183 魅入った光の奥の意志
星占師ギルドの壁に掛けられている時計がピピピと鳴り、中から孔雀が出て来てミャーミャーと鳴き声をあげた。孔雀はゆっくりと羽を広げ、いくつもの目玉のような模様を俺に向けた。針は19時を指していた。中に戻っていく様子はなく、それが通常の動作であるかのようにそこに居座り続けていた。
「ああ、壊れているんですよこれ。忘れた頃にいなくなってるんです」とボルサは言った。
「なんか……こう見ると、孔雀って龍みたいな想像上の生き物っぽいな。こんなのが元の世界に普通にいるって、なんか不思議だわ」
「そうですね。この世界では孔雀が宇宙を創造したと言われています。羽の丸い模様は銀河なんだそうです。いつか孔雀が羽を休める時、宇宙という存在はまるで最初からなかったかのように消えてなくなります」
俺はボルサが言ったことについて考えてみた。ふと見ると、いつの間にか孔雀は消えていた。
「ちなみに、孔雀はこの星占師ギルドの紋章でもあります。大胆ですよね、創造神を紋章にすえてしまうなんて」
「ギルドにまで紋章があるのか。……この異世界って紋章好きだよな」
「そこら中にありますからね。ファングネイ兵団は鷹で、騎士団は馬で、騎士団薔薇組は薔薇ですね。家々まで含めると相当な数になります。これをすべて言い当てることが出来たら、それだけで好待遇の仕事に就けますよ」
ボルサは屍教の黒薔薇のことは言わなかった。あえてなのか、たまたまなのかはわからない。
「じゃあ、俺は宿に戻るよ。もうアリス帰ってきてるかもしれないし」
「わかりました。では、明日の朝『ジャック・オ・ランタン』で待ってますね」
「ああ、アポ取りよろしくな」
「はい、これから向かいます。符術師ギルドのマスターはかなり忙しい方ですからね」
*
「符術でアリスの記憶を呼び覚ます。か……」
俺はボルサに相談し、勧められた方法を呟きながら商工街の道を歩いた。
アリスが『カフェ・猫屋敷』で間違ってドアを開けて見た何か。俺が命を狙われる理由になっている何か。それがわかれば、ソフィエさん救出に大きく前進するかもしれない。
思い出させる為に、得体の知れない符術を利用するのにはかなりの抵抗があった。アリスが少しでも嫌がったら止めておこうとボルサとも話していた。しかし、アリスはおそらく目を輝かせるだろう。
「まあ、副作用なんかないって言ってたし、大丈夫かな……」
俺は藍色のコートの襟を立てた。崩竜の月・陽の風は身を切るように寒かった。
あと半月もすれば、元の世界の12月にあたる崩竜の月・陰に変わる。これからもっと寒くなる。そして、その寒さとともに、円卓の夜と呼ばれる半年間がスタートする。既に、紅い四の月は蒼い三の月と変わらない大きさで空に浮かんでいる。
加えて、ハイゴブリンのリーダーは『大厄災』が近づいていると主張している。
死ビトの活性期である円卓の夜。そして、その中期頃に飛来種を乗せた隕石がやってくるという超自然現象。その二つを合わせて、ハイゴブリンのリーダは『大厄災』と呼んでいる。
早くソフィエさんを助け出して、円卓の夜が始まる前に月の迷宮を攻略して、リアも救出しないとな……。
――うぬ、何一つ解決しないまま色々と背負いすぎではないか?
クリスが俺の手を飲み込んだまま、俺の脳に直接語りを届ける。え、クリス?
「うわあああああ!」、俺は驚き、右腕を思いきりぐるぐると回す。しかし、クリスは離す気配を見せない。
「お、お前いつの間に! なんか手が生暖かいと思ったら!」
――隙がありすぎじゃ。宿で目を覚ましたら誰もおらんかったのでな。王都を見学していたら、うぬの臭い手があったというわけじゃ。
臭いといいながらも、クリスは尻尾を存分に振っている。アリスといい、クリスといい、俺のことが好きすぎるだろう。
――誰がじゃたわけ。それよりもうぬ、つけられているぞ。
「っ……!」
瞬間、後ろから怒号が響く。「うおぉぉぉりゃああ!」
振り向きざまに、俺は下から振り上げるように伸びる青い軌道から身を引いて逃れる。同時に、剣戟が目の前を通り過ぎる。
「出でよ雷獣――」
俺は左手で男の腹に触れ、命令を体内で熱を宿している雷獣に送る。しかし、『云う』ことが出来ないので言葉は届かない。奥の細い道に、吸い込まれるようにして消えていく。
「くそっ……! やっぱりまだ封印中かよ!」
クリスが頭突きをしようと、地面に下りて後ろ脚に力を籠める。俺はクリスの小さい体を掴み、そこから飛び退いて男から距離を取る。が、男は一気に駆け出し、距離を詰めてくる。青い軌道は視えない。
「っ……!」
路地の脇に積まれている木箱まで蹴り飛ばされる。木箱が崩れ落ち、ホコリや塵が宙を舞って月明かりに反射する。それはかすかに赤みを帯びている。
――離すのじゃ。幻獣を使役できないうぬより、わらわの方が強い。
んなわけあるかアホ! いいから大人しくしてろ!
赤い殺意の光が闇の中に浮かんでいる。それはゆっくりと近づいてくる。
男はフードで顔を隠している。黒薔薇の紋章は確認できないが、屍教で間違いないだろう。
「幻獣が封印されたという話は本当らしいな!」と男が言う。声からは中年を思わせる。「どうした、恐ろしくて声も上げられないか!」
俺はクリスを脇に抱えたまま立ち上がる。「喋るタイプの屍教か」と呟く。男は俺の言葉に反応して、フードの下に見える口を激しく上下させる。
「黙ってるのは性に合わんのでな。個人的な恨みはないが、死んでもらうぞ! 運が良ければ三送りしてもらえるかもな!」
「そっ……そんなに俺が猫屋敷で見たものがお前らにとって都合が悪いのか!?」
俺は小さなナイフを右手で構える。男は律儀に問いに答える。
「大事な時期だからな。司教様たちも心配事は潰しておきたいんだろうよ!」
「だ、大事な時期ってなんだよ!」
男は何も言わない。かといって、剣を振り上げる様子もない。男の赤い目は輝きを失い、光の残像だけを闇の中に残してその場に崩れ落ちる。背中には刀身が燃えている剣が突き刺さっている。
「話の途中だったか?」と剣を引き抜き、鞘に納めながら誰かが言う。俺は徐々に暗闇に慣れてきた目で、その顔を視界の中央に捉える。
「お、お前は……!」
亡国の復興を夢見る男、ラウドゥルがそこにはいた。倒れた男を炎が包んだ。
*
ラウドゥルは大門を抜け、貴族街に足を踏み入れた。俺は寒空の下で警備にあたっている兵士の人間に会釈をして、そのあとをついていった。
ドーナツを4つに切り分けたような形状の王都は不便とも言えた。商工街から宿のある平民街に移動するのに、どうしても貴族街か軍属街を通らなければならなかった。
ラウドゥルが軍属街を避けて貴族街の大門を目指したのは偶然ではないだろう。と俺は思った。だが、何も聞かないでおいた。
「なるほどな、幻獣が封印されているのか。どうりであんな雑魚に手間取っていたわけだ」
「雑魚には見えなかったけどな……あんな鋭い蹴りなんて初めて見たわ。……ところで、あのまま放っといて良かったのか?」
「心配するな。骨も残さずに燃え尽きるだろう」
「いや、三送りしないと死ビトが増えるだろ」
ラウドゥルはふふっと笑った。口元には無精ヒゲが生えている。なかなかそれが似合っており、30ちょっとの年齢でありながら既に男の渋みを手に入れている。
「死ビトになるのは願ったり叶ったりだろう。あの男は屍教だからな」とラウドゥルは言った。「依頼を受けて探してたって言ってたけど、それって裏稼業みたいなもんか?」と俺は訊いた。
「ああそうだ。こういった仕事はいい金になるからな。それに、あの男は殺されて当然の下衆だ。ほかの奴らは屍教の上に衣を纏って普段の生活をしているが、あの男の場合は逆だな。信仰という大義名分の下に、下衆な自分を隠している」
俺はあの男の罪を訊いてみた。それから、聞かなければ良かったと後悔した。
「燃え尽きたらどういう死ビトになるんだ?」
「死んだ後のことは関係ない。ただ、背中から心臓まで貫通している死ビトになるだけだ」
貴族街を通り過ぎ、俺たちは大門を抜けて平民街に入った。宿まではもう少しだ。俺はラウドゥルとナルシードが鉢合わせにならないかと心配した。
ラウドゥルは以前、ゴブリン討伐の地に向かう馬車を襲って荷を奪った。それはミドルノームの馬車だったが、同盟国であるファングネイ王国がラウドゥルを捕えようと目を光らせていないとは限らない。
しかし、それは俺の杞憂で終わった。宿に戻っても、アリスとナルシードの姿はなかった。レリアの家で夕食でもご馳走になっているのだろうか。俺はボディバッグをベッドの上に放り投げ、バランスの悪い椅子に腰を掛けた。クリスは当たり前のように、俺の手を飲み込んだままぶら下がっている。
「悪いな、送ってもらった上に、警護で朝までいてくれるなんて」と俺は言った。しかしあまり遠慮はしていなかった。年上の友達のような感覚で俺はいた。拉致されたという出会いだったが、この男には不思議と好感を抱いていた。
「気にするな。あんなことをした詫びとでも思っておいてくれ」とラウドゥルは言った。そのまま床に座り、麻袋から革製の水筒を取り出して中身を飲んだ。「お前も飲むか?」と、サー・マントで口を拭き、水筒を持つ手を伸ばした。赤ワインだ。とラウドゥルは言い添えた。
「いや、ありがとう大丈夫だ。それより、屍教のこと詳しいのか?」
「詳しくはない。一般程度の認知でしかない。すまんな、お前の助けにはならないと思う」
「そっか……」と俺は言った。それからグスターヴ皇国のことを訊いた。「国の復興、はかどってるのか?」
「支援者が見つかってな。金もだいぶ貯まってきた。皇子も着実に成長している。皇国の地を覆う毒霧の問題もなんとかなるかもしれない。……そう遠くない未来、グスターヴ皇国の美しい街並みをお前に見せてやれるかもな」
神秘的な黄金色の光が、ラウドゥルの背から後光のように射していた。とても眩しく、思わず俺は手のひらでそれを遮った。それからラウドゥルに近づいて、光に手を伸ばしてみた。ラウドゥルは怪訝な表情を浮かべ、「どうした?」と俺に訊いた。
――おいうぬ、止めておけ。魅入るでない。
逆の手を未だ飲み込んでいるクリスが語った。なんでだ? と俺は語りを返した。
――それは黄金色の意志。あまりにも強い、この世の理をくつがえしてしまいかねない意志。触れれば、その意志に飲み込まれるぞ。
黄金色の意志……。飲み込まれるって、どういう意味だ?
――そのままの意味じゃ。その者の意志の世界に精神が取り込まれ、身が朽ち果てるじゃろう。二度は言わぬ、それに触れるのは絶対に止めておけ。
俺はそれに従い、椅子に座りなおしてラウドゥルに目を向ける。黄金色の意志はもう消えている。「どうしたんだ?」とラウドゥルが言う。俺はなんでもないと答える。
確かこれ、ソフィエさんと領主にも視えたな……。獣の眼が俺に視せてるのか? つまり、赤い殺意と青い攻撃軌道に続く、第三の能力ってことか?
――呼び名は気に食わぬが、まあそういうことじゃ。
目をつむったままそう語ると、クリスはピョンと飛び跳ねてベッドで丸くなった。腹減ってないのか? と訊くと、贄が用意できたら起こすのじゃ。という語りが返ってきた。俺は了解と答えた。
俺とクリスの様子の一部始終を、ラウドゥルは不思議そうに眺めていた。
それからすぐに勢い良く宿の扉が開いて、アリスとチルフィーとナルシードが姿を見せた。
ラウドゥルの目が冷たいものに変わった。呼応するように、ナルシードが口を真一文字に結んだ。
アリスは大きな紙袋を抱えていた。中からいい匂いが溢れ、宿の狭い部屋を高級グルメ店に変えた。