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181 柊の奥の桜色

 屍教の歴史はとても古い。とセリカは言った。

 しかしどの時代においても彼らは迫害され、忌み嫌われていたという。

 送り人血盟が設立されたのと時を同じくして、『四併せこそが人の幸せ。死ビトとなって再び地上を歩くことこそ、人に与えられた唯一の幸福』という教えは、多くの血を流すことによってこの異世界から姿を消すこととなった。


「送り人血盟にとって、屍教は是が非でも消したい存在だった。異教徒と呼び、根絶やしにする協力を煽る文を全世界に送り届けた。それであっけなくよ。『聖騎士戦争』だとか言われてるけど、そんな大層な名で呼ばれるまでもない、一方的な戦いだったみたい」

「協力しないと、その国の人々の三送りはしない。とか書いてあったのか?」

「きっとそういうことなんでしょうね。三送りされずに自分たちが死ビトになることを恐れたんだと、わたしは教えられた」


 セリカは細い路地を歩きながら続けた。商工街の風は冷たく、建物の窓辺の明かりはどこか他人行儀だった。


 世界各国により滅ぼされた屍教。しかし約三百年前、一人の男の手によって復活を遂げた。

 その男は死ビトを自在に操り、この異世界の脅威だったはずの死ビトを味方につける能力を有していた。そして人々を助けて回り、いつしか助けられた人々が集まって大きな団体となった。


「言ってみれば新屍教ね。もちろん表立って何かをしようとはしなかったわ。ただ教えを学び、そして伝えるだけの団体よ」

「ちょっと待て、その男って、ようするに死霊使いだったってことか?」


 セリカは前を向いたまま頷いた。「そうよ、あんたと同じグラディエーターの死霊使い。わたしのご先祖様でもあるわ」


「ごっ……ご先祖様!?」

「そう、ご先祖様。母方のね。でもグラディエーターの能力は遺伝なんてしない。ご先祖様以降の血筋に死霊使いの能力を持つ者は出ていないわ」

「じゃ、じゃあ、お前は屍教を復活させた一族の末裔ってことか!?」

「まあ、そういうことになるね。父さんに連れられて屍教を離れなければ、母のあとを継いで最高司祭になってたと思う」


 さ、最高司祭……それって警視総監みたいなもんか!?


「屍教はただ自分たちが信じる教えを大事にしたいだけよ。それ以外は他の人となにも変わらないわ。でも今の時代でも世界から目の敵にされて、密教のように影に隠れて信仰するしかない。刻まれた黒薔薇を隠して、普通の人々の生活に紛れ込むしかない。でも、それでもみんな満足していたわ。……少なくとも、私がいた頃は」


 ゆるい坂を上り、様々な看板があちらこちらに掲げられている通りが見えてきた。セリカは通りを突っ切り、また細い路地に入った。


「なんで親父さんはお前を連れて出ていったんだ?」

「さあ、それはわからない。10年前なんて、わたしはまだ子供だったし。でも、それからね。屍教が各地で目立つようになったのは。もちろん、悪い意味でね」

「そっか……。戻りたいとは思わなかったのか?」

「思ったわ。でも戻ろうにも戻る場所がわからなかった。屍教はその時々によって本拠地を変えているのよ。あの遺跡みたいな場所だったり、山の中だったり。……出て行ってすぐに父さんは死んでしまった。子供ながらに母となにかあったんだと感じてたけど、それを聞く前に。それから父さんの友人だったファングネイ兵団長に引き取られて、今に至るってわけ」


 何かのにおいが鼻をかすめた。鉄と油となまこ酢を混ぜ合わせたようなにおいだった。


「今は戻りたいって思ってるのか?」と俺は訊いた。セリカは立ち止まり、顔を45度振って灰色の瞳で俺の顔をじっと見た。話している間ずっと前だけを向いていたので、一生目が合うことはないのかと思っていたが、それは杞憂だったみたいだ。


「思ってないよ。今はね」とセリカは言った。「あの男はわたしの幼馴染。軍属街を歩いてたら向こうから来たのよ、久しぶりってね。屍教が何をしようとしてるのか聞いたけど、肝心なことは何一つ教えてくれなかった。だから、別に戻りたくてわたしから連絡を取ったわけではないの」


 俺はセリカの目を見ながら、「そっか」と言った。胸のつかえが取れた気分だった。嫉妬ではないが、それに近い感情をスマホの中の男に感じていたのかもしれない。

 セリカは俺の感情なんて気にもせずに、突然ショートパンツの裾を捲って上げた。ふとももの付け根はまた一段と美しかった。バンダースナッチが俺の中で暴れ回り、左手に封じたジャバウォックはスマホを取り出し、ばれないように写真に収めようと画策した。だが、俺は理性を持ってセリカが見せようとしている物の理解に傾注した。


「……黒薔薇の紋章か」

「そう。黒薔薇の紋章。一生消えない、わたしがこれからも背負っていかなくてはならない十字架。だけど、これはもう過去の物。屍教の教えは脳の奥に根付いて消えないけど、わたしが屍教に戻ることなんて絶対にない」


 セリカはそう言って、ショートパンツの裾から手を離した。

 一生ふとももの付け根を見せてくれるのかと思っていたが、それは俺の希望的観測だったようだ。





 俺はセリカに案内された商工街のとあるギルドの戸を叩いた。

 知らない場所に一人で訪れるというのはなかなか緊張するが、セリカもナルシードと同じくバルタイン家捜査の成果を兵団に確認しに行ったので仕方がない。

 柊が飾り付けてある扉は、俺のノックになんのリアクションも起こさなかった。三回繰り返した後に、黒々とした無骨なレバーハンドルに手を掛け、押してみた。扉はギイっという嫌な音を抜きにすれば、比較的素直に俺を招き入れた。


 呪術師ギルド。

 王都に数多くあるギルドの中でもっともイメージしやすかったが、内装は俺の想像とはかなりかけ離れていた。

 まず酒くさい。そしてすごく散らかっている。藁人形や怪しい薬品が入っていそうな小瓶が乱雑しているならとにかく、分厚い本や衣類や陶器のお皿や酒瓶がそこらじゅうに放り投げられてある。あるいは、この空間全体が呪いのアイテムをつくる釜のような物なのかもしれない。


 天井から吊るされているランプのような照明器具が、ソファーで横になって眠っている女性の全体像を淡く浮かべている。20代後半ぐらいの下着姿の巨乳である。茶色くて長い髪を二本にまとめて縛っている。縁のない眼鏡をかけている。

 俺は仕方なく近づき、そのメロンのようなお胸様の観察に努める。女性が静かに寝息を立てると、それと連動してお胸様がかすかに上下する。メロンは俺に食べられたがっている。俺はそう感じ取る。

 窮屈そうに折り曲げられている足を辿ってみると、おパンツ様がニッコリ笑って歓迎している。その薄いピンク色は俺に肌色の森で咲く一本のソメイヨシノを連想させる。ここは転がっている酒でも飲み、花見といくべきだろうか。


 しかし、ここに来た目的を俺は放棄したりはしない。イチムネに『云う』ことを封印され、幻獣を使役出来ない状態をなんとかしてもらう為に来たのだ。雑念の類は一切ない。10秒だけ花見をしてから、俺はとりあえず入り口まで戻り、スマホを取り出す。

 動画を撮影しようとすると、イチムネが偶然撮影したセリカと男の動画ファイルに目が向く。俺はそれを削除する。そしてスマホのカメラを自分に向けて動画撮影を行う。このギルドに入った理由を手短に述べる。


「じゃあ、不本意ではありますが、ソファーで寝てる女性を起こすであります」と、はっきりとした口調で俺は言う。こうしておけば、もしあらぬ疑いをかけられたとしても安心だ。


「誰~?」と女性が言う。そのしゃがれた声に驚き、俺は絶叫をあげる。俺の絶叫に女性が絶叫をあげる。絶叫の連鎖のなかで、二つのメロンが大きく揺れ、肌色の森に咲くソメイヨシノが少しずれて際どいラインを露呈させる。



「へ~、ナルシードに紹介されて来たのね~」


 その辺を片付けながら、女性が振り向かずに言った。床に転がる本の上に本を置き、またその上に本を何冊か重ねた。そして手をパンパンと払い、ソファーに掛かっていた白いローブを手に取った。片付けはこれで終わりのようだ。


「はい……。あの、あなたがこのギルドのマスターなんですか?」と俺は言った。ローブを着て振り返った女性の胸元には、まだメロンが二つあった。


「そうよ~。呪術師ギルドマスターのノベンタよ~。よろしく~」、女性はゆっくりと丁寧に時間をかけて自己紹介をし、そこから更に10秒かけて握手の手を伸ばした。


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