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144 ユイリと祖父

 アナの声には、いつもと変わらない安心感があった。

 それはたとえ、体力が尽きて指先すらまともに動かせず、大量の死ビトに囲まれつつあるこの状況下においても同じだった。


 俺は閉じようとする瞼に逆らわず、その不可抗力に黙って応じる。

 瞳が最後に映し出したのは、ヴァングレイト鋼の剣を腰の鞘から抜く、アナの凛々しい姿だった。



 それから数時間、あるいは数十分が過ぎ、俺の意識は自然と戻って眼が開いた。

 腕に力を込め、握り拳を作ってみる。と、何事も無かったかのように、俺の指先は脳からの指令に従った。


 そのまま起き上がると、既に背中や左腕の痛みも消え去っていた。

 あれだけの大怪我だったにもかかわらず、ここまで回復してしまう自分の身体を不思議に思う。噴水の水に浸した包帯のおかげだが、軽く召喚獣という体質による自然治癒力の高さも相まっているのだろう。しかも、その体質は日に日に増しているようにも思える。


「ウキキ殿!」


 誰かが俺の名を呼ぶ。


「なにボーッと突っ立っている!」


 振り返ると、死ビトの剣と鍔迫り合い中である、アナの必死な形相を瞳が捉えた。


「ああ、そうか……。おはようアナ」

「なにを呑気に言っているんだ!」

「いや、そうだ、こんな状況だったな……」


 俺はそう言えばピンチだったこの状況を思い出し、アナに刃を向けている死ビトの首筋に左手を添えた右手を向ける。


「出でよ鎌鼬!」


ザシュザシュッ!


 続けて、領主とアリスに忍び寄る死ビトに狐火の火炎放射を浴びせ、その崩壊した顔面を焼き尽くす。と、とりあえず俺達を襲う群れは片付いたようで、俺は肩をグルグルと回しながら二人の元へと駆けた。


「アリスと領主は倒れたままなのか!?」

「ああ、声を掛けて身体を揺すっても無反応だ。アリス殿は眠っているだけだろう、しかし、領主様の息が弱い」

「そうか……。アナ、大量の死ビトを任せちゃって悪かったな。30体はいただろ?」

「ああ、しかし気にするな。迎えに来て本当によかった、死霊の澱みがこんな場所に発生しているとはな……」


 俺の目を見ながらアナは言った。次の瞬間、その視線が少し横にずらされる。


「狙われているぞ!」


 発声と同時にアナは俺の腰からダガーを抜き、そのまま半身をずらして一方行へとそれを投げる。

 俺は反射的に、見事な投擲術で放たれたダガーを目で追う。と、大樹の陰からこちらに向けて弓を構えていた死ビトの腕が切断され、引かれた矢がその場に落ちた。


「あ、危ねえ……狙われてたのか。ブザービーターだったな……」

「なに!? なんだブザービーターとは!?」


 急に生じた説明責任に、俺は「バスケの試合で、終了のブザーより先にシュートを放ってそれが入れば、例えゴールがブザーの後だったとしても得点になるんだよ」とやや早口で言う事によって応じる。

 当然、アナは怪訝そうな表情をする。俺はそんな顔をしていても美人という二文字を崩さないでいるアナを放っておき、弓矢を捨てて迫って来た死ビトに鎌鼬を使役して、そのただれた首を刎ねた。





 ヴァングレイト鋼の剣を鞘に収め、アナは周りを見渡してから口を開いた。


「よし、村に向かうぞ。ボサッとしていたら、また死ビトが集まってしまう」


 俺は黙って頷き、領主を背負う。アナはアリスを軽々と抱き起こし、そのままお姫様抱っこの形で森のぬかるんだ土を踏みしめて歩き出す。


「アリスまだ起きないな……。大丈夫かな」


 気持ち良さそうにスヤスヤと眠っている表情を見つめながら、俺は言う。

 すると背中から、領主の切れ切れな声が俺の耳に届く。


「心配……いらねえぜぃ。……召喚と精霊術で尽きたマナがある程度回復すれば、自然と目を覚ますだろうよ……」


 その説明に俺は胸をなで下ろし、それから更に他の心配をする。


「気が付いたんですね、よかった……」


 このまま、もう目を開ける事はないかもって思ってました。


 と、やや冗談めいて言おうとしたが、止めておいた。


 その判断は正しかった。冗談を言うような空気でない事は、アナの目に浮かぶ大量の涙が告げている。


「領主様……」


 一言だけ呟き、アナはアリスをお姫様抱っこしたまま歩を進める。


「アナ、変わるか?」


 と俺は言う。しかし、アナは首を振って、「いや、このまま急ごう」と口にした。


 それは領主を想っての事なのだろう。いくら自分に仕える騎士とはいえ、女性におぶられたいと望むような領主ではない筈だ。


「なんでぃ、アナ。おぶってくれねぇのか」


 望んでいたようだ。


 その一言に俺は笑い、アナも笑った。

 丁度、森を抜けたようで、俺とアナは周りに目を配りながら、それぞれの役割を変えて再び村へと歩いた。


 俺は背中のアリスの寝息を聞きながら、わざと足を緩めてアナと領主に先行させた。

 恐らく、この道が二人で歩む最後の旅路になるだろう。俺がやれる事は、後ろから見守り、出来るだけ二人の空間にしてあげる事ぐらいだ。


「ヘチマ……!?」


 突然、背負うバカが叫び声を上げた。

 領主が言っていたとおり、マナや体力が回復して目を覚ましたようだ。

 俺はアリスに状況を説明する。するとアリスは何故かアナの保護者目線になり、「アナ、大丈夫かしら」と心配しだす。



 10分ほど歩くと、潮の香りが近づいて来る。村まではもう少しのようで、アリスははしゃぎながら俺の背中から降り、領主とアナの隣まで駆け出した。

 俺も少し早めに歩き、それに続く。と、前方の短い橋の上に立っている少女に気が付いた。


「ユイリ……。村で待っていろと言っただろ」


 アナがその元で立ち止まり、言った。


「すいません……。でも、心配で……」


 ユイリはそこで言葉を切り、手に持つ俺のリュックを手渡して来た。

 それを受け取り、俺は冒険手帳を取り出して、なかに挟まっている領主の最後にやりたい事リストに目を向ける。

 魔法などの威力や効果を倍化させる重複の法を発動した事により、記入されていた筈の『大魔法を一度でも発動させる』という願いは消えている。


 これで、領主の残る願いは、『世界一の美女とハグをする』と『娘に赦される』の二つ。

 片方は分かる。しかし、もう片方のあてはあるのだろうか? 世界一の美女とのハグなんて、俺だって叶うならば望みたい。


 でも……なんとか叶えてもらいたいな。アナだって相当な美人だし、あれで手を打ってくれないかな……。


 俺は失礼な事を考えてしまったアナに視線を飛ばす。橋の上で領主をおぶったままユイリと佇んでいるが、今日の鬼門は橋だと気付いたのだろう、そのまま足早に橋の向こう側へと渡った。


「なんでぃ……ハーフエルフのお嬢ちゃん。嫌われていると思っていたが……心配してくれたのかい」


 並んで歩いていると、領主のか細い声がユイリに向けられた。

 ユイリは立ち止まり、視線をアナの背中に向ける。


「あ、当たり前です。わたしのせいで領主様が川に落ちたんですから……」


 その背中でおぶられている領主が振り返り、ユイリに顔を向けて口を開く。


「綺麗な髪色だな、ハーフエルフのお嬢ちゃん……」


 沈みゆく太陽のような恒星が空を赤く染め、ユイリの薄紫色の髪を照らす。

 領主は瞳を閉じる。そして、ゆっくりと開きながら、もう一度ユイリにうつろな視線を飛ばす。


「イリーユの髪色とそっくりでぃ……。不思議だな、ハーフエルフのお嬢ちゃんを見ていると、ここが北の大地の雪上のように感じらぁ」

「そんなふうに呼ばないで下さい……」


 領主の感傷的な想いとは別に、ユイリが伏せていた視線を領主に向けて声を上げる。

 ふと、俺はアナと目が合う。アナもユイリから二人の関係を聞いたのだろう、祖父と孫の会話を聞きながら心配そうな表情を浮かべている。


「送り人のお嬢ちゃんも駄目で、ハーフエルフのお嬢ちゃんも駄目なのか……じゃあ、どう呼べばいいんでぃ」


 その言葉に、ユイリは再び目を伏してジッと地面を見つめる。

 俺は、その震えている肩に手を伸ばす。なにも言わない、なにも言えない。しかし、その代わりと言ってはなんだが、トントンと肩を叩いてから薄紫色のサイドテールが揺れる頭にそっと手を置く。


「わたしは……」


 そっと置いた手を、俺はチョップの形に変えて静かに添える。


「どうして分からないんですか……! そうです、お婆ちゃんはよく、暖炉の前でわたしの髪をとかしてくれました! 裏姫にしちゃってごめんねと謝りながら、でも、同じ髪色だねと笑って、わたしの髪をとかしてくれました!」


 領主の目が見開く。小さく口が上下する、が、声にはなっていなかった。


「どうして分からないんですか、わたしはあなたの裏姫です! 落とし子の母はお婆ちゃんと父が死んでから凄い苦労しました! なんで分からないんですか!」


 ユイリは思いの丈をぶつける。恨みつらみをぶつける。

 領主の濁る瞳に煌きが宿る。夕日が照らし、キラキラと光りだす。


「そうだったのか……」


 アナの背中から領主は降りる。そして、フラフラとする脚で大地を踏みしめる。


「そうだったのか……」


 同じ事を口にする。両手がユイリへと向けられる。が、それで精一杯なのか、愛した女性と同じ髪色をした少女を抱きしめる事は叶わない。


「お爺ちゃん!」


 しかし、叶わない事なんてない。領主から抱きしめる事は無理でも、ユイリが一歩を踏み出せば、それはおのずとハグという形になる。


「ユイリ……!」


 領主がユイリを抱きしめ、ユイリが領主を抱きしめる。

 煌きはやがて零れ落ちる涙となり、ユイリの瞳にも同じ物が宿る。そしてそれが溢れ出した頃、俺が手に持つ冒険手帳から、いくつもの蛍のような光がゆっくりと浮かび上がる。


 俺は、挟んである領主の最後にやりたい事リストに目を向ける。


「残る願いは、あと一つね」


 視線をともにしたアリスが、祖父と孫のハグに目を戻しながら、静かに言った。


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