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195 牢獄の中の長い話

 罠師を自称するアリスは語る。


「罠には二種類あるわ! 押させるタイプと踏ませるタイプよ!」


「そんで……お前はどっちのタイプでここまで落ちたんだ?」と俺は訊く。


「押させるタイプよ!」

「押させるタイプか……。ってか自ら押したんだな……」


 暁の長城の内部を西に進んでいると、壁に一か所だけくすんだ色の煉瓦があったらしい。それを押さないことはアリス道に反する。とバカは言い、チームアリスの健闘を祈るように上空を見上げた。


「色々な場所に落とし穴的なのがあって、ここに落ちるようになってるのか」

「そうみたいね。私はウォータースライダーみたいにここまで滑って落とされたわ!」


 月の迷宮のような造りの空間。そして、そこにある牢獄。俺とアリスは太い鉄格子に囲まれたその中にいる。暁の長城は、あるいはこの空間を守るために造られたのだろうか。それほどに重要な空間なのだろうか。


 アリスの視線を追って上空を眺めると、ほのかに明るい四角形が見えた。そこから外の陽が入り込み、大理石のような地面に四角い光を落としていた。弱々しい光だが、それでも外界からの優しい贈り物ように俺は感じた。


 俺は段々と暗闇に慣れてきた目を駆使して、牢獄の中を丹念に見回った。思ったよりも広く、数メートル程度の窪みがあるが、脱出できそうな場所は皆無だった。スマホを取り出し時刻を確認すると、午後の3時24分とディスプレイに表示されていた。


「屍教は今日の夕刻時、ソフィエを使って何かをするつもりなのよね?」とアリスは言った。俺は頷いた。


「まあ、でもそれは気にしないでいいかもな。それまでにソフィエさんを救出しなくちゃならないってわけでもないだろうし」


 後ろから大げさなため息の音が聞こえた。「あなたはお気楽でいいわね」とアリスは言った。


「もしソフィエを使って天変地異を引き起こそうとしていたらどうするのよ」

「天変地異……。えっ……いや、あり得ないだろそんなこと」

「わからないわよ!? 劇場版魔法少女サッキュンではサキちゃんのサキュバスの能力を利用して、冥王が人類を骨抜きにしようとしていたじゃない!」


 俺は黙っておいた。俺がサッキュンフリークということはトップシークレットなのだ。

 しかし、人類を骨抜きにする計画はないとしても、確かに悠長な考えは捨てたほうがいいかもしれない。

 早くここから出なければと考え、俺は鉄格子に向けて腕を構え、そのままMAX鎌鼬を使役してみた。しかし、鉄格子はまるで何者の攻撃も受け付けないチート能力でも備えているかのように、傷一つ付かなかった。


 MAX狛犬でも同様だった。アリスもありったけの精霊術を放ったが、やはり鉄格子は作り立てのままのように、頑なにそこに佇んでいた。


「無理だな……。誰かに外から開けてもらうしかないっぽいぞ」

「誰かってだれよ。私たちしかいないわよ?」

「まあ、そうだけど」


 とりあえず壁にもたれて、俺は腰を下ろした。アリスも隣に座った。それから俺たちは別れてから起こった出来事をお互い話した。アリスはデュラハンの出現に何故か目を輝かせ、俺はアナや副団長がもうじきソフィエさんの元に辿り着くだろうと話していたということに胸をなでおろした。必ずしも俺とアリスが救出しなくとも、誰かがそれをやり遂げてくれればいい。ソフィエさんが無事でいてくれるならなんでもいいのだ。


 俺はもう一度、上空を見上げた。遥か先にある四角形の更に上で、星が輝いているのが見えた。外からだと、ここまでくっきりと星の存在を捉えることは不可能に思えた。闇の中から光を見上げるからこそ、この星は俺の視界の中心で燦然と輝いているのだろう。


「なんていう星かしら?」とアリスは言った。同じものを見ていた。「さあな……。地球だったりして」


 リアクションのないアリスの横顔に視線を移した。体育座りのまま、アリスは自分の膝に目を向けていた。


「私が死ねば、あなたはあの星に還れるのよね」とアリスは言った。


「いや、絶対あれ地球じゃないだろ。……ってか、もし俺が元の世界に戻れたとしても、お前が死んだらなんにも嬉しくねーよ……」


 言葉が寒々しい空間に広がっていくのが感じられた。アリスは膝にあごを付けて口をすぼめた。


「でも、ここでこのまま二人して死んじゃうよりはマシでしょ?」

「死なねーって。あとマシじゃねーって」


「どうしてよ! 私のお父様とお母様が私を助けた時とは違うわ! 私一人とあなた一人、計算が合うじゃない!」とアリスは言った。「それにお母様のお腹のなかには産まれるはずだった妹もいたのよ!? 私の為に三人も死んじゃったのよ!?」


 俺は何も言わないでアリスの肩を引き寄せ、小さな頭の上に手を置いた。身動きせずに、アリスはそのまま海沿いの村で見たという夢の話を始めた。


 記憶を手繰るように、長い長い話を始めた。





「夢を見たの。森の中の別荘の一室に、幼い私がいたわ。そして影が突然現れ、炎に姿を変えて幼い私を取り囲んだの。私はどうすることも出来なかった。幼い私もどうすることも出来なかった。お父様とお母さまが幼い私を助けに来てくれた。そして幼い私だけを外に連れ出して、二人とも炎に飲み込まれてしまったわ。私がこの世界に転移してから、ずっと忘れてしまっていた妹と一緒に。

 あなたは私にこの世界に召喚されて、名前の漢字を忘れた。それはもしかしたら、転移者の定めなのかもしれない。転移者は何か大事なことを一つ忘れるのかもしれない。それが私にとっての妹の存在。私はそう考えているわ。だってそうでしょ? あんなに家族全員で産まれるのを心待ちにしていたんだもの。普通、忘れるはずがないわ。

 だけれど、私は忘れてしまった。酷いお姉ちゃんだわ、会って謝ろうにもどうすることも出来ない。お墓すらないの、お花を添えてあげることも出来ないわ。名前もない妹は、お母様のお腹のなかでどうすることも出来ないまま、炎に焼かれた。それは全部、私が助かってしまったせい。私があのまま死んでいれば、お母様もお父様も妹も生きていた。四人のなかで三人は幸せでいられた。でも、現実は四人のなかで一人だけ私が助かってしまった。

 おじい様は私がそう考えないように、いつもいつも優しく励ましてくれたわ。私が強く生きていけるように、色んなことを教えてくれたわ。けれど、どうしても私は考えてしまうの。燃え盛るお屋敷が崩れ落ちる場面を思い出して、あの中にいるのは私だけであるべきだった、と考えてしまうの」


 深い呼吸の音が聞こえた。アリスは父と母と妹、その三人の幸せな暮らしを視線の先に思い浮かべているようだった。俺はアリスの手を強く握った。アリスは少し寂しげな表情で微笑んだ。


「ねえ、あなた。私はどうすればいいと思う? 起こってしまったことはもう戻らないわ。4-3は4-1にすることは出来ない。きっと神様にだって無理よ。けれど、今回は違う。私とあなたの一人ずつ。言わば、等価交換といったところね。もしかしたら、私はこういう状況を待ち望んでいたのかもしれないわ。大事な人の為に、私が犠牲になるというシチュエーションをね。そうすることで、やっと私は天国でお父様やお母さまや妹に会う資格が得られるのかもしれない」


 どこからか入り込んだ風がアリスのぱっつん前髪を揺らした。それを気にする素振りは見せなかった。

 俺はアリスが話したことを俺なりに真剣に考えた。アリスは立ち上がり、牢獄の中の窪みに向かって歩き出した。


「どこ行くんだ?」と俺は訊いた。「用を足しによ! 察しなさいよ!」とアリスは言った。


 アリスの足音はとても小さい音だった。しばらくして、それがなくなった。窪みとはいえ数メートルあるので、アリスも安心して用を足せるだろう。


 影が炎に姿を変えて……か。それは両親と妹を火事で失うっていう悪夢のような出来事が、イメージとして夢に出てきたのかな……。


 俺は空を見上げた。あんなに輝いていた星はもう見えなくなっていた。外も暗くなってきたようで、四角形の光は消え入る寸前のようだった。それは、どことなく俺の心を不安にさせる四角形だった。


 数分経ったが、アリスは戻ってこなかった。「おいアリス」と呼んでみたが、返事はなかった。

 心臓が激しく鼓動した。手足が自分の意志に反してブルブルと震えた。どうやって立ったかはわからなかったが、とにかく俺は立ち上がり、アリスのいる窪みまで駆け出した。大理石に落ちていた四角い光は、もうなくなっていた。


「アリス!」と俺は大声で叫ぶように大好きなバカの名を呼んだ。アリスは窪みの一番奥にいた。スカートをたくし上げ、黒いタイツを履いている真っ最中だった。


「なんで来るのよ変態!」とアリスは言った。俺は抗議を無視して、そのまま駆け寄って小さな体を抱きしめた。そうせずにはいられなかったし、そうする必要があった。


「数じゃないだろ! なんでお前バカなのに、助かった人数と犠牲者を計算しようとしてんだよ! 誰が誰を助けたかったかってことだろ!? 命をかけてお前を救出した両親が後悔してると思ってるのかよ!」


 上手く口が回らなかった。どちらかというと、俺は思っていることや考えていることを感情に乗せて人に伝えるのは苦手だった。しかし、そんなことはどうでも良かった。


「お前、初めて会った時に悪役令嬢だって言ってただろ!? だったらふんぞり返ってしわくちゃの婆さんになるまで図太く生きろよ! 等価交換とか馬鹿なこと言ってんじゃねーよアホ!」


 胸の中のアリスは何も言わなかった。震えて泣いているようだった。俺はアリスの両肩に手をやり、胸から離してジッと目を見た。


「産まれるはずだった妹だってわかってくれるだろ。きっと、お前に長生きしてほしいって思ってるよ」


 私のこと、恨んでないかしら? とアリスは言った。恨んでないよと俺は言った。

 私がおばあちゃんになって天国に行ったら、私と会ってくれるかしら? とアリスは言った。会ってくれるよと俺は言った。


「恨んでないし、会ってくれるよ」。俺はもう一度、続けて口にした。


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