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202 アリスは叩く

 鐘の音は一定の間隔をおいて何度も続いた。ローマの大聖堂で鳴り響くような音だった。それは屍教の砦の中で矛盾という衣にくるまり、無邪気な天使が歌うように空間を飛び跳ねて移動していた。

 矛盾――この建物で鳴り響く鐘の音は、まさにそんなあやふやなものを俺に突き付けていた。いびつな教えを説く屍教が奏でる音にはまるで相応しくなかった。汚職にまみれる政治家が、自宅で孫にピアノのソナタを弾いて聴かせているような気持ち悪さを俺は感じた。


「出でよ雷獣!」


ビリビリビリッ!


 雷獣がオウティスの胸部を捉えた。全身を紫電が覆い、獣の爪が狂ったように暴れまわりながら四肢の先まで到達して、そして放電するように空気中に消えていった。

 俺はガルヴィンの手を引っ張って離れさせた。膝をつき、オウティスは夏の終わりのヒマワリのようにこうべを垂れた。


「とっ……とんでもないな……」とオウティスは言った。はっきりとそう口に出来たことを意外に思った。「ガチャガチャの拳技で防御していなかったらやばかった……」と、俺の疑問を埋めるようにオウティスは続けた。なるほどなと俺は思った。


 ふらつきながらもオウティスは立ち上がった。俺はガルヴィンを後ろにやり、オウティスに向けて腕を構えた。


「やめろよ後輩……。戦意をくじかれた人間に追い打ちをかける気か?」。その発言と次に取った行動もまた、矛盾という名の衣にくるまれていた。それもかなりたちの悪い、漆黒の衣だった。


「……なんでそんなもん持ってるんだよ」と俺は言った。オウティスは俺に銃を向けていた。


「そんなもんしまえよ馬鹿……。雷獣の影響で手が震えてるぞ、そんなんじゃ自分の足を撃つのが関の山だ」

「なんだよお前、つまらないな……。ビビらないのかよ、今さら銃なんて怖くないってか」


「怖くねーよ」と俺は言った。怖くなかった。それは、もしオウティスの目が赤く光っていたとしても、たぶん同じだった。精霊術を放てない精霊術師の死ビトのほうがよっぽど怖かった。


「もう一度だけ言うぞ、そんな寒いもんしまえ。剣と魔法の異世界でつまらないことすんな馬鹿野郎」

「ああ、しまうさ……。弾なんて入っていないしな……。これは一緒にショッピングモールに転移して来た奴が持っていた物だ」


 発砲の機会を得られずに、銃はオウティスの胸元にしまわれた。俺は腕を下ろさずにオウティスを狙い続けた。


「わかった……。そこまで言うならガルヴィンはお前に任せる」とオウティスは言った。

「任せるってどういうことだ?」と俺は訊いた。ガルヴィンは俺の後ろで目を伏せて震えていた。仲間だと思っていた屍教徒に命を狙われ、精神的にまいっているようだった。


「そのままの意味だ後輩。ガルヴィンは四司教の一人に命を狙われている、息のかかった者たちが死に物狂いで探し回っているんだ」

「四司教の一人……」

「ミドルノームの兵団長だ……。あいつは最高司祭の娘を殺して屍教を乗っ取ろうとしている。薔薇組組長とミドルノーム兵団長……実質この二人の司教が屍教のトップだったが、薔薇組組長が死んでたかが外れたんだな……」


 頭の隅にミドルノーム兵団長の顔が浮かんだ。ゴブリン討伐の地で、彼は俺に対してどちらかというと優しかった。しかし、ソフィエさんをさらった実行犯は彼で、しかもガルヴィンを殺して屍教を手中に収めようとしているという。俺は自分の、人を見る目の無さに呆れずにはいられなかった。


「でも、最高司祭は何をやってるんだ? 自分の娘が殺されそうなのに黙ってるのか?」


 オウティスは何かを言おうとしてから口をまっすぐに閉じた。思い留まったようだった。視線はガルヴィンに向けられていた。


「黙っていることしか出来ない母親もいるんだ後輩。……オレはあの人の娘が無残に殺されることだけは避けたい。……だがまあ、お前がその役を引き受けるって言うなら、オレはさっさと舞台から降りるとするぜ」


 俺はオウティスを狙う右腕を下げる。「あんたはなんでガルヴィンが殺されるのを避けたいんだ? 同情なのか?」


「同情……か。と言うよりは罪滅ぼしだな……。それに、ガルヴィンの母親は誰よりも優しい。あの人が屍教のトップのままだったら、屍教は今のようにはなっていなかっただろう」

「罪滅ぼしって、なんのだ?」

「それは言えないな、後輩」


 いつの間にか鐘の音は聞こえなくなっていた。鳴りやんだのか、音が小さくなったのか、俺にだけ聞こえなくなったのか。そのどれか、俺にはいまいち確信を持って答えを導き出すことが出来なかった。あるいは最初から鐘の音なんてなかったのかもしれない。


 俺はガルヴィンの手を取り、言葉を投げかける。「なあガルヴィン、この細い眉毛の男にお前を任せても大丈夫か? 俺がいなくて心細くないか?」


 ガルヴィンは小さく口を開く。「お母さんはこのあいだ、初めてボクの頭を撫でてくれたんだ。体が悪くてずっとずっと部屋に閉じこもってたけど、最近はボクを部屋に入れて、本を読んでくれるんだ」


 金色の瞳が天井に向けられた。ガルヴィンはそこから蛍を追うように視線を移動させて、最後に自分の手のひらを見つめた。そこには深く刻まれた黒薔薇の紋章があった。そこには、たぶん小さな光を灯す蛍がいた。


「ガルヴィン、ほとぼりが冷めるまでオレとここを離れるぞ」とオウティスは言った。「お前のお母さんなら大丈夫だ。絶対にまた会える」


 かすかにガルヴィンは頷いた。目は伏せられたままだった。


「本当にガルヴィンを任せて大丈夫なんだな?」と俺は言った。オウティスは何も言わずに頷いた。


「だけど、あんたは屍教を裏切るかたちになるんじゃないか? それはいいのか?」

「良いも悪いもあるかよ後輩……。オレは最初からどっちでも良かったんだ、森爺のコインが裏だったから屍教に協力しただけの話だ。……奴ら、涙を流して死霊使いの再来を喜んでいたぜ。死霊使いモドキを産む杖を作ってみせたら、神と崇めてひれ伏していやがった」


「そっか」と俺は口にした。そしてオウティスに近づき、思いきり顔を殴った。二発めは頬を軽くかすり、俺の拳は空を切った。


「そう何度も殴られてやるわけにはいかねえよ……。HPを残しておかないとこの先きついだろ、オレもお前も……」、黄色いシャツの袖で血を拭いながらオウティスは言った。俺は激痛が走った肩に手をあて、シャツに滲む血の量を確認した。


「ハッ……何が八体の死ビトは足止めにもならないだ、噛みつかれているじゃねーか。ゾンビ映画ならお前はそれでThe Endだ」

「ああ、けど死ビトはゾンビじゃない。こんなもんは包帯を巻いとけば最初からなかったことに出来る程度の怪我だ……。でもあんたがやったことはなかったことには出来ない。その罪、必ず償ってもらうぞ。それまでガルヴィンを預ける」


 目の前で二つの手が繋がれた。そこにはオウティスの人となりについて改めて考えさせる何かがあった。


「スプナキンとチルフィーとかいう精霊は本当に大丈夫だ、今はまだお前の出る幕はない、そっとしておけ。それと、ソフィエという送り人は最上階にいる。助けるなら急いだほうがいいぞ、七福の理とかいうわけのわからない儀式はもう始まっている。あと……ああそうだ、囚われた兵団の男たちは地下の牢獄の中だ。それぐらいだな、オレが教えてやれるのは」


 まだまだ訊きたいことはあった。だが時間がないので、俺はいまもっとも訊くべきことを訊いた。


「セリカって女兵士も牢獄の中か?」

「それは知らないな、女の兵士は見ていない……誰だ? まさかお前の女か?」


 俺はガルヴィンを見つめた。あの生意気な少年のような姿はそこにはなかった。12歳の少女がいつまでも目を伏せたまま黙り込み、黒薔薇の紋章から母親の温もりを感じ取ろうと手のひらを胸にあてていた。


「最高司祭の娘、それは多分もう一人いると思うんだ」





「出でよ八咫烏!」


カアアアアアッ!


 オウティスとガルヴィンが去ってから、俺は八咫烏を使役してこの砦の気配を探った。確かに最上階に多くの人の気配がある。それからいくつかの気配がまとまって動いているのも視える。ガルヴィンを殺そうと画策している鬼か、あるいは侵入者を抹殺する蛇か。それは八咫烏が視せる俯瞰の映像だけではわからない。


 まとまっている気配の一つがこちらに近づいてくる。身を隠せそうな場所はない。俺は八咫烏を還し、覚悟を決めて曲がり角を睨みつける。左手を添えた右腕を構える。


「こっちよ!」という声が聞こえる。「何故わかるのだアリス殿」と続き、「感よ!」という自信たっぷりな声で締められる。


 そして通路の角にアリスが姿を現す。「アリス!」と俺は声を上げる。「アイス・チェーン!」と上から塗りつぶされる。


「うわあああああ!」


 地面から伸びた氷の鎖が俺の右足に絡みつく。昇ってくる冷気は俺の肝を冷やし、同時に鼻先をくすぐる。


「ハックションッ! ウェーイ……」と俺はくしゃみを一つする。「あら、あなただったの」とアリスが言う。その後ろにはアナとボルサとファングネイ王国副兵団長がいて、宇宙を担う大盾の兵士もいる。セリカとクリスの姿は見当たらない。


「牢獄から助け出せたのか」と俺は言う。アリスは氷の鎖を砕こうと、ゲートボールのステッキで小刻みに叩き始める。


「ウキキ殿、合流できて良かった。お互い何があったか手短に話そう」とアナが言う。俺は頷き、アリスを離れさせてから足元に向かって狐火を使役する。


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