2 少女は隠り世と呟いた
「ちょっとあなた! まさかこの高貴な私に、容器に入ったままのプリンを食べさせるつもり!?」
一面ガラス張りのジャオン食品売り場で、アリスの少し舌足らずな声が響いた。外の陽が射し込んでいるが、それでも少し薄暗い。
アリスはちゃんと皿にぷっちんとして、茶色いカラメル部分を上にして食べるのが高貴な人間だと主張している。
「わかったから大きな声を出すな。取って来てやるよ」
俺は食べようとしたプリンをその場に置き、立ち上がって食器の置いてありそうなコーナーを探した。
うしろには、俺の服の裾を握るアリスがいた。
「……なんでついて来る? すぐそこだから待ってて大丈夫だぞ?」
「なに言っているのよ! こんな可憐な少女を一人にしたら危ないでしょ!?」
「まあ……それは確かにそうだな。ごめん、出来るだけ一緒に行動しないとな」
「わかればいいのよ。あなたは黙って私にあとをついて来て頂ければいいの」
変な言い回しで一瞬頭にハテナマークが付いたが、なるほど可愛い言い回しだ。
俺の服の裾を握りながらうしろをついて来る、11歳の美少女……。
……俺がロリコンじゃなくて良かったな! この糞ガキが!
と心の中で呟いた。女子高生が良かった……。とも呟いた。
「なにボソボソ言っているのよ」
「あ、ああなんでもない。それよりお前、ここがどこだかわかってるのか?」
どこにでもあるスーパーマーケットで残されて不安がるところを見ると、ここが異世界とはわかっていないにせよ、普通の状況でない事は理解している様に思えた。
「わからないわよ……。でもなんとなく想像はつく」
「どんな想像だ?」
少し間を空けてから、アリスは少し重めの口を開く。
「……隠り世」
「か、隠り世?」
一瞬なんの事だかわからなかったが、どこかで聞いた記憶が脳に蘇った。
「ああ、あの世とかそういう……」
「ええ……。ここはそうとしか思えないわ」
アリスの口から隠り世なんて言葉が出るのを意外だと思いながらも、俺は場の空気が少し冷たくなったのを感じた。それはちょっとした恐怖みたいなものだった。
はっとするような美人を美しいと思うと同時に、その整いすぎた顔が真顔になった時、少なからず恐怖を覚える感覚と似ていた。
少なくともそのぐらいの美人になるであろうアリスが言ったので、尚の事だった。
「な、なんであの世だと思うんだ?」
「……思うと言うか、そうだといいなっていうのが正しいかも」
御両親に会えるから……か。
俺は敢えてそこには触れずに、ほんの少しだけ俺の服の裾が震えている事に気が付かないフリをしながら言う。
「でも、もしここがあの世だったら、お前のお爺様は悲しむぞ。それに……」
それに、俺も悲しむ。と言おうとしたが、月並みすぎて出掛けた言葉を飲んだ。
「それに? それになによ?」
「それに……ジェームズも悲しむ」
俺の言葉に、アリスは掴んだ手を離して大きく笑う。食品売り場に笑い声が溢れ、冷たい空気がどこかに吸い込まれていく。
「そうね! ジェームズとお爺様を悲しませちゃダメよね!」
アリスは再び、歩く俺のシャツの裾を握る。その手の震えは収まっていた。
「あなた、なかなか言うじゃない。お爺様にお願いして執事にしてあげてもいいわよ?」
「いや、執事よりジェームズの役割の方がいいな。黒いスーツに身を包んで銃を構えてみたいわ」
「えっ! あなた犬になりたいの!?」
「い、犬なのかよ!」
出会ってからすぐにアリスが言った言葉を思い出しながら、俺は続けた。
「さっきお前、ジェームズが撃つって言ってなかったか?」
「高貴な私の可愛いワンちゃんを舐めないでちょうだい! ジェームズがその気になったら銃ぐらい撃てるわ!」
俺は大きな犬が黒いスーツにサングラスで銃を構えている姿を想像して、思わず吹く。
容器コーナーが見え、俺たちはゆっくりとそこまで歩く。
「ほら、皿あったぞ。紙皿だけど」
「仕方がないわね、これで我慢してあげるわ」
若くして妥協を覚えたアリスは紙皿を1パック棚から取り出すと、それを開封して一枚だけ抜き、残りをきれいに折りたたんで棚に戻した。
「さあ、戻って食べるわよ! 待っていなさいプリン!」
*
アリスは満足そうだった。結局プリンを3つたいらげ、メモ帳片手に歩く俺の横を一生懸命歩調を合わせてついてきていた。
「あなた歩くの速いわ。そんなんじゃ女性に嫌われるわよ?」
「あ、ああ悪い」
俺は逸る気持ちを抑えて、歩くスピードをアリスに合わせた。
まだ日が高いうちに、このジャオンとビイングホームを調べ終えたかった。
この異世界でいつまで生活するかわからないが、食料の消費優先順位や、ビイングホームで布団などの生活必需品の確保を行う必要があった。
俺たちは食品売り場を調べ終え、バックヤードに足を踏み入れた。
入ってすぐの所にある大きなシャッターを開けると、外の日差し入り、暗くて見えなかった物が一気に目に飛び込んできた。
店内を回ってる時にも思ったが、ついさっきまで人がいた様な形跡が何か所にもあった。
大きいカゴに入れられた品出し前の商品。休憩場と思われる和室の小さな部屋で、吸い掛けたまま放置されている灰皿の上のタバコ。
その痕跡はショッピングモールが異世界に転移したのではなく、ただ単に人が一斉にいなくなった風にも見えた。
「誰もいないわね……。なんかこういう舞台裏って少しワクワクするわ」
「ああわかる。店員のみ入れる場所って、少しテンション上がるよな」
二人してズレた会話をしているなと思ったが、変に怖がるよりは断然マシだと思い、俺はアリスに合わせて会話を続けた。
大企業の会長の孫娘で悪役令嬢と名乗ったアリスだが、ちゃんと俺の言う事を聞き、うしろからついて来てくれるので、その存在と併せて助かっていた。
これがもし一人だったとしたら、こうも心の余裕があったかは自信がない。
時間が経つにつれ、もっとパニックになっていたかもしれない。
「まあ、ここは大体こんなもんか。よし2Fに行こう」
バックヤードの業者用搬入口とシャッターを閉め、エスカレーターまで歩き、俺たちは2Fへと上がった。
下からは見えなかったが、2Fは薄い照明が点いていた。
非常用の電源だろうか。しかし、精肉部屋の冷凍室が止まっているのにもかかわらず、ここだけ通電しているのは妙に思える。
その奇妙さを深く考えても仕方がないので、取りあえず2Fを見て回った。
生活用品や衣料品などが所狭しと並んでいる。そのどちらもこのショッピングモールにはもっと規模の大きい店に豊富にあるので、メモ帳に記入する俺の手は動きが鈍っていた。
「あっちから音がしない?」
アリスが2Fの端の方を見ながら言った。俺はその方向に耳を向けて、澄ましてみる。
ポン……
ポン……
ブブー……
確かに電子音の様なものが聞こえる。
照明が点いているのに加えて音まで鳴っているのを異常に思い、俺の警戒心は一気にMAXになった。
「アリス止まれ! 俺のうしろからついて来い!」
「な、なによ偉そうに……」
渋々うしろに回ったアリスに持っていたトートバッグを渡し、近くの棚に置いてある掃除用の長いモップに手を伸ばす。
威力も迫力もなさそうな武器だが、丸腰よりは安心した。
「まさか、俺たち以外にも誰かいるのか……?」
アリスを不安がらす様な考えを口に出してしまった事に後悔しながら、慎重にその音の元まで歩いた。
そこには、小さなゲームコーナーがあった。
まるで人類か滅びても動き続ける遊園地のように、ひっそりと佇んでいた。
少し寂れていて、どこか懐かしい気分にもなる。壁に描いてあるサーカスのピエロは、状況と併せてかなり不気味に見えた。
「うわー! ゲームだあ!」
俺の警戒心は一気に下がり、アリスのテンションが一気に上がった。
寂れているゲームコーナーとはいえ、その光景に目を輝かせる事は、子供なら当たり前かもしれない。
そこには、小さいぬいぐるみが入ったUFOキャッチャーや、パンチングマシーンや、少し古臭いレースゲームや、ピンボールなどが設置してあった。
「ねえねえ! これやりたいわ!」
アリスはなかでも、子供向けのメダルゲームに興味を持った様だ。
ジャンケンをして、勝ったらメダルが何枚か出てくる物や、画面のルーレットが回り、止まったマスの枚数を獲得できる物などがあった。
「色々あるなー。なんか俺の子供の頃と変わらない気がする」
「ユウキ! 私これやりたいわ!」
俺は財布から百円玉を取り出し、投入口にそれを入れた。
「あれ……?」
だが、百円玉は返却口に戻され、筐体に表示されているクレジットは増えなかった。
何度か入れ直してみても同じだった。試しにメダル投入口に入れてみたが、やはり乾いた音が返却口から聞こえた。
それを見兼ねたアリスが、俺に向かって暴言を吐いた。
「……使えない男ね」
ちょっとアリスちゃん? それは酷くない?
だが俺は大人の余裕を見せ、暴言にショックを受けていないふりをした。
「なんでだ? 故障かな……」
他のメダルゲームも同様だった。
まるで何者かの意思が働いているかのように、百円玉は何度も何度も投入口に戻された。
「はあ……もういいわ。ホントあなたにはがっかり……」
ゲーム一つ、満足に私に提供出来ないのね。
と言うアリスのセリフを聞かなかった事にし、心の平穏を保ちながら、俺は名誉を挽回するかの如くUFOキャッチャーを指さした。
「なあアリス、ぬいぐるみ取ってやるよ! こう見えて得意なんだぜ!」
俺は焦りと悔しさを兼ね備えながら、UFOキャッチャーの投入口に百円玉を投げ入れた。
チャリンッ……
「なんでだあああ!」
頭を抱えて叫ぶ俺を尻目に、アリスはゲームコーナーを見て回っていた。
そしてなにかに興味を持ち、戻され続ける百円玉を握り潰してやろうかと指先に力を込めている俺に尋ねた。
「ねえ、これはなに?」
アリスはガチャガチャがいくつか並ぶコーナーで、その一つを指さしていた。
それはとても古臭く、今の精巧な模型やフィギュアが入っているガチャガチャとは明らかに違っていた。
「ああ、これはガチャガチャと言って、お金を入れて回すとカプセルに入ったおもちゃが出てくるんだよ」
「へえ、面白そう!」
再び目に輝きを取り戻したアリスは、ひとりガチャガチャの物色を始めた。
だが、俺はそのガチャガチャの異様さに気が付いた。
「なんだこれ? どれも黒い紙に白いマークが描いてあるだけだ……」
普通、ガチャガチャの表面には出て来るおもちゃの写真が載った厚紙が貼ってあるものだが、そのガチャガチャにはくたびれた黒い紙に白いマークの様な物が描かれているだけだった。
寂れたゲームコーナーにひっそりと置いてあるそれは、なんだか気味が悪くも思えた。
ところどころ錆ついているガチャガチャは7台あり、それぞれ
剣のマーク
槍のマーク
拳のマーク
杖のマーク
獣のマーク
ハテナのマーク
が描かれていた。残りの一台は……
「このマークはなんだろうな」
「魔法じゃないの? ほら、手から雷みたいなの出している絵だし」
「ああなるほど、確かにそう見えるな」
剣とか槍のおもちゃが入ってるのか?
と思い、百円玉を投入口に入れた。
チャリンッ……
「やっぱり駄目か。謎過ぎるぞこのゲームコーナー」
「ねえ、このメダルは入らないかしら?」
アリスが手のひらに乗せたメダル三枚を、俺に見せながら言った。
「なんかそれっぽいメダルだな……これどうしたんだ?」
アリスの小さい手のひらから一枚を手に取り、よく見てみた。
その銀色のメダルは文字が一切書かれておらず、ピエロが表裏に描いてあるだけだった。
大きさは五百円硬貨ほどで、重さもよく似ていた。
「そっちのガチャガチャの返却口に入っていたわ!」
アリスが指さす方を見ると、少し奥に更に3台のガチャガチャが置いてあった。
それらは全て黒一色で、表面にはなにもなかった。
「いかがわしい物が入ってそうだな……」
「いかがわしい物ってなによ」
「気にするな。よし、ちょっとこっちのガチャガチャやってみようぜ」
懐かしさも手伝ってか、不気味な感じは消え去り、少し楽しくなってきた。どれを回すか迷ったが、どうせおもちゃなら獣のおもちゃが見てみたくなり、獣マークのガチャガチャにメダルを投入した。
「お、入った! 回せるぞ!」
「ずるいわ! 私もやる!」
アリスは競う様に、魔法マークのガチャガチャを回した。
ガチャッ……ガチャッ……
すると、どちらからも野球ボールほどの大きさの白いカプセルが出てきた。
「お、結構重いな。よし、せーので開けるか!」
ワクワクしながら、隣のアリスに声を掛ける。
「え? もう開けちゃったわよ?」
「ええーーー!」
アリスのカプセルの中には、小さい石板の様な物が入っていた。
その石板には、ノミか何かで器用に削った様な文字が記されていた。
「お前な……こういうのは一緒に開けて楽しさを分かち合うもんなんだよ。はあ、テンション下がるわ……」
「わ、悪かったわね……。と言うか、あなた私より楽しんでない?」
不服そうにしているアリスを気にせず、俺も自分のカプセルを開けてみた。中にはイタチの様なミニチュアが入っていた。
「わー可愛い! ずるい、そっちの方がいいじゃない!」
アリスは自分の持つ小さい石板と、俺のイタチのミニチュアを見比べながら言った。
かなり精巧に作られていて愛くるしい瞳をしていたが、その両手は異形とも言えた。
「これは……イタチじゃなくてカマイタチか?」
ミニチュアの両手は、鋭い鎌の形をしていた。
赤く光る瞳は、ただのプラスチックではなくもっと生々しい物に見えた。瞳がギラリと動き、俺の目を見返した。
「うわああああ!」
俺は驚き、思わず両手を上げて離してしまう。
だがミニチュアは重力に逆らい、ただ静かに宙に浮かぶ。
「な、なんだこれは……」
ミニチュアが強く光りだす。
――我が名は鎌鼬
「えっ……!?」
頭に直接語り掛けられた様な感覚に驚いていると、その眩しい光は次第に薄くなり、暫くしてミニチュアごと消えてなくなった。
「なんだったんだ……。アリス、いまの見たか!?」
「えっ? なんの事?」
「なんの事って……見えてなかったのか?」
どうやらその光景は俺にしか見えていない様だった。
白昼夢かとも思ったが、俺の身体の奥に宿った熱は、それが現実の事だと告げていた。
「イタチちゃん消えちゃったの? どこに隠したのよ!」
「隠してない! 消えたんだよ!」
「もう、可愛かったのに。私のなんてこんな石板よ! アイス――」
最後まで言い切らずに、途中でアリスは黙ってしまう。俺はアリスの小さな身体を揺さぶる。
「おいアリス大丈夫か! おい!」
「ギャアアアアアアア! えっ……なによいまの!?」
どうやら俺の身に起きた事が、アリスにも降りかかっていたみたいだ。
*
「それにしてもお前、ギャアアアアアって」
俺はアリスの絶叫を思い出して、笑いながら言った。ゲームコーナーのベンチに座って缶のオレンジジュースを飲んでいるアリスは、少し恥ずかしそうにしていた。
「し、仕方ないじゃない! ビックリしたんだから!」
「で、お前はなにを見たんだ?」
聞いたんだ? と言うべきか一瞬迷った。
俺と同じような事がアリスにも起きたなら、恐らく――
「えっと……なんて言うのかしら、うーん」
アリスは頭の中で、説明の仕方を整理している様だった。それだけ混乱しているのかもしれない。
「そうね……見たっていうか、頭の中に文字が浮かんだというか……」
「文字? 石板に書いてあった魔法みたいな名前か?」
小さい石板はいつの間にか消えていた。
『アイス・アロー』。確かそれが、刻まれていた文字だった。
「ええ、石板に書いてあるまんまの文字だったわ」
「そうか……。俺も似たような物を見たわ。なんだろうな……」
俺は口に手を当てながら考える。
アイス・アロー? 魔法の氷の矢?
そのまんまの意味なら、俺達はもしかして……。
すると、アリスは立ち上がり、自動販売機に手のひらを向けた。
「アイス・アロー」
アリスは小さな声で、覇気なく呟いた。
とても魔法を唱えた様には聞こえなかった。
だが、その結果は俺の予想を裏切るものだった。
ズシャーー!!
アリスの手のひらから氷の矢の様な物が放たれ、自動販売機に突き刺さった。
貫いて破壊するほどの威力ではなかったが、実際に弓で引いた矢の様に鋭かった。
「なにこれ! 私すごい!」
「お、驚いた……。マジで魔法じゃないかこれ……」
はしゃいでいるアリスの手を握ってみると、ひんやりとして冷たかった。
突き刺さったままの、長さも太さもアリスの腕と同程度の氷の矢。抜いてみようと近づくと、触れる寸前で小さい光とともに消えてしまった。
「これは……。このガチャガチャは……」
氷の矢の魔法に驚くべきか。その元になったガチャガチャに驚くべきか。
俺は迷っていた。と言うか、見た現象に考えが追いつかずに軽く混乱していた。
「アリスが小さい石板から魔法を得たのなら、俺にも……」
鎌鼬――
俺の場合は文字は浮かばなかったが、あのミニチュアがそう俺に名乗った。
いまにして思うと、あれはミニチュアではなく、最初から獣だったのかもしれない。
「あ……そうだアリス! 確かメダルもう一枚あったよな!?」
もう一回ガチャガチャを回してみようと思い、俺はアリスに向かって勢いよく振り向いた。
あれ? いない?
隣にいたはずのアリスは、いつの間にか少し離れたメダルゲームコーナーにいた。
「おいアリス! もう一回ガチャガチャ回してみようぜ!」
「もうメダル、このゲームに入れちゃったわよ?」
「えっ」
アリスが真剣な眼差しで対峙しているジャンケンゲームを見ると、既に勝負は始まっていた。
アリスはグーチョキパーの、どのボタンを押すか迷っていた。
ジャン……ケン……ポン!
ズコー!
「なによズコーって、ムカつく! もうこれで終わり!? これのなにが面白いの!?」
アリスはそのあっけなさに驚いていた。
「俺が子供の頃はみんなが夢中になって、お前が面白いか疑問を持つそのメダルゲームに小遣いをつぎ込んだもんだ……」
俺は懐かしくなり、しみじみと言った。




