139 俺は100点満点
吊り橋の残骸の遥か下には濁流。
そして、その激しい流れに飲み込まれていく、余命二日の領主。
アナは、落下寸前だったユイリを引き上げながら。
ユイリはアナの手を必死に掴みながら。
そして、俺はただ茫然と。
それぞれが段々と姿が見えなくなっていく領主に、悲痛を宿した表情で視線が固定される。
そのなかで、ただ一人だけ次の行動に移った者がいた。
前髪ぱっつんバカだった。
「助けるわよ!」
瞬く間に。正確には、瞬きをするよりも速く。
アリスはフワリと飛び跳ね、そのまま高台からプールに飛び込むように川へと落ちていった。
「ばっ……アリス!」
俺がバカの名を叫んだと同時に、10メートルほど下の川面からボチャンッという音が鳴る。
刹那、俺は考えるよりも先に大きく深呼吸をして、ユイリを引き上げたアナに声を飛ばす。
「アナっ! お前達はユイリが言ってた迂回路から村に行け! 領主の娘に事情を説明して、いつ領主が訪ねてもいいようにしといてくれ!」
そして、俺は背広を脱ぎ捨て、四つん這いになってハアハアと息を整えているユイリに少し強い口調で言う。
「ユイリ、俺は絶対に領主を村に連れて行きます。だから、その時は恨みつらみでも構わない、領主とちゃんと向き合って下さい」
偉そうに言うつもりはない。孫として、祖父である領主の余命をともに過ごせと言うつもりもない。
だけと、そのスタートラインにぐらい、誰の為でもない、自分の為に立って欲しい。
スタートラインでつまづいて、そのまま転んで池にポチャンでもいいから、裏姫として強く生き、心の底から大笑い出来る切っ掛けだけでも自ら掴んで欲しい。
俺の想いが伝わったのかは分からない。
だが、ユイリは確かに俺の目を射抜き、力強く頷いた。
「あと、俺が生きて帰ったら、その可愛い耳を触らせてください!!」
その返事を聞く前に俺は木霊を使役し、助走をつけて、とりあえず濁流を流れるアリスに追いつこうと大きくジャンプをして飛び込んだ。
もしかして、『迷わず落ちろ、行けば分かるさ』ってピエロのメモ、これの事か!?
俺は尻から川に落ちる寸前、真夜中のショッピングモールに現れた不気味なピエロの仮面を思い浮かべながら、そんな事をふと考えた。
*
結果的に、俺は領主に救われた。
濁流に流されながらアリスを捕まえた直後、俺はブクブクと溺れ、気を失った。
だって俺、泳げないから。埼玉県出身だし。
海のない埼玉では、泳ぐ必要が一切ない。意外と知られていないかもしれないが、埼玉で泳げる人間は一人もいない。いたとしたら、その人はスーパーサイタマ人だ。もしくはニューサイタイプだろう。
「海まで流されて、海流に捕らわれるところだったな」
衣服を脱いで上半身裸になっている領主が言った。
ガリガリの身体だが、命の残り火が燃え尽きているとは思えない程、生命力に満ち溢れているように見える。
もっと言えば、後光が射している。
前にも見えた黄金色の輝きだが、瞬きをして目を少し擦ると、前と同じように消え去っていた。
「領主のお爺ちゃんの泡のような魔法、凄かったわ! あれに入ったら川のなかでも自由に動けて息も出来たわね!」
「はははっ! 歳のせいでマナの集束に手惑い発動が遅れたが、北の大魔導士は健在でい!」
領主は力こぶを作りながら言い、それからアリスの頭に手のひらを置いた。
「だがアリス。もう二度と危ない事をするなよ。はっきり言っちまうが、お前のせいでウキキまで飛び込む羽目になったんだぜい。下手をすれば三人とも死ぬところだった……分かったな?」
表情は厳しく、しかし最後には笑顔で。
領主は何を言う時も、厳しさと優しさを上手く使い分けている。
「ぐぐ……わ、分かったわ」
苦虫を噛み潰したような顔だが、アリスは素直に領主の手を握りながら頷いた。
「だがなアリス。矛盾するようだが、どうしても助けたい相手なら、その時は心に従え。今回は死にぞこないの俺の為の行動なので叱らなければならねぇが、その時は全力を尽くせぃ」
領主の言葉に、今度は珍しく真剣な顔をして肯くアリス。
続けて領主は、その鋭い眼差しを俺に向ける。
「そして、ウキキ……。お前さんはよくやった、100点満点でぃ!」
「えっ」
まさかの満点。小学校2年生以来だろうか。
「ウキキはなにをしてでも、アリスを守る為の行動を取れ。……俺の考えすぎかもしれねえが、お前らはそうする事によっていい方向へ流れる運命のような気がすらぁ」
「お、俺がアリスを守る事が……ですか」
「おうよ。……まあ、死にぞこないの戯言として聞き流してくれればいい」
聞き流すなんて、とんでもない。
領主の言葉はただの一句も漏らさず、手帳に記入しておきたい。
そう考え、俺は冒険手帳を――
「ない! ってかボディバッグごと馬車の中だ!」
そう言えば、クリスも馬車のなかで眠っていたはずだ。俺やアリスがいないで寂しがっているかもしれない。
「領主、俺は川に飛び込む直前、アナに村に行くよう言いました。……俺達も早く向かいましょう」
俺は立ち上がり、目の前に広がる森を目にしながら言った。
「流されて、だいぶ村から離れちまったからな。ちょいとばかし急ぐぜぃ」
領主は乾かしていた服を着ると、強く頷いてから森へと足を踏み入れた。
*
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
「アイス・アロー!」
ズシャーー!
二撃の斬風が死ビトの首を刎ね、氷の矢が別の死ビトの顔面を貫いた。
俺はそのまま軸足で土を蹴って駆け、剣を携える死ビトへと腕を構える。
使役幻獣は狐火。剣の間合いの外から放射される炎が、死ビトの真っ白な顔を焼き尽くす。
「アリス! 全部は相手にしてらんねえ、このまま走るぞ! 領主も大丈夫ですか!?」
「了解よ!」
「へっちゃらでぃ!」
大量の死ビトの間隙を縫って走る俺の後方から、アリスと領主の声が響く。
そのまま全員、離れないように移動して、木々の奥に見えた小さな洞窟にとりあえず身を隠す。
「なんでこんなに湧いているの? この森で死ビトのパーティーでもあるっていうの!?」
膝に手をついてハアハアと呼吸をしながら、アリスが言った。
「死霊の澱みだな。気流や風向きの影響で、自然と死ビトが集まるスポットが出来ちまうんでぃ。まっ……こんだけ湧いているのは豪雨のせいだけどな」
領主はそう言いながら、森の至る場所でうごめいている死ビトに視線を向けた。
「数百体はいやがるな……。海沿いの村に被害が無ければいいが……」
「そうですね……。俺、ちょっと気配を探ってみます。安全に移動出来るルートがあるかもしれませんし」
言いながら俺は腕を構え、八咫烏を使役して周りの気配を探る。
「あ、あれ……? こんだけ死ビトがいるのに気配がまったく見えない……」
「だろうな……それは確か、マナを察知する幻獣でぃ」
「えっ……。そうなんですか……」
「死ビトはマナが枯渇しているからな、その失ったマナを取り戻そうっていう本能が、死ビトの行動原理でぃ」
「なるほど……」
と納得の言葉を口にしてから、少し察知範囲を広げてみる。
すると、数キロ北上した地点に、数十の気配が纏まっているのを確認する。
「北に村っぽい気配があります。向かう方向はドンピシャでしたね」
八咫烏を帰還させ、俺は再び洞窟の外に目を向けた。
気配が察知出来ないとなると、やはり倒しながら進むしかないだろうか。
しかし、一気にこれだけの数に囲まれたらおしまいだ。俺が一人で出て行き、少しずつでも数を減らしてからの方がいいかもしれない。
「領主――」
視線を外に向けたまま領主に提案しようとした瞬間、俺の目の端が赤い物体を捉える。
死ビトとは明らかに違う。かと言って、人ではなく、動物でもない。
「あ、あれは……!」
長く、先の尖った杖のような物を持つ、人型のなにか。
俺は目を凝らす。……いや、最初から俺はそれが何者かを認識していたが、脳が拒んで答えを先送りしていたのかもしれない。
目を凝らすまでもない。
それは、首の無い死ビトである化物。
「デュ……デュラハン!」
赤いトレンチコートのような物を身に纏うデュラハン。それを視界の中央で捉えながら、俺は腰のダガーを静かに抜いた。