160 おどろうリトミカメンテ
酒場のドアを開けると、しかめっ面の男と談笑しているナルシードの姿があった。俺はその隣に座り、カウンターの向こうのしかめっ面にミルクを注文する。
「飲まないのかい?」
「飲まねえよ……」
乱暴にミルクが注がれ、粗暴にグラスが俺の前に置かれる。俺はそれを半分ほど飲む。牛の乳か山羊の乳かはわからない。
「あれ、セリカはまだ来てないのか?」
と聞くと、「元屍教の子かい?」とナルシードは言う。
「まだ来てないらしいな、道に迷ったかな……。ってか、元屍教って知ってたのか」
「限られた人しか知らないけど、もちろん僕は知っていたよ。本陣に乗り込んで最初に接触した人物だしね。まあ、彼女からはたいした情報は得られなかったけど」
「そうなのか……。俺はいまセリカと一緒にソフィエさん救出の為に動いてる。そして、お前は死霊使いと屍教を追ってるんだよな?」
ナルシードは頷く。曲がった陶器のなかにはエールがまだ少し残っている。
「んで、屍教がソフィエさんをさらった。そして何故かアリスを殺そうとしてる」
「ん、どういうことだい?」
俺は端的に、しかし丁寧に、『アリスを殺せ』というメモについての話をする。
「屍教がアリスちゃんをね……。その理由は皆目見当もつかないということだけど、屍教が意味もなくあんな少女を狙うわけがない。キミが気付いていないだけで、なにか理由があるはずだよ」
「なにか理由が……か。異世界転移や召喚士ってことも関係してるのかな……」
俺は一通り狙われる理由となり得ることを頭のなかに並べてみる。しかし、そのどれもが正解であり、どれもが不正解でもあるように思える。
「明日アリスから話を聞けばなにかわかるかもしれない。……なあナル、というわけで、俺達の敵は共通してるよな? 手を取り合って屍教や死霊使いを――」
「みなまで言わなくていいよ、ウキキ君」
俺の言葉を遮り、ナルシードは立ち上がって右手を薄汚れた天井に伸ばす。手のひらを黒いモヤモヤが覆う。
「もちろん僕はそのつもりだし、それにゆっくりと喋っている暇はないみたいだ」
黒いモヤモヤがサーベルを形成する。その剣先が酒場の入り口を差す。
「お客さんみたいだよ。だけれど、使者ではなく死者のようだ」
その瞬間、ドアをアグレッシブに蹴破ってナルシードの言う『死者』が姿を現す。顔面が潰れており、鈍器で何度も殴打されたという死因が脳裏をよぎる。
俺はダガーを抜く。垂れ下がっている眼球が赤を宿す。
「なんで死ビトが街のなかにいるんだ!? 人が多い場所には湧かないはずだろ!?」
魔剣が翔ぶ。死ビトを一撃のもとに沈めてから、ナルシードは外へと駆け出す。
「自分で答えを言っているじゃないか! それよりまだまだいるみたいだ、外でやるよ!」
言っていたらしい。俺は答えを自分で。
つまりこういうことだろうか? 湧かないはずの死ビトが街中を闊歩する理由。それは、『誰かの手引きで、どこからか入り込んだ』。
俺はナルシードに続いて打ち破られたドアを越える。外はまだ暗い。
「誰の手引きだ!?」
魔剣を何本も周りに浮かべているナルシードの背中に問いかける。「決まっているだろ!」とナルシードは言う。
「……死霊使いか」
「それ以外あり得ないよ。操られない限り、死ビトはあんなアグレッシブにドアを蹴破ったりはしないしね」
「そうか……なら」
酒場の前の通りを埋める死ビトは10体ほど。その全てが眼を赤く染め、殺意を俺に示している。
「お前は死霊使いを探してくれ、近くにいるはずだ!」
ナルシードは飛び跳ねて酒場の屋根へと上がる。前方の死ビトが木槌を振り上げる。
「了解したよ、じゃああとはよろしく!」
俺は頷く。鼻の先3センチを木槌が通り過ぎる。
続けて迫る十字槍の青い軌道を半歩下がって躱してから、俺は狐火を使役し、眼前の死ビトを纏めて焼いた。
*
「捕えたよウキキ君。向いの果物店の屋上で死ビトを操っていたところをね」
死ビトを片付け終えると、背後からナルシードの声が聞こえた。振り返ると、短い杖のような物が宙で弧を描いた。
「うわあああ!」
俺はその放り投げられた杖を躱す。杖は石畳の地面に落下し、乾いた音をたてる。
「ウキキ君、なんで避けるんだい?」
「死霊使いの杖だろこれ! 禍々しいもんをいきなり投げつけるな!」
やれやれ。といった表情で、ナルシードは黒薔薇のつぼみが先端に施されている杖を拾った。逆の手には男を縛り上げたロープの先が握られている。
俺は死霊使いと見られる男の顔に視線を向ける。目を伏し、口を真一文字に結んでいる。――刹那、その首が胴体から切り落とされ、石畳の上で短くバウンドをする。
「っ……!」
落ちた頭部は僅かに驚きの表情を浮かべている。それを認識したと同時に、上空からなにかが飛び迫る。
「ウキキ君!」
注意喚起としてナルシードは俺の名を叫ぶ。玄武を使役しても間に合わない。そう判断した俺は咄嗟に身を屈ませ、結果的にはその『なにか』を躱すことに成功する。
「円月輪……」
風切り音とともに上空に戻っていく物を認識し、俺は呟く。ハンマーヒルの空を赤く光る殺意の眼が横ぎる。
「ナル、向こうの屋根の上だ!」
俺が指差す先へナルシードが視線を飛ばす。瞬間、サーベルを軽く握る右手ではなく、空の手である左が振られる。
それは離れた空間を斬る一閃となり、刺客と思わしき者の胸元がザックリと裂ける。
血を噴出させながら後ろに倒れ込む刺客。建物の向こう側から、落下して地面に激突した音が俺の耳に届く。
俺とナルシードは同時に駆け出す。ほんの十数秒で煉瓦造りの建物の反対側へと到達する。
「く、首が……」
首が刎ねられている。その手の近くには円月輪が落ちている。
「見てごらん、額に黒薔薇の紋章があるよ」
黒いモヤモヤが覆う頭部の額をこちらに向け、ナルシードは言う。
「やっぱ屍教か……。ってか、その黒いモヤモヤって触っても大丈夫なのか?」
「ああ、黒瘴気のことかい? 大丈夫だよ、僕の魔剣も同じもので形成されているしね。あ、でもウキキ君は触らない方がいいよ」
「お、同じものなのか……」
ナルシードは立ち上がり、「それよりも」と口にする。
「ウキキ君を殺しそこねた死霊使いを殺害し、同じく失敗した自らの首をも刎ねる……。いけ好かないね、証拠を残さないって意味ならこれほど効率のいい隠滅の手はないけれど」
「首を刎ねたらすぐに四併せにあって消え去るからな……」
俺はもう一度、男の頭部に目を向ける。その面差しは望んでいた死であったかのように、淡い微笑みを浮かべている。
「兎にも角にも、これで屍教と死霊使いが繋がっていることがわかったね。僕は調査隊と一緒に一度ファングネイ王都に戻るよ」
「え、戻っちゃうのか!?」
ナルシードは頷く。
「団長に報告して、屍教壊滅作戦を本格始動させるよ。禁忌とされている死霊使いとの繋がりが明らかになったんだ、もう反対する者はいない筈さ」
「壊滅作戦か、ソフィエさんの身に危険が及ばないだろうな……」
「もちろん、ソフィエちゃんの救出が最優先さ。その為にも、ウキキ君はレリアちゃんの従者から知っていることを聞き出してくれ。もしかしたら、キミになら屍教の本拠地の所在を話すかもしれない」
「そうだな、じゃあ俺は明日……ってかとっくに今日だけど、とにかくあとで行ってみるわ」
青く長い前髪をかきわけてから、ナルシードは財布のような物から銀貨を3枚ほど取り出し、俺に手渡す。酒場の代金と、破られたドアの弁償金らしい。
「あとウキキ君、気を付けた方がいいよ」
俺は、「どういうことだ?」と言う。
「死霊使いも屍教の男も明らかにキミを狙っていた。また襲われるかもしれない。……断定はできないけれど、『アリスを殺せ』という命令が回っていながら、殺そうとしているのはキミのような気がしてならない」
*
考えてみれば確かにそうかもしれない。ゴブリン討伐の中継地で二度、そしてたった今、俺は三度目の屍教の襲撃をうけた。
あるいはアリスを殺す前に俺を処分すべきという判断が下されたのかもしれない。しかし、俺の脳の一部はそれを否定し、ささくれのような違和感の引っ掛かりを作り出していた。
最初から狙いは俺だったとして考えてみる。だがやはりアリスと同様、俺が狙われる理由も見当がつかなかった。
俺はしかめっ面の店主に銀貨を3枚渡す。十分すぎる代金なのだろうか、店主がにんまりと笑って、「安物のドアが銀貨に替わった」と口にして喜んだ。
その瞬間、俺とアリスのあいだに起こった常識では考えられない出来事を思い出した。
そうだ、『替わった』んだ……。
俺はアリスと身体が入れ替わっていた時期がある。それを思考の支点として進めると、頭のなかの霧が晴れて色々な出来事が目の前に浮かび上がった。
俺は店主に礼を言う。店主は訳がわからなそうに眉を曲げたが、機嫌がいいのか、「どういたしまして」と言ってカウンターの奥に消えて行った。
『アリスを殺せ』と書いてありながら、実際に殺そうとしてるのは俺……。
その矛盾も、身体が入れ替わってる間にアリスがなにか屍教に狙われることをして、その時に『アリス』と呼ばれたと考えれば納得がいく……。いや、なにかをしたと言うよりは、なにかを見たのか……?
なんにせよ、『アリスを殺せ』というメモ、あれは俺の姿をしたアリスを指してたんだ!
アリスがなにを見てしまったのかは分からない。屍教にとってかなり都合の悪いことなのだろう。しかし、それを深く考えるよりも先に、俺は酒場の外まで駆けて、日の出前の薄く輝く空に向かって腕を振り上げた。
「良かった! 狙いはアリスじゃない、俺だ!」
晴れやかな気分だった。自分を殺そうとしている存在が多くいるにもかかわらず、俺の心は喜びに満ち溢れていた。いくらでも掛かって来やがれぃ! という心境だった。
「なんで踊ってるの?」
いつの間にかランニングマンを踊っていた俺の背中に、セリカの冷静な言葉が刺さった。「あれ、迷ってたのか?」と俺は言う。
「ええ、予想外に大きくて入り組んでる街ね。ナルシードはもう帰ったの?」
セリカはそう言って、少し寒そうに体を震わせた。
姿を現した太陽のような恒星が、そんなセリカを背中から照らした。