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172 からくりヘロン

 屍教の二人の男はフードをかぶり、顔を隠している。しかし殺意は隠せていない。太陽にハンカチを広げてかざしたように、フードの目元で赤い光が浮かび上がっている。


 セリカは俺の眉間に円月輪を向けている。その灰色の瞳に殺意の赤は宿っていない。セリカは腕をくの字に曲げて、円月輪を構える。俺は咄嗟に屈む。


「うわあああっ!」


 シュルルという音を立てて、俺の頭の上3センチを円月輪が飛び去っていく。それは屍教の男のフードを切り裂き、弧を描いてセリカの手に戻ってくる。


「あぶねえだろ! 俺に当たるところだったぞ!」と俺は言う。セリカは視線を屍教の男に固定したまま、「あんたが急に射線上に入るからでしょ」と冷静に言う。次の瞬間、その表情に戸惑いの色が生まれる。俺は右腕を屍教の男たちに向ける。


「出でよMAX雷獣!」


ビリビリビリビリッッ!!


 フルパワーで使役し、広範囲に電撃を散らせる。紫電は獣の爪となり、男たちに襲い掛かる。


 くそっ……避けやがった!


 一人は予備動作もなく高く跳んで避け、もう一方の男は膝を折って倒れ込み、身体を焼く電撃にもがき苦しむ。円月輪に切り裂かれたフードが落ち、その表情があらわになる。

 それはどこにでもいそうな青年。歳も俺とそう変わらないように見える。泡を吹きながらなにかを言っている。しかし、言葉にはなっていない。


「雷の幻獣! 噂どおりやるじゃんか!」と雷獣を避けた屍教の男が言う。いや――男というよりは、その声色は少年を思わせる。身長は150センチ程度だろうか。しかし、手のひらの黒薔薇の紋章は今までに見た誰のものよりも色鮮やかで、紋章とともに産声をあげたかのように存在感を放っている。


 その手が空を斬る。「フレイム・スラッシュ!」


 炎が斬撃となって宙を走り、迫る。青い軌道は視えない。それはセリカを対象としている。


「おい! なにボーっとしてんだよ!」


 俺はセリカの前方まで駆け、玄武を使役して光の甲羅で炎の斬撃を防ぐ。


 あのガキっ……眼を赤く光らせながら俺以外を狙いやがった! 浮気性なガキだな!


 光の甲羅が消え去り、玄武が俺の体内に還って熱を宿す。少年は無防備に手を下げ、口を開く。


「ヘェ、フェイントを入れたつもりだったけど、よく女を狙ったってわかったね」

「ああ、領主が同じ精霊術を使ったのを見たのに、青い軌道は視えなかったからな」

「なんのこと? 領主?」

「いや、こっちの話だ。……ってか、よく喋る屍教だな。声を出しちゃいけないとかいうルールがあるのかって思ってたけど」


 少年は笑う。その声にはあどけなさが残っている。


「うん、あるよ、そのルール。けど、ボクはそんな変なものを守るつもりはない。もう一個のルールは守るけどね」と少年は言う。まだ口元に笑みが残っている。「もう一個のルール?」


「相棒が行動不能になったら、捕まる前にその首を刎ねてあげる。それが無理なら、なんらかの方法で殺してあげる。でもその前に、救出する方法があるなら、我が身を犠牲にしてでも一緒に離脱する。どう? ファングネイ兵団よりもよっぽど道徳心に溢れているでしょ?」


 北風が吹き、少年のフードをいたずらにめくる。それを鬱陶しがるようにして、少年は手でフードを押さえる。次の瞬間、ふふっと笑う。思い切ったようにそのフードをとり、頭を振って燃えるように赤い髪を風に馴染ませる。


 殺意の赤い光が消え、金色の瞳が純粋に俺の目を射抜く。少年は言う。「顔を隠すってルール、これもボクは嫌いなんだ」


 俺はセリカの前から動かずに、左腕で下がらせながら右手を少年に向ける。


「相棒はまだ動けないみたいだぞ。お前の道徳心はどう作用するんだ?」

「決まってるじゃんか、離脱するよ。今日は噂の幻獣使いが見れて満足したし」

「逃げられると思ってるのか?」

「逃げられないと思っているの?」


 俺は使役幻獣の名を叫ぶ。「出でよ雷獣!」


ビリビリビリッ!


 紫電を帯びた獣の爪が、少年の下半身に襲い掛かる。しかし、そこに少年はいない。


「っ……!」


 一瞬で少年は十数メートル離れた位置に移動し、その傍らで倒れている男の手を取って金色の瞳をこちらに向ける。


「ボクの名はガルヴィン。また会おうね、お兄ちゃん!」


 男の手を握る少年――ガルヴィンの手を、眩い鮮やかな光が包む。「空間転移!」


 その光には見覚えがある。俺がこの異世界に転移した時の光とよく似ている。


「く、空間転移……」


 俺は誰もいない、放課後の小学校の教室のように閑散とした空間を見ながら呟く。





 3x2.5は7.5だった。5x3.4は17であり、12x2.4は……28.8だろう。


「なにやってんの?」とセリカが訊く。俺は進行方向をチラっと見てから、「計算ドリルだよ」と答える。


「アリスと取引でな。あいつの日課を代わりにこなしてんだ」

「代わりに日課をあんたがって。それなんの意味があるの?」

「意味……。ハッ……確かに……」


 俺は最後の答えを記入し、回答ページを見ながら採点する。アリスが俺と離れている間にやっていたページも採点しておく。ページの裏には、問題にまつわるイラストがある。分数計算にはスフィンクス、三角形の面積には白髭のおじさんが、それぞれ繊細なタッチで描かれている。白髭のおじさんはヘロンというらしい。


「って、なんで三角形の面積がマイナスになってんだ……」


 空間圧縮がおきたのかもしれない。空間転移が可能なこの異世界なら、それもあるいは不可能ではないだろう。


 俺は計算ドリルをボディバッグに入れ、セリカのペースに合わせながらファングネイ王都までの道を歩く。

 赤土の地面が茶色い土に変わる。遺跡のようなものは、やはり遺跡だったらしい。セリカが言うには何世紀も前に焼かれた礼拝堂の跡だそうだ。そう言われてみれば、神聖な雰囲気が残っていた気がしないでもない。『降りて来い、神!』と叫べば、なんらかを司る神様が降臨したのかもしれない。


 強い風が吹き、セリカの大雑把に結ばれた後ろ髪が揺れる。赤土が再び地面に現れる。境目と思っていた場所は境目ではなかったようで、歩の先あちこちに点在している。

 ものごとの境界線を捉えることは、こんなにも難しいのかと俺は思う。海水と砂が溶け合う波打ち際のように。あるいはアスファルトを濡らす雨雲のように。


 それの境界線を引くのは不可能なようにも思える。

 しかし、ある事柄においては、キッチリと境界線を引かなくてはなと俺は考える。

 『敵か味方か』。その線だけは東と西を隔てる壁のように、ある意味合いにおいて非情になり、判断しなければならない。とくに転移して2週間程度の、この異世界では。


 その敵と味方を分ける壁の上に、セリカが立っている。俺の隣を歩いているセリカは、白くて巨大な壁の上から俺を見て微笑んでいる。その表情の奥には光がある。もしくは闇がある。だが、俺はそれを直視することができない。

 はっきりと、『お前は敵か味方か』と問いただすことができない。3x2.5が7.5にはならない。


「王都まであとどれくらいだ?」と俺は訊く。「もうすぐ白い壁が見えてくるはず」とセリカは言う。


 俺は赤土を踏み、前へと進む。答えを導き出すことを保留する。


 壁の上にはもう一人いる。少女が満面の笑みで、俺に向かって手を振っている。境界線であったはずの壁が違うなにかに変わっている。元の世界でかつて俺が保留したことにより、助けられたのに助けられなかった少女が、『お兄ちゃん!』と手をメガホンのようにして俺を呼ぶ。その腹部から赤い血が流れる。


 もう赤土を見たくはなかった。なので下を見ずに歩いた。

 しばらくして、セリカの言うとおり高くて白い壁が見えてきた。遠慮気味に咲く野花の上を、死ビトが虚ろな目で歩行していた。


 俺は駆け寄り、白く濁った眼がこちらを向く前に鎌鼬を使役した。刎ね飛んだ頭部から血は流れなかった。崩れ落ちた首から下も同じだった。死ビトは白黒の世界に生きていた。それはもしかしたら、もの凄く幸せなことなのかもしれない。


 俺は円月輪を胸当てにしまうセリカが追いつくのを待ち、ファングネイ王都の白壁にある大きな扉まで歩を進めた。


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