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138 眠れぬ夜、目覚めの朝

 眠れる気がしなかった。


 立て付けの悪い宿の窓からは、黄色いお月様が顔を覗かせていた。

 惑星ALICEの空に浮かぶ3つの月のなかで、一番内側の軌道を描くこの二の月。俺はこの異世界での月の役割を知る以前から、最も大きいこの月がお気に入りだった。


 二の月だけはあまり元の世界の月と変わらないよな……。

 って、惑星ALICEって、なんかこっぱずかしいな……。


 以前、アリスがウキウキで自分の名を冠したこの惑星の呼び名。

 ボルサは論文でそれを使わせてもらうと言っていたが、今頃なにをやっているのだろうか。


 ユイリが領主の孫……か。


 幾度となく頭の中を巡る一小節。

 他の事を考えていても、結局はこの思考に行き着く。


 『母は……赦さないと思います』


 真っ直ぐな眼差しで発せられたユイリの言葉が、俺の脳内で再生される。もう何度目かも分からない。


 ユイリは昨夜、こう言った後に、


 『すいませんウキキさん。……この事は絶対、秘密にしておいてください』


 と言い残し、シャワールームを後にした。姿勢よく扉を開ける華奢な後ろ姿が、俺の脳裏に焼き付いている。


 俺は寝返りを打つ。

 そして、幾重にも重なる思考の足跡をもう一度だけ辿ってみる。


 領主は知らなかったとはいえ、放っておいてしまった自分の娘に赦されたいんだよな……。

 これはその為の旅。言わば、懺悔の旅だ。

 そして、同行者には自分の孫である裏姫のユイリがいる。領主はそれにまったく気付いてない。

 なら、ユイリが自分から言ってあげれば……と思うけど、ユイリは言うつもりはない……。

 でも、言うつもりがなくても、領主が娘と会えば知られる事だよな……。


 俺は寝返りを打つ。

 窓に浮かぶ二の月は未だ俺の動向を窺うように、ただジッと黄金色に輝いている。


 まっ……領主たち家族の事なんて、俺がどうこう考えても仕方ないか……。

 なるようになるだろ……。


 俺は寝返りを打つ。


 そして、次に気が付いた時には、アリスが俺に跨って激しく揺らし起床を促していた。





「おう、久しぶりの快晴じゃねぇか! じゃあ今日も元気に出発でい!」


 余命三日……いや、もう二日の領主が言った。

 その声に、アリスは元気よく拳を掲げ、ユイリは静かに俯いた。


「どうしたぃ送り人のお嬢ちゃん。朝飯も残していたようだが、悩み事でもあるのか?」


 あろう事か領主はユイリにそう言い、「死神様を待つだけの俺で良ければ、相談にのるぜぃ」と続けた。

 ユイリは声にならない声とともに首を振り、そのまま視線を行燈袴の上に置いてある自分の両手に向ける。


「ユイリ、霊亀れいきの甲より年の功と言うだろ。何か考え事があるなら聞いてもらったらどうだ?」


 アナが言った。この異世界では亀じゃなくて四霊の霊亀と言うのか。と話を広げてしまいそうになったが、空気を呼んで黙っておいた。


「いいえ、大丈夫です……」


 視線も姿勢も変えずにユイリは言う。アナは、「そうか」とだけ返す。

 少しだけ空気が重くなる馬車内。しかしアリスはニコニコしながら外の景色を眺め、クリスはそんな空気を読めないアリスの左腕を咥え込んでいる。


 空気が重くとも、力強く客室を引く翔馬の速度には影響がなかった。


 連日の雨によってぬかるんだ土の道に車輪が埋まり、そこから抜け出す為に俺とアナで客室を押し出すといったハプニングや、そのさいに数体の死ビトに襲われるという出来事もあったが、予定どおり正午には目指すファングネイ領の村の手前まで辿り着いた。


「潮の香りが近づいて来たな。あの橋を越えれば、海沿いの村に到着でい」


 領主がそう言って前方を指差す。

 しかし段々と馬車が近づき、その対象である橋の全体像を領主が視界に捉えると、真っ直ぐに伸びた指先は落胆の色とともに腕ごとゆっくりと下げられた。


「は、橋が……」

「崩壊しているわよ!」


 アナが小さく呟き、それを補うようにアリスが大きな声をあげる。

 その声の先には、大きな川に架かる半分以上が崩れ落ちている釣り橋。


「こりゃぁ……馬車は通れねぇな」


 まるで、人なら通れるかのように領主は言う。

 確かにロープはまだ繋がっており、所々にぶら下がっている板を上手く伝えば、向こう岸まで渡り切れるかもしれない。

 しかし、その遥か下には濁流。豪雨の影響は死ビトの湧き具合だけでなく、こんな所にも現れていた。もしかしたら、釣り橋の崩壊もそれの一つかもしれない。


「おし、それじゃあ――」


 決断から指示までに掛かった時間は、およそ4秒。

 領主は御者に先程の村まで戻るよう命じ、続けて、「アリスと送り人のお嬢ちゃんもそれに同行しろぃ。こんな危なっかしい橋なんて渡らせられねぇ」と強い眼差しで言った。


「わたし、大丈夫です。母に会いたいですから。迂回する道もありますが、やっぱりここを通った方が早いですし」


 ユイリが馬車から降りて、釣り橋に一歩近づく。


「詳しいなユイリ……。そうか、ユイリの実家は海沿いの村と言っていたな……ここがそうなのか」


 アナはそう言いながら追いかけるように外に出て、橋の手前でじっくりとロープを観察しているユイリの巫女装束の肩に手を伸ばす。


「てやんでい……しゃーねえな」

「俺達もとりあえず降りましょうか。おいアリス、お前は乗ったままでいろよ」


 と言ったそばから、アリスは駆けるように馬車から出た。俺と領主は嘆きながらそれに続く。


「アリス、領主の言うとおり、危ないから馬車に戻れって」


 釣り橋の前で屈み出したアリスに、俺は言った。


「ユイリ……なに意固地になっているんだ。領主様の言い付けに逆らうな」


 ロープに触れて軽く揺らし、耐久性を確認しているユイリにアナが言った。


「嫌よ!」

「意固地になっている訳ではありません、渡れると思います」


 二人とも示し合わせていたかのようにほぼ同時に背き、同時に橋の先を見据える。


「じゃあアリスちゃん、わたしから行きますね」


 アナと領主がユイリを止めに入る。よりも先に、ユイリの一歩が不安定な板の上に乗り、二歩三歩と続く。


「キャッ……!」


 四歩目。板が傾き、ロープが軋み、ユイリが上下に大きく揺れる。

 それから少し遅れて、ドボンッという木片が濁流に落ちた音。どの部分が落ちたのかは見えなかったが、それなりに大きいパーツだったように思える。


「大丈夫です、このまま進みます」

「いや、大丈夫じゃねえな。……送り人のお嬢ちゃん、そのまま戻ってこい。いいか、下は見るなよ?」


 領主が踏み込んでロープを掴みながら、逆の手をユイリへと差し伸べる

 ユイリも手を伸ばせば、ギリギリで届く位置に浮いている領主の手。だが、ユイリはその手を取ろうとはせず、下を向いて川の濁流に視線を飛ばす。


「そんなふうに呼ばないでください。わたしには死んだ祖母が付けてくれた、『ユイリ』っていう名前が――」


 結尾を待たず、ユイリの片足を乗せた板が、狙っていたかのように勢いよく抜け落ちる。

 それによりバランスを失ったユイリ。ロープにしがみ付いて体制を整えようとするが、吊り橋が左右に大きく揺れ、それが収まるよりも先に軋むロープが限界を迎える。


「キャッ!」

「ユイリ!!」


 膝と手を付いて四つん這いで見守っていたアリスが、届くはずのない腕を伸ばす。が、届くはずのない物はどうあっても届かない。

 ユイリは短い悲鳴だけを残し、完全に崩壊した吊り橋とともに川へと落下する――寸前、0.5秒でも遅かったら今ごろ濁流に飲まれていたであろうタイミングで、領主が身を乗り出して無理やりユイリの手を掴む。


「ユイリ! 領主様!」


 アナが緊迫した表情で二人の名を叫ぶ。

 その声の先には踏ん張る領主の足。それを辛うじて支えている釣り橋の残骸が、音を立てて大きく歪む。


「あ、アナ……送り人のお嬢ちゃんを……」


 領主が言い切るよりも早く、アナがその場でうつ伏せになり、限界まで腕を伸ばしてユイリへと向ける。


「ユイリっ……掴まれ!」


 ユイリが小さく頷く。そして必死に領主の手を掴んでいる方とは逆の手で、ブルブルと身体を震わせながら指の先に力を込める。


 俺は救助劇を目にしながら、いつでも黒蛇を飛ばせるように腕を構える。


 ユイリがアナの手を掴む。


 アナが安堵の表情に変わる。


 領主も張り詰めた緊張を解くように、口角を上げてニッと笑う。


 アリスは未だ、ふんばっているかのような表情で手に汗を握っている。


 俺はそんなアリスを横目で見ながら、構えていた腕を下ろす。


 次の瞬間――領主の脆い足場が、激しい音とともに崩れ落ちる。


「っ……!」


 一瞬、なにが起こったのか分からなかった。多分、全員同じだった。


 それが理解出来た時、既に領主は濁流に飲みこまれていた。


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