178 チビりそうな鳴き声
塔は台形の上に円柱を載せたような造りになっていた。円柱にはいくつかの窓があり、腐った木の板が武装解除の命令を待ちわびる兵士のように我慢強く覆っている。
外壁のいたる所がえぐられたように崩れ落ちており、そこから赤土が姿を覗かせている。それは人の体を穿った痕のようにも見える。
塔の周りには原形をとどめていない石像がある。神聖な物にも見えるし、邪悪な物にも見える。あるいは古代バビチネス王朝の王が造らせた自らの像なのかもしれない。いずれにせよ、そこにはなにか異質な空気のようなものが漂っている。
「誰もいないわね」
枯れ木の陰に身を隠し、顔をヒョコっと出して塔の様子を窺っているアリスが言う。
「ああ……。思ってたより静かだな。ナル、死ビトと化物の巣窟とか言ってなかったか?」
「それがかえって怪しいね。隠れ家にする際に、屍教が処理したのかもしれないよ」
ナルシードは俺の問いに爽やかに答え、注意深く塔の概観を観察する。
「ウキキ君、八咫烏で内部を視てくれるかい?」とナルシードは言う。俺は頷き、八咫烏を使役して中の気配を探る。
「塔の下の方に……地下か? 気配が1つあって、上の方に4つ……いや、5つあるな」
「ソフィエちゃんの気配はどれだい?」
「いや、そこまで細かくはわからねえよ。でもどれも動いてる感じだな、椅子に座ってるとかベッドに寝てるみたいな様子はないわ」
「そうか、ありがとうウキキ君」。ナルシードは続けてセリカに視線を送る。「元屍教として、捕らえた娘を縛りもせずに動き回させることはあり得ると思うかい?」
セリカは視線も表情も変えずに答える。「元屍教でも元騎士団でも元兵団でも答えは変わらない。部屋に閉じ込めてるなら動いてても不思議はないでしょ」
「確かにそうだね」と、もともと用意していた相槌のようにナルシードは言う。ナルシードなりに、元屍教であるセリカになんらかの意見を言わせたかったのかもしれない。
「どうするよ、ファングネイ騎士団薔薇組副組長」と俺は言う。ナルシードは俺たち全員の表情を確認してから塔の扉を見据え、口を開く。
「決まっているよ。ソフィエちゃんを救出して王都に戻り、祝杯をあげるだけさ。僕は上から攻める、ウキキ君たちは下の方を頼めるかい?」
「いいけど、お前ひとりで大丈夫か?」
「それはファングネイ騎士団薔薇組副組長に言うセリフではないね」
ニコっとナルシードは笑う。俺も合わせて笑っておく。
「死ビトはマナが枯渇してて気配は見えない。中にいるかもしれないから注意しろよ」
「ああ、ウキキ君たちもくれぐれも気を付けておくれ。危ないと思ったら迷わず逃げるんだよ?」
俺は頷く。セリカも遅れて頷くなか、チルフィーを頭にのせたアリスがなんらかのハンドサインを掲げ、元気よくスタートダッシュを切る。
「じゃあ突撃よ!」
俺はそのバカの舞う後ろ髪を掴み、静止させる。
「なにをするのよ! 痛いじゃない!」
「お前がなにをするのよだアホ! そのギャグはもう飽きた、お前は大人しく後ろからついてこい!」
「あなたこそ後ろから私を援護してちょうだい!」
俺はため息を一つ。
「いいから言う通りにしろおパンツ嬢。ってか、カーバンクル召喚しとけよ、少しは守ってくれるんだろ?」
「そうね、忘れていたわ!」
アリスはその場でクルっと回り、空を持ち上げるように両手を上げる。
「アリスちゃん、召喚士だったの? すごいわ、わたし初めて見た」とセリカが言う。
ナルシードはゲートから現れ、光の輪を頭上に浮かべるカーバンクルの肉球に触れる。「召喚獣は召喚士のマナの性質によって大きく姿が変わる。だけれど、アリスちゃんの召喚獣はそのままのようだね。純粋なマナってことなのかな」
ベタ褒めされたアリスは両手を腰にあて、もの凄く調子に乗っている。元の世界も惑星ALICEも私を中心にして回っているのよと、ナルシードとセリカに宣教師のように説いている。
俺はカーバンクルに語り掛ける。
よう、久しぶりだな。紅衣のデュラハンの時はありがとうな。
「モキュ?」
可愛い。なにこれ凄い可愛い。しかし、俺のことを認識していないみたいだ。なにを言っているんだこの人間は、という風な顔をしている。
まあ、紅衣のデュラハンの際のことは額の赤いルビーが起こした不思議な現象だったのだろうと、やや強引に納得しておく。
アリスは未だ絶賛調子に乗っている。俺はこの機を逃さない。
「アリス、お前はカーバンクルと後ろの守りを固めてくれ。お前にしか出来ない重要なポディションだ」
「了解よ!」
了解してくれた。俺はナルシードに目で合図を送る。ナルシードは頷き、「じゃあ行こう!」と口にする。
*
硬く重々しい扉を開けると、広々とした空間が目に飛び込んできた。壁伝いの螺旋階段は上る者を天国へといざなうように、とぐろを巻いて遥か上の階まで伸びている。
中央にはショッピングモールの噴水のような丸い貯水槽があり、濁った水が張られている。それは生活用水の為というよりは、なにか儀式的役割を担っているように見える。
「明らかに人が出入りをしているね。屍教の本拠地と見て間違いなさそうだ」とナルシードが言う。
おそらくそれは物質的な形跡ではなく、人の生活を匂わす空気のようなものを言っているのだろう。確かに数世紀ぶりに扉を開けたピラミッドの中のファラオの墓というよりは、閉鎖的な田舎の集会場のような雰囲気が感じられる。
ナルシードは俺たちを気遣ってから螺旋階段を上っていく。俺は螺旋をちょうど90度移動するまでその姿を目で追い、それから端にある下り階段に視線を移す。
マンションの3階分ていどを下りると、狭い空間に大きな硬木製の扉という組み合わせに行き着く。もう下る先はなく、塔の地下の役割はこの扉の奥にあるのだろうと俺は思う。
外の石像と違って、扉に施された彫刻はまるで昨日彫られたような真新しさを保っている。それは扉が開くか試すことすら躊躇させるような禍々しさで俺たちを頑なに拒んでいる。
「これは……ガーゴイルか?」
「ええ、ガーゴイルの彫刻が施された扉ね。なんだか月の迷宮に似ていない?」
アリスの言葉で俺も気が付く。確かに月の迷宮の大きな月が施された扉に似通っている。
同じ時代に同じ高名な彫刻師が丹念に造った扉。そう先入観を持って見ると、相違点を探すほうが難しい。
チルフィーがガーゴイルの彫刻の顔部分に着地する。「では、ウキキが視た気配はこの中なのでありますか?」
「ああ、そうっぽいな……。この中にソフィエさんが……?」と俺は答える。「とりあえず開けて確かめないと」とセリカが言い、扉の取っ手に手を掛ける。しかしすぐに諦めにも似た表情を浮かべる。
「開かないわね。鍵口もないし、どうやって開けるの」
「月の迷宮はブタ侍が開けてくれるから……これも何か特別な力で開く扉かもしれないな」
俺はセリカの疑問に曖昧に答える。しかしそういうことであれば、地下よりもナルシードとともに上を捜索したほうがいいかもしれない。
瞬間、「ウキキ!」という声が狭い空間に響く。あまりに突然で、俺は生まれて初めて悲鳴に近い声をあげて驚く。振り向くと、そこには猿の幻獣のイチムネがいる。
「ウキキ!」
イチムネは目を真っ赤に輝かせている。あるいは俺の名を呼んでいるのかもしれない。