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170 疑惑への回帰

 メロスは走った。俺も走った。

 メロスは自分の代わりに人質になったセリヌンティウスのために。そして俺は、俺の代わりに人質になった甥のために。


 平原を駆け、濁流の川を泳ぎ、襲い来る山賊をしばいた。メロスは意外にも強かった。首をトンっとするだけで、髭面の山賊は気絶していた。

 しかし、照りつける太陽は俺たちの体力を奪った。ついには力尽きてしまった。暴君ティオニス王がセリヌンティウスと甥を処刑するのは今日の日没だ。とても間に合わない。

 身体がいうことを聞かない。メロスはケツを突き出して倒れている。俺はそのケツを眺めながら、「負けないで~もう少し~」と口ずさむ。


 すると唐突に、目の前で水が湧き出す。黄金色の美しい水だ。メロスは芋虫のように移動し、その水をガブガブと飲む。俺は元気になったメロスの姿を確認してから、慎重に手ですくって一口だけ飲む。凄くマズイ。だが、体力は全快したらしく、身体に活力がみなぎる。


 俺は走る。メロスも走る。

 王都に着き、ゼエゼエハアハアと肩で息をしながら処刑が行われようとしている広場を目指す。

 不意に、メロスが立ち止まる。血走った眼でネオンの看板を見ている。『カフェ・エルフ屋敷』と書いてある。

 俺たちは目を合わせ、頷く。


「メロスよ、金はあるのか」

「あるぜ相棒。ちょろまかした妹の結婚式の費用がな」


 なかに入ると、バニーガール衣装のエルフがウィンクをしながら俺たちを手招き、脚を組み直す。

 曲がった陶器にハニーオレンジが注がれ、リキュールが垂らされる。メロスと俺はテーブルにつき、エルフを抱き寄せながら、陶器を掲げる。心なしか、俺が抱きしめるエルフはトーテムポールのような身体をしている。だが、気にせずに、俺はメロスと思い切り陶器を打ち付け合う。


「友の犠牲に!」

「友の犠牲に!」


 広場のほうから二つの叫びが聞こえる。同時に、俺の頭に衝撃が走る。


「離しなさい! この変態!」


 夢から醒め、俺は目を開ける。ベッドで、アリスが俺に抱かれながら左手を天井に向けている。


「メロス……。エルフ……。トーテムポール……」

「離しなさいって言っているでしょ!」


 手を緩めるとアリスはスルリと抜け出し、ベッドから起き上がる。そしてすぐに俺の耳に顔を近づける。


「臭いを嗅ぐな。舐めるな。あと、アイス・キューブで起こすのはやめてくれ」

「生の臭いは格別ね!」

「生とか言うな」


 俺はショッピングモールから持って来たタオルを持ち、洗面所へと向かう。アリスは鼻歌を歌いながら俺のあとをついてくる。「そいやアリス、屍教に狙われるような物を見たか思い出したか?」


 アリスは小さく首を振る。


「そうか……。ってか、もう一つどうでもいい疑問を思い出した。……俺が2号なら1号は誰なんだ?」

「アリススペシャルズ1号はカーバンクルちゃんよ!」

「なんだよスペシャルズって……。ってか、ならせめて俺を1号にしろよ……」


 アリスは首を振る。顔がどこかに飛んで行ってしまわないかと心配になるほどに。

 擬音を交えながら、栄えあるアリス親衛隊がどうとか言っている。顔はまだそこにあり、表情は喜びに満ち溢れている。

 よほど召喚獣を従えたのが嬉しいみたいだ。それを授けてくれたのが領主なので、尚更なのだろう。


「……領主の葬儀、どうだった?」

「華やかだったわよ! あなたの分も献花しておいたわ!」

「そっか……。ありがとうな」


 アリスは「どういたしまして!」と言い、昨日あった出来事を話しだす。

 喪主を堂々とこなした領主代理のことや、涙を見せずに気丈に振舞ったアナのことを。そして、領主の落とし子であるユイリの母のことや、孫である裏姫のユイリのことを。


「領主のお爺ちゃんの弟が三人いて、なんだか凄く揉めていたわね」

「揉めてた……? 落とし子と裏姫がいきなり現れたとかでか?」

「さあ、内容まではわからないわ」


 アリスはそこで話しを切り、屋敷の奥の部屋から扉を開けて出て来たユイリに声をかける。

 ユイリは手に小さなタオルを持っている。洗面所に向かうのだろう、俺たちは朝の挨拶を交わし、ともに長い廊下を歩く。


「あの、ウキキさん」

「はい、なんでしょう」


 朝の日差しは夢の中の太陽と違い、屋敷の庭の木々から漏れて優しく廊下を射している。「一昨日、母の着替えを……覗きましたか?」


「えっ」

「ウキキさん、わたしは怒りません。母もあまり怒っていません。だから正直に言って下さい。母の着替えを覗きましたよね?」


 ユイリは薄紫色のサイドテールを揺らし、ニコっと微笑む。『笑っているうちに本当のことを言え』、というようなプレッシャーを感じる。これは長さんが得意だった手だ。俺は記憶を手繰り寄せる。


「…………ああ! そういえば夜に間違えてドアを開けてしまいました! あの素晴らしいボディラインはユイリのお母さんのもの――」


 俺は立ち止まる。あの時の既視感が、時を超えて俺の脳を刺激する。


「メロス……。カフェ・エルフ屋敷……。カフェ・猫屋敷……」


 ユイリのお母さんの着替えを見たことに対する戒めが、モンゴリアンチョップとなって俺の首に迫る。俺はそのアリスの両手を掴み、身体ごと客観的に見て可愛い顔を引き寄せる。


「アリス! お前、俺と身体が入れ替わってる時に猫屋敷で間違ってドアを開けたよな!? あの時に、お前は屍教に狙われるような何かを見たんじゃないか!?」





「で、アリス殿はなにを見たか覚えていないのか」


 ハンマーヒルの石畳の道を歩きながら、アナは言った。ヴァングレイト鋼の剣――オウス・キーパーは、アナの長い脚に合わせて自律するように振れている。


「おっさんが二人いたってあの時言ってたけど、あいつ自身はなにも覚えてないってよ。俺はその時にアリスと大声で呼んだんだよな……」

「なるほどな。それで、『アリスを殺せ』と触れ回っているにもかかわらず、ウキキ殿が狙われているのか」


 あるいは、これだけ時間が過ぎているので、既に俺の名は『ウキキ』だと改まっているかもしれない。

 屍教の男が持っていたメモは、初報でしかないという可能性もある。


「まっ……いずれにしろ、狙われるのが俺で良かったよ」


 俺は、チルフィーを頭に乗せてスキップっぽい動きで前を行くアリスに目を向ける。


 アリスはショッピングモールから俺が持って来た服を着ている。白いシャツに、黒い長めのスカート。スカートにはヒラヒラが二段になって付いている。もちろん、黒いタイツも穿いている。

 それは――黒いブーツは別だが――この異世界に転移されて、俺が初めて見たアリスの服装だ。狙ったわけではなく、適当に着替えを選んだらこうなってしまった。


「おいアリス、これも着ろよ。寒いだろ」と、ピンク色の薄手のコートを向けながら俺は言う。「フードにフワフワのモコモコが付いてて可愛いだろ」と付け加える。


「たしかに、あなたが選んだにしては可愛いけれど、あまりお嬢様はフワフワが好きだと思わないでちょうだい!」

「実際に好きだろ……いいから着とけ」


 俺はアリスの背中で薄手のコートを広げる。アリスはそれに袖を通し、クルっとその場で回る。


「暖かいだろ? 似合ってるよ」と俺は言う。アリスは太陽のような笑顔を顔いっぱいに広げ、再びスキップっぽい動きで前を行く。振り返る。「ありがとう!」



 ハンマーヒルの西にある『月光屋』という店に辿り着き、アリスが赤いリュックから月の欠片をいくつか取り出す。店主がそれを受け取り、鉱石の輝いている部分をモノクルに手を添えて覗き込む。


「なにをしているのでありますか?」


 チルフィーがアナの頭に移動して尋ねる。「月の欠片を査定しているんだ。買い取るためにな」とアナが言う。


「そうでありますか。でも、なんのために買い取るのでありますか?」

「なんのために……か。それはわたしも考えたことがなかったな」


 俺はその疑問に華麗に答える。アリスは店主と一緒になって、月の欠片を穴が開くほど見つめている。


「月の欠片を集めて、夢を飾り眠るためにだろ」


 アナとチルフィーは顔を見合わせる。そしてスルーをする。


「なんか言えよ……。いい歌なのに……」


 俺は二人にリアクションを求め、視線を送り続ける。二人はそれすらスルーし、店内の様々な物に目を向ける。


 唐突に、店のくもった窓ガラスがコツコツと鳴る。俺は反射的にその方向を見る。そこにはセリカがいる。


「あれ、待ち合わせの時間はまだだよな……」


 呟きながら、俺は扉を開けて外に出る。セリカの視線は未だに窓の向こうの店内を差している。


「あれがアリスちゃん? あと、大地のツルギね」とセリカが言う。


「ああ、アリスとアナだ」

「ヴァングレイト鋼の剣だよね、あれ。ファングネイ兵団でも有名だよ、『アナ・スコット』だっけ?」


 セリカはそう言って振り向く。俺の頭のなかの砂時計が黒い砂を落とす。砂浜は水を求めている。


「なあセリカ……。お前、牢獄の鍵を借りたって言ったけど、あとで訊いたらセリカを知らないって言ってたぞ?」


 砂浜は水を求めている。納得のいく答えという名の水を。


 セリカは淡い笑みを浮かべる。時計台の影が微笑みに落ち、セリカの表情を隠す。


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