154 マブリカンタービレ
遠くの方で大歓声が上がった。
「どうやら片付いたようだな」
「ああ……でも、勝利した俺達兵団の方が被害が大きそうだ……」
座り込む俺の後方から、口髭プレートとアゴ髭男爵の声が聞こえた。
時間にして数十秒、俺はそれだけのあいだ瞑っていた目を開け、立ち上がった。
とにかく……ソフィエさんとクリスを探さなきゃな!
人と亜人の争いに心を痛めるのは後にしよう。そうだ、アリスにでも話したら、『そういうものなんじゃない?』と軽く言ってくれるかもしれない。
それに、亜人のなかにもマブリのような人との調和を目指す者もいる。それなら俺は、その夢の後押しをしよう。
「ウキキ、今回も助けられたな。礼に、今度サーカス団公演に連れて行ってやろう。ウィザードの娘とふたりで王都に遊びに来い」
ゆっくりとこちらに近づきながら、口髭プレートが言った。
空から落ちて来た時はどうなるかと思ったが、怪我は大したこともなく、気絶状態からも目覚めたらしい。
「ああ、その時はお願いするわ。……それより襲撃は終わったのか?」
「とりあえずはな。ボブゴブリンも馬鹿ではない、今回の強襲は挨拶変わりで、本番は円卓の夜と考えているだろう」
「そっか……。二年前みたいにまた暴れ回るつもりなのかな……」
あれこれ手をこまねいたが、結局は今回の円卓の夜でも、人はボブゴブリンの脅威に怯えなくてはならない。マブリやハイゴブリンのリーダーからしたらいい迷惑だろう。せっかく人と和平の道を歩みだしたのに、ボブゴブリンが嘲笑うかのようにそれの邪魔をする。
「招集の笛が鳴った、急ぐぞ」
口髭プレートはそう言って、アゴ髭男爵とともに大隊が集まっている一角へと歩きだした。
ボブゴブリンの鉈で大怪我を負った兵士も、なんとかそれに続いている。噴水の水の包帯はそれほど即効性には優れていないが、それでも報酬金を受け取る為に無理をしているのだろう。招集時に自分の足で立っていないとその権利が失われるのかもしれない。
招集なら、ソフィエさんも来るよな……。クリスも一緒だといいけど……。
俺は願うようにそう心のなかで呟きながら、口髭プレート達の後を追った。
*
そこにソフィエさんとクリスの姿はなかった。それどころか、領主代理の甥も見当たらない。
聞けば、非戦闘要員は馬車で中継地まで避難しているらしい。しかし、それを送り出した兵士は見た記憶がないと断言していた。
どこにいるんだ……!? まさかボブゴブリンに――
だがそれも考えにくい。負傷して動けない者や死亡者の確認を行った兵士は、やはり三人の姿は目にしていないと言っている。
そしてナルシード、あいつの姿も見当たらない。ミドルノーム兵団長が屍教と判明し、追跡しているのだろうか。その件に関しては俺も迂闊なことは言えない。ファングネイ兵団長はその事実をまだ知らないらしく、行方をくらませたミドルノーム兵団長を純粋に心配し、兵に捜索させている。
それに……マブリ達はどこだ……?
同じゴブリン族のボブゴブリンが暴れ回ったあとだけに、彼らのメンタルも心配だ。それを俺にどうこう出来るかどうかは分からないが、声ぐらいは掛けておきたい。
俺は円を作って集まっている兵団の誰かに聞こうと、その外周へと歩いた。と、急に一団から歓声が上がり、続けて叫び――悲痛な訴えが辺り一面に響いた。
「我々はボブゴブリンとは違う! 何故、人にはそれが分からぬのだ!」
円の中心、何十人もの兵が囲むその真ん中には、ロープできつく結ばれ捕らわれているマブリ達の姿があった。
「黙れ亜人、ボブゴブリンの強襲と無関係とは言わせん!」
ファングネイ副兵団長は抜いた剣の先をハイゴブリンのリーダーの眉間に当て、声高に言った。
「話にならぬ、兵団長殿をここに――」
「必要ない。貴様らの処遇は私に一任されている。そうだな、ボブゴブリンの居場所を吐かせてからその醜い頭部を切り落としてやろう。……亜人にはお似合いの末路だろう」
剣先が首筋をなぞった。ハイゴブリンのリーダーは恐れる様子も怯えた表情もせずに、そのギョロっとした目を副団長に向ける。
俺は円の外周を崩しながらその中心へと駆け寄り、ナルシードが虫だと言い切った男の背後に立つ。
「おい! マブリ達は無関係だって言ってんだろ!」
虫が振り向く。
「貴様か。無関係だとどうして言え――」
かがり火がパチッと音を立てた。鋭い剣の先が緑色の喉元を僅かに裂いた。
「ああすまない。急に声を掛けられて手元が狂ってしまったようだ」
たったそれだけの事。と言わんばかりに副兵団長は呟き、垂れかかったハイゴブリンのリーダーの頭を剣の腹で持ち上げた。
「ふざけんなよお前!」
俺は虫の肩を掴む。――瞬間、虫の腹部で一文字の剣閃が走り、革の鎧が綺麗に切り裂かれた。
「ごっ……がっ……!?」
手を当てて自らの外傷を確認する副兵団長。その手に僅かながらの血液が付着する。
「こうなったら仕方がない。我々も戦おうぞ」
そのハイゴブリンのリーダーの一声で、大人しく捕らわれていたハイゴブリン達が自力で縄を破り立ち上がる。手には暗器のようなナイフが握られている。
「き、貴様ら……全員、その場で首を刎ねてくれる!」
副兵団長がたじろいで後退りしながら、円で囲む兵士達にバタバタと手を振って合図を送る。
『待ってました』と剣を抜く者。『仕方がないな』と剣柄に手を伸ばす者。『またか』と、再び始まる殺し合いにうんざりとした表情を浮かべる者。
その全員が中央に殺気を放ち、ゆっくりと円を縮める。
「やめろよおい!」
俺は叫ぶ。兵士の一人が駆け出し、ハイゴブリンへと刺突を繰り出す。
「おい副兵団長! やめさせろ!」
俺は叫ぶ。ハイゴブリンの一人が飛び跳ね、そのまま向かって来る兵士の胸元を斬り付ける。
「お前らもやめろ! 俺がなんとかするから手を出すな!」
俺はハイゴブリンに向かって声を荒げる。
「人の男、ウキキ。我々に黙って死ねと言うのか? お前はよくやってくれたが、和平は打ち砕かれた。ならばゴブリン族として我々は最後まで誇り高く生き、そして死のう」
ハイゴブリンのリーダーが言った。
無感情。ではないだろうが、少なくとも俺には、その緑色の亜人の表情から感情を読み取ることは出来なかった。怒りなのだろうか、悲しみなのだろうか、虚しさなのだろうか。それを必死に考えたが、そのどれも当て嵌まっておらず、ただ大きさの合わない輪を投げて筒に通そうとしているような感覚に襲われた。
襲われた頃には、既に止めようのない戦いが繰り広げられていた。
俺は兵士に、あるいはハイゴブリンに邪魔だと突き飛ばされ、抗争の渦の外からその戦いをただ黙って眺めていた。
やっぱり……『こういうもの』なのか……。
人と亜人、この異世界ではともに手を取り生きていける存在だと思っていたが、なんてことはない、結局は殺し合うだけの存在だった。
俺は上手く兵団とゴブリンを橋渡して和平に導き、平和の大使様を内心では気取っていたが、そんなものは幻想で、すこしボタンを掛け違えればさも当然のように命を奪い合える存在でしかなかった。
人と亜人が歩む道に蒔かれた平和の種。それは一晩も持たずに枯れ、そしてその栄養を土が吸収する前に消えて――
「ウキキ! 早く戦いを止めるゴブ!」
しかし、震える手で俺の背広の裾を握る亜人は、それでも人とゴブリンがともに歩む道を諦めてはいなかった。瞳に大粒の涙を浮かべ、必死に叫び、俺を頼っていた。
「お願いゴブ! まだ間に合うゴブ!」
涙が零れ落ちた。その瞬間、俺の裾を引っ張る力がゼロになった。
「へへへ……ちっこいが、こいつもボブゴブリンの仲間なんだろ」
兵士の握る槍の穂先が、マブリの胸を背中から貫いた。
「マブリッ……!」
俺は崩れ落ちたマブリを抱きかかえ、力の抜けきっている緑色の手を握る。
「大丈夫かおい!」
薄っすらと開かれた先にある瞳が僅かに輝く。同時に、もう片方の手が静かに俺の目の先まで移動し、ゆっくりと力のない拳が作られる。
「どうか、お願いゴブ。ウキキなら、この戦いを止められるゴブ……」
俺はその拳に自分の拳をコツンと軽く当てる。
そしてアワアワと慌てているゴブリン音楽隊に噴水の水の包帯を巻くよう指示し、あまり動かさないように注意しながらマブリを短い草の上に寝かせる。
「さっきも言ったよな? 今のは、フィストバンプっていう、友達同士がやる挨拶みたいなもんだ」
俺は抗争の渦に目を向ける。マブリを槍で貫いた兵士は睨み付けた俺の目を気に入らなかったのか、舌打ちをしながらどこかに走っていく。
「包帯に巻かれてゆっくり寝てろよ。そのあいだに、お前の友達がなんとかしてくれるさ」
俺は駆けだす。後ろから力のない――しかし聴く者の心に響く声で、マブリがもう一度、哀願の唄を歌う。
振り返らないで俺は駆ける。抗争の渦で怒号が響く。
そんなに元気なら……俺が相手になってやる!
俺は剣を打ちつけ合い、ナイフで掠め合い、鎧と薄汚れた麻の服が擦れ合う渦中へと飛び込み、声高に使役幻獣の名を口にする。
「出でよMAX青鷺火!」
グワワァァッ!!
「動けなくなるまで俺が稽古を付けてやるぜぃ!」
闇夜に浮かぶ幾多もの赤い眼を見据えながら、俺は叫んだ。