス死ビトの重心が深く沈む。そして巨大な斧を肩で担ぎ上げ、威嚇するように荒い鼻息を撒き散らし、それからバルセロナの闘牛のようにゆっくりと何度も足を地面に擦り合わせる。


「っ……!」


 地面を蹴ったのを確認した次の瞬間、もう目の前まで3メートルほどの体躯が迫っている。

 俺は我慢強く攻撃の予兆が視えるのを待つ。しかし、それは明後日の方向にレールを切り替えられて駅から離れていく列車のように、いつまでたっても俺の前に姿を現さない。俺は駅のホームで立ち尽くす。


「くっ……!」


 月の迷宮で打ち倒したミノタウロスが頭をよぎった。あのミノタウロスも似たような斧を携えていた。

 あの時の経験も、今の俺を形作るマテリアルのようなものの一つになっている。俺はそう考え、頭をカチャっと切り替える。


 俺は青い軌道が伸びてこない怪物のような斧から目を離し、それ以外のすべてを見極めることに意識を集中する。


 斧の一撃はないっ……! 見えざるものを視ろ……!


 鋼のような肉体に隆々とした筋肉がバランス良く配合されている。死ビト全般に言えることだが、その体躯は微かに白みがかっており、殺意を示す赤い光を別にすれば瞳も白く濁っている。

 左腕の筋肉がぴくりと僅かに動く。それからすぐに突き出し、俺の頭部を掴もうと足を止めずに五本の指を限界まで広げる――しかし、もうそこに俺はいない。

 俺は寸前で身体を傾け、そのまま軸足でコンパスのように回転し、ミノタウロスの死ビトの背後に回り込んで後頭部を見上げる。


「出でよMAX鎌鼬!」


ザシュザシュッッ!!


 『ほう、経験が生きたな』と誰かが言った。いつかどこかで聞いた言葉だったが、やはりそれを思い出すこともできなかった。



 


 ミノタウロスの死ビトの首を刎ね飛ばすと、俺の目は自然と次のターゲットを探し求めた。しかしボブゴブリンの死ビトの姿は見当たらなかった。

 後方の離れた場所では、大盾の兵士が死ビトの接近を大盾でさまたげ、ボルサが十字槍で止めを刺していた。二人とも倒れ込むソフィエさんやアナや兵団長、そしてその三人に噴水の水の包帯を手早く巻くアリスを守ろうと懸命に戦っていた。しかし、それでもじわりじわりと忍び寄る死ビトに取り囲まれそうになっている。


 とりあえず彼らの元に戻って死ビトを始末しようかと考えていると、大盾の兵士とふと視線が交わる。半壊した大盾の向こう側で、にっと口角が上がった。

 声が届く距離ではないが、「了解です!」と俺は言った。向こうは彼らを信じて、俺はボブゴブリンの死ビトを倒すことだけに傾注した。

 霧の晴れた草原のように、だんだんと視野が広がっていった。バスケットボールの試合でも、稀にこんな感覚になることがあった。

 その時、俺はコートにいる全員の位置が手に取るように把握できた。ぽっかりと空いている空間にパスを入れると、そこに味方の選手が走り込んできて、悠々と得点を重ねていくことができた。


 ボブゴブリンの死ビトは空中高くにいた。そこから、まるでダンクシュートを叩き込むかのように、屍教徒を俺に向かって投げ飛ばしてきた。

 一瞬、この屍教徒を助けられるかもしれないと考えた。しかし、彼には――あるいは彼女には――頭部がなかった。


「くそっ……!」


 俺は人形のように無機質な屍教徒を躱し、宙に向けて狐火を使役した。MAX使役といきたいところだったが、それは体力が心配なので止めておいた。


ボオオォォォ!


 しかし、ボブゴブリンの死ビトは空中で身を反らして狐火の炎を躱した。ハイゴブリンのリーダーもそうだったが、ゴブリンはどうやらかなり俊敏な種族のようだ。それに加えて、死ビトになってタフさも増している。ゴブリン討伐の地で戦った生きているボブゴブリンよりも強敵なのは明らかだった。

 更に、狡猾でもあった。うずくまっている屍教徒の頭を掴み、メジャーリーグの投手のように、俺に二投目を投げ放った。


「っ……!」


 一投目で、俺に迷いが生じたことを見抜いていたようだった。助けられるかもしれない。敵であっても、生きているのならば助けてやりたい。そんな俺の心理を見透かし、あえて生きている屍教徒を選択したのだ。


 そんな俺の中途半端な正義感は仇となり、屍教徒を上手く受け止めることも出来ずに共倒れとなった。

 俺は覆いかぶさる屍教徒を跳ね除け、急いで立ち上がって次の攻撃に備えた。

 だが、ボブゴブリンの死ビトはその対象をアリスたちに移したようだった。投げ込まれた屍教徒は足を引きずり、どこかに去っていった。


「アリス!」と俺は精一杯に声を張り上げた。ボブゴブリンは大きくジャンプをして、空中からアリスたちに襲い掛かろうとしていた。


「出でよ雷獣!」


ビリビリビリッ!


 俺は雷獣での追撃を試みた。しかし、それを嘲笑うかのように、ボブゴブリンの死ビトは宙でひらりと躱して、濁った白い瞳をアリスたちに向けた――刹那、黒い炎が舞い上がった。


「なっ……!?」


 黒炎は一瞬にしてボブゴブリンの死ビトを飲み込んだ。そして焼き尽くし、狡猾な顔つきを残したまま消し炭へと変えた。

 消し炭は自由落下によって地面に叩きつけられた。そして高いビルから落ちた厚いガラス窓のように、粉々に砕け散った。


「ガ……ガルヴィン……?」


 視線の先のガルヴィンは下を向き、大広間の入り口付近で右腕に残る黒炎を左手で抑え込んでいた。くすぶった煙が天井まで立ち昇り、静かに鎮魂歌を歌うように広がっていった。


「お母さんは殺させない……!」とガルヴィンは顔を上げて言った。誰を見ているわけでもなかった。少女は何も見ていなかった。


 やれやれ、自ら戻ってきてくれるとは、本当に愚かで可愛いガルヴィンちゃんですねぇ……。


 屍教の刻印術師の声が俺の耳の中に入り込んできた。呪詛を俺の脳に植え付けるような、不吉な響きをもった声だった。


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