173 チョロい俺のイチゴ抹茶
この異世界における強国の一つ、『ファングネイ王国』。
ショッピングモールがある『ミドルノーム』と同盟を結ぶこの国は、貿易が盛んで、世界の様々な文化を積極的に取り入れている。らしい。
高くて白い壁に囲まれている王都はドーナツのような造りになっており、ナイフで切り分けたように4つの区画に分れている。そのドーナツの中央にはお堀があり、円の中心には城がある。間違っても俺が招かれるなんてことはないと思うので、城に対しては『王都の中心にある』という認識だけで十分だろう。
しかし、区画に関してはもう少し掘り下げておく必要がある。らしい。
なので、俺は冒険手帳を取り出し、セリカの説明によりいっそう耳を傾ける。
「王都の入り口は区画ごとに分かれているわ。わたしたちが入った門は『ギルボルト・ゲート』。そしてこの区画は軍属街」
「ギルボルト……それが軍属街の入り口か。って、そんなところに俺がいて大丈夫なのか?」
俺は歩きながら辺りを見回す。たしかに少ない通行人の多くはなんらかの武器を携えている。
「区画と言っても、きっちりと分かれているわけじゃないわ。軍属街に住む平民もいれば、平民街に住む兵士や騎士もいる。貴族街で高いチケットを買って劇団五季の舞台を楽しむ商人もいるし、商工街に店を持って経営してる貴族もいる。誰がどこにいようと、基本的には自由な街よ。区画分けは昔の名残ね」
「なるほどな……。いまお前が言ったのが、4つの区画か?」
セリカは頷き、新たにゲート名を添える。俺は冒険手帳の真っ白なページにペンを走らせる。
入り口はそれぞれ、平民街が『マギライト・ゲート』、貴族街が『シャドウダース・ゲート』。そして、軍属街が『ギルボルト・ゲート』、最後に商工街が『スノウホワイト・ゲート』というらしい。
「な、なんか適当っぽい名前だな……」
「光と闇と雷と氷の精霊の名よ。もっとも、それは四大精霊と違って、空想上の精霊だけど」
「ほう……そうなのか」
「建国当時の王がゲートの名付け親らしいわ、ミドルノームみたいな精霊が住む地を羨んで付けたのね。そんな精霊なんておとぎ話の中にしかいないのに、滑稽だと思わない?」
「いや、シルフとかだって十分おとぎ話だろ……」
俺は未だ見ぬシルフ以外の四大精霊の姿を思い浮かべながら言う。ウィンディーネは水の羽衣的なきわどい衣装を身に着け、俺を手招いている。
暫く歩くと、区画街の間にある大きな門に辿り着く。仰々しく銀色に輝く大門だが、門番がいるだけで特に通るための手続きも審査もないらしい。俺はなんとなく門番に会釈をし、足早に門を通り抜ける。
「ここが平民街よ」とセリカは言う。俺は歩きながら頷き、風景を目に馴染ませる。その街並みはハンマーヒルとよく似ている。進む石畳の先には煉瓦や木組みの建物があり、色々な出店が軒を連ねている。もっとも、模したのはハンマーヒルのほうかもしれない。
セリカが平民街の奥を指さす。「あそこがアリスちゃんと待ち合わせてる喫茶店よ。じゃあ、わたしは一度、兵団の宿舎に戻って兵団長から文烏が届いてないか見てくる」
踵を返し、セリカは大門まで戻っていく。俺はセリカを呼び止める。
「なあセリカ!」
セリカはなにも言わずに振り向く。俺は少し迷いながらも彼女の元まで駆け、言い難いことを口にする。
「あ、あのさ……」、俺はボディバックからツゲヤの茶袋を取り出す。
「これ、文烏でゴブリン討伐の地にいる甥に送れないかな」
「なにこれ」
「甥へのプレゼントだよ。俺の代わりに軟禁されてるからな……」
「ふうん……。まあいいけど、あまり重いと途中で烏が捨てちゃうわよ?」
俺は茶袋をセリカに渡す。本が二冊入っている。
「あら、思ったより軽いね」
「ああ、今度のはあいつの趣味にあわせた薄い本だからな」
セリカは怪訝な表情を浮かべながらも、それを受け取る。俺は言う。
「あとさ……。お前、屍教の二人に襲われた時、ちょっとおかしかったけど……大丈夫か?」
「おかしいって、なにが?」
「いや、戸惑ってたっていうか……」
セリカは大門へと振り返り、背中を俺に向ける。当たり前だが、表情は見えない。
「大丈夫。心配させたならごめん。……あと、あの時、またわたしを助けてくれたよね? お礼にあんたの命令をなんでも一つだけ聞くから、考えといて」
返事を待たずに、セリカは姿勢良く大門まで歩いていく。俺はそのふとももに視線を奪われたまま、驚きの声をあげる。
「命令!? なんでも!?」
門番と目が合い、なぜか俺に会釈をしてくる。
俺はクールダンディを装いながら、それに追随して再び頭を軽く下げる。
*
喫茶店に入ると、一番最初にアリスのしかめっ面が目に飛び込んできた。丸いテーブルに置かれたコーヒーにはミルクが入っておらず、レモンの輪切りが申し訳なさそうに浮かんでいた。
アリスは俺に気が付き、「飲んでみてちょうだい」と言いながら、それを席に着いた俺に向けて押し込んできた。
飲んでみる。「おお、意外といけるぞ……」
アリスはハの字の眉を元に戻し、差し出した俺の手からレモンコーヒーを受け取る。
「ホントだわ! 美味しいわね!」
「って、俺は毒味係りかよ……」
嘆きながら、俺は店内を見回す。だいぶ混みあっていて、店員があわただしく動き回っている。
「さすがに王都の喫茶店ともなると人が多いな……」
俺はぐるっと回した視線をアリスに戻す。「で、なんでお前ひとりなんだ? チルフィーとアナの従者は?」
「ひとりじゃないわよ?」とアリスは言う。瞬間、椅子から垂らした俺の手を生暖かい感触が襲う。
「うわあああ!」
大声をあげた俺に、店中の視線が突き刺さる。反射的に持ち上げた左手には、釣りあげた魚のように、クリスがパクっと食い付いている。
「クリスっ……! なんでお前いるんだよ!」
俺の問いに、振り回しても離す気配のないクリスが語って答える。アリスは席から離れ、「ウチの従者が大声だして迷惑をかけたわね。これで勘弁してあげてちょうだい!」と言いながら、ショッピングモールから持って来た飴を配っている。
――わらわだけハンマーヒルに置いてけぼりなんて嫌じゃ
嫌じゃじゃねーよ! アリスたちの馬車に先回りして乗り込んでたのか!?
――そうじゃ。チョロいうぬを出し抜くなんて、わらわにとっては朝飯前じゃ
クリスはそう語り、俺の手を離してテーブルの下の魚料理を咀嚼する。獣剥き出しのその姿は、確かな成長を俺の目に伝える。
「で……」と、俺は空袋をきれいに折りたたんで戻って来たアリスの顔を見ながら言い、続ける。
「なんでお前とクリスだけなんだ?」
「従者のおじさんはレリアの家に先に挨拶をしに向かったわ! チルフィーはそれの付き添いよ!」
「先に挨拶……。そうか、貴族の家にいきなり大勢で押し掛けるのも失礼なのか」
「アナが文烏を飛ばしてくれたけれど、いちおう礼儀を通さないとと言っていたわ!」
貴族との接し方なんてわからないが、そういうものなのかもしれない。
アリスは待っている間になにか注文したらと勧め、手を真っ直ぐに伸ばして店員を呼ぶ。
「あ、じゃあ、この――」
「イチゴ抹茶をお願いするわ!」
注文を勧めておきながら、アリスは独断で俺の飲み物を決め、勝気な笑顔で「きっと美味しいわよ!」と言った。俺は「ったく……」と呟きながら、特になにもない天井を見上げた。
なにもない天井はこれからを描くキャンパスとなった。
『レリアの家でアリスをあずかってもらい、出来れば色々と情報を聞いて、ナルシードと合流してから西にあるという塔に向かう。そして、そこで屍教に囚われているソフィエさんを助け出す。あとスプナキンをシルフの隠れ家に連れて帰る』
ごく単純な計画だった。鮮やかな絵の具はいらない、黒一色で描けるこれからの未来だった。
俺は灰色の絵の具を手に取った。それはセリカを象徴する色だった。パレットに垂らし、毛先が纏まっている筆にたっぷりと付けた。そして、キャンパスの端で筆を走らせた。
灰色は漆黒に変わっていた。黒一色に灰色を混ぜたのだから、それは当たり前だった。
俺は天井のキャンパスから視線を逸らし、レモンコーヒーの入ったコップを口に傾けるアリスに向けた。
勝気な笑顔は真顔に変わっていた。と思ったら、すぐに喜びの表情に様変わりした。と見せかけて、突然俺の顔を見て眉をしかめた。その瞬間、太陽のような笑顔を浮かべた。
俺は笑わずにはいられなかった。アリスがいて良かったと、強く思わずにはいられなかった。
チルフィーを頭に乗せたアナの従者が戻って来たのは、それから10分ほど経ってからだった。
手に書簡を持っていた。カボチャの蝋封印が押された物だった。
彼は椅子には座らず、俺の隣に立って無言でそれを手渡してきた。
イチゴ抹茶は、意外といけなかった。