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204 猫耳とアリスとスイカのへた

 あれは中学一年生のとき。

 コンビニで頼まれていた買い物を終え、俺はレジ袋を片手に自宅までの道のりを歩いていた。レジ袋の中には黒いストッキングとポテトチップスとペットボトルの水。それと、お駄賃で買った一個十円の風船ガム。俺はそれを膨らましながら、炎天下のなか30分歩く買い物のお駄賃にしてはせこいなと、姉貴に対して軽い憤りを覚えていた。


 レモン味がレモン味を失って間もなく、田んぼに挟まれた小径の先に何かが舞い降りたのが見えた。見間違いでも、蜃気楼が生み出す幻でもなかった。俺はそれを注意深く観察した。


グワァッ!


 それは青鷺だった。地中深くから聞こえてくるような鳴き声を上げ、青鷺は翼を広げててくてくと近づいてきた。

 俺は驚き、自然と足は後退りを始めた。どこからか飛んで来てこの辺で水浴びをしていると噂には聞いていたが、その姿を目撃するのは初めてだった。

 天高くから舞い降りた青鷺は、まるで空想上の生物のようだった。これがグリフィンでも状況的に成立するし、コカトリスでもおかしくはなかった。あるいはドラゴンでもありえた。

 誰かがサイコロをふり、たまたま青鷺の目が出たので、ここに青鷺が現れた。そう思えるほどに、初めて目にする青鷺は俺の思考を超越していた。


グワァッ!


 もう一度、青鷺は低い鳴き声を轟かせた。それは開戦の合図だった。



 で、まんまとレジ袋ごと持っていかれたわけ? 確かこれが、ボロボロの姿で玄関先に倒れ込んだ俺に投げかけられた姉貴の言葉だった。はい。と俺は答えた。


 あんたに与える選択肢は二つよ。はい。今すぐコンビニまで走るか、来月のお小遣いで私に新しい水着をプレゼントするか。走ります。私はどちらでも構わないわ。走ります。じゃあ急いで。はい。


 そして俺はコンビニまで走った。自腹なことに腹を立ててはいたが、心はピョンピョンとうさぎのように飛び跳ねていた。

 翼を広げた青鷺。あれは多分5メートルぐらいあった。そんなドラゴンにも等しい生物と、俺は巡り会い、そして同じ時間を共有したのだ。こてんぱにやられたが、次はそうはいかない。もしもまだいたら捕まえて俺の子分にしよう。それからみんなに自慢しよう。そんなことを考えながら、俺は夏の空の下をひたすらに走った。


 あのときの青鷺の美しい立ち姿と、空を占有する奥行きのある入道雲。それは、いまでも俺の瞼にはっきりと焼き付いている。目を閉じればその光景を、細部まで狂いなく再現することができる。

 思えば、俺の身体に宿る青鷺火はあの青鷺とよく似ている。違いと言えば、全身を淡く覆う青い炎ぐらいなものだ。


 俺は一つ尋ねてみる。「黒いストッキング、ポテトチップス、ペットボトルの水。お前があのとき欲しかったのはどれなんだ?」。答えは返ってこない。その代わりとして――俺はそう考える――青鷺火は大きく羽ばたいて青い炎を俺の全身に浴びせる。周りの生物の殺意を強制的に俺に向ける、青くて暖かい炎を。





「大丈夫かアリス!」


 俺は青鷺火が還ると同時に、アリスに呼びかける。手を繋いだまま顔を覗き込み、眼の色を確認する。


「アイス・アロー!」


 アリスは何も言わずに氷の矢を放つ。その対象はアナたちと交戦している死ビト。

 気の強い眼差しの奥はいつもと変わらない。黒々とした大きな瞳が、真っ白い雪の庭を駆け回るように自由に浮かんでいる。


「ちょっとあなた!」と、フリーダムな瞳が俺の顔に突き刺さる。


「MAX使役をするのなら最初に言ってちょうだい! 普通のアオサギちゃんだと思っていたのに、突然で驚くじゃない!」

「ああ、悪い悪い。でもMAX使役でも範囲が広がるだけだから大丈夫だ。……ってか、本当にお前は青鷺火の効果をはねのけたんだな! 凄いぞアリス!」

「おへそにぐぅーって力をこめたのよ! それとひとかけらの愛情のおかげね!」


 MAX青鷺火の効果で、百を超える死ビトの目が一斉に赤く染まっていく。既にアナたちと交戦している何体かは範囲外だが、最上階を目指すアナたちを追っていた死ビトはゆっくりと振り返り、俺に明確な殺意を示して歩を進める。


「ひとかけらもあれば十分だ!」、俺はアリスを抱きかかえ、木霊を使役してその階段を駆け上り、死ビトが織りなす不規律な円の中から脱出する。


「そのためなら俺は死ねる!」


 広々とした空間の奥に目を向ける。数体の死ビトを片付けたアナが、俺たちに向けてオウス・キーパーを掲げている。

 白銀の刃が限られた光源に反射して輝いている。それは光の反射の法則を無視して、光源よりも何倍も強く煌めき、俺とアリスにエールを送り届けている。


 俺はこぶしを天井に向けて突き上げる。そして扉を開けて先へと進むアナとボルサと副兵団長と大盾の兵士の姿を確認してから、意識の100パーセントをこの空間のすべてに注ぐ。


「20分で片付けるぞ」と俺は言う。「いや、お前と一緒だから2で割って10分ってところだな!」

 アリスは言う。「私とあなたなら割る3でもへっちゃらよ! 6分40秒でいけるわ!」


 死ビトが束になって迫ってくる。素手の死ビトは両腕を伸ばし、近接武器を持つ死ビトはそれが唯一の財産であるかのようにぐっと握り込む。

 遠距離からいくつもの青い軌道が伸びてくる。俺の全身のいたる所を的としている。そのうちの何本かは的から外れ、一直線に壁や床を突き刺している。


「暗算エグいな、計算ドリルやってて良かっただろ!」、俺はアリスの手を引っ張って青い軌道から大きく外させる。

「暗算が得意なのは元からよ! インド式ですもの!」。一連の流れの中で、アリスは既に四体の死ビトを地に沈めている。そのすべてが弓やボウガンを持つ死ビト。俺が指示をしなくても優先順位をきちんと理解しているみたいだ。


「俺は死ビトを引き付けるから、お前はその調子で頼むぞ!」

「了解よ!」


 アリスから離れて、俺は広い空間を最大限に利用してなるべく死ビトの群れとの距離を広げる。

 なかには死ビトらしからぬ素早い動きをする者もいる。円卓の夜がすぐそこまで迫っている影響か、個体差なのか、それは今になっても明確にはわからない。たぶん両方なのだろう。確か、アナは前にそう言っていた。


「出でよ鎌鼬!」


ザシュザシュッ!


 俺は俊逸な死ビトが伸ばす青い軌道をぎりぎりで避け、その一撃が繰り出される前に首を刎ね飛ばす。それからすぐに9本の青い軌道が迫ってくる。間隙を縫って小さな動きで躱していると、自分がまるで踊っているかのような錯覚に陥る。

 死人とのダンス。俺は目まぐるしく変わっていくパートナーの首に触れて、一つひとつ丁寧に斬り落としていく。


「っ……!」


 突然、予兆のない斬撃が真上から勢いよく落ちてくる。軸足で床を蹴って後ろに飛び跳ね、俺はそれを躱す。


「……なんだよその武器は」と俺は言う。体格のいい死ビトが斧のような槍を構えている。あるいは槍のような斧を構えている。ポールアックスだかハルバードといった武器だろうか。しかし次の一撃は青い軌道となって、既に視えている。ジャンプしてから全体重を得物に乗せて放つのが得意みたいだ。生前はかなりの実力の持ち主だったことが窺える。


 俺はそれを躱し鎌鼬を使役する。心なしか、舞う二撃の斬風は活き活きとしているように感じられる。





 5分ほど経ち、俺は残りの死ビトの数を頭の中でかぞえる。20を過ぎたあたりで諦める。ざっと50といったところだろう。半分ほどを倒した計算になる。インド式を使わなくともそれはわかる。


 アリスに目をやると、まだまだ元気よく氷の矢や氷の塊を死ビトに向けて放っている。

 殺意の赤い光を眼に宿していても、ガルヴィンのように俺以外を狙う者もいるので、もちろん油断は出来ない。それに、猫耳のビースト・クウォーターの女騎士がじっとしているのも気になる。長身の死霊使いもどきの男は赤い眼で、事あるごとに『それ!』だとか、『くそっ!』だとか叫んでいる。黒薔薇の杖で死ビトを思い通りに操ることを諦めきれないみたいだが、青鷺火で強制的に殺意を俺に向けているので、それはこの先も叶わない。まあ、それでもそれが彼にとって一番効率のいい俺の殺害方法なのだろう。


 ビースト・クウォーターの女騎士を注視しながら、「アリス!」と俺は大声で言う。「もう精霊術はいいから、カーバンクルを召喚しとけ!」


 アリスは大げさに振り向き、「了解よ!」と声を張り上げて言う。そしてカーバンクルを召喚してからゲートボールのステッキを両手で握り、死ビトに突進していく。


「アホ! そんなんで倒せるわけないだろ! 大人しく離れてろ!」


 眉をハの字に曲げ、アリスはとぼとぼと壁際まで歩いていく。いやに素直なのが逆に心配だが、カーバンクルはそんな心配を吹き飛ばすようにアリスに寄り添って浮かんでいる。


「出て来いや木霊!」


――有名人を見たで! ――金目鯛やで! ――金曜ロードショーやで!


 なんか興奮している。俺は構わずに階段状に配置し、死ビトの群れとの距離を取るために飛び乗る――瞬間、背後から鋭い気配が忍び寄る。


「戻れ木霊! ……出でよ玄武!」


カメェェェェェッ!


 空中で使役した玄武の光の甲羅が、フェンリルのような鋭利な爪撃を防ぐ。俺はそのまま着地し、まだ宙にいる猫耳の女騎士の姿を視界内に収める。空中で二回転してから、猫のようにきれいに地面に降り立つ。


「そろそろ疲れが見えてきてるにゃ。最小の働きで最大の功績を得る。みんな勘違いしてるにゃ、ビースト・クウォーターは狡猾で頭がいいのにゃ」と猫耳の女騎士は言う。「なかでも、ネコ科は他のどのビースト・クウォーターよりも狡猾で頭がいいのにゃ。なんでだ? って訊くといいにゃ」


「な、なんでだ」と俺はつられて言ってしまう。

「知りたいなら教えてあげるにゃ――」それが俺が聞く、猫耳の女騎士の最後の言葉となった。


「えいっ!」っとアリスはゲートボールのステッキを振り下ろした。脳天にきれいにヒットした。スイカで言えばヘタの部分だ。


 アリスは愚痴をこぼしながら気絶した猫耳の女騎士の手足を紐で縛り、尻尾を引っ張って一緒にまた壁際まで戻っていった。俺は何も言えずにその光景を眺めていた。グッジョブぐらい言えば良かったが、あまりに鮮やかすぎて言葉が口から出てこなかった。


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