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182 封印された禁忌録にもない

 柊が飾り付けてある扉の先、呪術師ギルドの一室はとてもゆっくりとした時間が流れていた。

 夜の高速道路を行き交ういくつもの光。そのなかに混じってしまった一匹の蛍のように、呪術師のギルドマスターを名乗るノベンタという女性は一音ずつゆっくりと言葉を紡いでいった。


「じゃあ、イチムネに『云う』ことを封印されたのはどうにもならないんですか?」と俺は言った。ノベンタさんは頷き、顔を近づけてメガネの奥の瞳を俺に向けた。バニラエッセンスの香りがした。なにかお菓子を食べたのか、呪術的なアイテムの製作に使ったのかはわからない。


「そうだよ~。でも安心して~。幻獣による弱体効果はそんなに長く続かないから~」


「でも、人よりそういう弱体効果を多く受けてしまうみたいなんです俺――」、言っている途中でノベンタさんはくるりと背を向け、本やら酒瓶やらが散乱している部屋の隅までノロノロと歩いた。「あ~これこれ~」、そして足元の一冊の本を拾い上げた。


「それを踏まえても~。半日もあれば元に戻るよ~」

「半日ですか……。ノベンタさんは幻獣に詳しいんですか?」

「詳しいよ~。と言うか~。グラディエーター全般に詳しいよ~」


 散らかっているテーブルの上の酒瓶が転がり、色々な物が散乱している床に落ちて音を立てた。割れてもいないしヒビも入っていないようだった。なんで呪術師のギルドマスターがグラディエーターに詳しいんですか? と俺は訊いた。


「だって~。呪術とグラディエーターって~。似てるから~」

「に、似てるんですか?」

「似てるよ~。自分を犠牲にしてでも~。敵に打ち勝とうとするところがね~。グラディエーターはマナを消費して魔法を具現化する~。ウィザードと違って~。命を削るでしょ~? そこが共感できて~。調べてるうちに詳しくなっちゃった~」


 ノベンタさんは落下した酒瓶を拾い、ゆっくりと口元に運んで中身をひと口飲んだ。それから持っていた本を酒瓶があったスペースに投げ捨てて、ソファーに座った。


「呪術も命を削る行為なんですか?」と俺は訊いた。本を拾ってから投げ捨てたことに意味があったのかは訊かないでおいた。


「そうだよ~。『命を削る』っていうのは~。もちろん~。寿命を消費するって意味じゃないけど~。呪術の場合は~。自分の身体の一部と引き換えに~相手を呪うの~」


 まだ話の続きがありそうだった。なので俺は黙って次の言葉を待った。

 とても長い沈黙が呪術師ギルドの一室に落ちた。蛍はソファーから立ち上がり、池を求めて彷徨い歩いた。


「呪いが強ければ強いほど~。その反動で自分に災いが降りかかるんだよ~」とノベンタさんは言った。「そのせいで~ワタシこんなふうに~。ゆっくりとしか喋れないようになっちゃったの~。それだけじゃなくて~。動作もゆっくりでしょ~? だから~部屋を片付けるのも難しいの~。こんなんだから~ギルドから人がいなくなっちゃった~」


「人を呪わば穴二つってね~」とノベンタさんは立ち止まり、続けて言った。「どんな呪いをかけたんですか?」と俺は訊いた。


「人を呪い殺したんだよ~。ナルシードの両親をね~」とノベンタさんは笑って言った。





 呪術師ギルドを出て、俺は商工街の路地を東に向かって歩いた。

 ノベンタさんから教えてもらったことは3つあった。それは『いわざる』であるイチムネの封印が解かれるのは半日かかるということと、ナルシードは両親も兄弟も亡くなって天涯孤独だということ。


 『あの子~ああ見えて寂しがりやだから~仲良くしてあげてね~』


 ギルドから出ようとした俺に、ノベンタさん山なりでスローボールを投げかけてきた。ファングネイ王国薔薇組の組長に拾われるまで、ずっとひとりぼっちだったとも言っていた。

 青髪でイケメンでめっぽう強い魔剣使いのナルシードだが、薔薇組副組長になるまでに色々なことがあったみたいだ。詳しい事情をノベンタさんは言わなかった。なので俺も訊かなかった。


 場所を教えてもらった星占師ギルドの控えめな看板が見えてきた。俺は藍色の薄いコートのボタンを外して扉をノックした。「はい」という真面目な声が返ってきた。扉には柊の飾りもないし、もちろん鰯の頭もなかった。


「ウキキじゃないですか!」と扉を開けて出迎えてくれたボルサミノが言った。メガネ続きだな。と俺は思った。



 星占師ギルドは呪術師ギルドと違って、整理整頓に輪をかけて片付けられていた。

 地球儀のような物があり、天体望遠鏡のような物があった。書架にはぎっしりと本が詰まっていた。

 10年前に異世界転移に遭ってから、長い時間をボルサミノがここで過ごしたのだと思うと、なんだか上京した息子のアパートにあがった父親のような気持になった。しかしボルサミノは確か28歳で俺より7個も上なので、その気持ちはそっと胸の奥にしまっておいた。言ったら失礼だろう。


「そうですか。ソフィエさんの捜索で来たんですね」とコーヒーカップをテーブルに置きながらボルサミノは言った。中には当然コーヒーが入っていた。俺はひと口飲んでから、「ああ」と言った。


「ボルサはどこまで知ってるんだ?」と俺は訊いた。メガネを中指で上げてからボルサミノは口を開いた。


「ゴブリン討伐の地で、ボブゴブリンの襲撃に乗じてミドルノーム兵団長とファングネイ王国の兵士がソフィエさんをさらった。二人は屍教だった。今日、バルタイン家が資金提供しているという疑いで家宅捜査が執り行われた。……というところまでですかね」

「詳しいな……。ファングネイ兵団が情報規制してるってナルシードは言ってたけど」

「まあ、自分たちが仕切る現場での不祥事ですからね。でも、うちは別ですよ。その兵団から『大厄災』について相談を持ち掛けられましたから」

「ああ……。そういや兵団長とハイゴブリンのリーダーがそんなこと言ってたな……」

「ギルドマスターはその話を詳しく聞きに、大急ぎでゴブリン討伐の地に向かいましたよ」


 俺はコーヒーを飲み干してから地球儀のような物の元まで歩き、適当に指先で回してみた。ドクロのような形をした大陸が正面に止まった。


「この異世界って、こんな物を作れるほど自分たちが住んでる星のことがわかってるのか」、俺はなんとなくドクロを避け、紅葉のような大陸を視線の先に持ってきながら言った。


「ええ、飛空船もありますからね。惑星ALICEのおおよその部分は判明していますよ。北の大地は航空すら難しいらしいですが」

「飛空船もあるのか……。ってか、惑星ALICEって普通に言ったな、今」

「論文にも使わせてもらいましたよ。ゴロがいいって評判です」


 アリスが聞いたら目を輝かせて喜ぶだろう。あるいは、偉そうに両手を腰にあてるだろう。いや、その両方かもしれない。


「ウキキ、重力ってなんだかわかりますか?」とボルサは唐突に言った。ニュートンと俺は答えた。


「そうです、ニュートンが発見した重力です。ですが、それは結果の観測に過ぎません。実のところ、重力が何かなんて誰も知らないんですよ。自然界の4つの力、強い力と弱い力と電磁力と重力。その中で、原因となるものが解明されていないのは重力だけです。少なくとも、僕が元の世界にいた頃までは」


 俺はウンウンと頷く。既になにがなんだかわからない。ボルサは続ける。


「その重力ですが、この世界では宇宙から降り注ぐ力だと考えられています。その力は惑星を通過して裏側まで到達し、また宇宙空間に返っていくように昇っていきます。それは惑星を通過している最中に、惑星の大きさに比例して減衰します。降り注ぐ力から、その減衰した昇る力を引いたものが重力なんです。つまり、だからこそ惑星の質量が大きいと重力が強くなるんです」

「なるほど。よく意味がわからないけど、この異世界ではこの異世界で元の世界とは違う独自の天文学が発達してるのか。……でも、なんで急にそんな話を始めたんだ?」


 俺はソファーに深く座り、コーヒーカップを持ち上げてボルサの返答を待った。口元まで運んだところで、コーヒーカップは空だったことを思い出した。


「僕なりに考えてみたんです、屍教がソフィエさんをさらった理由を。誰にでも等しく三送りを、という彼女の流儀は確かに屍教にとって邪魔でしょう。でも、それだけであれば殺せばいいんです。そのチャンスはいくらでもあったはずです」


 ボルサは空になった俺のコーヒーカップに目をやった。そして立ち上がり、後ろの机からコーヒーサーバーを持ってきて、俺の目の前で傾けた。「ありがとう」と俺は言った。注がれたコーヒーからは湯気が天井に向かって昇っていた。


「ソフィエさんが重力を操れることは知ってますか?」とボルサは言った。俺は頷いた。「そういえば、アリスのアイス・キューブのサポートをしたことがあったな。少しだけ重力に逆らう手伝いってソフィエさんは言ってたけど」


「少しだけ重力に逆らうだけでもすごいことなんです。惑星が引っ張る力。あるいは、天から降り注ぐ力。そのどちらが正しいか僕にはわかりませんが、そんなわけのわからない力を操れるのは僕の知る限り彼女だけです。大魔導士の館に封印されている禁忌録にもそんなものはないはずです。つまり、屍教はその力を狙ってソフィエさんを拉致したのではないでしょうか? その力で、彼らは何かをしようとしているのではないでしょうか?」


 ボルサはコーヒーをひと口飲んだ。そしてメガネに人差し指で触れた。

 確かに、オウティスはショッピングモール周りの花鳥風月と表現すべき風景を前に、『事の前に見れて良かった』と言っていた。何かをしようとしているのは明らかだった。


 俺はオウティスという転移者と会ったことをボルサに話した。それから森爺のことを話した。アラクネ騒動から今の今まで、ボルサに話すことが山ほどあった。

 ボルサはそのすべてを生真面目な表情で聞いていた。話し終えるまでに、俺が飲んだコーヒーは4杯だった。


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