137 母の父
折れたモップ装備型大男が、再びその鋭い先を俺に向ける。
その厳つい体躯の後ろには、ナックル装備型大男と剣装備型大男。
「お前らなんでここにいるんだよ! まさか馬車を尾行して来たのか!?」
やはり、ハンマーヒルで俺とアリスを尾行していたのはこいつらなのだろうか。
だとしたら、何故? カフェ・猫屋敷でいざこざがあったとはいえ、ここまでする程の事とは思えない。
「そんな事はどうだっていい。しかし、見つけたからにはお前を人質に取って、『大地のツルギ』に一晩相手でもしてもらおうっ!」
剣装備型大男が言った。そして素早く迫り、最短の動きで俺の脳天まで剣先を走らせる。
意外と素早いな……。でも――
俺は既に視えている青い軌道を半歩下がって躱す。
「でも相手が悪かったな!」
そして空を斬った両刃の腹に触れ、鎌鼬を使役する。
「出でよ鎌鼬!」
ザシュザシュッ!
二撃の斬風によって真っ二つになった剣の先が、宙を舞う。
「なっ……んだとっ!」
それを反射的に赤く輝く殺意の眼で追っている剣装備型大男。
その後ろから気合の入った声と共に、折れたモップの先が俺の眼前に迫る。
「打ち弾き!」
それに対し、俺は青い軌道から少し遅れてやって来た刺突を打ち弾く。
が、失敗。弾くと言うよりは、ダガーで綺麗にモップの先を斬り落としてしまった。
「まあ、いい失敗かな……」
俺は、コロコロと転がるその先に目を向けながら呟いた。
折れたモップ装備型大男も、仰天の表情でそれを眺めている。
「ば、馬鹿なっ……! この間はお前、勝手に自滅して倒れ込んだ雑魚だったろっ!」
剣装備型大男が言った。
俺はダガーを腰の鞘に収めてから、未だ赤く輝かせている目に向かって言い放つ。
「悪いな、あの時の俺は俺であって俺じゃなかったんだ。さあ、なんで俺達を尾行してたか言ってもらうぞ!」
「勝ち誇ってるみたいだが、これならどうだ?」
やや被された声の方向へ、俺は振り返る。
「大狼の赤ん坊か、こいつ?」
そう言ってから、ナックル装備型大男がニッと笑った。
――すまん、迂闊じゃった。また体当たりで撃退しようと思ったのじゃが、捕まってしまったわ。
と脳内に響くクリスの詫びの言葉。
……いや、俺の方こそ気付かなくて悪かった。
と返すと同時に、俺はナックル装備型大男に対して腕を構える。
「出でよ玄武! 飛べ黒蛇!」
シャアアアアッ!
俺の腕に尻尾で絡み付いてから、黒蛇が一直線に宙を駆ける。
その大きく開かれた口の先にあるクリスの小さな頭。黒蛇はそれにほぼオートで食い付くと、そのまま今度は縮み、俺の元までクリスを連れて帰る。
「な、なんだ今のはっ……!」
ナックル装備型大男が叫ぶ。黒蛇はクリスを飲み込む寸前で玄武と共に還り、また俺の体内で熱を宿す。
次の瞬間、往生際の悪い三人の大男が、拳を振り上げて一斉に迫り来る。
「傭兵はな、舐められたらおしまいなんだよっ!」
誰かが言った。悲痛の叫びのようにも聞こえた。
しかし、破れかぶれなのだろうか。既に全員、その目から殺意は消えていて、覚悟も気概もない、ただちっぽけなプライドを乗せただけの突進にしか見えなかった。
「出て来いや木霊!」
――出たで ――久々やで ――通せんぼやで!
そんな突進に対し、俺はそれぞれの目の前に一体ずつの木霊を配置する。
そんな突進だからこそ、宙に浮いたソフトボールほどの木霊を避ける事も出来ずに、そのまま衝突して三人同時に後ろに倒れ込む。
「痛いだろ? 木霊は木っていうより、石のようだからな。……これ以上やろうって言うなら、今度は容赦しないじょ!」
――じょ?
「しないぞ!」
俺の絶大なる脅しに元折れたモップ装備型大男は逃げ口上を打ち、瞬く間に三人とも去っていく。
もしかしたら、元剣装備型大男が言ったのかもしれない。が、武器を手にしていないので区別が付かなかった。
*
――おい、うぬ。あやつらを逃がしてよかったのか?
迷わない程度に町の外を探索し、そこそこの数の死ビトを仕留めておいた帰り道。
空を覆う雲の隙間から覗かせる大きな二の月が、俺達の歩行を手助けするようにぬかるんだ砂利道を照らしている。
「なんだよ今更。まさか逮捕して、町の警備の人間にでも突き出せってば良かったって言うのか?」
俺は俺の腕を咥え込んでいるクリスに言った。口に出してから、本当にそうすれば良かったかなと少し後悔した。
しかしクリスは、『いや、食ってしまえば良いではないか』と、かなり物騒な語りを俺の脳内で響かせる。
「良いではないか。じゃねーよ……。ま、あんだけこっぴどく負ければ、もう尾行したり手出してきたりしないだろ」
――甘いな、うぬは。
「そうかもな……。って、雨また強くなって来たぞ、走るからちゃんと咥えてろよ! ……いや、って言うか俺の腕を放してお前も走れ!」
――断る。
断られた。
仕方ないのでそのまま町の入り口まで走り、なるべく建物の屋根の下を通ってアリス達が待つ宿まで向かう。そして着いた頃には、スマホの時計は23時を示していた。
だいぶ遅くなってしまった。もう全員、明日の出発に備え眠っているかもしれない。
俺も早めに寝なきゃな……。
明日は半日もあればファングネイ領の村まで着くらしいけど、朝かなり早いからな……。
しかし、とは言ってもシャワーぐらいは浴びておきたい。濡れたスーツや革靴も乾かしておかなければ。
そう考えると、ベッドで横になれるのはまだまだ先かもしれない。
「はあ……。めんどくさいな……」
俺はトコトコと部屋に向かったクリスを放って宿の廊下を歩き、少し老朽化したシャワールームのドアを開ける。
「っ……!」
その瞬間、前方にいる裸のユイリの後姿に、俺の両の目が釘付けになる。
「ヒッ……キャアアアア!」
「お、おおお落ち着いて下さい! 俺です、ウキキです!」
俺を見るなり拒否反応と悲鳴を同時にあげたユイリが、その場で胸を手で覆い隠しながらしゃがみ込む。
その華奢な後ろ姿から目を離そうと、俺はこれまでで最大と言っても過言ではない程の努力をする。
しかし、俺の眼はそれを許さない。右目はユイリのうなじの辺りを、左目はユイリのお尻の辺りをそれぞれロックオンしている。
そして、なんという事だろう。あろう事か、俺の右足と左足がユイリの前方に回り込もうと歩を進めようとしている。
それだけは阻止せねばならない。そんな事をしたら、言い訳のしようがなくなってしまう。
「ゆ、ユイリっ……! 早くこのバスタオルを!」
俺は近くに置いてあるバスタオルに手を伸ばし、ユイリの震えている肩に優しく掛ける。
「あ、ありがとうございます……」
それを器用にしゃがんだまま体に巻くユイリ。
そうしてからスッと立ち上がり、後ろを向いたまま声だけを俺へと投げる。
「と、と言うかウキキさん。出て行くって考えはなかったんですか……?」
「俺の中のバンダースナッチがそうはさせてくれませんでした。でも安心して下さい、ジャヴァウォックはちゃんと左手に封じています」
「な、なんの話ですか……?」
確かに、俺はなにを言っているのだろう。段々と冷静になって来た俺は、しかし噂の黒おパンツ様でも穿かれていたら危なかったが、「すいません、出ますね」と口にしてその場を後にした。
「あっ……! ウキキさん、個室で脱がなかった私がいけないんです。この時間だと、もう誰も入って来ないと思ってたから……」
「そうですか! じゃあシャワーの個室3つあるし、俺も使わせてもらいますね!」
俺の即決にユイリは短く、少し戸惑ってから頷き、奥の個室へと入っていった。
個室といっても、それは完全な密室ではなく、部活動を終えた生徒が使用するようなシャワールームのようになっていて、ふとももから胸元までしか隠すことが出来ない。
つまり、隣を使用し、少しだけバンダースナッチを開放すると、難なくユイリの露わな姿が見えてしまう事になる。
「じゃ、じゃあ俺は1コ飛ばしで……」
あくまで紳士。俺はそうアピールするように手前の個室へと入り、少し緊張しながら衣服を脱ぐ。
こ、ここからでも、見ようと思えば見えちゃうな……。
ユイリがバスタオルを脱いで扉に掛ける。そして、少し高い位置にあるシャワーヘッドへと背伸びをしながら手を伸ばす。そしてそして、薄紫色のサイドテールを解き、全身にシャワーの細い水を浴びせ、気持ちの良さそうな表情を浮かべる。
「あの、ウキキさん……」
「はい、なんでしょうか」
「見ないでくれませんか……。凄く恥ずかしいんですが……」
恥じらうハーフエルフの姿は格別である。それが17歳の美少女なら尚の事。である。
だが、あまりニタニタしていたら、今後ユイリが俺に対して更に警戒してしまうだろう。
損して得取れ、とはよく言ったものだ。今ここにあるユートピアよりも、もっとユイリと仲良くなって更なる理想郷を築くべきであろう。なので、もう目を向けるのはよしておこう。
そう考え、俺はシャワーで雨に濡れた身体を温めながら、少し真面目な話題を左手で右の脇の下を洗っているユイリに振る。
「領主の死ぬまでにやりたい4つの事……ってもう3つですけど、全部叶うといいですね」
返事はなかった。シャワーの音で聞こえなかったのだろうか。
「大魔法を発動させるって願い、あてはあるんですかね?」
やはり返事はない。明らかに聞こえていながら、口を閉ざしているように見える。
「娘さんに赦されるってのは、会いさえすれば簡単ですかね。だって、領主は娘がいるのを知らなかったんだから、罪は全くないですよね……。ってか、娘さんが会いに行ってあげればいいのに。ハンマーヒルの領主って事、知らないんですかね」
途中で話題を変えるのもなんなので、俺は思った事を全て口にした。
しかし、それでもユイリは黙ったままでいる。未だ、ユイリの気分は『青』なのかもしれない。
「一方的に喋ってしまってすいません。やっぱり、シャワー浴びてる時に男が近くにいると嫌ですよね……。俺は一回出てユイリが終わるのを待つんで、ゆっくり浴びて下さい」
俺は着替えながらそう言い、返事を待たずに個室の扉を開けた。
すると、俯いていた様子のユイリが突然、低くも高くもない声をあげる。
「母は……赦さないと思います」
その声に俺は振り返り、真っ直ぐに飛ばされる視線と相対する。
「母……?」
言っている事の意味が分からなかった。分からなかったが、言葉にしてみたらなんとなく理解出来た。
「母は落とし子、わたしは裏姫……。領主様は、そんな母の父であり、こんなわたしの祖父です」
ユイリの肩まで伸びる髪の先から、水滴が一つ落ちたのが見えた。