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179 デカパイ

「おいイチムネどうした! なんでこんな所にいるんだよ!」


 俺は猿の幻獣に真剣に語り掛ける。大狼と違って文字通り話が通じる相手ではないが、それでもそうしないわけにはいかない。


「ウキキ!」とイチムネが一段と大きな声で鳴く。その目は赤く、明確な殺意を俺に示している。


「逃走癖があるようね、うちのジョニーと同じだわ!」


 アリスがイチムネに近づき、頭を撫でようと腕を伸ばす。俺はアリスの逆の腕を取り、思いっきり引っ張る。


「触るなアホ! こいつ様子がおかしいぞ!」


 俺はアリスやセリカを下がらせ、もう一度イチムネに伝わらない言葉を届けようと声をあげる。「おい落ち着けイチムネ!」


 刹那、目にも止まらぬ速さでイチムネは大きく飛び上がる。そしてガーゴイルの彫刻が施されている扉の上部に着地し――


「っ……!」


 次の瞬間には俺の目の前にいる。その手に強い光が帯び、それに気付いた時には既にビンタが俺の頬に叩き込まれている。


「いってえ……!」


 威力はさほどでもない。しかし、あまりにも動きが速すぎる。俺の目ではとても捉えきれない。

 イチムネは壁から壁に、そして地面に飛び移り、殺意の眼から零れる赤い光で幾何学的な図形を描く。


 俺は腕を構えていつでも玄武の使役が行えるように備える。視界の端で、セリカが胸当てから円月輪を取り出す。


「駄目だセリカ! こいつは帝国の皇女のペットだ、傷つけたら国際問題になりかねないぞ!」

「だからって、じゃあどうするのよ。このまま逃げ切れるとは思えない」

「狙いは俺だ、お前らはとりあえず階段で上の階に――」


 『避難しろ』と言う前に、チルフィーがアリスの頭の上から飛び立ち、動きを止めてその場で飛び跳ねて俺を挑発しているイチムネの頭上に着地する。


「風の極み発動であります! 気を落ち着かせるのであります!」


 それはかつて俺を混乱に陥れ、おパンツ狩りなんていう心ときめく戯れを敢行させたチルフィーの奥義。しかし混乱は稀に起こる現象であり、通常は心身ともにリラックスさせる効果なのだとチルフィーは力説していた。確かにチルフィーの可愛らしい踊りは見ているだけで癒される。


「ウキキ! ウキキ!」とイチムネが鳴く。チルフィーが手を天まで突き上げ、ワンピースの裾をヒラリとひるがえし、緑色のポニーテールを揺らす。風の精霊と猿の幻獣のコラボレーションが、古代バビチネス王朝の遺跡であるこの塔の地下で行われている。それは過去にまで届き、未来までを繋ぐ一陣の優しい風のように俺は思う。


 風の極みに終わりがやってくる。イチムネの目から赤い光が消える。風は確かに次元を越え、ありとあらゆる時代の人々に少しだけ暖かさを送り届けてから、チルフィーの中に静かに戻っていく。


「成功したであります!」とチルフィーが言う。自分でも信じられないというような表情をしている。おい。





「イチムネ、おとなしくなったみたいね」とセリカが言う。俺は頷いてから、アリスに背中から抱きつかれているイチムネに視線を送る。


「なんで殺意を持つほど興奮してたんだろう……」、視線をガーゴイルの彫刻が施されている扉に移す。「この先になにか関係が……?」

 アリスの赤いリュックに付いているブタ侍が、アリスがイチムネにちょっかいをだすたびに迷惑そうに揺れている。しかし、喋りだす様子もアリスのおパンツ様を覗こうとする気配もない。自分は無関係だという主張を動かぬことで貫いている。


 俺は塔の下の方にあった気配をもう一度確認する為に、八咫烏を使役する。


「あれ、気配が消えてる……」


 あったはずの気配は煙のようにきれいさっぱり消えている。ここに来るまでに誰もいなかったので扉の中のものだと思っていたが、俺たちが塔に侵入する僅かな時間でどこかに移動したのだろうか。


「その気配ってイチムネなんじゃないの?」とセリカが言う。「いや、こいつは幻獣だ。八咫烏じゃ気配は視えないはずだよ」と俺は言う。


「じゃあ考えても仕方がないね。送り人が囚われてるのは上ってことでしょ? ナルシードの援護に行かないと」


 俺は再度、扉の取っ手を両手で握って力いっぱい引っ張ってみる。押してみる。上下にゆすってみる。しかしびくともしない。最初からこれは扉ではなく、壁に取っ手が付いているだけなんじゃないかと思うほどに、それは頑なに開くことを拒否している。ガーゴイルの彫刻が俺に向かって言っている。『必要な時が来れば、それはおのずと開かれる』。そう聞こえたような気がする。


「援護か……」と俺は言う。「それは必要ないな。……もうこの塔にあった気配は全部消えてたよ。ソフィエさんはいなかったみたいだな……」





 階段を上って一階に戻ると、ちょうど上の階から降りてくるナルシードの姿があった。何も言わずにナルシードは首を振った。そしてアリスのカーバンクルの肉球に触れながら、みんなのことを気遣うように「怪我はないかい?」と尋ねた。「全員なんともない」と俺は言った。「それは良かった」とナルシードは返した。


 やはりソフィエさんは発見できなかったとナルシードは言った。それどころか屍教の一人すらいなかったと続けた。俺がこの塔の中に視た6つの気配、それは忽然と姿を消した。


「小動物とか、虫の気配を視たんじゃないの?」とセリカが訊いた。俺は首を振り、「いや、さすがにそれくらいの見分けはつくよ」と答えた。


 俺は上の階の5つの気配もさることながら、地下に視たはずの気配が気になっていた。古代バビチネス王朝時代に造られた遺跡の、ガーゴイルの彫刻が施されている扉。その奥に誰かがいたのだろうか。それはショッピングモールの月の迷宮となにか関係があるのだろうか。

 俺は冒険手帳の真っ白なページにペンを走らせた。セリカが入り口の扉を開けながら振り向いた。


「そういえばあんた、わたしに何を命令したいか決まった?」

「命令?」

「言ったじゃない。二度も助けられたお礼に、なんでも一つ命令を聞くって」


 俺は冒険手帳をボディバッグにしまった。塔からアリスやナルシードが出ていくなか、扉を開けながら待ってくれているセリカに俺は言った。「命令じゃなくてお願いでもいいのか?」


「それでも構わないよ、もう決まってるの?」とセリカは言った。「いや、考え中だよ。そんなワクワクすること、すぐに決められないわ」


「あんた、ほんと優柔不断だね。考えて、迷って、決め兼ねて。それでそのうちどうでもよくなっちゃうタイプでしょ」

「お、お前……マジで姉貴に似てるな。まったく同じことを前に言われたわ……」


 扉がしまり、塔はまた静寂のなかに眠りについた。

 ソフィエさんの行方がまたわからなくなった今、すぐにでもファングネイ王都に戻って捜索を続けなくてはならない。

 手掛かりのあてはあった。アリスがハンマーヒルの『カフェ・猫屋敷』で見た、何かだった。アリスの記憶が一つの物語の終結には必要だった。ソフィエさんという、赤いふんわりショートボブの美しいお姫様を救出するという物語。勇者が何者かを華麗に討伐して、大団円を迎えるべき物語。

 勇者は俺かな、と考えた。それからすぐに首を横に振った。俺はそんなガラではない。


「大嫌いなお姉さん?」とセリカは言った。

「大嫌いなお姉さん」と俺は言った。





 ファングネイ王都のシャドウダース・ゲートが馬車の窓から見えてくると、ずっと黙って何かを考えていた様子のナルシードが口を開いた。


「確かに塔には屍教がいた形跡があった。僕らが着く前にソフィエちゃんを連れて移動したんだ」


 それを言うタイミングは今がベストなのだろうと俺は思った。前だと早いし、後だと遅いということが俺にはわかった。


「バルタイン家が屍教に資金提供しているという情報。あれは騎士団と兵団を足止めする為のものだった」と、俺はナルシードが言う前に言ってやった。アリスがチルフィーとイチムネに絵本を読んであげていた。チルフィーは熱心に桃太郎の物語に耳を傾け、イチムネはここぞという時に「ウキキ!」と相槌を打っていた。


「だろうね」とナルシードは言った。「つまり、ウキキ君の行動は屍教に筒抜けということだね」


「やっぱりそうか……。まあ、行く先々で襲われたりしたからな……」、俺はセリカに視線を向けた。窓から外を眺めていた。その横顔は姉貴が化粧をした時よりも遥かにきれいだった。それと思っていたより胸が大きかった。ふとももだけではないと主張しているかのように、革の胸当てがきついと俺に言っていた。


 ナルシードは俺の考えをおそらく見抜いていた。『セリカが屍教に漏らしているのではないか』という黒い砂に埋もれた疑惑を。しかし、あえてナルシードは話題を変えた。こいつがそうするなら、今ここで追及することはベストではないのだろう。


「ところでウキキ君、その猿の幻獣……イチムネって言ったっけ? まさかとは思うけれど、それに叩かれたりはしていないよね?」

「えっ……。いや、思いっきりビンタされたけど……それも二回」


 『ハァ……』というため息が馬車内で漏れた。なぜかアリスのものだった。


「キミ、なんともないのかい?」とナルシードは言った。俺は首をひねった。


「なにか幻獣を使役してごらん」

「な、なにかって……なんでだ?」

「いいから、早くしておくれ」


 なんだかいつになく厳しい口調で言われた。俺はとりあえず木霊を使役しようと腕を構えた。


「出て来いや木霊!」


 しかし、突き出した先の向かいの席にはなにも現れなかった。噛んだのかなと、もう一度使役してみたが同じだった。俺は誰もいない空間に向けて鎌鼬の名を叫んだ。


「出でよ鎌鼬――」


 不思議な感覚だった。命じても身体に住む幻獣にはまるで届かず、ただ虚空に吸い込まれていくように言葉が消えて無くなった。

 鎌鼬の顕現は成らなかった。俺は自分の手のひらを見つめた。いつもと変わらない俺の手のひらがそこにはあった。


「イチムネは三猿が一つ、『いわざる』。幻獣使いは命令を言葉という媒体に納めて、身体に住まう幻獣に伝える。イチムネから叩かれたキミは今それが出来ない。言わば、『云う』ことが出来ない状態だよ」


 アリスの読む桃太郎の物語が、めでたしめでたしという結びの言葉を経て大団円を迎えた。

 イチムネが飛び跳ねながら、「ウキキ!」と鳴いた。


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