140 ウィザードとグラディエーター
月の迷宮5層で、未来アリスとともに打ち倒した黒鎧のデュラハン。
転生を重ねた兵であるその化物の攻撃方法は、巨大な両手剣による斬撃を主としたもの。
では、視界の先を徘徊する赤いトレンチコートのデュラハンはどうだろう。
携える武器は、先の尖った杖のような物。その見た目からは刺突が連想され、同時に魔法攻撃のようなものまでが頭をよぎる。
「紅衣のデュラハンか……やっかいな相手でぃ」
俺と同じように、洞窟から外に目を向けている領主が言った。
「紅衣の……知ってるんですか?」
「ああ、あれはファングネイ領で何度か目撃されているデュラハンでい。もっとも、その目撃した者の殆どは黒焦げになって発見されたがな……」
「強くて危険って事ですか……。転生を重ねた兵なのかな……」
「ああ、その通りでぃ。しかしウキキ、詳しいじゃねえか」
「あっ……ええっと」
俺は少しだけ言いよどむ。
領主になら未来アリスの事を話しても問題ないが、アリスが目を輝かせて話を聞いている今、それを言う訳にはいかない。
「あの、ボルサに聞いたんです」
「そうか……。まっ、ウキキ、とりあえずそのダガーは収めとけぃ。デュラハンと殺り合うなんて、馬鹿がする事でい」
『そうですね』と言い、俺は腰の鞘にダガーを収める。
その瞬間――
「やっつけるわよ!」
隣で目の輝きを増しているアリスが、洞窟の入り口から外へと駆け出した。
「おいっ! ……出でよ玄武! 飛べ黒蛇!」
シャアアアアッ!
「ちょっと、なにをするのよ! ジーンズを引っ張らないで頂戴、脱げちゃうわ!」
「うるせえバカ! アホ! 胸なし! 脱げても下はブルマだろーが!」
俺は女児ジーンズのベルトループに噛み付いた黒蛇を縮ませ、俺の胸に無理やり飛び込ませたアリスに声を荒げる。
当然、アリスは暴れる。間もなく迫ったチョップは、右手と左手それぞれ別の軌跡を描いている。
「領主も言っただろ! 目を輝かせてデュラハンに戦いを挑もうとすんなバカ!」
俺はそれを両方とも避けながら言った。
「じゃあ、どーするって言うのよ! このままここでデュラハンが過ぎ去るのを待つって言うの!?」
そう言うアリスはモンゴリアンチョップの態勢に入っている。鮮やかに躱された事で、数より質だと考えたのだろう。
「それが賢明でぃ。……デュラハンは一定時間で黒瘴気とともに消え、ここではないどこかでまた姿を現す。それをのんびりと待つのも悪かねぇだろ」
領主はそう言うと地べたで胡坐をかき、懐に手を入れる。
そして取り出されたのは白い飴玉。それを俺とアリスに手渡し、淡い笑みを浮かべてから続けて口を開いた。
「食いねぇ。体力を少しばかし回復させる飴ちゃんでい」
「体力を? それなら、私より領主のお爺ちゃんが食べて頂戴!」
「子供が変な気を回すな。俺はもう食ったぜぃ」
あら、そう。と言いながら、アリスはそれを口に含んで舐めまわす。ミルク味で美味しいらしい。
俺も口に投げ入れる。と同時に、時間差を経たモンゴリアンチョップが放たれ、空を切る。
「もう! あたな最近、避けてばかりよ! たまには当たりなさいよ!」
とアリスが言った。俺は、「青い軌道なんて見えなくとも、既にお前の攻撃は見切っている」とクールに返す。
そんな俺達のやり取りを見て、領主が優しく微笑んだ。
まるで、田舎のお爺ちゃんが夏休みに帰って来た都会に住む孫に向けるような、そんな柔らかい笑顔だった。
*
洞窟の外では、未だ大量の死ビトが彷徨うように森をうろついていた。
何体かがこちらに近寄って来たので、それは少し奥に誘導して倒しておいた。
「アリス、寝ちゃいましたね……。それに、20分ぐらい経つけど、紅衣のデュラハンまだいますね」
死ビトが残した月の欠片をアリスの赤いリュックに入れながら、俺は外を徘徊している紅衣に視線を飛ばす。
「もうじき……かもな。それはそうとウキキ」
「は、はい」
「これを今のうちに渡しておくぜい」
飴玉と同様、領主は懐に手を入れてなにかを取り出し、それを俺の手のひらに乗せた。
「こ、これは……?」
「神獣のたまごでぃ。この前アリスが、『召喚士なのに、無意識で召喚した変態しかいない』と嘆いていてなぁ。それは、ハンマーヒルを隈なく捜索させて見付けた、唯一の品でい」
無意識で召喚した変態、とは誰の事だろう。まったく心当たりはないが、話を遮るのもなんなので、俺はスルーを決め込んだ。
すると、続けて領主は、「これを孵化させ、召喚獣として従えさせられるかは、アリス次第でぃ」と口にし、すぐ隣で寝ているその幼顔の頭を撫でた。
「すいません……。こいつ、そんなおねだりみたいな事をしてたんですね」
「いや、そんなつもりじゃないだろうが……なんとかしてやりたくなっちまってなぁ。孫なんていねぇから分からねえが、これがお爺ちゃんってやつなのかもな……」
領主は洞窟の天井を見上げた。
俺は、自然と出来た間にどんな言葉を差し込もうかと考える。
しかし、俺がなにかを口にする前に、続けて領主が言葉を紡いだ。
「アリスは何でも話してくれらぁ……自分が死ねば、お前さんは元の世界に帰れるって事もな」
「そ……そんな事まで相談してたんですか」
「相談と言うよりは雑談だったがな。ウキキ、お前さんはどうなんでぃ、元の世界に帰りたいのか?」
俺は、「こいつと一緒になら」と答える。領主は「そうか」と短く言う。
「まっ……確かに召喚士がこの世を去れば、自然と召喚獣は元の世界に還されるだろうよ。それが無意識の召喚であってもな。……アリスはバカな事はするが、馬鹿な事をするような子じゃねぇ。だが、この事はあとで二人でキチンと話しておけぃ」
馬鹿な事……。自らの命を俺の為に絶つって事……かな。
あり得ない。そんな事を俺が望むはずがない。
俺はバカの顔を見つめながら、呪文のように繰り返す。
しかし、いくら念じても届いた気配がない。スウゥーっと寝息を一つ吐いたが、それはたまたまだろう。
念じて駄目なら、やはりキチンと目を見ながら話すしかない。こいつと真面目な話が出来るかは疑問だが、それでもお互いの想いをちゃんと言い合うしかない。
そう考えていると、領主が三度、懐に手を伸ばす。
「何でも話してくれるアリスと違って、お前さんは何にも話してくれねぇな。相談したい事があるんじゃねぇか?」
そう言いながら取り出されたのは、丸められた書簡。
中央には封蝋印が押されいる。それは、領主の屋敷で何度も目にした、大きな鎚がモチーフのトールマン家の紋章。
それを見て、俺は察する。
「ゴブリン会談の事、アリスが話したんですね……。すいません、残された時間は限られてるのに、別の事にまで気を回させてしまって……」
「そんなに、かしこまるなってんでぃ。この書簡は別に、お前さんの思い通りにさせろって内容じゃねぇ。ファングネイ王国の兵団長に向けて、俺の可愛い孫達の話を聞いてくれって書いてあるだけだ。……だが――」
領主は一度、そこで言葉を切る。
あえて作られたような間。俺はその一瞬で襟を正し、曲がったネクタイを整えて次の言葉を待つ。
「だが正直、俺は反対でぃ。ゴブリン討伐の兵団長とゴブリンの会談なんざ、罠としか思えねえ。……それでも、出会ったゴブリンを信じるって言うのか?」
「信じます。楽器に乗せたマブリの唄に、偽りがあるとは思えません」
間髪を入れずに、俺はそう答える。
「そうか……。なら、お前さんはどうしたい? そして、その為にどうする? それを今一度、ここで俺の目の前で言ってみろぃ」
俺は立ち上がる。思ったよりも天井が低いな、と今更ながらに気が付く。
「俺は……この異世界で出会った人や亜人が無駄に命を散らすのが嫌です。お互いの為の戦争っていうなら仕方ないと思いますが、今回は止められる戦いです。やらなくてもいい戦いです。……なので、その無意味な争いを止めたいです」
言ってから、こんな事をスラスラと言葉にした自分に驚く。
相手を威圧して言葉に詰まらせ、それを悦ぶような人間は元の世界で何人も見て来た。だが、領主はそんな嫌な野郎とは逆で、相手の思いの丈を吐き出させる、『なにか』を身に着けているのだろう。
領主は視線を一切逸らしていない。俺は、その目を見ながら尚も続ける。
「その為に、領主や領主代理やみんなの力を借りて、なんとしても兵団のお偉いさんをゴブリンとの会談の席に着かせます」
一度、領主の瞳が閉ざされる。そして、ゆっくりとそれが開かれる。
「分かった。なら俺は止めねえ。若者は清く自分の信じた道を進めぃ!」
「はい。……あ、でもその前に、なにがなんでもやり遂げたい事があります。その為にやらなくてはならない事も分かってます」
「なんでぃ?」
俺は洞窟の外に目を向ける。そして、その先にいるデュラハンを捉えたまま、腰のダガーに手を添える。
「4つの願い……俺の似たような願いは叶いませんでしたが、領主は絶対に全てを達成して欲しいです。なので、デュラハンを倒して、領主を早く村に連れて行きます」
振り返り、俺はスヤスヤと眠っているアリスを見つめる。
こんだけ短時間で深い眠りにつけるなら、確かに体力の回復は相当見込めそうだ。
「そろそろ行きましょう。……待ってても俺は眠りませんよ」
俺の言葉に、領主は「ハハハッ」と大きく笑う。
「見抜いていたのか。やるじゃねーかウキキ!」
「デュラハンは待ってれば消えてくれるような奴じゃないハズですからね。もし消えたら、月の迷宮5層はボス不在で詰んでしまいます。……飴は紙に包んで、アリスのリュックに入れときました。あとで寝る前に頂きますよ」
俺は領主に手を差し伸べた。
北の大魔導士はその手を掴む。とても力強く。
そして立ち上がり、視線を俺とともにして、
「おし、じゃあウィザードとグラディエーターのペアで、あのハイカラ野郎をやっつけるぜぃ!」
と高らかに宣言をした。