14 四併せ
「こうやって手ですくって飲むんです……ウォーターウォーター」
俺はショッピングモールの噴水の前で、水をすくって飲む動作を繰り返しながら、隣の六十歳ほどに見える男性に説明した。
「○x○▽△□□-」
「○○▽□△xx□」
困惑した様子で、男性はローブを纏う女性と会話を交わす。
「なにか言っているわよ」
「ああ、明らかに怪しんでるな……」
すると女性がローブのフードを脱ぎ、両膝をついて噴水の水をすくった。そしてごくりと一気に飲み干した。男性を安心させようとしているみたいだ。
ゾンビもどきと戦っていた時はよく見えなかったが、女性は赤みがかった髪色をしていて、後ろが肩にかからないていどのふんわりとしたショートボブだった。
ローブの下には旅装束を着ているようだが、たまに隙間からちらっとしか見えない。その少ないチャンスから得た特筆すべき情報は、その豊満ともアリス胸とも言えないぐらいの丁度いい大きさのお胸様だった。俺はこのくらいが一番好きだ。でへへ。
身長は俺より10センチぐらい低く、160センチあるかないかていどに見える。
俺の視線に気がついたのか、彼女が顔ごとこちらに向けた。美しいエメラルドグリーンの瞳だった。にこっと笑い、彼女はまた男性に視線を戻した。
「きれいな人ね。私の隣に立っても様になるほどだわ」
「ああ、きれいだな……二十歳ぐらいかな?」
いつの間にか男性も噴水の水を飲んだらしく、立ち上がってまた女性と何かを話している。
若い女性と年老いた男性。女性のほうが立場が上で、男性が付き人といったところだろうか? 女性はそれを心苦しく思っており、男性にかなり気を使っているように見受けられる。
「旅人っぽい恰好してるし、旅の最中なのかな」
「そうね、まるで本で読んだファンタジー世界の住人みたいだわ」
「いや、まあまあファンタジー世界の住人だろ……」
俺は噴水の淵に置いた包帯を手に取り、そのファンタジー世界の住人である男性の腕にあてた。
「この包帯を巻けば、より治りが早いはずです。巻きますよ? ローリングローリング」
「なんであなた、さっきから中途半端に英語なのよ」
「いや、そのほうが通じる気がして……」
「○xx○▽□△」と男性は言って頭を下げた。承諾してくれたみたいだった。怪しむ素振りもない。まあ、包帯のようなものはどの世界にでもあるのだろう。
俺は丁寧に巻き、包帯の先を割いて少しきつめに結んだ。その一部始終を隣で見ていた若い女性が、結び終わると両手を軽くパチパチと鳴らしながら微笑んだ。
「…………ポッ」
「ポッじゃないわよ! あなた顔赤くて気持ち悪いわよ!」
「赤くないわい! それよりご客人にお茶ぐらい出さないと地球人の品格が問われるぞ」
「じゃあなにか取ってくる?」
「ああ。……いやお前も行くんだよ」
飲み物と軽食を持って来るからここにいてくれ、と身振り手振りに英語を少々で説明し、俺とアリスは急いでジャオンに向かった。
「ちゃんと通じたの?」
「頷いたからたぶん大丈夫だろ」
別にあの二人を怪しんではいない。怪しんではいないが、俺は念のためにアリスを同行させた。知らない人たちの元に置いておきたくなかった。
そのアリスに走りながら訊いてみる。
「アリス気づいたか?」
「なにを? この世界でもやっぱり私が一番可愛いってこと?」
「ああ。……いや違う!」
「じゃあなにをよ?」
「あの女性の手首に縛られていた痕があった」
*
日本の食文化は異世界でもその輝きを失ってはいないらしい。
おいしそうにおにぎりやサンドイッチを食べる二人を見て、俺は少し誇らしくなった。
「しーおい! ふふふ」と、女性は隣で一緒になってサンドイッチを食べているアリスに言った。おいしいというような意味らしかった。
それと微笑む時に口から漏れる声や悲鳴なども、日本とあまり変わらないみたいだ。まあそれらは地球でも各国ほぼ同じなので、当たり前とも言える。
アリスはすぐに女性と仲良くなった。噴水の淵に並んで座ってプリンを食べる姿は、なるほどアリスの言っていた通り様になっていた。まるでどこかのお屋敷の壁にでも飾られている、優雅で美しい一枚の絵画を見ているようだった。
俺はそんな光景をなんとなく眺めながら、男性とコミュニケーションを図った。
剣を見せてもらい、実際に構えてみた。映画などで見る西洋の剣そのままだが、思っていたほど重くはなかった。
状態はかなり悪い。両刃の所々が欠けていて、剣身に小さなヒビまで入っている。
「これで剣閃放ったらナイフより強いのかな……」
俺は先ほどの戦いで閃いた剣技を思い浮かべた。
閃いた時のイメージがパトランプだったのは、ジャンケンゲームのパトランプが意識の中に強く残っていたからだろう。
威力はどうなのだろうか? ゲームコーナーのパンチングマシーンで試してみるのが一番手っ取り早いが、そこまで持って行って実践するのはさすがに気が引ける。
「この先、このナイフだけじゃ不安だな……構えた安心感だけで言えばモップのほうが上だわ」
俺は男性に剣を返し、自分のナイフを見ながら呟いた。すると突然、男性が慌てた様子で何かを探し始めた。
「どうしたんですか? ああ、もしかして鞘を探してます?」
腰に剣をあてる動作をしたのでピンときた。俺も一緒に噴水の周りを探したが、男性の剣を収めていたはずの鞘は見当たらない。
と言うか、最初に見た時から抜き身だった気がする。おそらく外ではないだろうか?
「どうしたの?」とチョコクッキーを口にしているアリスが訊いてきた。その隣で一緒においしそうに食べている女性も、俺と男性を交互に見ていた。
「鞘を探してるんだけど、外じゃないかな……。ゾンビもどきと戦ってる時に落としたとか」
「あらそう。じゃあ探してくる?」
*
というわけで、俺たち四人は再び西メインゲートから外に出た。
ゾンビもどきの姿はないが、またいつ襲われるかわからないので油断はできない。
「なんで私たちまで付き合うのよ……ソフィエもそう思うでしょ?」とアリスは眉をハの字に曲げて言った。女性と繋いだ手をゆらゆらと揺らしている。ん? ソフィエ?
「お前名前聞いたのか?」
「ええ。ソフィエと、おじさんがクワールよ」
俺はソフィエさんとクワールさんを8:2の割合で見つめる。するとソフィエさんは右手の人差し指の先を左手で包み、クワールさんに向けた。
「クワール!」
そしてそのままアリスに向けた。
「アリス!」
最後に自分を普通に指差した。
「ソフィエ!」
その手の動作は、この異世界では人を指差すことは失礼にあたるのだと俺たちに教えてくれているようだった。もっとも、それは元の世界でも同じかもしれない。
「……って、俺は!? アリス、俺の名前は教えてないのか!?」
「え? 私あなたの名前聞いていないわよ?」
「またそのくだりか……あとで油性ペンでおでこに俺の名を刻んで二度と忘れないようにしてやる」
俺は自分を指差し、ソフィエさんとクワールさんに10:0の割合で見せた。
「ユウキ! マイネームマイネーム!」
すると、ソフィエさんは楽しそうに微笑みながら俺の名を呼んだ。
「ウウキ!」
続けてクワールさんが俺の名を呼んだ。
「ウウキ」
最後に、アリスまでもが俺の名を呼んだ。
「ウウキ? やっぱり聞き覚えがないわね」
「ウウキじゃないからな……まあいいか」
と話していると、ソフィエさんが深く頭を下げ、それから俺とアリスの名前をこれからもよろしくという風にあらためて呼んだ。「アリス! ウウキ!」
「よろしくソフィエさん、クワールさん」
俺は照れを隠しながら『よろしく』を返した。
「なに照れているのよ」
隠せていなかったようだ。
なし崩し的にではあるが、これでとりあえずの自己紹介は済み、俺たちはそのままクワールさんの鞘を纏まって探した。
「そう言えば……なあアリス、俺のシャツはどうした?」、俺は大きな岩の隙間を膝をついて覗き込んでいるアリスにふと尋ねた。
「シャツ? なんのこと?」
「雨が降って最初にゾンビもどきに襲われたとき、お前の頭にかぶせただろ」
「ああ……北メインゲートに戻った時には持っていなかった気がするわね。さあ、どこかしら?」
別にシャツぐらいいくらでもショッピングモールにあるので執着する必要はないが、異世界の草原に放置しておくのもいかがなものだろう。クワールさんの鞘を発見したら、その辺を軽く探してみるとしよう。
「あったみたいよ! 最初にソフィエたちがいた辺りね!」
アリスの言葉に反応して連なった岩を見ると、まさに俺が最初に二人を発見した付近に鞘は落ちていた。
クワールさんはゆっくりと鞘の元まで向かった。
「とーが、とーが」
ソフィエさんが俺とアリスに向かって頭を下げながら言った。
「ありがとうという意味かしら、どういたしまして!」
「そうっぽいな。じゃあ次は俺のシャツを探すか」
剣を鞘に納めながらこちらに向かって来るクワールさんと、それを見て微笑んでいるソフィエさんに少し付き合ってもらい、俺たちはそのまま西メインゲートから北メインゲートへと探しながら歩いた。
「○▽□△xx-□△」
「-○○▽」
二人は剣の鞘を指差しながら嬉しそうに会話をしていた。状態は悪いが、大事なものなのかもしれない。
「-□△xx-○○▽シアワセ□△xx」
「▽□△xx-○」
ふと二人の会話のなかで、俺の耳は抽出するように一つの言葉を聞き取った。
「シアワセ? 幸せ……?」
あるいは、先ほどの『三送り』という連想に結びつけるとすれば、『四併せ』とも考えることができた。
そして、もう一つ浮かび上がった言葉が頭の中で蠢き、俺の心臓が鼓動を早めた。
「死会わせ……?」
何体ものゾンビもどきと戦ったあとだからだろうか? そんな不吉な言葉が頭にこびりついて離れなかった。
「ねえ、これ」
ふいに、アリスが手のひらにある物を見せてきた。
「ああ、鉱石の欠片……さっき倒したゾンビもどきのドロップ品か。いつの間に拾ったんだ?」
「さっきクワールおじさんの鞘を探している時よ。最初より数が少ないわね」
アリスの手のひらには鉱石の欠片が三つしかなかった。倒したら必ずドロップするものでもないらしい。
「これあなたが纏めて持っておく?」
「いや、お前が持っててくれ。落ちてるものを拾うのは子供の楽しみの一つだろ」
「なんだか失礼な言い方ね……」
まるで森で拾ったどんぐりのように、アリスは鉱石を黒いショートパンツのポケットに捻じ込んだ。
ソフィエさんはそんなアリスを見て微笑んでいた。とても温かくて優しい表情に満ちた微笑だった。
シャツは見つかりそうになかった。