151 ようこそノクターン
「で、なんでお前までついてくるんだ?」
通り過ぎる廃墟から鳥たちの鳴き声が聞こえた。
それはまるで愛をささやき合っているようで、俺はそっと心の中で祝福の調べを奏でた。
愛だよな、人生も鳥生も……。
穏やかな心、そして晴れやかな心境。
山道に生い茂る草木はきっと愛が交わう軌跡で、緩やかな川を泳ぐ小魚も愛を育んだ奇跡なのだろう。
今の俺にはアホウドリの鳴き声も、カエルのゲコゲコ音も、真っ白な瞳で彷徨う死ビトの呻きさえも、その全てが壮大な愛のノクターンとして聴こえる。
その原因はソフィエさん。
俺がこの世に生を受けてから21年、初めて親に『産んでくれてありがとう』と感謝したくなったのは、ソフィエさんが『ゴブリン会談、頑張ってねウキキ!』と言いながら顔を近づけ、両の手を握ってくれたせい。
もっと言えば、その際に、俺の肘に触れた丁度いい大きさのお胸様のおかげ。
俺は大金星を挙げた右肘殿をそっと撫でる。まだ少しだけ感触が残っている。
……そいや、アリスがソフィエさんにプレゼントとか言って快眠枕を持ってきてたな。
ああ……俺もなにか贈り物を用意すればよかった……。
「――だよ」
隣を歩くナルシードがなにかを言った。
俺は「あ?」と返す。
「質問しておきながら自分の世界に入り込まないでくれるかな」
「ああ、悪い悪い。で、なんだっけ」
「僕がゴブリン会談に同行する理由だよ」
前を見つめる瞳は左を差し、右を差し、そして暮れてゆく空に向けられた。
「ウキキ君……キミ、死霊使いじゃないよね?」
俺はつられて向けた夕日から慌てて視線を切り、ナルシードの真剣な眼差しと相対する。
「えっ」
「えっ……じゃないよ。違うなら違うとハッキリ言っておくれ」
「いや……そんな訳ないだろ。ってか、俺が幻獣使いだってとっくの昔から知ってるだろ」
「別に一つしか会得できないなんて事はないよ、才覚があれば……の話だけどね」
俺は言い淀む。ナルシードはそんな俺から視線を戻し、再び前を歩く隊列へと向ける。
「正直、キミとアリスちゃんは怪しい。いま一番の容疑者はキミ達だ」
「……俺達が現れた途端、死霊使いが湧いて出たからか?」
ナルシードは頷き、続けて口を開く。
「悪いけど色々と調べさせてもらったよ。……なんだい? あの三角形の巨大建造物は。精霊術でも魔剣でも扉はビクともしない。ガラスの天井を割って押し入ろうにも、傷一つ付きゃあしない」
「の、登ったのかよ……」
「ああ、調査隊のなかに器用な男がいてね。壁を走って登らせたあとにロープを垂らしてもらったんだ」
「に、忍者か……」
しかしなるほど、なかなかどうして。ショッピングモールの盾スキルはかなり優秀らしい。
「調査隊ってのは? 死霊使いを捜索してる隊ってことか?」
「そうだよ。薔薇組で編成されていて、全員がファングネイやミドルノームの領土を駆け回っている」
「で、お前は巨大建造物に入れなかったから、今度は俺を見張るってことか」
「いや、少し違うね。キミ達が有力な容疑者っていうのは僕以外の調査隊の言葉さ、僕は既に違うと思っているよ、怪しいのは確かだし、巨大建造物を調べたかったのも本意だけどね」
結局、「じゃ、じゃあなんでお前までゴブリン会談についてくるんだ?」という質問に帰結する。
「少し違うって言っただろ? ……僕が見張るのは虫さ、それも飛びっきりの害虫だね」
「……ファングネイ副兵団長か」
「そういう事さ。キミは中継地で屍教に襲われたって言っていたよね? 僕は死霊使いは屍教と関係しているんじゃないかって考えているんだ。そして、あの虫は屍教だと睨んでいる」
ナルシードはそう言って、20ちょっとの選抜隊の先頭をファングネイ兵団長とともに歩く男に視線を飛ばした。
屍教と死霊使いが繋がっているという考えは俺と一致しているが、副兵団長が屍教だとは思ってもみなかった。
根拠はあるのだろうか? と思い、問い掛けようとすると、
「あ、そうそう。死霊使いと言えば、レリアちゃんの従者を覚えているかい?」
ナルシードはそう切り出してから、遠い山のいただきに落ちた夕日の残光を片目を瞑って見つめた。
*
結ばれた手に、願納の滝の水しぶきがはねかかった。
「ファングネイ王国兵団長、話の分かる粋な男だな。人にしておくには惜しい」
それを気にする素振りを見せず、ハイゴブリンのリーダーが姿勢を変えずに言った。
「ワタシの好きな言葉は『希望』だ。ファングネイ王国とミドルノームでも、自由都市ガイサ・ラマンダのように人とゴブリンが共存出来るようにと願う。希望の種は、今こうして蒔かれたのだ」
ファングネイ兵団長は厳しい眼差しながらも、そう言って僅かな笑みを浮かべた。
俺はそんな二人の握手を目に焼き付けてから、隣のマブリと視線を合わせる。
「アリス……いや、今はその身体はウキキゴブね。とにかく、本当にありがとうゴブ」
大量の涙が三白眼から零れ落ちる。
願納の滝での人とゴブリンの歩み寄り。それは、マメゴブリン音楽隊が奏でたメロディーと唄そのものだった。
これで仲間を失わずに済む。マブリはそう呟いてから、俺の手を強く握って、何度も何度も感謝の言葉を口にした。
「なんだか話が上手く纏まり過ぎていないかい? 僕には茶番に見えるよ」
選抜隊20名とゴブリン達の拍手を聞きながら、ナルシードは感動の場面に水を差した。
「いや、同じファングネイの仲間とゴブリンが平和を築いたんだから喜べよ……。ミドルノームなんて選抜隊に一人も加われなかったんだぞ。蚊帳の外すぎで可哀そうだろ」
「ミドルノームは後方支援だからね。今頃、鬼の居ぬ間に羽を伸ばしているんじゃないかな」
まばらな拍手の音が鳴りやみ、副兵団長の号令の元、一本締めが行われた。ナルシードはそれには加わらずにウーンと一つ伸びをした。
俺はそんなナルシードを横目で見ながら、強く叩き過ぎて痺れている手のひらを何度か摩る。
「ふうっ……」
自然と息が漏れた。ゴブリン会談が無事に終わり、今度こそ肩の荷を完全に降ろして、俺はもう一度マブリと握手をした。
「さあ、じゃあウキキも滝に打たれるゴブ!」
繋いだ手を離し、マブリは一目散に滝の前まで駆け出した。
既にそこでは何名かが身に纏う鎧を外し、上半身を露わにしている。
「な……おいマブリ! 打たれるってなんだ!?」
俺の疑問にはナルシードが長い前髪をかき分けながら答えた。
「願納の儀式だよ、決まっているだろ? 全員で滝に打たれて、願いを納めるって訳さ。僕はやらないけどね」
その目は俺ではなく、副兵団長に向けられていた。表情が不敵な笑みに変わり、続けて口が上下する。
「ここからが僕の仕事だ。ウキキ君もよく見ていてくれ、情報提供者によると虫の右肩の辺りに黒い薔薇の紋章があるはずだ。……まあ、それを見られる訳にはいかないから、包帯かなにかで隠しているだろうけどね」
「副兵団長の右肩……か」
屍教の者は、身体のどこかに黒い薔薇の紋章を刻む。
それを直に見れれば儲けもの、不自然に隠している形跡があれば、それはそれで疑いを強めるにはもってこいの好材料なのだろう。
それを自然な形で確認できる機会がこの願納の滝でのゴブリン会談。蔑んではいるが、さすがに無理やり引っぺがせる相手ではないみたいだ。
俺は目を凝らす。副兵団長が革の鎧を兵団員に外させ、そのまま布製の衣服をなんの躊躇もなく脱ぎ始める。
「……なにもない!?」
ナルシードが言った。俺は黙ったまま、もう一度、目を凝らして副兵団長の右肩の観察に努めた。
「なにもないぞ……?」
隣の焦った表情を見ながら俺は言う。と、突然ナルシードは駆け出し、背中越しに言葉を投げかけてきた。
「謀られた……! 僕は本陣に戻るよ、ウキキ君は念の為にこのまま選抜隊といてくれ!」
事は俺が思っている以上に深刻らしい。
今一ピンと来ないが、俺の胸の奥で幻獣が少し熱を強めたような気がした。
「ウキキ! 早く来るゴブ!」
マブリが最高の笑顔で振り返り、言った。