134 薄暗い部屋で射す光
「出でよ八咫烏!」
カアアアアアッ!
三本足のカラスである八咫烏が構えた腕の先に現れ、俺の肩に着地をした。
サッカー日本代表のユニホームをふと思い出す。と同時に羽ばたき、空へと舞って行った。
「初使役はアリスに奪われたけど……なるほど、こんな感じなのか」
導きの神としても信仰されている八咫烏。
その力をほんの少しだけ借りる事により、周りの気配がカーナビの画面に点在する様々な記号のようになって、俺の視界に広がった。
クリスが言っていた尾行の気配を探ってみる。
確かに、俺達が歩いて来た路地の角に、何者かが単独でいるみたいだ。
「急にどうしたのよ」
数メートル先のアリスが振り返り、眉をしかめた。
「いや、つけられてるっぽいぞ。誰が俺達を尾行なんて……」
言いながらも、頭の隅には昨日の大男達の輪郭がふんわりと浮かんでいた。
彼らなら、その動機も十二分にあるように思える。
「撒くか、対峙するか……」
或いは蹴散らすか。
熟考とまでは言わずとも考えを巡らせていると、それが纏まるよりも先にアリスが動き出す。
「誰なの!? 出て来なさい!」
出て来いという割には自らすっ飛んで行くアリス。
俺も慌てて駆け出し、アリスを追い抜いて路地の角を曲がる。
「……あれ?」
そこには何者の姿もなく、ただ石畳が広がっていた。
「誰もいないじゃない!」
とフワリと飛び跳ねてチョップを繰り出すアリス。
「いや、確かに気配があったんだけど……あれ、もう八咫烏還ってるのか」
俺はもう一度、八咫烏を使役して周りの気配を探る。
裸眼で見える者を除くと、向いの大樹の裏に一人、その隣の鍛冶屋の中に三人、そして俺が手を付いている煉瓦の建物の中で、ベッドで身を寄せ合っている者が二人。
「怪しい人はいないっぽいな……。ってか、朝からお盛んな事で……」
「お盛んて、なにが?」
「いや、なんでもない。とにかく、もう尾行もいないみたいだし、領主の屋敷に向かおう」
俺はクルッと振り返り、再び角を曲がって先へと歩を進めた。
……なあクリス、尾行してた奴の姿を見たのか?
アリスを不安にさせないよう、俺は声には出さずに脳内で語り掛けた。
――いや、わらわも気配を感じていただけじゃ。うぬと同じく邪な気配じゃったのう。
そうか……。って、誰が邪な気配だ。
――邪は邪じゃ。尾行の事は放っておいて、うぬと前髪ぱっつん娘に危害が及ぶのを待つべきじゃったかのう。
……俺達の為に大男に頭突きしたくせに、よく言うぜ……。
俺はそう語りながら、アリスの腕に食らい付いているクリスのX字の模様に触れた。
それが気に食わなかったのか、俺の語りに気を悪くしたのか、それ以降クリスは黙ってしまった。
ありがとうな。
一言だけ付け加え、俺は冒険手帳を取り出し尾行の件を記しておいた。
*
窓辺で小鳥がチュンチュンと鳴いていた。
それに合わせて、俺もガラスの窓をトントンと叩いてみる。
すると小鳥はこちらを向き、首を少し傾げ、一目散に向いの建物の屋根へと飛び立って行った。どうやら俺との演奏は望んでいなかったらしい。
「暇だな……」
俺は屋敷の待合室のソファに深く座り、シャツのネクタイを少し緩め、冒険手帳をパラパラと捲った。
すると比較的新しいメモ書きが目に留まり、一つずつそれを声に出して読んでみた。
「チルフィーとお風呂、ソフィエさんのお胸様を鷲掴み、レリアの腐れカボチャパンツを正おパンツ様に穿き替えさせる、ユイリの長い耳に触れる……」
アリスの身体でやっておきたい4つの事。
結局、なに一つ達成できないまま元の姿に戻ってしまった。
俺はこうして、これからも打ち立てた目標をなに一つ達成できないまま、口だけ達者で老いていくのだろうか。
「おっと……いかんいかん。なんかブルーになってるな」
「青……青になってるって、どういう意味ですか?」
「うわあああああ!」
急に後ろから独り言に反応され、俺は両手を上げて驚愕のポーズを取り、振り返った。
「驚かせてしまいましたか? すいません……」
「ゆ、ユイリ……。いえ、大丈夫です驚いていません」
待合室の扉を閉める巫女装束のうしろ姿。
その華奢な背中はゆっくりと振り向き、俺の名を口にしながら遠慮がちな笑顔を浮かべる。
「ウキキさん達も来ていたんですね」
俺も出来るだけの笑顔で大袈裟に頷き、「ゴブリン討伐から戻ったんですか?」と続けて声をあげる。
「ゴブリンがいないみたいなので、補助で呼ばれた私は戻されました。それで、送り人結盟からここに来るよう言われて……」
キョロキョロとして落ち着かない様子のユイリはそう言うと、俺から2メートルほど離れた位置に腰を下ろし、顔だけを俺に向けた。
「アリスちゃんは領主様の部屋ですか?」
「はい、眠ってる領主の手を握ってますよ。アナも一緒です」
「そうですか。領主様、死んじゃうって本当ですか……?」
俺は黙って頷いた。
医術師の話だともって三日。しかし、今この瞬間に命の残り火が消えても、なにも不思議ではないらしい。
死の間際は死神様の気分次第……領主代理は今日、俺達に会って一通りの話をしたあとに、最後にこう付け加えていた。
その話をユイリにすると、震えている手を巫女装束の腰帯を強く握る事で抑え、視線を窓に向けた。
小鳥がまた来たのかなと思い俺も追随したが、そこには何もなく、ただ空が広がっていた。
『ユイリはファングネイ領の海沿いの村に住んでるんですよね? なんで他国の領主の死で、そんなに悲しむんですか?』
口から出掛けて、慌てて俺は飲み込んだ。
相手が誰であろうとその死を悲しんでいる者に対して、流石にこんな事を言うほど俺も無粋ではない。
飲み込んだ言葉の代替品を考えた。その間もユイリはジッと空を眺めており、静かな刻が俺達に訪れていた。
今はこうして黙っていたいのかもしれない。そう考え、俺は再び出掛けた言葉を飲み込んだ。
「失礼します」
不意に開いた扉から姿を見せたのは、灰色のレザーコートに身を包むアナの従者だった。
領主が目を覚まし、俺を呼んでいるらしい。俺はネクタイをきつく結び直し、テーブルとユイリの間を通って扉へと歩いた。
「じゃあユイリ、ちょっと行ってきます」
「はい……。あ、ウキキさん、それであの、『青になってる』って、結局どういう意味だったんですか?」
突然の質問に、俺はプッと吹き出した。
扉を開けたまま待ってくれているアナの従者が、不思議そうに俺とユイリに視線を送り続けている。
『気分が沈んでいる状態を指す言葉です』と俺は説明した。
するとユイリはもう一度、窓に目を向けてから横顔で呟いた。
「……そうですか。それなら私、今『青』です」
『知っていますよ』と言おうかと思ったが、やはり飲み込んでおいた。
*
屋敷の廊下を進んでいると、領主の部屋から領主代理が音を立てて出て来た。
アナの従者が壁際で立ち止まり、代理に道を譲っている。なので、俺もそれに合わせた。
「ウキキ、あたしゃこれからミドルノーム城に向かうよ」
俺は、「はい、いってらっしゃい」と言った。
何故、俺に行き先を告げるのか不思議に思っていると、更に不可思議な事を代理は口にした。
「あの人が何かを言い出したら、好きにさせてやっておくれ」
「何かを……ですか?」
俺は説明を求めたつもりだった。しかし代理はそれ以上は何も言わず、スタスタと機敏な後ろ姿で廊下を歩いて行った。
アナの従者と顔を見合わせる。
従者は俺に答えを求めている様子。しかし、俺の顔を見てそれは叶わないと悟ったようで、黙って領主の部屋まで進み扉を開けた。
「おうウキキ。今日はビシッと決まってるじゃねぇか」
スーツ姿の俺を見て、ベッドに横たわる領主が言った。
カーテンが閉め切っている薄暗い部屋では表情までは分からなかったが、少なくとも声は余命三日の人間が放つものとは思えない程、力に満ち溢れていた。
クリスはアリスの腕を咥え込んでいた。
アリスはベッドに座り、それとは逆の手で領主の手を強く握っていた。
その顔に涙の痕は見当たらなかった。残りの時間、領主と笑って遊ぼうという意志がなんとなく見て取れた。
「それで、なんだったっけなあ、アナ」
「蛍文字の話でしたね」
「おお、そうだったそうだった」
窓際に立って目を真っ赤にしているアナとのやり取りを経て、領主はベッドの脇にある台に手を伸ばし、メモ用紙と万年筆を手に取った。
「蛍文字……大魔導士が今際の際に使う魔法の一種でい」
そう言うと、領主はゆっくりと万年筆を走らせ、メモ用紙に何かを書いていった。
その姿を見ていると、一瞬だが確実に領主の背後に眩い光が現れた。
……後光?
目を擦ってからもう一度、視線を向けた。
しかし既に領主を射す後光は消えており、メモ用紙をアリスに手渡す細い腕が視界に入った。
「これが、俺が死ぬまでにしたい4つの事だ。それぞれ叶えば、その文字の一つ一つが蛍のように光って飛んで行くって寸法でい」
死ぬまでにしたい4つの事。
アリスがそれを読み上げると、それに付随して、領主は自分の過去の話を始めた。