132 激しく、静かに
煉瓦と石畳の街の一角に佇む、木組みの建物の喫茶店『カフェ・猫屋敷』
外観は他の建物と比べて古びてはいるが、内装はとてもお洒落で雰囲気もよく、落ち着ける店と言ったところ。
そんな元の世界にでも戻ったかのような錯覚を感じさせる店内で、大男が叩き付けたモップが玄武の光の甲羅により弾かれ、そして綺麗に真っ二つになる。
しかし、大男の心は折れるどころか闘争心を焚き付けられたようで、猛然と弁を振るう。
「な、なんだテメー! おいお前ら、やっちまえ!」
その声で、男性店員に絡んでいた大男が腰の剣を抜く。
同時に、ナックルのような物を拳に装着する隣の大男。それを見て、カウンターの向こうの女性店員が短い悲鳴をあげてから、腕を構えたままでいるアリスに憂慮の目を向ける。
「あなた達、こんな場所で乱暴はよしてちょうだい!」
魂が入れ替わり、俺の身体を自在に使いこなしているアリスが正論をぶつける。
「おいおい、オカマちゃんかよ!」
剣装備型大男が言った。
「舐めやがって! 俺達を誰だと思っていやがる!」
ナックル装備型大男が続いた。
「いくぞお前達!」
半分になったモップ装備型大男が言うと同時にアリスに迫り、まるで槍かのように刺突を繰り出す。
「玄武ちゃん、いらっしゃい!」
カメエエエエッ!
それに対してのアリスの立ち回りは、またも玄武の使役による完全防御。
いとも簡単に刺突を弾き、次の瞬間に横から繰り広げられる剣装備型大男の剣戟に備える。
「玄武ちゃん、いらっしゃい!」
カメエエエエッ!
剣戟へのアリスのアンサーは、またもまたも玄武の光の甲羅。
まるで自分の手足かのように四聖獣の一つを操るアリス。
使い慣れた俺でさえ体への負担が大きく、何度も使役する事は控えるが、アリスはそんな事はお構いなしと言うかのように、次に迫ったナックル装備型大男を見据える。
「うおりゃー!」
ナックル装備型多分肉食系男子型大男が、アリスにフックを仕掛ける。
アリスはそれを素早く屈んで見事に避けた。と思ったら、ただ単に足の力が抜けただけのようで、そのまま所々に小さな穴の開く床に倒れ込む。
「も、もう動けないわ……ガクっ……」
「アホ! 玄武使役しすぎだ!」
仰向けになりピクリとも動かなくなったアリスを上から見下ろし、ナックル装備型大男が口角を上げる。
「思い知ったか、このまま内臓を破裂させてやる!」
腹部を目掛けて、勢いよく足を踏み下ろすナックル装備型大男。
しかし、そうはさせない。魂が元に戻った時、内臓が破裂していたら凄い困る。
「男気アイス・チェーン!」
咄嗟に俺は氷の鎖を大男の足に絡ませ、静止させる。
と同時に俺の頭上からクリスが飛び跳ね、体当たりをかます。
「ゴフッ……!」
チワワの成犬ほどのクリスの体当たりで、尻もちをつく大男。
小さいとは言え大狼であるクリスが、歯を剥き出しにしてそのまま威嚇する。
情けない……といった表情でナックル装備型大男に目を向ける剣装備型大男。
剣をクリスに向けてから、すぐさまその剣先を振り上げる。
「クリス!」
瞬間、アリスがクリスを庇うように覆い被さり、スーツの裾が重力に逆らってなびく。
「アリスっ……! くそっ打ち弾き!」
俺はその姿を見てたまらず腰のダガーを抜き、躊躇なく降ろされる剣へと打ち弾きを試みる。
が、筋力不足が故なのか剣を打ち弾く事は叶わず、軌跡を僅かに逸らすに留まり、剣先が木の床に突き刺さる。
しめたっ……!
と思ったのも束の間、突き刺さった剣は容易に引き抜かれ、それをもう一度両手で構えた大男の口元が激しく動き出す。
「このガキがっ! 邪魔するならお前から殺るぞコラ!」
予告。ではなく、既に俺の真上から剣先が迫っている。
俺はダガーを両手でしっかりと握り、その剣戟をガードしてから蹴りを放とうと一歩踏み込む。
そして、目測を誤り、足がスカッと宙を斬る。
「くそっ……短い手足だな!」
刹那、剣装備型大男がいやらしい笑みを浮かべる。と同時に、まるで蹴りのお手本を見せようとしているかのように、深く腰を落としてから回し蹴りを放つ。
「っ……!」
俺はその鋭い襲撃を躱そうと、軸足に力を込めて風の加護を発動させる。
「風の加護!」
フワリと放物線を描いて、俺は体操選手のように後ろに飛び跳ねる。
……つもりだったが、何故か直線で真後ろに飛び立ち、頭から喫茶店の木製の壁に突っ込む。
「大丈夫!? 私の頭!」
アリスがクリスに覆い被さったまま、大好きな俺の事を物凄く心配している。
俺は『いてて』と口にしながら立ち上がり、バカな頭が余計バカになっていないかと心配しながら頭部に手を当てる。
そんな俺の様子を眺めながら、再度いやらしい面持ちで笑う剣装備型大男。
次の瞬間、その顔面が開いた店の扉に向き、険しい表情に変える。
「貴様ら、なにをしている!」
激昂を絵に描いたような表情の主が言った。
俺はそのアナのとても落ち着く低音ボイスを聞きながら、握っているダガーをそっと腰の鞘に収めた。
*
「いつものを頼む。あと、二人にオリジナルブレンドコーヒーを」
古びた丸いテーブルに肘を突き、アナが女性店員に注文を行った。
「オリジナルブレンド……ってか、この異世界にもコーヒーってあるんだな」
「と言う事は、ウキキ殿達の世界にもあるのか? ……と言うか、本当にアリス殿の身体がウキキ殿なのか?」
俺が説明しても、未だ信じていない様子のアナ。続けて、
「まあ、あんな傭兵かぶれに苦戦していた所を見ると、本当なのだな」
と口にし、やっと俺とアリスの間に起きたTS現象について、自分なりの考察を経て納得した。
「なんか国士様とか言ってたけど、あいつら傭兵なのか」
「ああ、ゴブリン討伐で名を上げて傭兵から兵士になるつもりだったのだろう。ゴブリンの影も形もなくて傭兵は全員帰されたからな、気の毒と言えば気の毒ではあるな」
「なるほどな……。でも、アナの顔を見るなり逃げ出したな。それほど『大地のツルギ』の称号はエグいって事か」
運ばれたコーヒーを一口飲んでから何気なく言うと、隣のアリスがクリスに腕を咥え込まれながら、逆の手でコーヒーカップを静かにテーブルに置いた。
「称号じゃなくて、アナの実力が凄いのよ」
コーヒーが思ったより苦かったのだろう。アリスはしかめっ面でそう言うと、テーブルに常備されている砂糖を少し多めにカップに注いだ。
「いや、もちろんそういう意味で言ったんだが……」
言い直そうかどうか迷っていると、あまり気にしていない様子のアナが先に口を開いた。
「二人は今夜、ここに泊るのか?」
「ああ、一部屋なら開いてるみたいだし、そのつもりだ」
俺は店内を見回しながら言った。
この『カフェ・猫屋敷』は、一階が喫茶店で、二階が宿屋になっているらしい。
「そうか、わざわざ宿を取らないでも、領主の屋敷に来れば良かったものを」
「まあ、観光の一種かな。それに、屋敷に招かれたのは明日だしな」
そんな事、気にするな。というようなニュアンスの言葉を口にしたアナは、コーヒーを飲み干してから『眠いわ!』と言った早々テーブルに突っ伏して寝だしたアリスに目を向けた。
「実は……領主様の体調が思わしくないんだ……」
アナの表情がみるみるうちに曇り、視線は天井へと向けられた。
付きっ切りで看病をしていたアナは、領主代理に少し外で気晴らしをして来いと言われ、馴染みのこの店に来たようだ。
ハンマーヒルの医師……この異世界では医学師と言うようだが、とにかくその医療に携わる人の話では、もって三日という事らしい。
アリスが聞いたら飛んで行きそうな話だったが、幸い寝ているので、なんのリアクションも無くただスースーと寝息を立てていた。
「今夜、いきなり押し掛けたら迷惑だろうし、あすの朝行くよ」
そう言ってアナの肩をトントンと叩くと、アナは両方の目から大きな涙粒を垂らし、暫くの間、静かに声も漏らさずに肩を震わせた。