149 甥は雄弁に語る
ゴブリンとの会談は夕刻時、願納の滝で開かれる。
それに臨むファングネイ王国とミドルノームの合同兵団が出兵する人数は、少なく見積もっても100名。
かたや、ゴブリンの隠れ家にいたのは、ハイゴブリンとマメゴブリン合わせて20名程度。その全員が会談に現れると仮定しても、人数差は歴然であり、俺が見てきた事を加味すると装備差もゴブリン側が大きく劣っている。
これでは、兵団はゴブリンを討伐するつもりとクリスが疑うのは当たり前であり、ソフィエさんが眉をひそめてファングネイ兵団長の元に詰め寄ろうとしたのも、その人柄を考えれば至極当然と言えた。
その歩みを立ち塞がる事で止めたファングネイ副兵団長の口角が、もう一度あがる。
「さあ送り人様、あなたのような煌びやかな女性が男臭い戦場にいつまでもいてはいけません。テントのなかで休んでいて下さい」
「どいてください! 私は兵団長さんに話があるんです!」
右をすり抜けようとするソフィエさん。しかし、軽いフットワークで阻害される。
「話なら自分が聞きましょう。恋のお悩みですか? それとも、毎晩悪夢にうなされ、立ったまま数十分しか眠れない身体の悩みですか?」
「おい、あんた!」
思わず俺は声を荒げ、ソフィエさんの前に躍り出て鋭い眼光と相対する。
「なんだ貴様は、見ない顔だな」
「俺だってあんたの顔見るのなんて初めてだ! いいからどけよ副兵団長!」
荒い言葉が口をついて出る。
貧しい人にも等しく三送りをという決意の元、流浪の送り人となったソフィエさん。
その際に挑んだ決別の試練は、立ったまま両手を縛られ半年間過ごすという過酷なもの。それにより、夜も横になって眠れず、快眠とは程遠い毎日を送っている。
そんな彼女を馬鹿にするような物言いに俺は無性に腹が立ち、再度、目の前の男を睨み付ける。
「“副”じゃ話にならねーんだよ! さっさとどけよ!」
瞬間、男の拳が俺の眉間へと伸び、そのまま空を切る。
素人の突きとは言い難かった。当然、ファングネイ王国で副兵団長まで上り詰めた実力は相当なものだろう。しかし、青い攻撃軌道が視えなくとも、こんな見え見えの突きを食らってやる義理はない。
「躱すとは生意気な……貴様の腐った性根を叩き直してくれる!」
「腐ってねーよバーカ! あんたの方がよっぽど腐敗してるだろ!」
再び拳による突きが迫り、蹴りが襲い、三度、拳が突かれる。
俺はその全てを毛先も掠らせずに躱す。と、鋭い眼光に赤が宿ってゆく。
「なかなかやるようだな。ならば、手加減は必要あるまい」
男の手が腰の長剣へと伸びる。
「止めとけ、抜いたら俺も手加減しづらくなるぞ」
俺はくの字に曲がった男の腕へと右手を構える。――刹那、目の前で赤い毛先が、ふんわりと遊ぶように舞った。
「ウキキ、私なら気にしてないから。……副兵団長さん、ここでは私闘は禁止じゃありませんでしたか?」
俺を守るように。俺を庇うように。ソフィエさんは両手を広げ、殺し合いを始めんとする俺達の間に立って静かに言った。
「ぐっ……!」
と副兵団長が言葉に詰まったのにも納得がいく。
ソフィエさんの存在感が空間を支配していた。世界から一切の音がなくなり、指先を動かすことすら憚られた。額に汗がにじむ。後方にいるだけでもこれだけの緊張感が身を包む。
まるで、森の村で初めて目にしたソフィエさんの三送りのようだった。俺は太陽の周りを回る惑星――いや、その惑星のなかに住む小動物でしかなく、生死やその先にあるなんらかの『もの』すら、彼女に握られているような感覚だった。
「剣から手を離してください」
太陽が口を開く。
「ヒィッ……!」
小動物が短く唸り、視線を伏して柄から手を離す。
「さあウキキ、行こっ!」
振り返った彼女の表情は――柔らかい微笑み。それと、黄金色に輝く後光。
まただ……。領主の背後にも見えた光がまた見える……。
――眩しいのう。
俺の思考に、ソフィエさんの腕の中のクリスが加わる。
お前にも見えるのか……?
返事はなかった。そのままクリスはZZZというアルファベットを頭のなかに並べた。
寝るなよ……。せめて、この光を知ってるか知らないかぐらい語れ……。
という語りまでスルーされ、再び俺はソフィエさんに腕を引っ張られながらファングネイ兵団長の元まで歩いた。
いつの間にか、黄金色の後光は消えていた。
*
「いや、そんなつもりはない。本当だ」
たじろぎながら、ファングネイ兵団長は言った。その原因は勢い良く詰め寄ったソフィエさん。
しかし、その表情に先程の面影はない。今は天然系女子が稀に見せる、激情を浮かばせながらもキッスしてしまいたくなるような可愛い面差しだけだった。
俺はその邪な感情に耐え、兵団長へと物申す。
「じゃあ、なんで大軍を率いるんですか? それじゃそのつもりがなくても、ゴブリンを刺激させて余計な争いを生みかねません」
角刈りをポリポリと掻く兵団長。その目が隣のミドルノーム兵団長に向けられる。
「作戦の立案は副兵団長です。ワタシもファングネイ兵団長殿もそれで問題ないと判断し、決定しました。しかし、今回の会談は君が持ち掛けて来たものです。……君の意見も聞きましょう」
「俺は――」
「必要ない!」
遮った声。後方から聞こえたが、振り返る気にはならなかった。
「自分は兵団長殿や兵共の命を顧みて作戦を立てた。亜人を信用して少人数で向かうなど言語道断! 20に対して100で臨み、それで決裂するのならば蹴散らせばよい! そもそも、我々がこの地に訪れたのはゴブリン討伐の為だ、会談の為ではない!」
支離滅裂。それもかなり、たちが悪い。
最初からゴブリンと和平交渉をする気などなかったみたいだ。少なくとも、この副兵団長様は。
「じゃあ――」
前を向いたまま、俺は大きく息を吸い込んで言葉を口にする。
瞬間、自然と頭に思い描いた姿は、力こぶを見せつける領主。その顔には自信と意志が宿っていた。
「じゃあ、俺一人で兵団長を護衛出来ると証明してみせます。この合同兵団の選りすぐりと闘わせてください、何人でも構いません。そして俺がその全員を倒したら、出兵する人数をせめて20にしてください」
我ながら馬鹿なことを言っているなと感じた。感じたが、最後まで言い切ってみると、意外と気分がよかった。なので、もう少し調子に乗ってみよう。
「まずはあんたか“副”兵団長殿!? かかって来やがれってんでぃ!」
俺は大声で叫ぶ。前を向いたまま。
ソフィエさんが心配して止めに入り、クリスがうるさいと語り、領主代理の甥があわあわとして後ずさる。って、お前いたのか。
「……ウキキ君、ダスディーが書状を託した程の君だ、かなりの手練れなのだろう。それに、あいつが最も大事にしていた優しい心も備えているように思う。しかし、その発言は取り消した方がいい」
ファングネイ兵団長が、俺の肩に手を置いて言った。
「いえ、だからこそ取り消せないです。……領主の力と雷名を頼ったんです、なのにこの会談で犠牲者がでたら、俺は領主に顔向け出来ません。犠牲者には当然、ゴブリンも含まれます」
俺は穏やかに言う。しかし内心、かなり焦っている。
この荒唐無稽な申し出を断られたら、もう願納の滝に先回りしてゴブリン達を逃がすしかない。それはつまり、マブリの想いを打ち砕き、領主が進めと言ってくれた俺の道からも外れることになる。
頼む、首を縦に振ってくれ……!
静寂が辺りを包む。丘の上の枯れ木から葉が舞い落ちる。
「この男は我がハンマーヒルが誇る幻獣使いだ! この地にいる、どの男よりも強い!」
静寂を破ったのは、帳簿を片手にどっしりと構える小太りの男。
「あのアラクネを討伐したのもコイツだ! この地で自らを最強の男と名乗る者がいるなら、いざ尋常に勝負しろ! コイツと!」
甥はキッチリ、最後の部分で俺の顔を指差した。ドヤ顔を浮かべ、鼻からフンっと息を吐く。そして、チラチラとソフィエさんを見ている。『カッコ良かった? ボク』と言わんばかりに。
ああ、カッコ良かったぞ!
俺はもう一度、大きく息を吸い込む。
「その通りだ! 俺だけじゃないけど、俺が飛来種アラクネ相手に無双した! ここで一番強い奴、いたら出て来いや!」
俺は360度ゆっくり見回しながら叫ぶ。すると、群衆に紛れる一人の男が静かに挙手をした。
「それは間違いなく僕かなぁ」
紺色の長い前髪をかき上げ、音もなくこちらへと近づいて来る。
「やあウキキ君、久しぶりだね。お望みどおり、僕が相手になるよ」
端正な顔立ちに挑発的な笑みが浮かぶ。
「それとも、ファングネイ王国騎士団薔薇組“副”組長じゃあ、ご不満かな?」
「な、ナルシード!?」
俺は、目の前の魔剣使いの男の名を口にする。
と、その瞳に殺意の赤が宿り、構えた手のひらを黒いモヤモヤが覆った。