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166 密林のクマさん

 茜色に染まりゆく空には、3つの月があった。


 黄金色の二の月は一番大きく、元の世界のそれとあまり変わらない。もし兎が住んでいたとしても、俺はその事実を容易に受け入れられるだろう。

 三の月は蒼く、四の月は紅かった。その大きさは、既に肉眼ではあまり変わらないように見えた。

 それはこの異世界において、『円卓の夜』が寸前まで迫っていることを意味していた。これから約半月の後、俺とアリスはその畏れるべき超自然現象を目の当たりにすることとなる。それは逃れることの出来ない、必然の理として、もうすぐこの異世界に訪れる。


 俺は目を細めて四の月を睨み付ける。「ウキキ、どうしたでありますか?」とチルフィーが訊く。


「ああ……月を見てたんだよ。昨日オウティスがこの異世界の月を大嫌いって言ってただろ? 確かに、今更だけど、3つあるのは違和感がエグいと思ってな」


 問いに答えながら、俺は前を歩くセリカに目を向ける。視線が下がり、きれいな脚が俺の眼を支配する。歩くたびにお尻様が弾み、そこから波打ってふともも殿が豊穣を祝うように踊る。張りといい艶といい、申し分ない。


「あんた、見すぎ」とセリカが言う。俺はすぐさま視線を逸らす。セリカは少し立ち止まり、俺が追いつくのを待ってから歩調を合わせる。


「それファングネイ王国の兵装か?」


 そう言って、俺は再びふともも殿に視線を移す。踊りは佳境に差し掛かっている。

 セリカは歩きながら、自分の胸元からつま先までを流れるように見る。大雑把に結ばれた黒髪の先が、東の空を指す。


「ほぼね。でも動きやすいように少しいじってるよ。ゴブリン討伐の地の時と違うでしょ」


 違うでしょ? と問われたら、確認しないわけにはいかない。俺はセリカの全身を舐めるように見回す。

 チェニックの上に革の胸当てのような物を着ている。ショートパンツから飛び出すふともも殿の下部に、革のレックガードを装着している。ふむ、俺はおパンツ様とお胸様こそが二大巨頭だと思っていたが、ふともも殿もなかなかどうしてやりおるようだ。


「あんたほど、目が口ほどにものを言う男も珍しいね」

「セリカ、気を付けるであります。あたしはウキキにおパンツ狩りされた苦い過去があるであります。いつ、その牙がセリカに向くかわからないであります」


 チルフィーがセリカの頭の上に着地しながら同調する。


「だから! あれはお前の風の極みのせいだろ!」


 必死の弁解むなしく、二人はスタスタと草原を歩いて行く。その前方で、高く連なる岩山が、深い影と薄い冷気をため込んで俺達を待ち構えている。


「この岩山の奥に牢獄があるのか……」


 俺は藍色のコートのボタンをとめながら言う。鼻から吸った空気のなかに、微かに冬の匂いが混じっている。セリカは「ええ」とだけ言う。


 俺とチルフィーがショッピングモールに戻っているあいだにセリカが調べてくれたことは、これから向かう牢獄の場所だけではなかった。


 ゴブリン討伐の地でボブゴブリンの強襲に乗じて、ソフィエさんをさらったミドルノーム兵団長。その行方も探ってくれていた。しかし、ハンマーヒルの駐屯地に戻った形跡はなかったらしく、少なくとも表立っては誰とも連絡を取っていない様子。

 そもそも、ハンマーヒルの北にあるトールマン大橋を警備する誰もが、目撃すらしていないらしい。もっとも、海峡を船で渡った可能性は拭えないので、ミドルノームの地に潜伏していないとは言い切れない。


 オウティスとともに屍教のアジトのようなところにいるのだろうか。そして、なぜソフィエさんを誘拐したのか。

 その答えは考えてもわからない。わからないなら、わかる者に訊くしかない。岩山のすそにあるという、重罪犯を収容する牢獄。そこに囚われているレリアの従者が、俺の知っている唯一の道しるべであり、暗中の海で模索する俺たちにとっての灯台だ。


 俺はあいつと一緒に馬糞を片付けた時のことを思い出す。

 あの時、確かにあいつは笑っていた。ニコニコとしながら率先して下仕事をこなしていた。

 あの笑顔の奥に、アラクネの封印を解くなんていう凶事を行った動機が隠されていたのだろうか。交わした言葉のなかに、死霊使いという禁忌に手を染めた理由が含まれていたのだろうか。

 

「少し急ぐわよ」とセリカが言う。「ああ、暗くなる前に終わらそう」と俺は言う。





 岩山の合間をしばらく歩いていると、大きなほら穴が見えてきた。

 足を踏み入れると、古びた小さなログハウスのような小屋が、闇のなかにひっそりと浮かぶように佇んでいた。ところどころにある小さな横穴は、頑丈そうな鉄柵で塞がれている。


 セリカはなにも言わずに小屋の戸を開けた。端の鉄柵の奥でなにかが動いた。

 俺は少し近づきながら目を凝らす。それは柵から限界まで手を伸ばし、言葉になっていない何かを口から吐き出した。


「構っちゃだめよ」とセリカが言う。「ここにいるのは重罪犯。言葉一つであんたを操り、わたしを殺して逃げ出そうと考えてもおかしくない」


「あ、ああ……。やべえな、俺そういうデバフ的なのに弱いしな………」

「重々気をつけて。じゃあ、はいこれ」


 セリカはカギをつまむ手を伸ばす。俺はそれを受け取り、視線を横穴の牢獄に移す。


「鍵を開ける必要があるのか?」

「あるわよ。あんたが会いたい男は牢の奥の奥にいるから」


 俺はセリカの横顔を見る。それから小屋の戸に目を向ける。


「カギ借りれたのか? 警備兵的なのがいるのか?」

「ええ、古い知り合いがいたわ。だから話をしたら簡単に貸してくれた」

「古い知り合いか……」


 ほら穴の天井の辺りをフラフラと飛んでいたチルフィーが、セリカの頭に降り立った。セリカは淡い微笑みを浮かべた。


「安心して、わたしが屍教にいた頃の知り合いじゃないわ。彼は昔ミドルノームの兵士で、たまに顔を合わせていたの。今は騎士見習いで、だから騎士が受け持つこの施設を警備してるのね」

「いや、別にそれを不安に思ったわけじゃねーよ……。って、これで警備って言えるのか?」


 俺は周りを見回す。ほら穴の入り口には誰もいなく、牢屋を見張る人もいない。暗闇のなかには、俺とチルフィーとセリカと、いくつかの呻き声しか存在しない。


「じゃあ、わたし達は待ってるから、いってらっしゃい」

「えっ」

「えっ、じゃないよ。女があまり長くいると刺激しちゃうじゃないの」

「女……。チルフィーは刺激の対象にならないだろ……」


 セリカの頭上でチルフィーがフラフラと飛び回る。白いワンピースの裾がヒラヒラと舞う。


「いや、十分刺激するな。俺が間違ってた、じゃあ行って来る」

「いってらっしゃいであります!」


 風の精霊シルフ族のチルフィーのおパンツ様は、髪色よりも薄い緑色だった。





 鉄柵の奥を進んで行くと、いくつかのより頑丈そうな牢獄があった。そのほとんどが無人だったが、それが怖さを引き立てる要因にもなっていた。誰もいないと思った矢先に、そのなかで影が大きく動き奇声を発する。そのたびに、俺は悲鳴に近い声をあげた。アリスがいなくて本当に良かったと俺は思った。


「よう、久しぶりだな。思ったより元気そうじゃないか」


 一番奥の牢獄のなかで、レリアの従者は壁を背にして座っていた。俺はその輪郭にスマホのライトを当てる。


「……誰だか知りませんが、眩しいのでやめてくれませんか」と光りを手で遮りながら、レリアの従者は言った。


「ああ、ごめん」と俺は言う。そして牢の前の尖った岩に腰を下ろす。座り心地が良いとはとても言えない。だが、それでもレリアの従者の現状よりはマシかもしれない。


「……ウキキさんですか。どうしたんですか、こんな所に来て」


 暗闇のなかの影は一切動かずに、全てに諦めたかすれた声で言った。「単刀直入に訊くぞ。屍教のアジトはどこだ?」と俺は言う。


「単刀直入に訊きます。なんで僕はまだ生きているんですか」


 俺はコートのポケットにスマホをしまう。影は続ける。


「屍教が、捕まった死霊使いモドキを生かしておくはずがありません。どうして僕を殺しに来ないんですか」

「さあな……。あ、でもアナが言ってたな。騎士が仕切るこの施設だから無事なのだろうって。ハンマーヒルの牢屋じゃ既に死んでるらしいぞ、お前」

「でしょうね。あそこは兵団が任されていて、そのトップの兵団長が屍教ですからね」


 牢獄のなかの影が立ち上がり、太い鉄柵を両手で掴む。そのシルエットは俺の記憶よりもだいぶ細い。


「知ってたのか、ミドルノーム兵団長のこと」

「そりゃあ、四司教のうちの一人ですからね。屍教に加わって数年で上り詰めた実力者ですよ」


 思っていたよりも色々と話してくれそうだ。俺はもう一度、闇のなかの鉄柵に刀を入れる。


「その実力者がソフィエさんをさらったんだよ。どこに行ったか心当たりはないか?」

「ありますよ。そして単刀直入に言うなら、僕の願いを聞いてくれたら教えてあげます」


 レリアの従者は元いた場所に座り直す。牢獄の内部は思っていたよりも広く、そしてなにもない。


「願いってなんだ?」と俺は訊く。影は片膝を立てて、その膝に両手をまわす。


「アラクネの封印を解く前日に、僕はレリア様の目を盗んで南西にある小屋に行ったんです。置き忘れた大事な物を取りに行くためにです。そこは僕が色々と準備をしていた場所で、密林のなかにあります」


 俺は頷く。その動作を見取ったのかどうかはわからないが、レリアの従者は続ける。


「その大事な物を取って来てくれませんか?」

「えっ」

「ウキキさんのお気持ちはわかります。なんで取りに行ったのに取ってこなかったのかって考えていますよね」

「あ、ああ……」


 それ以前に、物凄くめんどくさいと思ってしまった。だが、それは黙っておく。


「その小屋に巨大な熊が住み着いてしまい、僕には太刀打ちできなかったんです。だからお願いします、僕の代わりに取って来てください」


 ポケットのなかのスマホがブルッと震えた。あり得ないことだが、俺は念の為に確認をする。しかし気のせいらしく、画面にはなんの履歴も表示されていない。


「わかったよ。それを取って来たら全部話してくれるんだな?」


 俺はこの現象の名前はなんだっけな? と頭の隅で考えながら、レリアの従者に返事をした。


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