176 届けられた想い
「ところで私たち、どこに向かっているの? ナルシードに会いに行くんじゃなかった?」
アリスが歩きながら振り返り、俺の顔を直視した。
「その前にパンプキンブレイブ家の屋敷にいるジューシャの娘と会うんだよ。あとにする予定だったけど、レリアと運よく会えたからな」
「レリアのお家に行くの!? 楽しみだわ!」
アリスが目を輝かせて、シュリイルと繋いでいる手をぐるぐると回す。
「アリス、さっきも言ったでしょ? うちは今、色々とピリピリしているの。わたくしが連れて来るから、あなた達は近くのお店で待っていて」
レリアは繋いでいるシュリイルの手を、アリスと逆方向に回しながら言う。
「そうなの? じゃあレリア、どっちが速くシュリイルの手を回せるか勝負よ!」
「じゃあの意味がわからないけれど、勝負とあれば負けられませんわ!」
そして訳のわからない勝負が始まる。中央のシュリイルは、両方の手をそれぞれ時計回りと逆時計回りに回すことを余儀なくされる。
「目が回るのです~」とシュリイルは言う。俺は少し後ろから、三人の少女の戯れを眺めている。
アリスが11歳。レリアが13歳。そして皇帝陛下の娘であるシュリイルが10歳。なんて癒されるパーティーだろうか。
そして俺の隣には猿。俺の頭の上にはシルフ族のチルフィーがいる。
「珍妙なパーティーでありますね」とチルフィーが言う。
「ああ……。ソフィエさん救出の為に王都に来たってのに……」
「ウキキ!」
猿の幻獣のイチムネが会話に参加する。おそらく、『のんきな奴らだぜ』と言っているのだろう。
俺はボディバッグを腕にぶら下げて、ジューシャから預かっている物を取り出す。母の形見のネックレス、そしてジューシャの家に伝わるダガー。
「ジューシャの娘に、なんて言って渡すのでありますか?」
俺は折れたダガーの柄を軽く握る。ネックレスの瑠璃色の石を太陽のような恒星の光にあてる。
「なんて言おうか……」
*
大門を抜けて貴族街に入ると、町並みが一変した。中世ヨーロッパの貴族の屋敷のような建物が、スタートの合図を待つチェスの駒のように、なんらかの規則に則って並んでいた。
外観はどれも似通っている。すべてが同じ時代に建築されたような統一性が感じられる。
大きな違いと言えば、ところどころで主張している家をあらわす紋章や、敷地を囲む外壁、鉄柵ぐらいなものだった。
黒と白を基調とした貴族街の風景はどこかよそよそしく、俺のブーツの底に僅かな鈍みが帯びた。
「あそこの店で待っていてもらえるかしら」とレリアが言った。そして一角を指差した。
「わかったわ! また遊びましょうね、シュリイル! イチムネ!」とアリスが言った。
「ハイなのです」とシュリイルは屈託のない笑顔を浮かべ、イチムネは「ウキキ!」と俺の目を射抜きながら鳴いた。
アリスは三人を見送りながら激しく手を振っている。見えなくなるまで振るつもりだろう。
「『オパルツァー帝国』の皇帝の娘か……。ってか帝国の正式名称、初めて聞いたな……」
俺はシュリイルの輪郭を見ながら呟いた。金髪ツインテールが左右対称に揺れている。
「聞いたことがあるであります。このファングネイ王国と並ぶ、西の強国でありますね」、チルフィーはそう言いながら、アリスの頭上に着地した。
西の強国か……。
俺は見たこともない『帝国』を頭の中でイメージする。その中央にはピエロがいる。
まさか金獅子のカイルがそんな国の皇帝の息子だったとはな……。
最強の幻獣使いの騎士――帝国の自由騎士って言ってたっけ。そんでレリアがベタ惚れしてる……けしからん、実にけしからんな。
俺は想像の中のピエロに鎌鼬をくらわす。真夜中のショッピングモールに現れたピエロは未来の俺だが、すでに金獅子のカイルのイメージはピエロで固定されてしまっている。
「残念だわ。もっとシュリイルやイチムネとも遊びたかったのだけれど」とアリスが言う。『残念』に分類される7番目の表情を浮かべている。三人の姿はもう見えないが、未だに手を振っている。
「いつまでも護衛もなしに外をウロウロさせられないんだろ。なにかあったら滞在先のパンプキンブレイブ家の責任になりかねないし」
「そうね。絵本を読んであげるのはまた今度の機会にするわ!」
颯爽と踵を返し、アリスはレリアが指した店へと歩きだす。『ジャック・オ・ランタン』という、紅茶とケーキのお店らしい。
店内には何組かの貴婦人的な人がいる。空いているテーブルに着き、アリスが姿勢よく手を上げる。
注文を取りに、上品な高齢の男性店員がやってくる。俺は紅茶を注文し、アリスはレモンシフォンとアイスティーを注文する。チルフィーはメニューを見ながら眉をひそめている。
高価そうな白いカップが空になった頃、ジューシャの娘を連れたレリアが戻ってくる。
パンプキンブレイブ家でメイドのようなことをしながら魔法学校に通う、6歳のおかっぱ頭の女の子。
父はハンマーヒルの牢獄に囚われていて、母は男と南の国に駆け落ちしたまま行方をくらませている。そんな目の前の小さな女の子の境遇を思うと、強く胸が締め付けられる。
「ラクアです。こんにちは」と女の子は言う。「こんにちは」と俺は言う。
アリスが店員を呼び、二人の飲み物とケーキを独断で注文する。チルフィーはアリスの頭の上で顔をしかめ、なんかふてくされている。
俺はボディバッグからネックレスとダガーを取り出し、ラクアの前に置く。「お父さんから預かった物だよ」と言葉を添える。
「お父さんと会ったの?」
「あ、ああ……会ったよ」
「どこで? 私も会いたい!」
俺はレリアに視線を投げる。レリアは表情を変えずに小さく首を振る。
老店員が、チーズケーキとミルクティーを銀のトレーに乗せてやってくる。俺ははぐらかし、「おいしいよ」と勧める。
おそらくは意識をせずに、アリスが助け舟をよこす。そのまま色々な話をラクアと始める。
アリスはアリスで、自分より年下の女の子が可愛くて仕方がないみたいだ。兄弟はいないと言っていたので、お姉さんとしての立場に飢えていたのかもしれない。
ラクアは楽しそうにアリスの話を聞きながら、チーズケーキを少しずつ味わうように食べている。
食べ終わる頃、その目に煌めきが浮かぶ。
「お父さんに会いたい。……なんで帰ってこないの?」そう言って、静かに煌めいたものを形に変えていく。涙が溢れていく。
ジューシャは休みの日によくチーズケーキを作ってくれたようで、それを思い出してしまったみたいだ。
アリスは自分の2個目のケーキをラクアの目の前に持っていき、励ましている。それからすぐに、「私もおじい様に会いたいわ!」と言ってつられて泣きだす。俺は何も言えずにオロオロとする。
するとレリアがラクアの手を取り、テーブルの上に置いて手のひらを重ね合わせる。
「よくお聞きなさいラクア。あなたのお父様はもうここには帰ってこないわ」
視線を一切逸らさずに、レリアはラクアの手のひらを強く握る。「死んじゃったの?」とラクアが言う。俺はバルーンアート用の風船でライオンを作り始める。
「死んでいないわ。でも、あるいはそのほうがマシだったかもしれないわね」
ラクアはなにも言わない。レリアはそのことを確認してから、静かに続ける。
「ラクアのお父様はわたくしの従者を務める裏で、屍教から誘いを受けて死霊使いという禁忌に手を出していたの。そのせいで死んだ方もいますわ。そして捕まり、今は隣の国の牢獄に囚われている」
レリアは一度そこで口を閉じる。その口元には厳しさと優しさが混在している。
アリスはワーワー泣いている。「譲二に会いたいわ!」と泣き叫びながらケーキを食べている。誰だ。
「お父さん悪いことをしたの?」とラクアは言う。「そうですわ、一言で言えばとんでもないことをしでかしましたの。あの男は働き口を与え、娘を無償で魔法学校に通わせたパンプキンブレイブ家を裏切った。それだけでも死罪に値しますわ。だけれど、わたくしのお父様は騎士団に圧力をかけ、北の大地送りで手打ちにした。ラクアのことも、成人までパンプキンブレイブ家で面倒をみる。わたくしに言わせれば、なにをお父様らしくないことを……という感じね」
ラクアは一生懸命レリアの話を理解しようとしていた。その間も、涙はずっと頬をつたっていた。俺はライオンを作り終え、キリンの製作に取り掛かる。
ラクアは口を開く。「じゃあ、お父さんはもう会いに来てくれないの?」、レリアは頷き、スカートのポケットからカボチャの刺繍入りのハンカチを取り出す。アリスがなぜかそれを受け取る。レリアはイラっとしながらも、もう一枚のハンカチを逆のポケットからスルリと抜き、テーブルの上のラクアの手に握らせる。
「ラクアのお父様はもうここにはこれない。だから、ラクアが会いに行くのよ」
「わたしが……?」
「そうよ。お父様は北の国家の更に北に連れていかれる。そこは人の手が届かない厳しい白の世界。犯罪者が償いと言う名の強制労働を強いられ、開拓が行われている。けれど、未知の化物が蠢く白の世界では戦う力が必要だし、開拓には技術者も必要。……わたくしが言っていることがわかるかしら?」
ラクアはレリアが言ったことを何ヶ所か復唱する。そして頷く。
「わたしがお父さんに会いに行くには、戦う力や技術者になる能力が必要」とラクアは言う。いつの間にか涙は乾き、細い線が瞳の下に伸びている。
「そういうことですわ。……だからラクア、今は全身全霊で魔法学校の勉学に勤しみなさい。そして、わたくしのように飛び級で卒業してみせなさい。そうね、わたくしは13歳で卒業したから――」
「12歳で卒業する!」
レリアは微笑む。「そうね、頑張りなさい」
*
『ジャック・オ・ランタン』の扉が開き、貴婦人的な人が入ってくる。そして、貴婦人的な人がその扉から出ていく。上品な老店員はそのたびに、低い良い声を店内に響かせる。
西日がカボチャの形の窓に射し、その形の光を律儀に床に落としている。ブラックウォルナットの床では、今まさにハロウィンパーティーが開催されている。
レリアは紅茶の入ったカップを口元で傾ける。ひと口のみ、カップと同じ模様のソーサーにゆっくりと置く。「ところで、ここはうちが経営する店なのだけれど、気に入って頂けたかしら?」
「そうだったの? すごく気に入ったわ!」とアリスが言う。もう突然のホームシックは終わっている。「気に入らないであります!」とチルフィーが言う。どうやらレモンコーヒーがないことに腹をたてているらしい。不味いながらにハマってしまったようだ。
俺も正直に気に入ったと言う。アリスと話しているラクアに目を向けながらレリアに一つ尋ねる。
「お前、ラクアにはっきり言いすぎじゃないか? 前向きに捉えたみたいだからいいけど、もし逆効果だったらどうしようと思ったんだよ」
「あらウキキ様。はっきり言ったほうがいいこともありますのよ」
ピンク色のウェーブかかった長い髪を手の甲で払って揺らし、レリアは続ける。「特に、女には効果的ですわ。ウキキ様、ご存じなくて?」
「はっきり言ったほうが、女には効果的か……」
「そうですわ。そのほうが想いは届くものよ。……あらウキキ様、愛の告白の予定でもございますの?」
俺は曖昧に首を振り、否定する。「いや、そんな予定ないけど……。でもレリア、じゃあそれで悪い結果を招いたらどうする気だ?」
レリアは迷いなくキッパリと言う。「そうしたら、謝りますわ」、そして、少しSっ気のある笑みを口元に浮かべる。
謝る。か……。
俺はセリカのことを考えながら、扉が開く音を聞き、老店員の良い声に耳を澄ませる。