21 イーブンとする
「おはようございます……」
集会所の木製の引き戸を開けながら、俺は小さな声で呟いた。気分はドッキリ番組でアイドルが寝ている部屋に侵入するリポーターである。
短い廊下を歩き少し痛んでいる木の襖を発見すると、俺は音を立てないように静かに開けた。
ドキドキしながら部屋の中を覗いてみると、まず寝ている人数に驚いた。
てっきりアリスとソフィエさんだけかと思っていたが、村中の女性と小さい子供が広い板の間に布団を敷いて寝ていた。
「アリス……。こいつなんでブリッジで寝てるんだ……」
腕を組んで器用に頭でブッリジをしながら寝ているアリスの周りには、村の子供達が寄せ合うように布団を敷いて寝ている姿があった。
その傍らには、アリスがショッピングモールから持ってきた数種類のお菓子が散らばっていた。
「あれ、アリスの隣の布団誰もいないな……」
敷いたままのように乱れのない布団には誰もいなく、思わずそこに飛び込んでそのまま眠りたくなった。
そんな二度寝の誘惑に負けそうになっていると、不意に後ろに気配を感じた。
「ウキキ!」
「うわああっ!」
俺が驚いて振り返ると、そこにはサルと化したソフィエさんが立っていた。
ソフィエさんは白くて裾の長いネグリジェのような物を着ていた。
体のラインがハッキリと分かるその薄い寝間着姿はとても美しく、昨日巫女装束で三送りを行ったソフィエさんとは別人のように隙だらけだった。
ふんわりとした赤い髪はその質感の為か寝癖だらけで、その毛先は360度自由に飛び跳ねていた。
その寝癖すら魅力として取り込んでいるソフィエさんが、驚いている俺の頬を両手で優しく包みながら顔を近づけてきた。
俺は思わずドキっとしながら、そのツヤのあるぷっくりとした唇を見つめた。
「ウキキ! ▽□△x!」
「ぐふっ……」
その唇は重ならず、おでこが重なる事によって強烈な頭突きとなった。
「▽□△x!」
ソフィエさんはもう一度言うと、ニコニコとドヤ顔をしながら部屋に入り、襖を勢い良く閉めた。
「ダーリン覗きは駄目だっちゃ! かな……」
俺はうずくまって見事な頭突きを食らったおでこを手で押さえながら、都合の良い翻訳をした。
*
「それじゃあみんな! また遊びに来るわね!」
アリスは村の入り口から手を振っているソフィエさんとクワールさん、それと多くの村の人達に両手を振り回しながら言った。
「あなたも手ぐらい振りなさいよ!」
「ちゃんと挨拶は済ませたよ……姉貴かお前は」
俺が後ろ向きで歩くアリスの足元を気にしながら言うと、もう一度村の入り口から大きな声が聞こえた。
「アリス! ウキキ! マタアソボウネ!」
その片言のソフィエさんの言葉に、俺は思わずその場で飛び跳ねながら手を振った。
「ソフィエ! 今度ショッピングモールにも遊びにいらっしゃい!」
アリスも負けじと大声でソフィエさんに言った。
俺達はそのまま別れの余韻を残し、森を歩いた。
ほぼ総出で俺達を見送ってくれた事を考えると、この異世界では見送りを特別に思っているのかもしれない。
「○▽□△xx」
アリスが突然この異世界の言葉を口にした。
「え? なんて言ったんだ?」
「ああごめんなさい。あなたには通じなかったわね」
アリスは少しワザとらしく言った。
「ヘチマは食料である。と言ったのよ」
「どんな言葉を覚えてるんだよ……」
と言いつつ、ボルサの通訳に甘んじていた俺と比べて、体当たりコミュニケーションで積極的に異世界の人達に飛び込んでいたアリスに関心していた。
「お前は凄いな……」
俺は敢えて聞き取られない程の小さい声で呟いた。
「あなたもそこそこ凄いわよ」
耳が良いなお前は。
そうこうしながら歩いていると、森の二股に別れている道まで辿り着いた。
ショッピングモールに戻るにはただ真っ直ぐ歩けば良いだけだが、俺はその事よりも土の車輪の跡を注視していた。
「馬車はここを曲がってるな……馬車道はこっちなのかね」
だとすると、異世界人がショッピングモールを目にする機会は少なそうに思えた。だが、現にソフィエさんとクワールさんは傍を通ったので、全く見られないと言う訳にはいかなそうだ。
あまり不特定多数の人間にショッピングモールを見られたくはないが、そればかりは仕方がなかった。
「そういえばアリス……初めて会う異世界人に転移とかショッピングモールとかあまり言うなよ」
「なんでよ」
「いや、怪しまれるメリットはゼロだろ。まあ結果的にボルサには言って良かったと思うけど」
俺はその時の事を思い出しながら言った。
「そういやあの時お前、転移してからショッピングモールを暫く彷徨ったって言ってたけど、俺と会うまでにそんな時間あったか?」
当時の記憶だと……当時と言っても2日前だが、とにかくその時の記憶だと、俺が転移してからアリスに出会うまでは10分やそこらなはずなので少し引っかかっていた。
「あなたを見付けるまで1時間ぐらいかしら……北ゲートの近くの店を見て回っていたわよ」
1時間!?
俺はその意外な単位を頭の中で復唱すると同時に口にした。
「1時間……。俺は転移してから10分程度だったぞ?」
「あらそう? 結構転移の時間にずれがあったのね」
「時間のずれ……いやお前そんな簡単に言うけど、俺に取ってはかなりの衝撃の事実だぞ」
「まあ、そういうものなんじゃない? 大事なのは、今こうして2人いることでしょ?」
「ま、まあそうかもしれないけど……。お前たまに可愛い事を言うよな……」
まあ、いいか。ボルサ曰く神の仕業に、一々文句を付けても仕方がない。
と思いつつも、俺は手帳を取り出し一応書いておいた。
「見て! またあのウサギよ!」
突然上がったアリスの声が指す方向を見ると、昨日と同じように茂みから飛び出して来たであろう一角ウサギが鼻をピクピクさせながらこちらを見つめていた。
まるで俺達がここを通るのを待っていたかのようなその一角ウサギは、アリスが駆け出す前に再び茂みの奥へと消えて行った。
「待ちなさい! 角に触らせなさい!」
「お前が待て! 追いかけるな! アリスがウサギを追い掛けたら、これ以上の不思議な国に連れて行かれそうな気がする!」
俺は駆け出したアリスの腕を掴み制止した。
「もう! あのモフモフの角に触りたかったのに!」
「角がモフモフなのか! ……俺も触りたくなってきたけど我慢しろ。ってか頼むから大人しくショッピングモールに寄り道せずに帰ろう。な? 帰ったらプリン2つ食べていいから」
「ホント!? 約束よ!」
そう言うと、アリスは再び帰り道へと歩き出した。
そしてすぐに立ち止まった。
「ちょっと待ってちょうだい……。よくよく考えたら、なんであなたの許可がないとプリン食べちゃ駄目みたいな感じになっているのかしら」
「ちっ……便利だったのに気付きやがった」
「今あなた、便利だったのに気が付きやがったって言った?」
「言ってない」
「言ったじゃない!」
俺達はチョップの攻防をしながら、そのまま森を出てショッピングモールへと歩いた。
朝の草原は、昨日の狼達と死ビトの戦いなどなかったように静かだった。
少し大回りをしてボス狼が戦っていた辺りを通ったが、多少の血痕が草や岩に付いていたものの、致命傷を受けたような痕跡はどこにもなかった。
「良かった……狼達は無事なようね」
「だから言ったろ? 死ビトより格段に強いって」
少なくとも、今の段階では……。
俺は口には出さず、心の中で呟いた。
「あー! そういえば昨日死ビトを倒した時、鉱石の欠片拾った?」
「いや……そんな余裕なかっただろ、ちょっと勿体なかったけど。てかドロップしたかも見てない」
歩きながら少しその辺を探したが、鉱石の欠片はどこにも落ちてはいなかった。
目ざといアリスが探してもないという事は、狼達が持ち帰ったか、放置していると消える物なのか、最初からドロップしていないかのいずれかだと思われた。
「まあ諦めて大人しく戻るか」
なんだかんだと遠回りをしながらも、俺達はショッピングモールの近くまで戻って来た。
どっしりと構えるように建っているその三角形の建物は、既に俺達の家も同然となっていて、見ると安心出来る物だった。
「やっと戻って来たな……村で色々聞けたし、良い旅だった」
「そうね。夜の女子会も楽しかったし、村の子供とも仲良くなったし!」
「お前は俺以上に楽しんだな……俺と一晩離れて少しは寂しかったとかないのかよ」
俺は自分がほんの少し寂しかった事を言わずに、アリスに尋ねた。
すると、アリスは自分の赤いリュックに付けている小さいブタのぬいぐるみを俺に向けた。
「少し寂しかったけれど、あなたがゲームコーナーで取ってくれたブタちゃんのぬいぐるみがあったから大丈夫だったわ!」
アリスはまた少し可愛い事を言った。
どうやら寂しがる役割対決は引き分けだったようだ。




