155 君のためのエチュード
正面から力任せの大振り。それから少し遅れて、右から真っ直ぐに伸びる刺突。
「遅い!」
俺は青い軌道となって既に視えている攻撃を躱し、宙ぶらりんとなった長剣と槍を鎌鼬の二撃の斬風で真っ二つに折る。
「次はどいつだ!? かかって来いや!」
本陣の闇に浮かぶいくつもの赤い眼。俺に明確な殺意を示すその不吉な赤い光は、兵士とハイゴブリンのものを合わせて120といったところ。つまり、60余名の者から今現在、俺は命を狙われていることになる。
あまり気分がいいとは言えない。青鷺火をMAX使役して無理やり殺意を芽生えさせたとはいえ、できればもう二度とやりたくはない。
MAX使役だと、青鷺火の効果はこんな広範囲に及ぶんだな……。
清く、正しく、元気よく。それに誇りや私欲をかき混ぜて殺し合っていた兵士とハイゴブリン。それが今や、全員が一致団結して俺を全力で殺しにきている。
目を赤く輝かせて殺意を剥き出しにしているとはいえ、狂ったように襲い掛かって来るわけではなく、それぞれが得意なレンジから、他者の邪魔にならないように、他者を誤って斬り付けないように、言わば統率と節度を持って俺の命を取りにきている。
一度は和平の道を歩み出しながらも、ボタンの掛け違いにより生じてしまった人と亜人の抗争。
そんな大きくて少しいびつなボタンを掛け直すに必要なのは、今の俺のような共通の敵なのかもしれない。そう考えると悪役もなんだか悪くはない。
とは言え……青鷺火の効果が切れたら、またコイツら殺り合うよな……。
ハイゴブリンのリーダーが飛び跳ね、空中から迫った。握られたナイフの先から青い攻撃軌道が伸び、俺の心臓を刺す。それと交差するように伸びている軌道が一つ、そして後方からは俺の背中を刺す軌道が二つ。
「出て来いや木霊!」
――映画の途中で ――呼び出すなや ――台無しやで!
「いや、なにをどこで見てたんだよ! いいから階段を頼むぞ!」
無表情ながらにイラついている三体の木霊を空中に配置し、二段目から大きくジャンプをして、まずはハイゴブリンのリーダーが持つナイフを処理する。
「打ち弾き!」
赤い光を宿すギョロ目が見開かれ、その瞳が弾かれて小屋の残骸に刺さったナイフを追う。まだ残っているくすんだ炎が、辺りを僅かに照らす。
「次っ!」
俺は三体目の木霊に着地し、そこから大きく飛び跳ねて後方から狙っていた兵士へと腕を伸ばす。
「戻れ木霊! ……出でよ玄武! 飛べ黒蛇!」
シャアアアアッ!
勢いよく飛び迫った黒蛇は鞭のように身体をしならせ、ほぼオートで二人の兵士から弓を奪い、噛み砕く。その感覚が左腕に巻き付く黒蛇の尻尾から伝わり、それと同時に俺は固い土の上に着地をする。
瞬間、飛来した小さな火の球の直撃を受ける。
「ぐっ……!」
脇腹に激痛が走る。頭を振って手斧の一撃を躱し、一歩半下がって横に払われた剣戟を躱す。
更に迫る青い軌道が三本。その全てを最小の動きで躱しながら脇腹に触れ、治癒気功を施す。
「いてぇ……。くそ、精霊術師か……」
視える攻撃軌道は俺が認識しているものに限られる。当然、知らない奴の知らない魔法の軌道なんて見える訳がない。
「でも……もうその精霊術は食らわないぞ!」
後方から青い軌道が伸びる。それからやや遅れて火の球が迫る。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
俺は炎を四つに斬り分け、同時に軌道の元まで全力で駆けだす。
「そう言えばこういう場合、遠距離攻撃者から片付けるのが基本だったな!」
とは言え、術者を傷つける訳にはいかない。この戦いの目的は無駄な争いなんてやる気もなくなるくらいに疲弊させること。
「出でよ雷獣!」
ビリビリビリッ!
俺は数人が等間隔で並んでいる遠距離部隊の前方に雷を帯びた獣の爪を落とし、その紫電を散らして僅かに感電させる。向けられた手の先から伸びていた青い軌道が消え、術者の膝が地につく。
俺は振り返る。人とゴブリンが入り混じって赤い眼を一段と輝かせ、夢中になって青い軌道を真っ直ぐに、あるいはフェイントを織り交ぜて俺の胸や四肢へと伸ばす。
俺は躱す。三本の軌道が伸びる。
俺は避ける。四本の軌道が伸びた。
*
やがて、二本の足で大地を踏みしめる者の数が三人になる。それは俺を除けば、ファングネイ王国の副兵団長と、ハイゴブリンのリーダーの二名。
いつの間にかこの一角を、事情を知らないギャラリー達が囲んでいる。演習だとでも思っているのだろうか、1対60の戦いで無双している俺を、女性兵士が両手を振って応援している。
「ハア……ハア……」
しかし、無双とはいえ、今すぐにでも寝転んで仰向けになりたいほどに、俺も疲れ切っていた。
稽古を付けてやると啖呵を切ったが、逆に俺が稽古を付けてもらっているようにも感じた。
「っ……!」
前方から青い軌道が伸び、後方の上空からも似たようなものが迫る。
俺は震える脚を焚き付けてなんとか躱し、ついには地に膝をついて何度もハアハアと肩で息をする。
あ、ありがてぇ……。戦闘中でも、自然と後方に注意が向けられるようになった……。
誰が為の演習。俺は包帯でグルグル巻きにされて眠っているマブリに目を向ける。
も、もう少しで無駄な争いが終わるからな……安心しろよ、親友……。
決まっている。これはゴブリンと人の平和を願う小さなマメゴブリンの、マブリに捧げる練習曲。
それを途中で投げ出すわけにはいかない。女性兵士もメガホンのように手を添えて、『抱いてー』と叫んでいる。棒読みに聞こえたのは、俺の想像だからか。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
俺は今日、初めてこちらから攻撃を仕掛ける。ハイゴブリンのリーダーがどこからか拾った剣の先が真っ二つに砕ける。
「き、貴様……兵団を舐めているのか……!」
音を立てて落ちた剣先を眺めながら、副兵団長が言った。俺は無視をした。
「出でよ……鎌張り手!」
嫌いな顔面に鉄槌を。
副兵団長は「ぬぐぅ……」と呻きながら倒れ、そしてその目から赤い光を消し去った。
「舐めてなんかねーよ、国や人を護る立派な仕事だろ? ……俺なんかには到底やり遂げられないって分かってるさ」
俺は周りを見渡しながら言った。人やハイゴブリンが平等に倒れ込んでいる。とりあえずは無駄な争いを止められたのだろうか。
「これは何事か、説明せよ副兵団長!」
いかつい声が本陣に響き渡った。俺はその場で座り込むのを諦め、その声の方向へと視線を飛ばす。
緊張感が辺り一帯に波のように伝わった。副兵団長はふらつく足で、なんとか直立してから姿勢を正す。
「へ、兵団長殿……! 自分は、ボブゴブリンとの関係を疑うべきハイゴブリンどもを始末しようと――」
平手打ちが飛ぶ。副兵団長も飛ぶ。
「私が命じたのは尋問だ、傷付けろと誰が言ったというのだ! 泡を吹いて倒れている者までいるではないか、誰があんな惨いことを仕出かしたのだ!」
副兵団長が目を伏して身を震わせた。俺も身を震わせた。
すると兵団長はうつ伏せで倒れているハイゴブリンのリーダーの元まで歩き、手を伸ばす。
「大方は報告に来た兵士から聞いた。……私が求めるのはボブゴブリンの行き先と情報だ。円卓の夜でボブゴブリンの好き放題にさせるわけにはいかない、協力してくれるか?」
「人の兵団長、それは随分と都合の良い言い分ではないか? 我々は捕らわれ、首を刎ね飛ばされるところだったのだぞ」
副兵団長が『やばい』という表情を浮かべる。俺は殴られる心配はなさそうだと安堵の表情を浮かべる。
「生者の首が落ちるなんてことはあってはならない、行き違いは詫びよう。それと、ゴブリンが中継地を襲ったという事実を足してチャラというのはどうだ?」
「……いいだろう。しかし、私以外はゴブリン城に帰す、今夜のうちにな」
「了承しよう」
ハイゴブリンのリーダーが兵団長の手を取った。そしてムクリと起き上がり、周りを見渡す。
「あともう一つ。……皆、腹を空かせている。宴の為に我々はこの地に赴いたはずだが?」
厳しい表情のまま兵団長が小さく笑った。ハイゴブリンのリーダーもそれに続き、少しだけ笑みを浮かべた。
辺り一帯で倒れ込んでいた兵士やハイゴブリンが、触発されたように起き上がった。その目に赤い光はなく、もちろん違う種族に対する殺意も失っていた。
俺はその姿を見てから、草の上で寝ているマブリに身体ごと目を向けた。――と同時に、視界の端でボロボロに傷ついた小太りの男が前のめりに倒れ込んだ。
「お、甥!」
震える足を気にせず、俺は駆けだした。転びそうになったがなんとか耐えた。
「おい! 大丈夫か!」
頭部のサラサラヘアーにはべっとりとした血液が付着していた。小奇麗な革の服はところどころが切り裂かれ、趣味の悪い首飾りが最低限の高貴さを保とうと揺れていた。
「ウ、ウキキ……」
ゆっくりと息を吸った。そして甥はそれを、ゆっくりと吐き出した。
「ソ、ソフィエさんがさらわれた……。ボクは彼女を守れなかった……」
口元にも血が付いていた。
しかしそれは、悔しさで唇を噛み続けたせいのようだった。