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167 幻獣戦線

 密林の奥には小屋があり、老朽化した屋根や壁をツタのような草が覆っていた。

 付近には木箱が何ヶ所かに分かれて積まれている。その崩れ落ちた一つをよく観察してみると、養蜂箱だということに気が付いた。


「養蜂場だったのね。もう使われてないみたいだけど」とセリカが言う。


「ああ、ミドルノームの名産品で、最近あまり蜜が取れないとかアナが言ってたな」


 俺はなんとなく、転がっている養蜂箱を持って隣の積まれている上に置く。チルフィーがその上蓋に着地する。


「この国の蜜は、蜂蜜マイスターのあたしが認めた逸品であります! それなのに取れる量が減るのは残念であります!」

「そいや、シルフ族の花畑にも蜂がいたよな? お前らも養蜂的なことやってるのか?」

「してないであります! だって蜂は怖いし、刺されると痛いであります!」

「頑張れよマイスター……」


 俺は蝶のようなチルフィーの羽を見ながら言う。セリカが周りを見渡しながら、口を開く。


「ミドルノームは土壌が豊かで、植物がよく育つって聞いてるよ。だからじゃない? 蜂蜜が美味しいのは」

「その通りであります! 大地の精霊ノームがかつて住んでいたこの地は、他のどの国よりも美味しい蜂蜜が取れるのであります!」


 まるで自分のことを誇るようにチルフィーは言う。両手はアリスのように腰に当てられている。


「大地の精霊か……。お前らの隠れ家も、元々はノームの住処ってスプナキンが言ってたな。なんでノームはいなくなったんだ?」


 やむにやまれぬ事情があったのだろうか。シルフ族がシルフォニアという国にあるシルフの里から逃げざるを得なかったように、ノームもなんらかの窮地に陥り、住処を追われたのだろうか。


「知らないであります!」


 知らないらしい。その割に、ドヤ顔が未だ続いている。

 まあいいか。と、俺は八咫烏を使役して周りの気配を探る。視界に3Dマップのような俯瞰の映像が加わる。


「あれ、小屋の中になんの気配もないぞ……?」


 レリアの従者は、巨大な熊が小屋に住み着いてしまい、大事な物を取りに行けなかったと言っていた。それなのに、辺り一帯にもそれらしい気配はまるでない。


「騙されたんじゃない?」とセリカは言う。俺は八咫烏を還し、アゴに手を添える。


「嘘をついてる感じはしなかったけどな……。まあ、とりあえず小屋に入ってみよう」


 不意に、セリカが俺の手を掴む。俺はその意外な行動にドキッとして、思わず灰色の瞳を見つめる。

 セリカの目が俺の奥の空間を差す。俺はその後を追う。


「っ……!」


 巨大な熊が、今にも突進して来そうな体勢でこちらを見据えている。凶暴な面構えや剥き出しの牙、それと大木のようなあまりにも太い腕。

 俺はこいつを知っている。真夜中のショッピングモールでピエロが使役し、月明りに吠え、俺に強烈なボディブローを浴びせたあの熊だ。


「あんたの気配察知ってザルなの?」


 セリカはそう言って、俺の腕を引っ張り後退の合図を示す。俺はそれに応じて少し下がる。


「いや……あれは多分、幻獣だ。気配が視えないのはそのせいじゃないかな」


 チルフィーに視線を送って意見を求める。小さな愛らしい顔が頷く。「了解であります! 突撃であります!」

 どんなアイコンタクトを受け取ったのかはわからないが、チルフィーは養蜂箱の上蓋から羽ばたき、突撃を敢行する。俺はその小さな身体を掴む。


「待てアホ! なんでもかんでも突撃しようとすんな!」

「放すであります! 奴が蜂蜜を貪り食ってるに違いないであります! 退治しないと国中の蜂蜜がなくなってしまうであります!」

「なんで蜂が怖いのに熊は怖くねーんだよアホ! いいからセリカと離れてろ!」


 俺は勇敢で無謀なドン・キホーテをセリカの手に掴ませ、二人を下がらせる。「来るよ」とセリカが言う。


「出でよ雷獣!」


ビリビリビリッ!


 紫電が猛突進を始めた熊に獣の爪となって襲い掛かり、右前脚の辺りに直撃する。しかしそれを意に介さずに、鮭のタイムセールの終わりが迫っているかのような勢いと鬼の形相で、熊は突進を続ける。


「くそっ……効いてねーな!」


 だが、鬼の形相に赤い殺意の光が浮かぶ。熊は勢いを殺さずに俺の眼前で止まり、トロールの鉄の棍棒よりも強靭な腕を振り上げ、振り下ろす。


「くっ……!」


 俺はそれをなんとか躱す。青い攻撃軌道は視えている。しかし、視えてから実際の攻撃がやってくるのが異常に速い。ナルシードに迫るスピードかもしれない。

 もう一度、今度は左腕が天を指す。俺はダガーでガードをしようと体の重心を下げて刃の腹を青い軌道に重ねる。回避行動を取らなかったのは、一撃目で態勢を崩されたことと――


「ぐふっ……!」


 俺は後方の大樹まで吹き飛ばされる。握っていたダガーの刃は砕け散り、左手首があらぬ方向へと曲がる。


「い……いってえぇ……!」


 速すぎるとはいえ、なにがなんでも回避に努めるべきだった。もしくは、玄武を使役して光の甲羅で防ぐべきだった。

 キッチリガードをすれば、致命傷にはならないだろうという慢心があった。態勢を崩されたことと、かつてこの体でボディブローを食らったという経験が、俺の判断を鈍らせた。


「ピエロの野郎……って言っても未来の俺だけど、あの時は手加減してやがったな……!」


 幻獣に手加減させるなんてことが可能なのだろうか。まあ、MAX使役が出来るなら、その逆があってもおかしくはない。


 チルフィーとセリカが駆け寄って来る。「手を出すな! お前らは離れてろ!」と俺は言う。

 熊が止めを刺しに、二足歩行で近づいてくる。よく見たら、暴悪な口の周りには蜂蜜がベットリと付いている。ここ以外の養蜂場を荒らしたあとだったのだろうか。


 『通常なら幻獣使いは稀に姿を現す幻獣と戦い、それに勝利して従わせます』


 前にボルサが言っていたことが、脳内でそのまま再生される。俺は立ち上がり、熊の目を真っ直ぐに見る。


「よう、久しぶりだな。お前は俺に従う運命にあるみたいだぞ。だから大人しく負けてくれないか?」


 熊は両腕を振り上げる。降参でも万歳でもなさそうだ。俺は右腕をそれに向ける。


「出でよMAX鎌鼬!」


ザシュザシュッッ!!


 二撃の斬風が向かい来るすべてを斬り裂く。熊を、熊の両の腕を、そして大樹の枝の先から舞い落ちる枯葉を。


――見事なり。我、汝の身体に宿り、汝が朽ち果てるその時まで付き従おう


 微動だにしない熊の語りが、俺の脳内で響く。俺は言う。「ありがとう、名前は?」


――我が名は鬼熊おにくま


 いい名前だな。じゃあ、これからよろしくな。


 俺は語りを返し、よくよく見れば可愛く見えなくもない顔に触れる。鬼熊が消え、俺の体内で新たに熱を宿す。





「で、小屋の中にあったのはなんだったのでありますか?」


 密林の大きな沼を眺めながら歩いていると、チルフィーが俺の頭の上に着地してから声をあげた。「ああ、ペンダントだよ。レリアの従者のお母さんの形見らしいぞ」


「そうでありますか。レリアの従者のお母さんの形見でありますか」とチルフィーは言った。沼の中からなにかが飛び跳ねた。俺はアリスがこの場にいなくて良かったと心から思った。いたら、絶対に目を輝かせて沼の淵まで飛んで行っただろう。


「あんた達……従者従者って、名前は知らないの?」

「ああ、聞いたけど……なんだったっけな。ここまで出掛かってるんだけど……」


 俺は喉仏の辺りに左手を添える。包帯を巻いた左手首はまだ少し痛むが、折れ曲がった骨は既にくっ付いている。


 しかし出てこない。出てこない言葉などを思い出す奥義を、俺は発動する。


「あああ……。いいい……。ううう……。えええ……」

「なにが始まったの」

「忘れたことを思い出す奥義だ。こうやって五十音順で言ってくと、忘れてた言葉の一音目でハッとなって気付くんだよ」

「ゴジューオンジュン?」


 五十音順という言葉はこの異世界の言語に訳せないらしい。説明が面倒なので、俺はスルーを決め込む。『た』行が終わると同時に、獣道のなかから死ビトが姿を現す。


「なでよ狐火!」


 なにも顕現しなかった。呪いだ、これは『な』の呪いだ。

 俺は素手で向かって来る死ビトに、慌てて構え直して使役幻獣の名を叫ぶ。――よりも早く、その首元をフリスビーのような輪っかが通過する。


「撫でよって?」とセリカが言う。俺は倒れ込む死ビトから目を切り、空中から舞い戻ってセリカの手に収まった物に視線を移す。


「それ……」


 夜明け前のハンマーヒルでナルシードとともに倒し、首を刎ねて自殺を図った屍教の男。

 その狂信者が使用していた武器と同じ物を、セリカは小さな布で拭いてから革の胸当てのなかにしまい込んだ。


 正式名称が口から出てこなかったが、今度は奥義を発動する気にはなれなかった。



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