表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

191/507

187 七福の理

 アリスは巨大な迷路の中を彷徨っているような顔で黙り込んだ。

 海沿いの村で見たという夢を端から端まで丁寧に思い浮かべ、そしてそれについて考えているようだった。

 長い沈黙の後に、アリスは結んでいた唇を俺の目を見ながら開いた。涙はとめどなくこぼれ落ちていた。


「私には妹がいたの。いえ、産まれるべき妹がいたのよ」


 巨大な迷路はアリスの手によって、ただまっすぐに伸びる平坦な路に変わっているようだった。薔薇組の待合室の扉の向こうで、なにかが擦れ合うような音がした。


「妹……。お母さんのお腹に宿ってたってことか? 夢を見て、お前はそれを思い出して気を失った……? でも、忘れてたってどういう――」


――話はあとじゃ。囲まれるぞ。


 扉の向こう側を睨みながらクリスは語った。俺は話を続けようとするアリスの唇を指先で押さえ、八咫烏を使役する。毒入りのコーヒーカップから弱々しい湯気が微かに昇っている。それは、最後まで気付いてもらえなかった漂流を告げる狼煙のようにも見える。


「ドアの向こうに6人……いや、7人か……。くそ、なんで薔薇組の騎士が俺たちにこんな真似を……」


――あるいは前髪ぱっつん娘が見たという二人の男だけではなく、薔薇組こそが屍教の母体なのではないか?


「そっ……。マジか、そんなことがあっていいのか!?」


――母体は言い過ぎたかもしれぬ。わらわには関係のない話じゃ。じゃが、うぬ。窓の外もじきに囲まれるぞ。


 もういちど八咫烏を使役して建物の周りの気配を探る。確かにこの待合室を外からも囲もうという動きが見て取れる。数は11人。俺は八咫烏が見せる俯瞰の映像をよく観察し、その一人ひとりの到着ポイントを予測する。


「みんな離れてろ!」と俺は叫ぶ。そして窓に向けて腕を構える。「なにをする気よ!?」とアリスが言う。


「はめ込み窓で開かないからな、こうするんだよ……! 出でよ鬼熊!」


ガルウウウウッ!


 木枠ごと窓が派手に砕け散る。俺は散らばったガラスの破片をブーツの底で踏み、窓枠から覗いて外の状況を確認する。まだ何者の姿も見当たらない。


「アリス、お前はあの物置みたいな建物の間を抜けてチルフィーやクリスとボルサのところまで行け! このルートなら誰にも見付からずに門を抜けられるはずだ!」

「あなたはどうするの!? 嫌よ、私ひとりで逃げろって言う気でしょ!」


 俺は扉まで駆け、取っ手を全体重を乗せて握る。すぐに開こうとする力が俺の手に伝わり、物音に対する警戒の声が俺の耳に届く。


「一緒だと捕まる可能性が高いんだよ! なぜか俺は奴らに動きを察知されてるからな……お前ひとりでボルサにこのことを伝えに急ぐんだ!」

「嫌って言っているじゃない! 私もここで戦うわ!」


 アリスは泣いている。ほんとうに目の奥にでも蛇口があって、豪快にそれを回したかのように。

 アリスを助けるために亡くなった両親。そして、産まれるはずだった妹。アリスはその尊い存在を思い出し、そして気を失うほどの衝撃を受けた。


 『私の両親はそうやって死んだわ……。そして私は今でもその事を悔やんでいるの。だってそうでしょ? いくら娘を助ける為とはいえ、お父様とお母さまの二人が死んだのよ? 計算が合わないわ……私ひとりの為に……』


 アリスは前にこう言っていた。しかし、それは間違っていた。

 二人ではなく三人だったのだ。アリスを助けるために犠牲になったのは、父と母、そして母のお腹の中に宿っていた妹だったのだ。


 かける言葉が見付からない。いや、そもそもそんな物は宇宙全体を隈なく探しても存在しない。


「なんか、最初にショッピングモールで旦那狼たちに襲われた時のことを思いだすな」、かける言葉の代替品ではなく、ただ純粋に思ったことを口にする。「覚えてるか? 前髪ぱっつんバカ」


「覚えているわ、少しは頼りになるバカ!」とアリスは言う。「あなたは私を置いて、モップ一本で大狼ちゃんに立ち向かったわ! そしてどうなったか覚えている!?」


「ああ、覚えてるよ。最終的に俺はお前に助けられたんだ。……だから今回もそのパターンをなぞろう。俺はいちど捕まる。だけど、お前はボルサを連れて俺を助けに来るんだ」


 アリスは黙って俺の目を射抜いている。扉の向こう側から怒号が響く。俺はその方向に顔を振り、そしてすぐにアリスの元に戻す。


「大丈夫だ、上手くいくよ。この異世界はお前を中心にして回ってるんだろ? だったら華麗に舞い戻ってきてくれ!」


 ぱっつん前髪が横に揺れ、長い黒髪が踊るように宙を駆ける。アリスはソファーの上の赤いリュックを手に取り、それを手早く背負う。「わかったわ。けれど、私の隣にはいつだってあなたがいるわ! 元の世界もこの異世界も私たちを中心にして回っているのよ!」


 俺は頷く。アリスも頷き、そして窓枠に足をかける。「でも中心はあくまで私よ! それだけは忘れないでおいてちょうだい!」


 思わず俺はぷっと吹き出す。取っ手を握る力が緩み、慌てて全力で力をこめる。


「アリス、あとで夢の話の続きを聞かせてくれ」と俺は言う。


「もちろんよ! あなたにしか話せないことよ!」とアリスは言う。


 俺はアリスの言葉を嬉しく思う。いつの間にか、お互いが特権階級のような存在になっていることを何よりも愛おしく思う。


「クリス、アリスのことを頼んだぞ!」。窓枠から離れていくアリスとクリスを見つめながら、俺は語りを送り届ける。


――たんと魚を馳走するのじゃぞ。


 なんらかの決意が伝わるクリスの声。それが俺の頭に響いたと同時に、扉の向こう側で何かが爆発する。


 アリス、俺もお前に話したいことがあるんだ……。


 硬木製の扉が爆散し、爆風が乱暴に俺の全身を包み、なにかが燃える匂いが俺の鼻を刺し、そして俺は気絶する。





 ああ、起きたの? と誰かが言った。それを聞いて、俺は自分が目を覚ましたのだと気が付いた。

 上半身を起こし、辺りを見回す。そこには深い闇がある。その中で、俺は俺という存在を精査する。魂と身体があやふやに漂う煙のようになっている気がする。俺はゆっくりと立ち上がり、あやふやなものを順々に繋ぎ合わせていく。俺は身体の機能のほとんどを取り戻す。


「いっ……いってえ」


 体のどこかで激痛が走る。上の方か、下の方か。たぶん両方だろうと俺は考える。一応の治療はしてあげたよ。と誰かが言う。


 暗闇の中に人の輪郭が浮かぶ。それはだいぶ小さく、アリスと同じくらいの身長の子供のように見える。

 輪郭の手がフォークボールを投げる投手のように動く。灯篭に火がともされ、俺は牢屋の中にいるのだと知る。


「あわよくば逃げ回って内部を探ろうと思ってたんだけどな……」


 両手を組んで後頭部に置き、鉄格子の向こう側の壁に寄りかかっている少年を炎が照らす。「ガルヴィンだったっけか……?」と俺は言う。「そうだよ」と少年は言う。


「俺はお前の魔法でやられたのか?」

「そうだよ」

「ここは薔薇組本部か? ……地下か何かか?」

「そうだよ」

「じゃあ、やっぱり薔薇組と屍教は繋がってるのか……」

「そうだよ」


 しかし、ジューシャはそんなことは言っていなかった。隠していたとも思えない。「それを知るのは限られた者のみとかか?」


「そうだよ。でも、今回の件でみんなが知ることになるだろうね」とガルヴィンは言う。「まあ、でももう隠す必要はないのかな。もうすぐ世界は七福の理(ななふくのことわり)に導かれるし」


 目が慣れてくると、ガルヴィンの燃えるように赤い髪が本当に灯篭の中の炎と同じ色をしていることに気が付く。「七福の理? どういう意味だ?」と俺は訊く。


「それよりも早くお風呂に入ろうよ。牢を開けるように言ってくるね」、ガルヴィンは修学旅行で友達を誘うように言い、すたすたと歩いて視界から消えていく。


「お、お風呂?」

「謎でありますね。なんでウキキをお風呂に入れるのでありますか?」

「いや……。まったくわからん」


 チルフィーは牢屋の隅から俺の頭の上に着地する。その動きを追っていると、俺は自分が上半身裸で、頭と胸に包帯が巻かれていることに気付く。噴水の水の包帯ではなく、ただの包帯のようだ。


「ってチルフィー! なんでお前ここにいるんだよ!」


 黙ってチルフィーは俺の目の前に移動し、小さなこぶしを向けてくる。俺はとりあえず自分のこぶしを軽くぶつけ、フィストバンプを成立させる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ