168 転移者の父との再会
俺の頭の隅で、小人がせっせと働いていた。
彼らはエッサホイサと口ずさみながら、小さな砂時計を作っている。
親方が熱されたガラス管に息を吹き込む。美しいくびれが生まれ、ひょうたん型のガラス瓶が完成する。
弟子がそれに月の砂レゴリスを入れようとし、親方に叱られる。枠組み三年、吹き込み八年、注入一生なのだ。『オメエにはまだはええ!』と怒鳴られている。
「ウキキ、早く戻るであります!」
チルフィーが俺の頭に着地して帰還を促す。俺はセリカの胸当てに目を向けてから、密林の小径を歩く。
「なあセリカ、さっきの武器ってなんていうんだっけ?」と訊いた瞬間に、円月輪という名称を思い出す。
それは夜明け前のハンマーヒルで、屍教の男が自らの首を刎ねたのと同じもの。しかし、今にして思えば、俺もナルシードもその瞬間を目撃したわけではない。男はナルシードの魔剣により屋根の上から落下し、その落下先である建物の向こう側へと急行したら、既に男の首は胴体から離れていた。傍らには、円月輪が落ちていた。
状況的に、男は自殺を図ったと俺達は判断をした。取り押さえられる前に、自らの口を封じたんだと理解した。屍教は、四併せとなって死ビトへの変貌を遂げることこそが、人の幸せと考えている。首を刎ねれば、瞬く間にその願いは成就される。そこにはなんの疑問も矛盾点も存在しない。
その100メートルのトラックは、ただ真っ直ぐに伸びている。
スタートの合図を聞いて俺とナルシードは走り出し、なんの障害物にも邪魔されることなく、結論というゴールのラインを駆け抜けた。
俺はもう一つのゴールへの道を辿るために、あの時の状況を脳裏に浮かべる。
俺とナルが酒場に集まるのをセリカは知ってた……。そこに、死霊使いモドキと屍教の襲撃があった……。
そいつらを片付けて酒場に戻ったら、セリカがいたんだよな。道に迷って遅れたとか言ってたっけ……。
レゴリスの入ったガラス瓶が木枠にはめ込まれ、弟子がトンカチで突起物をカンカンと叩く。『完成だぜえ!』と親方が言う。レゴリスの粒子はきめ細やかで、黒い。
いや、まさかな。セリカが襲撃を指示して、失敗した男の首を刎ねたなんて、ありえないよな……。
俺を殺すために行動をともにしてるなんて……いや、ないない。ありえないだろ。
「質問しておきながら、考えにふけないでくれる?」
セリカはそう言って、肘で俺の横腹をつつく。ツッコミの割にはそこそこ痛い。
「円月輪よ」と言い、胸元からそれを取り出す。「ああ、そうだったな」と、いま聞いて思い出したように俺は言う。
「小さい頃から屍教で特訓を受けてたの。兵団では目立ちたくないから槍を使ってるけど、やっぱりこっちの方が扱いやすい」
「そうなのか……。円月輪って中二心をくすぐるよな、俺も特訓すれば使えるのかな」
「わたしが教えるよ、手取り足取りね」
セリカが横顔に淡い微笑みを浮かべる。その顔が急に真横の藪を差す。
「なにかいるよ。木の枝を踏んだ音が聞こえた」
「マジか……また死ビトか?」
セリカは「わからない」と首を振り、円月輪を構える。俺は腰のダガーに手を伸ばす。
「ない! そうだ、また折れたんだった!」と叫ぶと同時に、藪のなかから人が姿を現す。とても驚いた表情をしている。
「なんじゃ、急に大声をあげるな。驚いたじゃろう」
そこには老人――異世界転移の大先輩である、森爺がいた。
*
「俺たちと同じ世界から転移して来た男が、この異世界に混乱をもたらしてます。そいつは禁忌とされてる死霊使いで、オウティスと名乗ってます。……こいつについて、なにか知ってることがあったら教えてください」
切り株に腰を下ろした森爺に、俺は言った。その手にはトラバサミがある。死ビト狩りの最中なのだろうか。
森爺はトラバサミを下に置き、逆の手に握りしめている月の欠片を、小さな袋に大事そうにそっと入れた。
「前にも言ったじゃろう、プライバシーに関わることは言えん。それより、ほれ、さっき罠にかかってた死ビトが欠片を二個も落としたんじゃ。卵に黄身が二つあったのとどちらが嬉しいか、ワシには決めかねる」
「お願いします、知ってることを言ってください。……俺たちの世界の人間が異世界の人に迷惑をかけてるんですよ? いや、迷惑どころの話じゃない、その力のせいで命を奪われた人だっている……放っておけるんですか!?」
森爺は白い眉毛を風になびかせ、困ったような顔をする。あるいは、困ったように見える顔をする。
「ふむ……。オウティスか、あの小僧がそんなことを仕出かしておるのか……」
「やっぱり……。あいつは森爺のところに行ったんですね!? なにをやるか言ってませんでしたか!?」
「異世界転移を果たした者は、大抵どこからかワシの話を聞いてやってくる。『転移者の父』と呼ぶ者もいる。オウティスが訪ねて来たのは、ショッピングモールが消えてからだったかのう。たしか、そう言っておったわ」
森爺は続けて、口髭を鈍く上下させる。チルフィーがセリカの手の中に納まり、セリカがチルフィーのポニーテールの先を小指で優しく払う。
「教えてやれるのは、今のを含めて3つだけじゃ。つまり、あと2つじゃな」と森爺は言う。俺は、「お願いします」と返す。
「あやつは四人の男女とともに、この異世界に転移された。そしてあることが起こり、あやつ以外は死を迎えた。それからショッピングモールは消滅し、ワシのところにやって来た。……酷く思い悩んでおったな」
「そうなんですか……。あることって、なんですか?」
「それはトップシークレットじゃ。……と、言いたいところじゃが、ワシも詳しくは知らん。あやつはそれを明確には言わんかった」
森爺の瞳孔が広がる。鈍かった口元が油をさした歯車のように、激しく動きだす。
「まあ、急に連れて来られた異世界で起こる男女五人の悲劇と言えば、ワシには一つしか思い浮かばん。誰かが誰かを愛し、誰かが誰かを憎んだ……そんな愛憎劇がショッピングモールで繰り広げられた。そして、あやつ以外が死んだ。ワシはそう考えておる。男女五人異世界ショッピングモール物語。死ビトもいるよ! と言ったところじゃのう」
俺はなにも言わずに、次の言葉を待つ。森爺はトラバサミを手に取り、立ち上がる。
「話は終わりじゃ。日が変わる前にハンマーヒルに戻らにゃならん。三井君たちも早く帰りなさい」
「えっ……もう一つはどうしたんですか!?」
「ふむ、もう一つか……。そうじゃな、『敵は身内にあり』とだけ言っておくかのう。『ブルータスお前もか』というわけじゃ」
敵は身内にあり……。
俺は森爺の言葉を頭のなかで復唱する。森爺はそんな俺の思考を気にもせず、密林の道を北に向かって歩き出す。その後ろ姿を見ながら、俺は声をあげる。
「俺とアリスの時みたいに、オウティスにもコインを投げたんですか?」
森爺は立ち止まり、振り返る。瞳孔は目一杯に広がっている。
「裏じゃった」
紅い月の明かりが、森爺の満面の笑みに木の枝の影を落とした。
*
「じゃあ、わたしは戻って、定時連絡の文烏をゴブリン討伐の本陣に飛ばしてくる」
セリカはそう言って、ハンマーヒルへと歩き出した。「な、なあセリカ!」と俺は言う。
「なあに?」、セリカが振り返る。「いや……なんでもない」
俺は眠たげなチルフィーを頭に乗せたまま、岩山のあいだを歩いて牢獄へと向かった。冷たい一陣の風が、藍色のコートの裾を揺らした。
「ウキキ、さっきセリカになにを言い掛けたのでありますか?」と、チルフィーが目を擦りながら言った。
「いや、なんでもないよ。それよりそこじゃ寒いだろ? それに眠そうだし、ポケットのなかに入るか?」
「いえ、大丈夫であります。寝てる場合ではないのであります! レリアの従者から話を聞いて、早くスプナキンを追わないとであります!」
「そうだな……。お前がいるだけで俺は心強いよ」
ほら穴に着き、スマホのライトを付けながら足を踏み入れた。同時に、いくつかの違和感を俺の脳のどこかが捉えた。
「おかしいでありますね。レリアの従者の牢に続く鉄柵が開いてるであります」
「ああ……。ちゃんと閉めたのに。誰か入ってるのか? いや、それにしても、なんでも閉めないんだ……?」
俺はそれを眺めながら、二つ目の違和感の先まで歩く。近付いてみると、違和感どころの騒ぎではないことに気が付く。
「小屋のドアがぶち破られてるぞ!」
急いで中に入ると、男が床に倒れていた。俺はその男の脈を取る。タン、タン、タンと、正常に波打っている。頬を軽く叩く。男が目を開けてパチクリとする。
「どうしたんですか!? なにがあったんですか!?」
男はよろけながら起き上がり、俺とチルフィーを注意深く観察する。敵ではないことに気付いたのか、安心の色をあざの目立つ顔に浮かべる。
「あなたはセリカの知り合いの騎士見習いですよね? なにがあったんですか!?」と俺は訊く。男は困惑した様子で口を開く。唇が小刻みに震えている。
「セリカ……? 誰だ、それ……」
「っ……!」
俺の頭の隅には、完成したてホヤホヤの小さな砂時計がある。
そのなかで、疑惑という名の黒い砂がサラサラと音を立てて落ち始めた。
親方たちはもういなかった。