156 しゃかりきフーガ
新たに組んだ大きなテントのなかは肌寒く、思わずブルッと身体が震えた。
どちらかと言うと俺は暑さよりも寒さのほうが苦手だった。しかし、夏よりも冬のほうが好きで、ともすれば冬休みは夏休みよりも心が躍った。雪でも降ろうものなら庭を駆け回り、浅く積もった雪をかき集めておっぱいを作り悶えていた。我ながら、良き子供時代を過ごしていたと心から思う。
テントのなかでは、ボブゴブリンとの戦闘で傷ついた兵士たちが治療を施され、横になっていた。甥もその一角で仰向けになり、自分の弱さに打ちひしがれていた。
「ミドルノーム兵団長とファングネイの兵士がソフィエさんをさらったんだ。ボクは彼女を守れなかった……」
甥が言った。俺は「そっか」と返した。既にそれは聞いた話で、もう何度も繰り返されたやり取りだった。
「お前も頑張って戦ったんだろ? 誰もお前を責められねーよ」
俺は気休めを言った。甥はソフィエさんを守れなかったと繰り返し呟いた。
「ウキキ、兵団長がお呼びだ」
肩に手を置かれ振り返ると、アゴ髭男爵が立っていた。
俺は頷き、甥のポッコリお腹をポンポンと叩いてからテントを出て作戦司令部まで歩いた。
「失礼します」
開いたままの扉を抜け、腕を組んで背中を向けている兵団長の少し後ろで立ち止まった。ボブゴブリンの強襲から兵士たちが必死に守ったこの小屋は暖かく、額縁のなかの綺麗な女性をくべられた炎が赤く照らしていた。
「兵団長、早く軟禁を解いてください」
俺は、その女性の絵画に目を向けながら言った。空色の長い髪は後ろで結ばれており、その先が肩に掛けられ胸のあたりまで垂れていた。
「ふざけたことを。貴様は王都で裁判にかけられる。大人しく己の不甲斐なさを呪っていろ」
副兵団長が言った。俺はその目を睨み付け、声を荒げる。
「あんたに言ってねーよ! 俺は兵団長に呼ばれてここに来たんだよバーカ!」
「貴様、この期に及んでこの私を愚弄する気かっ……!」
胸倉を掴まれる。俺はそれを振り払い、背を向けたままでいる兵団長の前に駆け込む。
「兵団長、俺はソフィエさんを助けに行かなくちゃならないんです! こんな所で油を売ってる暇はないんだ!」
「消えた送り人やミドルノーム兵団長殿の調査は兵団が行う。貴様の出る幕はない!」
虫が言った。俺は無視をした。
「まあ、落ち着け二人とも」
瞑っていた目が開かれ、兵団長は諭すように静かに口を開き、そして続けた。
「ミドルノーム兵団長が屍教。そして、ファングネイの兵士と共謀してソフィエ殿をさらった。……目撃した兵士がいてな、その事実確認はもう済んでいる」
「だったら早く助けに行かないと!」
「ウキキ、残念ながら副兵団長が言ったとおりだ。お前は明日、ファングネイ王都に移送される。……何十人もの兵士を相手に暴れ回り、武器を破壊し尽くしたんだ、当然だろう」
「くっ……!」
俺は言いよどむ。副兵団長がニヤリといらつく笑みを浮かべる。
「だが……安心しろ、それは形式的なものだ。お前は兵団とハイゴブリンの行き違いから生じた争いを止めるために戦ったと、この本陣にいる誰もが理解している。裁判で無罪が言い渡されることは最初から決まっている」
「な、なら……そんな茶番どうだっていいじゃないですか!」
「確かに茶番だ。……私だってお前を自由にしてやりたい。しかしウキキ、時には茶番も必要なのだ」
組まれた腕はついには解かれず、そのまま兵団長は奥の扉へと向かい、そこで動きを止めた。
「ソフィエ殿は必ず助け出す。お前は心配しないでゆっくりしていろ」
俺は目を伏した。拳を強く握った。それから――この本陣から逃げ出す決意を胸に秘めた。
確かに兵団長は信用できるし、頼りにもなるだろう。しかし、それに任せっきりにするつもりは更々ない。なんたってソフィエさんがさらわれたのだ。誰よりも強く、誰よりも儚い彼女が屍教なんて訳の分からない連中に捕らわれたのだ。
アリスがプレゼントと言って持って来た快眠枕だってまだ渡せていない。あいつが気持ちを込めた枕なら、立ったまま数十分の眠りではなく、ふかふかな布団でゆっくりスヤスヤ眠れるかもしれない。
よし、脱獄だ。やってやる。ああやってやるとも。身体に地図を彫る時間はないが、ここならそんな物がなくてもプリズンをブレイク出来るだろう。
なんか楽しくなってきた。そうか、俺は捕えるよりも逃げ出すことに燃える人種だったのか。どおりで――
「兵団長! なら、ボクがウキキが戻るまで人質になろう、どうだ!?」
俺の思考をかき消した声。それは足を引きずり必死に小屋のなかに入って来た甥のものだった。
兵団長が振り返る。甥が追い打ちを掛ける。
「トールマン家のボクが人質になるんだ、文句はないだろ!?」
その言葉に副兵団長が反応する。
「誰がトールマン家だ。貴様は嫁いだ伯母にしがみ付く、落ちぶれた元貴族のサルマリン家だろう」
やがて組んでいた腕を解き、兵団長は角刈りの頭に触れながら鋭い視線を俺に向けた。
*
「ウキキ、ボクの代わりに必ずソフィエさんを助けだせ、分かったか!?」
「ああ、任せろ!」
「あと、ボクがソフィエさんの為に超頑張ったと伝えろ。分かったか!?」
「あ、ああ……まあ分かった」
差し出された甥の包帯が巻かれた手。俺はそれを強く握る。甥はさらに力を込め、そして口を開く。
「あと……いいか!? 5日後の夕刻には必ずファングネイ王都の裁判所に出頭しろよ!? じゃないと、代わりにボクが有罪になって北の大地で穴掘りする羽目になるんだからな!?」
「ああ、任せろ!」
「いいか、絶対だぞ!? 絶対にだからな!?」
「あ、ああ……。ってか、それはどっちだ!? どっちが正解なんだ!?」
「どっちとかない! 必ずだぞ、分かったな!」
ど、どっちだ……。
こういう場面で頭を悩ますのは、日本人にとって、さもありなんと言ったところだろうか。
まあ、甥を北の大地送りにするわけにはいかない。そこがどんな所かは知らないが、正解は決まっている。
俺はそう考えながらボディバッグを背負い、大きなテントを後にした。
「いいかー! 絶対だぞー!」
外にまで聞こえる大声で甥は言った。あれ、本当にどっちだ?
まあいいか。と、俺は暗闇の中を歩いた。
外では男性の送り人が亡くなった兵士たちの三送りを行っていた。それはどこか事務的な作業にも見えた。俺はその現場まで向かい、死んだボブゴブリンはどうするのか尋ねた。そして、聞いたことを後悔した。
「ねえ」
「うわああああ!」
突然、後ろから声をかけられた。一瞬、声がまるで違うのにアリスかと思ってしまった。
二人組の女性兵士。その片方が俺が驚いたことに驚いた表情を浮かべ、もう片方が手紙を持つ手をぶっきらぼうに伸ばした。
「これ、騎士団のナルシードから」
「ナルから……?」
俺はそれを受け取り、雑に広げて、書かれている文字を読み取る。どう見ても日本語だが、実際はこの異世界の文字なのだろうか。『ハンマーヒルの酒場で待っているよ』それが、記されているナルシードからの言葉だった。
「あいつ、無事だったのか……」
「なんて書いてあった?」
ぶっきらぼうな女性が手紙を覗き込んだ。もう一人の女性は少しもじもじとして俺を見つめている。
「え、ああ……酒場にいるよって」
「そう。ナルシードって凄くイケメンだよね。仲いいの?」
俺はイケメンという部分には多少の反論を示し、仲がいいのかという問いにはまあまあと答えた。
「そう。でも、あんたもなかなか男前だよね。彼女はいる?」
「い、いないでっす!」
声が裏返ってしまった。
「そう。じゃあ、この子なんてどう?」
「ど、どどどど。どう? というのは……?」
もじもじとした女性が顔を赤らめた。
「決まってるでしょ? この子、あんたに抱かれたいんだって」
「だ、だだだだだ」
「ちょ……もう、そんなこと言ってないでしょ!」
やれやれ、これがモテ期か。いよいよ俺のなかのバンダースナッチを開放する時が来たというわけか。
と考えながら、俺はさも慣れた男に見えるように焦りを隠して遠くに目を向けた。「きゃっ……カッコイイ!」と、もじもじとした女性が口にした。想像でも空耳でもない、確かにこの人そう言った。
あれは……。
しかし、遠くに向けた視線の先で緑色の短い腕が振られ、俺の関心は一気にそちらに向かった。
「すいません、ちょっと急ぐんで! 手紙ありがとうございました!」
俺はその元まで駆け、向けられた拳に軽く自分の拳をぶつけた。
「マブリ、起きたのか!」
「起きたゴブ!」
背中を槍で貫かれたにもかかわらず、マブリは元気そうだった。それでも包帯が巻かれている姿は痛々しく、あの時そんな状況になるまで動き出せなかった自分の弱さや愚かさを呪った。
しかし、「ゴブリンと人の争いを止めてくれてありがとうゴブ!」と抱きつかれながら感謝されると、そんな呪いはどこかへ飛び去ってしまった。屈託のないマブリの笑顔は、俺を一瞬で前向きにさせてくれた。
それからマブリは、ゴブリン音楽隊がクリスを捜索し、見つけたと教えてくれた。
軟禁状態だった俺が心配しているのを見ていられなかったらしく、松明と楽器を片手に本陣の外まで探してくれたようだ。
音楽隊の弦楽器担当が、小さくなって眠っているクリスを抱きかかえていた。そして丁寧にマブリに渡し、更に優しい手付きで俺へと渡った。
「無事でよかった……。ケガをしてるけど、元気そうだな」
なにがあったのかを今すぐにでも聞きたかったが、幸せそうな寝顔を見て、それは諦めた。ゴブリンの強襲により亡くなった兵士たちの魂とマナが、空で輝く三の月へと吸い込まれるように昇って行った。
「じゃあマブリ、俺は行くわ」
「話は聞いたゴブ、気を付けて行って来るゴブ!」
もう一度、マブリは最高の笑顔を俺にくれた。またショッピングモールに遊びに行っていいかと聞かれ、俺は大歓迎するよと答えた。
それから拳同士をコツンとぶつけ合い、俺は亜人である親友にもう一度別れの挨拶をした。