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145 アナのオウス・キーパー

 その時は刻一刻と近づいていた。

 尽きた寿命をマナで変換する事によって僅かな時間を生き長らえていた領主だが、その命の残り火がもう風前の灯火である事は誰もが分かっていた。


 ユイリは泣いていた。やっと孫だと打ち明け、領主と色々な事を話していたが、段々と息が荒くなっていく領主を見てその手を強く握った。


 アナは涙を溢しながら、領主をおぶって村までの道を歩いていた。領主から授けられたヴァングレイト鋼の剣は腰の鞘に収められており、アナの一歩が進むたびに小さく揺れていた。


 泣き虫アリスは、しかし泣いてはいなかった。

 瞳の奥に蛇口でもあるんじゃないかと思うぐらいよく泣くアリスだが、領主の死が近いと知ってから今の今まで涙は見せないでいた。


 多分、全員の考えは一致していた。

 ここから先、領主の娘が待つ海沿いの村までの道のり、会話で体力を消費して欲しくない。

 きっと、みんなそう思っていた。残り僅かな寿命は娘との時間に充ててもらいたいと考えていた。

 当事者である、領主を除いて。


「なあ、アナ……。お前さんが俺に仕えるようになって、もう10年が経つのか……。あんな少女がこんな立派な騎士になるとはなぁ……」


 領主はしきりに話を振っていた。アナに、ユイリに、アリスに、そして俺に。

 まるで最後に送る言葉のように、思い出話を交えながら、その相手にとって必要であろう言葉を届けていた。


 それが一周すると、再び領主はアナに向けて、唇を僅かに上下させる。


「アナ……今際の際に頼みごとが一つ出来ちまった。聞いてくれねぇか?」

「はい、分かっています」


 アナは歩を緩めずに、前を向いたまま肯いた。それに領主が続く。


「騎士の誓いは俺の死によって果たされる。よって、これは命令でもなんでもねぇ。……だが、お前さんの負担にならない程度で構わねえ、ユイリの事を気に掛けてやってくれねぇか?」

「当然です。分かっています」


 アナは立ち止まり、空に目を向ける。


「それに、誓いは永遠です。わたしが滅するまで、わたしは領主様の騎士です」


 視線は空の彼方に伸び、再び村へと一歩が伸びる。


「ありがとうよ……。で、話は変わるが、冥途の土産に聞かせて欲しい事がある……。それの名はまだ決まらねぇのか?」


 領主がそう言うと、夕日がヴァングレイト鋼の剣を収めている鞘を照らし、鈍く輝かせた。


「今、決まりました」

「ほお……。聞かせてくれぃ」


 優れた剣には相応しい名が必要。分からないでもないが、俺が思っている以上に剣に対する思い入れが深いらしい。


「……オウス・キーパー<誓いを果たす者>です。わたしはあなた様の忘れ形見を守ると、この剣に誓います」


 領主は目を瞑る。そして短く一言だけ、「いい名だな……」と呟いた。

 その表情に、もう生気は感じられなかった。しかし、領主を知る人間ならば、ニッコリと微笑んでいるように感じるだろう。少なくとも、俺にはそう見えた。



 海沿いの村の入り口が見えて来た。

 囲んでいる木製の塀はイメージよりも立派な造りだが、至る所に海から風に乗せられた塩が付着していた。


 その塩が一段と積もっている辺りに、一人の女性が立っていた。

 薄紫色の髪に長い耳。一目で、それがユイリの母であり、領主の娘である事が分かった。


「お母さん!」


 ユイリが声をあげると同時に、駆け寄る。アナが足を早めてそれに続く。


「お母さん、お爺ちゃんだよ!」


 母の手を取り、説得するようにユイリは言う。

 わだかまりがあろうのだろう。それを和らげ、崩すのは自分の役目。そう思っている様が痛い程よく伝わる。


「ええ、分かっているわ」


 ユイリの母は、真っ直ぐな眼差しをおぶられている領主に向けたまま言った。


「……アナ」


 領主が呟く。アナは黙ったまま領主を降ろし、その肩を支える。

 地を踏みしめた領主の脚がくの字に曲がる。が、残る全ての力を振り絞るように、額に汗を光らせ、直立に戻す。


「すまなかったな……。苦労したそうだな……。いい男と巡り合えたみてぇだな……」


 領主が言葉を繋げもせずに、ずらりと並べる。

 そうしたくてしている訳ではなく、残された時間が本当に本当に僅かだと、誰よりも知っているのだろう。

 領主が最後にやりたい4つの事。その残る一つである、『娘に赦される』という願い。

 それを必死に叶えようとしている。と同時に、ただ単純に娘に言葉を届けている。


 ユイリの母は沈黙したまま、領主の視線と相対している。


「すまなかっ――」


 領主は崩れ落ち、その場で膝をつく。

 俺も、アリスも、アナも、ユイリも。その手に、肩に、背中に、手を当て、領主の最後の言葉を待つ。

 ユイリの母の目には涙が。アナとユイリの目にも同じ物が。そして、俺の目には汗が。それぞれが瞳に浮かばせ、そして零れ落とす。


 しかし、アリスはそれに耐えている。歯を食いしばって、がらにもなく我慢している。

 俺はそんなバカに、小さな声で囁く。


「泣けよ泣き虫。どうせお前の事だから、自分が泣いたら領主が心配して天国に旅立てないとでも思ってるんだろ? ……泣けよ。俺が領主なら、お前が泣いてくれた方が嬉しいぞ」


 領主が垂らしていた頭を上げる。アリスが豪快に瞳の奥の蛇口をひねる。

 順番が逆だったかもしれない。が、それを気にするよりも先に、領主が全身の力を振り絞って口を開く。


「すまなかったな、リュイ……。お前の事も、お前の母の事も、お前の娘の事も愛している。……空から、お前達の事をイリーユとともに見守っているぜぃ――」


 言葉が切られる。しかし、全ての想いを紡いだ事は、ここにいる誰もが分かっている。

 そして、これを最後に、もう二度と領主の目が開かれない事も。


「お父さん……!」


 ユイリの母が、事切れた領主の身体に飛び込む。

 赦した……のだろうか。しかし、領主の死に間に合わなかったのか、綴られた蛍文字に変化はない。


 俺は領主の最後にやりたい事リストから目を離し、空に向ける。

 夕日が沈み、その最後の煌きが領主の亡骸にあてられる。


「あっ!」


 アリスが突然、声をあげる。なにを指しての短いセンテンスなのか、それは、考える必要もないくらいに光り輝いて舞う蛍が教えてくれた。


 ……領主!


 俺は三送りを待つ領主に視線を飛ばしてから、力強く口を開く。


「……ブザービーター! ぎりぎり間に合いましたよ、領主!」


 全ての文字が消え、白紙となったリストを見ながら、俺は言った。





 ユイリによる領主の三送りは粛々と行われた。

 夜闇の空に昇っていく領主の魂とマナは、とても美しかった。

 まるでその一つ一つが俺達に道を示すかのように、暗闇をいつまでもいつまでも眩く照らしていた。


 『アリス、場所なんざどこでもいい。ウキキとともに長く生きろよ……あの世で待っているから、皺くちゃになった婆の姿で会いに来てくれい』


 生前……と言ってもつい先程の事だが、領主がアリスに届けた言葉が脳内で再生される。

 アリスは元気に返事をしていたが、多分、あまり分かっていなかっただろう。

 しかし俺には、言わんとしている事がすぐに理解出来た。


 そうだよアリス。俺達が生きる場所なんて、元の世界でもこの異世界でもどこでもいいんだ。

 だから、もし俺を元の世界に還す為に自らの命を絶とうと少しでも思ってるなら、そんな馬鹿な考えは領主の魂やマナと一緒に三の月にでも送っちまえ……。


 俺はそのバカに目を向ける。

 領主の亡骸の少し後ろでアナと手を繋ぎながら、段々と薄暗くなっていく空を見上げている。


 俺は最後に手を合わせ、領主に最後の別れの挨拶を済ませてから、その場を後にした。


 よしっ……ここからは俺が頑張らないとな! 今度のタイムリミットは、マブリ達が願納の滝で待ってる、明日の夕刻だ!


 足取りは軽やか。とは、とても言えない。

 ゴブリンと人の会談実現に向けた一歩は重く、革靴に鉛でも仕込んでいるかのようだった。

 それに加え、左手もなんだか重りが付いているみたいでダルイ。ヨダレがベッタリと付いているかのように、生暖かくも感じる。


――おい、うぬ。一人で行くのか?


 と思ったら、クリスが当たり前のように俺の手を咥え込んでいた。


 お前いつの間に……。って、うぬって呼ぶな。


――まあ、たまには、うぬとわらわの二人旅もよいじゃろう。


 お前も来るのかよ……。みんなは明日の朝ハンマーヒルに戻って、領主の葬儀だ。アリスは……アナに頼んでおいた。危険だし、付いてこさせたくないからな……。


――前髪ぱっつん娘に黙って行くのか。後でギャーギャーうるさく喚くのではないか?


 確かにそうだろうけど、まあ、怒られるぐらいで済むなら、その方が断然いいよ。


 と、脳内で語り合いながら歩き、村の門を抜けると、後ろからパタパタという足音が聞こえた。

 振り返ると、息を切らしてハアハアと肩を揺らしている、アリスとユイリの姿があった。


「アナに聞いたわよ! あなた、黙ってゴブリン討伐の本陣に行く気ね!?」

「あいつ、もう口を割ったのかよ……。そうだよ、ちょっと行って来る――」


 言い切る前にアリスは俺の胸に飛び込み、クリスはサッと俺の手を離して避けた。


「ごめんなさい、私は行けないわ。領主のおじいちゃんを最後まで見送ってあげたいの。それが終わったら、すぐに向かうわ!」


 意外にも、アリスはそう言って俺の胸に顔を埋めた。どさくさに紛れて、スースーと俺の臭いを嗅いでいるみたいだ。

 しかし、考えてみれば意外でもなんでもないかもしれない。世話になり、本当の祖父のように慕っていた領主に最後まで付き添いたいと思うのは、一言で言えばアリスらしい。

 それに、せめて俺とアリスのどちからでも葬儀に参列しなければ、地球人としての品格が問われると考えているのかもしれない。早くに両親を亡くしたアリスは、その辺りだけは俺よりもよっぽど大人だ。


「謝る必要なんてねーよ……。じゃあ、俺の分も、最後まで領主に付いててあげてくれよ!」

「ええ、任せてちょうだい! あなたも、もし何かあったらすぐに風の便りで知らせるのよ!」

「ああ分かった! 風の便りはいつ届くか分からんけど、取り敢えず送ってみる!」


 今生の別れの筈がない。しかし、未来アリスの歩んだ道を考えると、浮かぶ涙だけはどうしようもなかった。

 俺はそれを気付かれないうちに背広の袖で拭う。と、ユイリが同時に口を開いた。


「あのっ……ウキキさん!」


 俺は、「はい、なんですか?」と答える。


「あの約束……今、ここで行いますか?」


 約束……。はて、なんの約束だろうか。


「ウキキさん、お爺ちゃんが川に落ちた後に、言ったじゃないですか! 生きて帰ったら、わたしの耳に触らせてくれって!」

「あ、ああ! 言いました言いました!」

「それで……あの、その、ウキキさん……。異性がエルフや、ハーフエルフの耳に触れる事の意味、知っているんですか?」


 意味……。はて、どんな意味だろうか。


「はあ……やっぱり知らないんですね。それは、『愛するあなたと、生涯をともに』という意味なんです……つ、つまり、プ、プロポーズです……」


 一秒が経過し、二秒、三秒と続く。

 理解するのにそれだけの時間を要し、やがて俺は自然と間抜けな声をあげる。


「えっ」


 いつの間にか俺の耳に唇を近づけているアリスが甘噛みをし、俺は盛大なリアクションとともに、少し恥ずかしい声を漏らす。と同時に、アリスが怪訝そうな表情で口を開く。


「あら、あなたの首筋のひし形の模様、二つに増えているわよ?」


 今度は理解するまでに、10秒程かかった。


「えっ」


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