135 どこにでもあるエルフとの恋物語
余命三日の領主が死ぬまでにやりたい4つの事。
メモ用紙に書かれたそれらはとても細い字で、既に万年筆を握る事もままならないという悲哀も含まれていた。
しかしアリスはそんな事は気にせずに、一つ一つ順にその内容を読み上げていく。
「妻に赦される、大魔法を一度でも発動させる、世界一の美女とハグをする……それと――」
『娘に赦される』
アリスが言葉にすると同時に、そこにいる全員が領主に顔を向ける。
「領主のお爺ちゃん、娘さんがいたの?」
その問いに、領主は黙って頷く。
そしてアナに窓を覆う厚手のカーテンを開けるように頼んでから、少しの間を経て昔話を語り出した。
「俺が北国の大魔導士の館で修行していた事は知っているな?」
クリスを除く全員が頷き、次の言葉を待つ。
「館の掟は厳しくてなぁ……俺はいっつも師匠に怒られてばかりだった」
懐かしそうに語る領主は一度そこで切り、何度か咳をしてから水の入っているグラスに手を伸ばす。
その背中をアナは心配そうに摩り、アリスは血管の浮いているか細い手を握る。
「ああ、すまんすまん、ありがとう……。で、その中でも特に師匠に叱られたのは、修行中の身でありながら恋をした事でぃ。」
まるで子供のようケラケラと笑い出す領主。
それから更に語られる話に、クリスを含む全員が言葉を挟まずに黙って耳を傾ける。
恋の相手は、北の唯一の国家に住むエルフの美しい女性。
『恋』が成就すれば、それは『愛』に変わる。
あくまで自然、当たり前の人間の摂理。
そう強調した領主は、続けてシミ一つない天井を見上げ、沈黙から始まる物語を口にする。
「…………だが、それは神の摂理とは違ったようでなぁ。師匠に破門され、エルフの長からは国外追放を言い渡されて、それであっけなく故郷に逃げ帰ったって訳だ」
まあ、どこにでもあるエルフとの恋物語さ。
最後にそう付け加えた領主は、アリスからメモ用紙を受け取り、無言でその一部分を見つめた。
「その時、既にお腹の中には新たな命が宿っていたのですね……」
アナが領主のグラスに水を注ぎながら言った。
「知ったのは最近さ。イリーユの死も含めてな……。それでも、結果的には俺がそのお腹の子を放っておいたのには違いねぇ。落とし子と呼ばれ、苦労しただろうなぁ……」
それを少しだけ飲んでから、領主が返した。
「イリーユ……エルフの女性の名前ね?」
アリスの問いに、領主は白い眉を細めて静かに瞳を閉じる。
「ああ、そうでぃ。積雪よりも白く、吹雪よりも激しいべっぴんさんだったなぁ……」
その情景を思い浮かべているのだろう。懐かしそうに微笑みながら、領主は答えた。
その姿を見て俺が心から羨ましがっていると、死ぬまでにやりたい4つの事を記入したメモ用紙に淡い光が宿る。
「あっ! 文字が光って浮かんだわよ!」
アリスがベッドから立ち上がり、いくつもの蛍のような光を捕まえようとジャンプをして手のひらを振る。
しかし光はその小さな手を貫通し、自由気ままに浮遊すると、最後により一段と輝きを増してから儚く消える。
俺は領主の持つメモ用紙に目を向ける。
すると確かに存在していたはずの願いの一つがなくなっており、それが叶った事が空白によって告げられていた。
「これが蛍文字か……」
俺は、領主の部屋の扉に目を向けながら呟いた。
「ああ、最も難儀だと思っていた『妻に赦される』が叶うとはなぁ……。さっき話してからそう時間も経っていないってのに、あいつの器の大きさには死ぬまで驚かされらぁ」
空白になった部分に指で触れる領主。
そうして何往復かなぞってから、俺とアリス、それと最後にアナに視線を送り、続けて勢いよく口を開く。
「さて……じゃあそろそろ出発だ。これも最近知ったんだが、娘は今ファングネイ王国の村に住んでるらしいんでぃ!」
*
屋敷の外には一台の馬車が用意されていた。
後部にはベッドが取り付けられており、そこに座るアリスと領主が楽しそうに会話をしている。
アナは外で従者と話しており、二三言付けをしてから颯爽と馬車へと乗り込んだ。
それに続いて俺も乗車をすると、アナが腰に帯びているヴァングレイト鋼の剣を領主が指差す。
「アナ、その剣を振るうようになって、丁度1年か? もう随分と使いこなしているようじゃねえか」
「はい、領主様に頂いてからより一層鍛錬に励みました。……それでもまだ、この重みには慣れません」
剣柄に触れ、アナが少し照れるように微笑んだ。
「ミドルノームで唯一のヴァングレイト鋼の剣……名前はもう付けてあるのか?」
「いえ……まだ決め兼ねています」
「そうか。北国で僅かに産出される鋼を鍛えた、美しき白銀の名剣……『ビューティー・エルフ』はどうでい?」
「却下です」
即座に却下された領主。その口からハハハッという笑い声が飛び出すと、同時にアリスが領主の胸に飛び込む。
「お、なんでぃアリス? ハグをしてくれるのか?」
その突然の行為に領主は微笑み、腕を食らっているクリスは迷惑そうに短く吠える。
「どう!? 蛍文字は!?」
俺の顔に雑な言葉を投げつけるアリス。その意味を分かりかねていると、続けて顔面に一小節が飛んで来た。
「領主のお爺ちゃんのやりたい事リスト、冒険手帳に挟んだんでしょ!?」
「……ああ、そういう事か」
俺は背広の内ポケットから手帳を取り出し、中のメモ用紙を手に取ってからアリスに向ける。
「見ろ、『世界一の美女とハグをする』という願いは消える気配すらないぞ」
「噓でしょ!? なんでよ!」
アリスのリアクションに領主は再び笑い声を上げ、それから優しく頭を撫でる。
「確かに、アリスは将来とんでもないべっぴんさんになるだろうが、美女というにはまだ幼過ぎらぁ」
『敗因は若さね……』と口にしたアリスはそのまま領主の手を握り、窓から外を眺め出した。
「じゃあ、ドア閉めますね」
俺は馬車の扉に手を掛け、誰に言うもなく口にした。
すると領主がそれを遮り、「まだファングネイ王国の村まで同行する者がいるんでぃ」と、江戸っ子のように指先で鼻を擦りながら告げた。
「ああ……医術師とかですか?」
「いや、俺に必要なのは医術師じゃなくて送り人でぃ。旅の途中で、いつくたばるかも分からねえからな。……それはそうと、ウキキ、ちょっとこっちに来い」
急に名指しで呼ばれ、扉から手を離して俺は領主の前に立った。
「ちょっと首筋を見せてみろぃ」
「ああ、はい。お願いします」
まるで診察を受けるように、俺は素直に中腰になって首を差し出した。
「ふむ……。やっぱり分からねぇな」
「えっ」
「いや、その刻印術には見覚えがあったんだが、屋敷にある文献には見当たらなくてなぁ。刻印術は、その形と浮き出る箇所によって効果が変わる……。まあ、『首筋』に『ひし形』は悪い術じゃねぇ。むしろ、かなり高位な優性の術と見ていいだろうよ」
優勢の術……まあ、俺達の世界の言葉でいう『バフ』だろう。
それは未来アリスも言っていたし、前に訪れた時にも領主がチラッと漏らしていた。
「まっ……男が細かい事でゴチャゴチャと言うなぃ」
「こ、細かい事ですかね、これ……」
手を叩き、パンッと音を立てる領主。この話題はこれで終いでぃ! と言っているかのよう。
まあいいか。と、俺もあまり気にしないでおくことにする。確かに、バフであればいくつあっても困らないだろう。多分。
それに、今は俺の事よりも領主の心配をした方が良さそうだ。
元気そうには見えるが、気を張って誤魔化しているだけのようにも見受けられる。
……そりゃそうか、余命三日で元気な訳がないよな。
娘が住む、ファングネイ王国の村までの旅。順調なら一日半ほどで着く距離らしいが、それまでなんとか命の残り火が燃え尽きない事を切に願う。
「……やっぱりドア閉めときますね、体が冷えるでしょう?」
同意も許可も求めずに、俺は席から立ち上がって扉に手を伸ばした。
すると腕に力を込める寸前に、慌てて馬車へと走って来る少女の姿が目に映った。
「すいませんっ! 遅れました!」
「あれ、ユイリ。……ああ、同行する送り人ってあなたでしたか!」
ユイリはコクンコクンと二回ほど頷いてから扉の前で膝に手を突き、ハアハアと声を漏らして長い耳の先と薄紫色のサイドテールを揺らした。